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37.桜塚猛、エルヴァの大老と再会する

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「……ふぅ。一時はどうなることかと思ったぞ」

 口とは裏腹に、涼しげな顔でエルヴァの大老が言った。

 わしらは北門に行き、すぐ外までやってきていたエルヴァの集団を収容した。
 エルヴァたちは魔法でモンスターを蹴散らしていたので、門を開けた隙にモンスターが……という心配はいらなかった。
 エルヴァの集団には、見覚えのある顔がちらほらとあった。
 森でわしらを制止したエルヴァのリーダーとその配下たちに守られていたのは、他でもない大老だった。大老のそばには、発明のカンパネラと呼ばれていた長老もいた。

 わしらは彼らを領主の館に案内し、領主に彼らを紹介した。

 大老と領主が儀礼的な挨拶を交わし終えたところで、大老が冒頭の一言を発したというわけだ。

「ずいぶん余裕があるように見えたけどね?」

 ミランダが呆れたように聞く。

「そうでもない。ここにいる者たちはエルヴァの中でも屈指の実力者たちではあるが、さすがにモンスターの数が多すぎる。魔力が尽きれば逃げ出すしかなかったろう」

 他人事のように言う大老に、ジュリアーノが質問する。

「それで、大老。どうしてこのような時期に、サヴォンまでいらしたのですか?」
「ああ、そうだった。どうもエルヴァは気が長くていかんな。森の感覚で話していると、今が危機だということを忘れてしまう」

 大老が苦笑する。

「今回私自らがこうしてやってきたのは……これのせいだ」

 と言って、大老が鞄から見覚えのある宝珠を取り出した。
 水晶球ほどの大きさで、色とりどりの綾が宝珠の中を泳いでいる。
 その宝珠が今、ぶるぶると震えていた。

「魂魄の宝珠、ですか……それも、この動きは一体……?」

 ジュリアーノが言う。

「うむ。これは、鳴動と呼ばれる現象だ。といっても、私ですら直接目にするのは初めてだ。そういう現象があると、古文書に記されておるのだ。古文書の記述からして、これが『鳴動』であることは間違いないだろう」
「鳴動……それは、一体どんな現象なんです?」
「なにせ昔のことゆえ、定説はないのだがな。強力な精神体が、何らかのメッセージを発しているのではないかと言われている」
「強力な精神体ですか」
「うむ。それこそ、神のような存在だろう。エルヴァの術者では、このような現象はまったく起こすことができない。人知を超えた存在によるものと考えるしかあるまい」
「では、大老は、鳴動を起こしたのは女神オスティルであるとお考えで?」
「そうだ。何より、我々はほんのすこし前にかの神とこの宝珠を介して接触しておるのだ。その時の形跡を利用して、オスティル様が何かを伝えようとしているのではないか。そして、もしそうだとすれば、オスティル様と連絡を取れるのは、タケル・サクラヅカしかいないことになる」

 大老の言葉に、領主とキャリィ嬢が首を傾げた。

「タケル・サクラヅカ、というのは誰のことだ?」

 領主がわしらを振り返って聞く。
 わしらは顔を見合わせる。
 皆は、わしにアイコンタクトを送ってきた。
 わしに任せると言うのだろう。

 わしはしばし考えてから口を開く。

「桜塚猛というのはわしのことだ。いや、正確には、ロイド・クレメンスの中に入り込んでいる人格が、桜塚猛という人間なのだ」

 領主とキャリィ嬢、そしてザハルドがわしを見る。

「わ、わしって……どうしたのよ、急に」

 キャリィ嬢が言う。

「少し長い話になるが……構わぬか?」

 わしはそう断ってから、話しはじめる。
 わしとロイド・クレメンスの身に起きた、数奇な出来事のことを。



「信じらんない……」

 キャリィ嬢が言う。
 領主クラーク、ザハルドも同じような顔をしている。

「でも、合点がいくこともあるのよね。ロイドには急に色仕掛けが通じなくなった。まるでいきなり性欲がなくなったみたいな……。それに、ザハルドの横領を告発した時のやり口も、とても単純バカのロイドに思いつくようなもんじゃなかったわ」

 横領の罪をザハルドに着せながら、キャリィ嬢がうなずく。
 領主と元副ギルドマスターは、助けを求めるようにエルヴァの大老を見た。

「事実だ。大老たる私が保証しよう。どちらにせよ、今からする話を聞いておれば、信じざるをえなくなるだろう。今は半信半疑で構わぬから、話を聞いてはもらえぬか?」

 大老にそうと言われては、それ以上追及することはできない。
 クラークは疑いを完全には払拭できていない顔でうなずいた。

「さて、魂魄の宝珠が鳴動しているということだったな。過去の文献によれば、鳴動は魂魄の宝珠を使用することで収まったとされている。誰に使ったのか、使った結果として何が起こったのか。そのあたりのことは失伝してわからぬのだが……」

 大老が言葉を切ってわしを見る。

「今回の場合は、単純だ。再びロイド・クレメンス――とその身体に宿るタケル・サクラヅカの魂に魂魄の宝珠を使い、もう一度オスティル様に接触を図れということだろう」
「なるほど……」

 ジュリアーノが相槌を打つ。

「鳴動の様子から一刻を争う問題と考え、私たちは人間の街に出ることにした。おまえたちに使いをやって森に来てもらうのでは時間がかかりすぎるからな。ところが、サヴォンに着いてみて驚いた。モンスターの軍勢がサヴォンを包囲して攻城戦を仕掛けていたのだからな」

 大老が肩をすくめる。
 クラークが聞く。

「外のモンスターの様子はどうでしたか?」
「モンスターらしからぬモンスターだ。上からの指揮に従い、勝手な行動をしない。本来なら捕食対象となるはずの別のモンスターが近くにいても襲わない。こんなことができるのは、それこそモンスターの生みの親とされる双子神の悪の片割れオストーくらいのものだろう」

 大老の言葉に、わしらはぎくりとする。
 その反応に、大老がもの問いたげな視線を向ける。
 わしらは大老に、これまでに得られた情報――ナザレがオストーの力を奪ったと称していることなど――をかいつまんで伝える。

「なるほど……そのようなことになっておったのか。オスティル様が鳴動を起こされるのも当然だな」

 大老が深くうなずいた。
 クラークが言う。

「そういうことならば、一刻も早く宝珠とやらを使ってもらうべきだろう。もし魔王ナザレに邪神の力があるのだとしたら、それに対抗できるのは女神オスティルを措いて他にないのだから」
「その通りだ。タケルよ、おまえがよければすぐにでも始めるが、どうだ?」

 大老がわしに聞いてくる。

「どうと言われても困るが……心身ともに問題はないはずだ」

 わしが答える。

「場所はどうする?」

 クラークの質問に、大老が答える。

「すまぬが、この場所を貸してもらおう。一定の広さと、暗くできることが重要なのだ。食卓を端に寄せ、床に敷き布を敷いてほしい。そして、その分厚いカーテンを閉め切ってくれ。それ以外の段取りはわれわれがやろう」



 ミランダとわしで、食卓を持ち上げ、食堂の片側に寄せる。
 食卓はかなり重く、本来のわしの身体であればぎっくり腰を心配しなければならないところだったが、冒険者二人にかかればなんてことはなかった。なお、ジュリアーノは腕力に欠けるし、ドヴォであるアーサーは背が低くて他の者と高さが合わない。ジュリアーノとアーサーは食堂のカーテンを閉めている。

「夢見の宝珠も併用する。そうでないと、タケル以外には何が起こっているかわからぬからな」

 大老が言う。
 夢見の宝珠は、発明のカンパネラが持っていた。
 ジュリアーノが目を丸くする。

「エルヴァの秘宝を二つとも持ち出されたのですか!」
「それだけの事態だということだ」

 大老が厳かに言う。

 わしは以前と同じく、床に敷かれた敷き布の上に寝そべった。

「……では、始めるぞ」

 大老が言う。
 わしは目をつむり、眠るよう努力する。
 ここ最近の忙しさのせいもあって、横になるとすぐに睡魔が襲ってくる。

「魂魄の宝珠よ、この者、ロイド・クレメンスの魂魄をけみし、その精神のかたちを――」

 大老が呪文を唱え終えようとしたその時――

 パキン!

 と、何かが砕ける音が聞こえ。

 ズガン!!

 と、何かが床にぶつかる音がした。

 わしはあわてて飛び起きる。

「な、ななな……」

 大老が言葉を失っている。
 それは、居合わせた他のメンツも同じだった。

 食堂の、わしが寝そべっていたすぐ隣に、古ぼけた石櫃いしびつが現れていた。
 その石櫃は、全面に無数の細かいヒビが入っている。
 そのヒビが、パキ、と音を立てる。
 石櫃のあちこちから細かな欠片が剥がれ落ち――

「せ、聖櫃じゃないかい!」

 我を取り戻したミランダが叫ぶ。

 その叫び声が、ダメ押しになった。
 石櫃が、バゴォ、と音を立てて崩れ落ちた。
 食堂に砂埃が舞う。

 その砂埃の中から、


「ぶへぇっ、げほっ!」


 一人の老人が咳き込みながら這い出してくる。

 白髪。
 アニメのキャラクターらしい安物の仮面。
 派手なアロハの上に白いジャケットを羽織っており、下半身はジーンズ。
 履いているのは安全靴のようだ。
 両手には、それぞれ抜き身の日本刀とワンドを握りしめている。

 しかし、それ以前に、その顔が問題だ。
 わしが毎日鏡の中で見ていた年老いた男の顔がそこにはあった。
 気持ち、精悍になり、若返った印象を受けるが、わしの顔で間違いない。

 ということは――


「ロイド・クレメンス!」


 思わず叫ぶ。
 その声に、わしの顔をした老人が顔を上げる。
 そして、にやりと笑う。


「そういうあんたは……桜塚猛か」


 わしの顔をした男が言った。
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