子豚の魔法が解けるまで

宇井

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4 天使の整体 治すもの残すもの

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「顔面の希望はなしですね。でしたら変えて欲しい所をあなたから申告して下さい。何かしらあるでしょう。たとえば身長を高くしたいとか」
 「したい! 身長欲しい!」

  まだこの状況への理解が足りないながらも、俺は身長というワードに飛びついていた。無意識だ。
  俺の身長は高くない。せいぜい百六十六センチといった所。
  本当は百六十五・五センチ。わずかなサバを読む所に悲愴を感じてもらってもいい。
  過去の男たちはそれが可愛いと言ってくれたが、俺は嫌だった。あとプラス五センチで百七十センチ台に入るのが理想だったのだ。
  こうして振り返ると、俺って結構身長がコンプレックスだったのかもしれない。
  いくら抱かれる側だと言っても、男に可愛いは褒め言葉じゃないんだ。いくらネコ役であっても俺は男。それを主張するにはやっぱり、たっぱが必要だ。うん。

 「では、背を高くしましょう。それくらいお安い御用です」

  にっこにこ笑うの顔は胡散臭いけど、イケメンだから許す。
  とにかく人知を超えた存在と対峙しているのはわかるのだから、ただの人間の俺がじたばたした所でどうしようもない。しかも、気になる部分を直してくれるのなら尚更だ。
  そしてこれは夢じゃない。これがただの夢にしては、やけにリアルだから。
  俺好みのイケメンは神の使いということでいいだろう。天使とかって言ってたか?
  俺は天使の手を借りて、よいしょと立ち上がる。
  その天使は人差し指を顎に当て、思案顔で俺の身体を下から上まで見分すると、ささっと素早く俺の後ろに回り、ばしっと両肩に手を置いてきた。
  そして肩甲骨をぐっと外側に開いてくる。

  うっ……!

  胸を前に突き出す形になり、体の内側からバキバキと音がする。思わず顔をしかめてしまったが、それでも痛みなどなく、マッサージというか、整体を受けているような気持ち良さをじきに感じた。
  猫背矯正されてる感じ?
  それが終わると背骨にそって指を這わせていき、腰に辿り着いた所でまた辿った道を戻り上へむかう。
  ゾクゾクする。
  その過程で思わず小さな吐息が漏れてしまったのだが、天使は華麗にスルーしてくれた。
  時間にすればたった三十秒ほど。それでも俺の上半身は凄くすっきりしていた。ここまで軽くなると、今まで肩に重りを背負って生きてきたようなものだ。
  最後に首まで揉まれて、もう夢見心地です。

  整体とかマッサージってきっと気持ちいいんだろうな……

 恋人のマンションにあったマッサージチェアで十分満足してたけど、やっぱり人の手に施されるのとは別物だ。
  この空間から出て生還したら、絶対に手もみマッサージに通おうと決心した。

 「さ、これで二センチ稼ぎました。あとはO脚気味の膝を直してプラス三センチ……!」

  男は俺の足元に片膝をつき、わずかに隙間のあった俺の膝を、両手でぎゅっと固定するようにくっつけた。二度三度ひざ同士をぐりぐりすると、すっと立ち上がる。

 「これであなたの身長は五センチアップです」
 「もう終わり? 本当に高くなったの?」
 「矯正した上で固定しておきましたから、今後も縮む事はありません。O脚ともおさらばです。歩き視線も座り姿勢もよくなるでしょう。年を取ってもお腹だけがぽっこりなんて事態にはなりませんよ」
 「それって、すごいよ」

  天使は何でもないことだと言うが、俺は感動してた。

 「もしプラス十センチと言われたらもっと強引に牽引する必要がありましたが……」
 「強引って?」
 「あなたをその場に引き倒し、右足で股間を踏みつけ固定し、両足を思いっきり引っ張ります」
 「……それ酷いっ」

  思わず痛くない股間を押さえてしまう。それってデンキアンマって奴だろう。絶対に嫌だ。

 「少々見た目には乱暴ですが痛みはないのですよ。ですが抵抗がある方が多いようですね」

  わかるよそれ。ちんこを踏みつけられるなんて、普通の男は無理だ。
  男の一番脆弱で鍛えられない部分を、しかも足の裏でぐりっとされるのは特殊性癖でもなければ簡単に受け入れられないから。
  ふうっ、欲張らなくてよかった。俺はこれで大満足。
  だって夢の……百七十。七十だよ、ぐひっ。ニヤニヤがとまらない……
 測ってはいないが、ちょっとだけ視点が高くなった気がする。気のせいではなく本当に俺の背は伸びたのだ。
  嬉しい! 成長期が終わって完全諦めていただけに、めっちゃ嬉しい。

 「それほど喜んでくれるとこちらが嬉しくなりますね。あとは……うーん……なるほど、目ですね」

  俺を透視する能力があるのか、はたまた口にしなくともわかったのか、男は俺の真ん前に立つと、目を周りを親指でマッサージし始めた。
  自然に瞼を閉じたのだが、疲れ目にじんとくるような、優しくもツボを押さえたタッチだった。

  気持ちいい……

 俺はちょっと視力が悪い。家の中では使わないようにしているが、外ではたまにセルフレームの眼鏡をしている。コンタクトは使ったらと過去の恋人に勧められた事があるが、俺は断固拒否した。
  尻への異物挿入はオッケーでも、目の中に異物を入れるのは嫌だ。
  普通の男は尻へ棒を突っ込む方が嫌で俺とは逆なんだろうが、俺にとっては目の方が尻よりデリケートだし恐怖。
  コンタクトレンズなんてあんなぺろっとした物を入れて、目と一体化して取れなくなったらどうすんだ。想像するだけで怖いよ。
  目に異物を入れるなんて……

「うわぁ……!……だから……異物は恐怖だって言ってるだろうがぁ……っううっ」

  俺の心が読めるんだろっ。
  悲痛な声を無視して、天使は俺の後頭部を左手で固定すると、右手で一旦ピースを作り、その指先を俺へと突きつけ、眼球へと近づけて来ていたのだ。
  じりじりと近づく先端。
  ひいっ、目潰しされるうっ!

 「やめっ、こわっ……ああっ! だめぇぇ!」

  怖くて目を閉じてしまいたいのに、体が言う事をきかず瞼は降りてこない。気持ちはガタガタと震えているのに、体は外から圧縮されているかのように固定されているのだ。

 「そんなに怖がらないで下さい。痛くないですよ、あっという間ですからね。さくっと終わらせましょう」

  だったらためを作るな、ためを。言葉通りにサクッといけや。

  ぶすり。

  近づく人差し指と中指に、俺の左右の眼球は貫かれていた。

  ……ぁうっ……っ……!

  口を開けたまま、大きく息を飲む。のどがヒューと音を立てる。
  確かに痛くはない、けれど感触が気持ち悪い。
  二本の指は俺の目の中をぐるんぐるんと掻き回している。角膜に触れるまではっきりと見えていたのに、そこから先は一転真っ暗闇になった。

  ぐるんぐるん。

  それは脳ミソまで掻き回されているような感覚で、軽く吐き気を覚える。
  もうこうなったら早く終わることを願うしかなかった。

 「はーい、お疲れ様でしたー」

  軽い声とともに指がつぷんっと抜けた瞬間、俺の視界はクリアになった。
  これ、滅茶苦茶、世界が明るい……
 見えすぎるほどに見えるようになったせいか、見える世界は眩しくて、男も背後にある後光のような虹色の丸い光の粒子にまで気付く。
  テレビとか本とかがあったら、はっきり見えるクリアな文字にもっと感動するのだろう。

  見えすぎちゃって、困るわ……これ。

  下に生えていた葉の形までわかる。さっきまでわからなかった微妙な濃淡もよくわかる。
  感激して生まれかわった気分で辺りを見渡して、ちょっと草原を走り出しちゃおうかなんて高鳴る胸をおさえていると、天使の繰り出したチョップが俺の口にガツンと当たり、頭がふわっとなった。

  な、に……

 俺は一歩後ろによろめきながら、叩かれた口元を押さえる。
  何、はしゃぎすぎた俺がうざかったとか?

  ううっ……

「いったい……何だよ!」

  いきなり殴るって何なの!?
  これも目と同じく痛みはないのだが、受けた衝撃はしっかり伝わっていて、DV被害者である俺には恐怖だった。

 「今ので上あごを三ミリほど後退させておきました」
 「ああ……歯科矯正ってことか」

  頭が追いつくまでに時間がかかった。
  さっきのキレのいい手刀は殴ったのではなく、俺の前歯を狙ったものだったのだ。

 「そうなります。無意味なことはいたしませんので」
 「にしても、やり方ってものがあるでしょう……」

  ぶつぶつ言いながら、俺は舌で口内を確かめる。確かにかみ合わせの感覚までも違うかもしれない。

 「綺麗にしてもらうのは有り難いけど、ちょっと乱暴すぎ」
 「すいません、時間が迫っているものですから。何しろここにいられる時間は有限です」

  ニコリと笑う顔に不覚にも胸がキュンと音を立てた。何しろこの天使は俺好みでできているのだから。無表情でも何でもハートに響いて仕方ない。
  俺って惚れっぽい。
  天使にドキドキしてもこの先がないし、無駄なときめきは抑えて気を取り直す。

 「あの、天使。えっと、だったら、この鼻も」
 「鼻、ですか?」

  どこに瑕疵があるのかと、男は俺を覗きこむ。

 「実は、子供の頃に遊んでぶつけて……」

  ぶつけた、というのは嘘だった。
  父親の暴力で子供の頃に負った怪我。そのせいで鼻梁の一部がわずかに歪んでいる。
  すぅと通っていたはずの鼻は、途中でゆるく曲がって元に戻っている。
  それ以外にも、目尻には横に一センチほどの小さな浅い傷がある。俺はそのどちらも、俺は消したいと思った。どっちも父親が作った傷だから。
  もし転んでできたとか、友達と遊んでいて付けたもんだったら気にしない。それだって思い出の一つになっただろう。
  でもこれは意味合いが全然違う。あいつは、俺を傷つけてばかりだった。

 「迷いがあるなら、やめておきましょう」
 「どうして……そう思うんだ。迷いなんてない」
 「あなたには、これくらいの欠点がある方が魅力的です。人が魅かれるのは完璧な物ばかりではありません。そうではない部分、欠けた部分があるからこそ、あなたは多くの人に愛されてきたのだとは思いませんか。それを埋めて寄り添ってあげたいと思う恋人達がいたのではないですか?」

  俺の欠点を愛してくれた人……

 そう言われてしまうと、俺の心は簡単にぐらつく。最初の恋人である人がいつも傷跡にキスしてくれていた事を思い出してしまったからだ。
  そんな所舐めても治らないって言うのに、いつもいつも慰めるみたいに。ベッドに入ると最初に唇を寄せてくたんだ。
  可哀想にとか、痛かったねとか、そんな言葉はなかった。だから余計に心にびりびり染みたんだ。
  彼の事を思い出した途端、また胸がキリキリと痛みだした。
  傷跡に指をやり、僅かな肌のへこみを感じつつうつむいてしまう。
  そこにはかつて愛し愛された人との思いが重なる場所でもある。

 「納得いただけたようですね。では、鼻のゆがみだけ……いいですね」

  天使は人差し指を俺の眉間から滑らせ、鼻先の所でぴゅーんと大きく飛ばせて微笑んだ。 
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