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第一章 忌まわしき世界

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御削みそぎ美奈恵みなえ/城ヶ崎市、センター街

 忌累きるい機関から依頼された仕事を片付けたあたしと真琴は、いきつけの居酒屋で一杯引っかけて出てきたところだった。夜はまだこれからだ。今夜は前後不覚になるまで飲み明かしたい。ちょうど、手近な男もいないことだしね。
「……飲み過ぎだぞ、美奈恵」
 あたしに肩を貸してくれてる美人さんがそう言ってくる。
 美人さんはもちろんあたしの知り合いで、二〇年来の大親友にしてビジネス・パートナー、天崎真琴だ。
 何より人目を惹くのは背中まで伸ばした黒いつややかな髪と怜悧な表情を浮かべたその美貌だろう。事実、今だって、センター街を行き交う男たちが振り返って真琴のことを見ている。あたしを見てくる人ももちろんいるけど、数で言えば真琴の方が圧倒的に多い。
 真琴はあたしのことを男好きのする女だなんて言うけど、こうして一緒に歩いていると、男からの視線を集めるのはむしろ真琴の方だ。そのくせ自分の魅力に無自覚で、男たちの視線など歯牙にもかけない。
 今日も、せっかくの仕事明けだというのに、忌累機関から支給された戦闘用偽装スーツを着込んでいるくらいで、本当にこれっぽっちも着飾ろうというつもりがないらしい。にもかかわらず、身体のラインが浮き出るパンツスーツが驚くほど似合っていて、あたしが日夜おしゃれのために心を砕いているのはいったい何のためなのかとむなしくなってくる。
「うるはぁい! 大体、真琴の方が飲んでたじゃないかぁ! なのになんでそんなにしっかりしてんのよぉ!」
 そうなのだ。真琴はとんでもないうわばみで、そのザルに酒を流し込むような淡々とした飲み方に釣り込まれると、いつのまにかペースを乱されあっというまに潰されてしまう。
「弱いのに無理するからだ」
「あたしは弱くないわよぉ! 真琴が強すぎるだへっ……うえ」
 吐きそうな気配を見せたあたしを真琴は的確な体捌きで誘導し、目立たない路地のそばに連れて行ってくれる。一見無愛想に見える真琴だけど、こういうところの気遣いは天下一品だ。
 あたしはひとしきり見苦しい場面を繰り広げてから言った。
「じゃ、次行こ♪」
「……おまえな」
「だってぇ~、今回の仕事はあんまりだったと思わない?」
「……それはこっちの台詞だ」
 今回あたしたちに仕事を依頼してきた忌累機関――正式名称・忌累統制機関は、内閣府直属の秘密組織で、忌門(きもん)にまつわる諸現象への対応をその職掌としている。あたしと真琴――イヴィル・バスターズ〈M2〉は昨日までの一週間、かの機関からの依頼を受け、忌門の正常化ノーマライゼーションに当たっていた。
「あんなに古い屋敷の地下で、あんなに大きな〈魔法〉を使う奴があるか」
 今回請け負ったのは、城ヶ崎市近傍の古い屋敷の地下空間に開いたとおぼしい忌門の正常化と、もし発生していればという話だったけど――忌獣きじゅうの掃討。
 時を遡ること明治、鹿鳴館の時代に作られた外国要人接待用の和洋折衷の大きなお屋敷は、名渓として名高い谷川のすぐそばに建てられていて、さすがに風光明媚、朴念仁の真琴までもが「こんなところに住んでみたいものだ」などと言い出すほどの、綺麗で歴史を感じさせる名邸宅だった……のだが。
「だってだって~、あの地下があんなになってるだなんて、思わないじゃない」
 屋敷の地下はさながら迷宮だった。
 もともと戦時中に作られた防空壕が根を張っていたということだけど、そこに現れた忌門が防空壕を近年稀に見る大迷宮へと作り替えてしまっていたのだ。
「それは……そうだが。だからと言ってあんな……」
 迷宮は種々雑多な忌獣で溢れ、探索は難航が予想された。だから――
「なによぅ。〈魔法〉で忌門までぶち抜いたのがそんなに悪いっていうの?」
「悪いッ!」
「合理的な解決策だと思ったんだけどなぁ。ほら、機関の研修でも口を酸っぱくして言ってたじゃない。『忌門のような不可思議な現象に関わるからこそ、常に合理的に思考し、判断し、行動しなければならない』って」
「確かにそうだが、あれが合理的な解決策だなどとはとうてい言えん。地盤の脆い、崖のすぐそばの屋敷の地下で大規模な〈魔法〉を使えばどうなるかくらい、十分予測してしかるべきだ」
「えぇ~。あたしは真琴じゃないんだから、そんなことまでわかんないよぉ」
 地下迷宮に真っ向から挑もうとする真琴を尻目にこの解決策を思いついたときには、「あたしってば天才♪」って思ったんだけどなぁ。
 で、早速〈魔法〉で迷宮に大穴を開けたら、地下空間が崩壊しだして、あたしと真琴は危うく生き埋めになるところだった。
 それだけなら笑い話で済んだんだけど、悪いことに地下空間の崩壊が周囲の山体の崩壊を誘発して局所的な地滑りが起き、名渓で有名な谷川を埋め尽くしてしまった。その上、水量の変化で下流にあった水力発電所が操業を停止せざるを得なくなり、周辺一帯に大規模な停電が発生、報道管制や関係省庁との連絡、目撃者の口封じ(べつに殺したりするわけじゃなくてお金で黙らせるみたい)など、忌累機関のみならず、官邸まで巻き込んだちょっとした騒ぎになってしまった。
 忌門はちゃんとノーマライズしたし、溢れ出た忌獣も掃討したんだけど、それはできて当然のことであって、加点の対象にはならない。あたしと真琴は報酬を大幅に減らされた上、始末書の提出まで求められることになってしまった。
「それくらいわかってくれ。あの屋敷は地盤が脆いことがわかって人が住まなくなったとブリーフィングの時説明されただろう」
「そんなわかりにくい伏線、気づくはずないよ。『地下は崩れやすいから気をつけてね』って言ってくれない狭間はざまさんが悪い!」
 狭間さんというのは忌累機関の上級職員で、あたしたちへの窓口を務めている人だ。やり手の女性エリート官僚で、あたしたちにたくさん仕事を回してくれるのはいいんだけど、経費の無駄遣いにうるさく、報酬もできるかぎり安く済ませようとしてくる油断ならない人でもある。
「それはそうだが、やはり相手の話はその裏の裏まで読んで聞くべきじゃないのか」
「そんなの、真琴だけだって。人は信じてナンボだよぉ? たとえ、騙されてもね」
「……男に騙される程度で済むなら、それでいいんだろうけどな」
「え? あたし、男に騙されたことなんてないよ? 騙したことはたくさんあるけど」
 あっけらかんと言ったあたしに、真琴は小さくため息をつき、
「……今日は騙す男がいなかったから、わたしと飲みに来たのか?」
 拗ねたように言ってくる。
「そんなことないよ? 男は男、真琴は真琴じゃん?」
 真琴はあたしの男遊びをあまりよく思ってないみたいで、時々こんな風に拗ねてみせることがある。そんなときの真琴はホントにかわいくて、ぎゅっとしたくなっちゃう。あたしそっちの気はないはずなんだけど。
 と、
「……あれ?」
 声を漏らしたあたしに、真琴が顔を上げる。
「どうした?」
「今、おなかが……」
 あたしはおなかの下、子宮のあたりを押さえた。少し動いた気がしたんだけど……気のせいかな?
 といっても、別に妊娠してるわけじゃない。
「まさか、忌門が……?」
 緊張を滲ませて言う真琴に、
「ううん、気のせいかも」
 首をかしげながらあたしが答える。
 あたしの子宮は、とある事情で、忌累の気配に反応するようになった。忌門に遭遇して生き残った適合者は、多かれ少なかれ忌累に対する独特の嗅覚を持つようになるんだけど、あたしの子宮はそのなかでも特別鋭い感度を持っているのだという。ま、あたしの能力がどのようにして備わったのかを考えれば当然なんだけどね。
「かもって。どっちなんだ。可能性はあるのか?」
「だからわかんないってば。でも、もしそうだったとしても、今反応がないってことは、もういなくなったってことじゃない?」
「忌獣が勝手にいなくなるものか」
「じゃあ同業者が倒しちゃったとか」
「まあ、その可能性はあるか」
「そんなことより、次のお店行って飲も♪」
「そんなことって、おまえな」
「そんなことだよぉ。今この瞬間、イヴィル・バスターズ〈M2〉はオフなんだから。そんなに仕事ばっかしてると男が逃げちゃうぞ」
「男なんて……」
「もう。真琴はそればっかり」
 でも、あんなことがあったんだから、真琴がそう思うのも無理はないのかもしれない。
 あたしはおへその下を小さくなでる。それを見た真琴が、すこし顔をしかめて視線をそらした。
 真琴は、七年前のことを自分のせいだと思ってる。確かにあの件で真琴は大きな役割を果たしているけれど、それはあたしだって同じだ。というより、真琴の困惑を利用して欲しいものを手に入れようとしたあたしの方が格段に悪いはずだ。でもそれ以上に、あの件に関しては、こじれた問題に最悪の偶然が重なってしまったことこそが決定的な要因だった。
 あたしはあの件で子どもを産む能力を失い、代わりに忌獣を討つための〈魔法〉を得た。いや、ちがう。あたしが得たのはもっと別のもので――だから、あの不幸な出来事を通して、自分の欲を貫き、欲しかったものを手に入れた唯一の関係者はあたしなのだとも思う。
 だから、真琴はあたしのことを気に病む必要なんてない。
 真琴が贖罪の意識であたしに接してることはわかってる。それは、とても辛いことだ。あたしにとって真琴は昔と変わらぬ大親友であり、ひょっとしたら生涯ともにいるかもしれないパートナーなのに。
 と、あたしの子宮が疼いた。忌獣を検知したからじゃない。あたしの思い浮かべた心象に呼応するようにしてそこにあるもの・・・・・・・が反応を返したのだ。
 真琴にとっては忌まわしく、あたしにとっては愛おしい、呪わしくも大切な始まりの〈胎児〉が。
 でも今は――
「行こ♪」
 あたしは真琴の腕に自分の腕をからませた。
 これをやると、真琴はとたんに弱くなるのだ。好きな女の子に腕を取られた初心(うぶ)な男の子みたいに。
「……しかたないな」
 頬をかく真琴に内心苦笑しながら、
「じゃ、レッツゴー♪」
 精一杯の陽気をよそおって、あたしは真琴の腕を引く。
 よそおった陽気はいつのまにかあたしの本当の気持ちになっていて、その夜はしぶる真琴を引っ張り回して飲み明かし、センター街のあちこちに吐瀉物をぶちまけ、声をかけてきたナンパ男を真琴がぶちのめし――そんないつもと変わらない仕事明けの無礼講をひととおり楽しんだ後、あたしと真琴は事務所のソファでお揃いのゾンビになった。
 それもまあ、いつものことといえばいつものことだった。

 ――すくなくとも、この時までは。
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