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嫌な奴
しおりを挟む「実は理人の家に着くまえに、蓮さんちがここだって気付いちゃったんだ」
「いい大人なんだから、怯む事ないだろう」
でも楓が怖気づくのもわからないでもない。比賀家はでかいのだ。
この住宅地の中でも一番の広さがあり、上物もそれに見合ったものだ。理人の両親が頑張ってようやく買えた家の三倍はある。
いつもはアルミの門扉が何枚も壁を作って人の出入りを拒否しているが、楓が来ることがわかっているせいか、今日は珍しくそれが開いていて、奥のガレージに車が三台並んでいるのが見える。
そしてそのうちの一台の前に蓮の後ろ姿はあって、すぐに二人の訪れに気付いて振り向いた。
昨日も乗った蓮の愛車はSUV。ボディは大柄だが内装は上級で乗り心地はいい。そのエンブレムを見れば車に疎い理人でもメーカーを言い当てられる。
軽く手をあげ合図する姿はやっぱりかっこいい。
何気ないグレーニットは上品で、背の高さよりもその下にある足の長さの方が際立っていてる。スリッポンのホワイトソールも爽やかで、蓮らしいスタイルだ。
この状況であっても理人の胸はときめき、すぐに反動でぎゅっと絞られたように痛んだ。
「こんにちは蓮さん。楓を連れて来たよ」
「こんにちは」
理人に続いて楓も挨拶する。
こちらにやってきた蓮は、楓との事を知られてしまった事を、今さらながら照れいるようだった。しかし、そんな決まりの悪さはすぐになくなる。
蓮の目はあっという間に楓に釘付けになって、理人を通り過ぎる。見つめ合う二人、楓の頬が染まる。
好きな人と親友の恋を目の当たりにするのは辛く、理人はうつむきつま先を見た。
「昨日とイメージが違うね。髪もその方がいい。すごく似合ってるよ」
「これは、理人が……」
はにかむ楓は髪に手をやる。
「そうか、理人。楓が世話になった。ありがとな」
「……うん、て言うか、全然……大した事、してない」
それは蓮に礼を言われる事じゃない。だから胸が潰れる。
なんだ、もう付き合ってるようなもんじゃないか。
出会ってから数時間、顔を合わせたのは数十分。たったのそれだけ。
恋と言う物は、それほど急激に高まり芽吹くものなのだろうか、理人にはわからない。
たった一人を見つめ続けて、時間をかけてその思いを幾重にも重ねてきた。理人の知る恋はそれだった。衝動に近い、こんな物じゃない。
だから、僕にはわからない……
思いがぐっと胸の奥からせり上がってくる。
僕が、楓の場所にいたかった。愛しい目で見つめられたかった。楓より僕の方が、ずっと蓮さんを求めているのに……
目の前がぼやけ始めて、理人は首を振って誤魔化した。
「あの、えっと、じゃあ戻る。二人とも、いってらっしゃい。楽しんで」
声が震えていた。
透明人間になった僕はこの場に必要ない。
しかし数歩後退してからくるりと振り向いた所で、思いもせず手を取られ、つんのめりそうになった。
「えっ……なっ……!」
腕をぎゅっと握り込んで動きを阻止するのは、楓だった。
「待って……もう行くの」
「何?」
「あのっ、ちょっと……」
「だから、何?」
「色々ありがとう」
「別に大した事ない」
「今日は、港の方にでも行こうかって、話になってるんだ」
うん……だから?」
自分の声が鼻にかかっている事に気付き、慌ててこする。
「あのさ……」
「何だよ」
はっきりしない楓に苛立ちを覚えていると、二人を見守っていただけの蓮が間に入ってきた。
「もし、この後に予定がないなら、理人も行ってみるか?」
意外な言葉に理人はぽかんと口を開けるしかなかった。ところが楓は蓮の提案にほっとしたように、畳みかけてくる。
「理人、港好きだよね」
「いや別に。職場がそこってだけ」
「水族館も好きでしょ」
「嫌いな人の方が少ないだろ」
「一緒に行こう」
水族館に行くのか。そこまでは付き合いきれない。
王道の水族館デート。だったら蓮だって本気で誘っている訳でないだろうと、二の腕にかかる楓の手を引き剥がす。
二人のデートに付き合うなんて、無理だ。そこまで見守れだなんて、酷過ぎる。
三人でも楽しいとでも言いたいのか、平気で蓮の社交辞令に乗ってくる楓の神経が理人は信じられない。
二人でなくてもいいと言うのならその場所を空けて欲しい。望んで願って焦がれるその場所を、取らないで欲しい。
甘えるのもいい加減にしろよ。そう口にしようとした所で、理人を妨害するような声が響き阻まれた。
「俺も賛成。いいんじゃない? それ。ちょうど二対二になるし、たまには若い子達がするようなデートもいいだろ」
はぁ? 何言ってるんだよ。
そう思い声の主を探すと、ガレージの奥から出て来てこちらに歩み寄るのは、蓮と同じくらいスタイルがいい男。
顔は理知的な印象でパーツは直線的、蓮とは顔も似ていないし、理人の知る限り比賀家に関わる人間ではない。口ぶりからして、蓮の友達だろう。
「楓ちゃんも緊張してるみたいだし、何ならあとで別行動もできる」
「そうだな。理人と出掛けるのも久しぶりだし。たまたま揃ったこの面子で出かけるのも楽しいだろう。な、理人」
男に背中を押されたように、蓮まで調子を上げてしまう。
蓮さん、本当にそれでいいの……
何か間違ってると思ったけれど、理人以外の人間はこの意見に賛成らしい。
それに、楓を『ちゃん』付けで呼んでいる男に違和感を抱いているのは、どうも理人だけのようだ。蓮も楓も男も、誰もそこをつっこむ気配もない。
理人が言葉に詰まっていると、馬鹿な後押しをした男は、理人を汚物でも見るような目で見てくる。
「お前さあ、外に出るならちゃんとした格好したらどうだ? 楓ちゃんみたいに」
男の言い草に自分の中の何かがプツッと切れる感覚を理人は初めて知った。たしかに楓は足元以外は完璧だ。それに対して自分は部屋着姿と言っていい。だからと言って初対面の男にそれを指摘される事もない。
「あのなあ、僕はここに来るつもりなかったの。楓の世話で手いっぱいだったのに、自分にかける時間なんてあるわけないだろっ」
蓮の友達であるとか、年上なんてことは関係ない。理人が不快感を露わにしても、男は全く怯まない。そこで二人の間に一歩入ったのが蓮だった。
「理人、落ち着いて。こいつ、いつもはそんな口を利く奴じゃないんだ、悪かったな。おい祐也、この後も理人にそんな口をきくようなら、今後の付き合いを考えるぞ」
これほど強く出る蓮を見るのは理人でも初めてだった。蓮が声を荒げるイメージさえないのだ。
「……ったく、わかったよ」
男もそうだったのだろう。目を細め理人を睨んでいたが、注意されて渋い顔をしている。
ザマアミロだ。
理人がふふーんっと勝ち誇った顔をすると、男は悔しかったのかさっと目を逸らした。
次は理人が楓に追い立てられて、身支度する事になった。
早く早くと後ろで追いたてる楓。
鏡をのぞき込んで、またへこむ。数時間の経過だけで腫れた目が元に戻っている奇跡なんてある訳なく、鏡の中にいるのは何かを企む目つきの悪い、ボサボサ頭の男。
蓮さんに酷い姿見られた……
だけど、きっと蓮さんにとって自分の変化はどうでもいいに違いない。この後も楓の姿だけを追うんだ。
ちょっとだけ付き合って、すぐに帰ろう。
理人はシワのついたシャツからオーバーサイズの青色のカットソーに着替える。
玄関に出ていたスニーカーにトートバックを持てば途端に学生っぽくなったが、自分のデートじゃないんだから、これで上等だ。そう納得して家を出た。
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