子豚の魔法が解けるまで

宇井

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26 予感

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 午前中は三人でまったり過ごして、ジェイクとベニーが部屋でごろごろしているのを見ながら、俺は家事を片付けた。
 昼飯はどうするって話しになったけど、ジェイクが店で買ってくることに自然と決定。
 俺もジェイクも昼夜たまに作けれど、比率で言えば圧倒的に外で調達する方が多い。そしてそれを家に持ち帰って食べるのだ。
 外で買って外で食べる。
 それがここの習慣ってこともあるけれど、ベニーと一緒だと、やれトイレ行きたいだ、あれ嫌これ嫌、あっちで遊びたい、笑った次には転んで泣いて。とにかくうるさく落ち着かないので、今は惣菜を家で食べる中食ってやつに落ち着いている。
 やっぱり素直に食べてくれないベニーに手を焼きながら、何とか昼食が終了。
 ベニーにはできれば昼寝をしてもらいたいけど、これまた大人が思うようにはいかないのが常。
 こんこんと夕食もとらずに夜まで眠って、死んでやしないかと俺をビクビクさせたかと思えば、真夜中まで目がぱっちりで不死者みたいにうつろな目で遊ぶ時もある。
 日本の育児書でもあったらって思うのはこんな時だ。
 こっちの世界はなにせゆるいから、子育てで困ったことがあれば、周りの先輩に聞けって感じなのか、それに関する書物はなく、小難しい学術的な物しか図書館にしかないときた。
 好き嫌いばっかりして同じ物しか食べないから栄養的に偏ってるのが気になるし、成長に問題ないのか大丈夫なのかとか、その辺りはめっちゃ気になる。
 確かに身近にいる人に聞いた方が早いかもしれないか。
 広場に行った時に遊び仲間たちのお母さんをつかまえて聞けばいいかもな。ベニーと暮らすことで出てきた心配や悩みは、今後子育て経験者に聞くことにして、とりあえ解決とする。
 午後からはレーンとロイがやってくるかもしれないから、一応お茶を出すつもりで支度をしておく。
 そうだな、ロイだったら一緒に遠出するのも楽しいかもしれない。
 一瞬だけロイを誘ってみようかということが頭をかすめたが、やっぱり止めておく。やっぱりここは三人で行きたい。
 
「ねえ、お外行きたいぃぃぃ」

 ベニーが俺の服をツンと引っ張る。この子は言葉の後に動作がついてきて、それがすごく可愛い。

 外かあ……

 子供だけで外出は禁止されている。だけど、毎日毎日ベニーの相手をしていると、行く場所は家の周り、そこで同じやることも同じで、こっちもマンネリを感じる。

「そうだな……ファルの店に行くか?」
「ええっ~ふぁる……」

 またそこお? 表情からするに、そんなアテレコがぴったりだ。顔のパーツが中心に集まってぶさかわいくなる。
 ベニーのファルの店には毎日顔を出しているから飽きたのだろう。
 あのおっさんは俺もベニーも同列に扱う。
 例え俺が拾われっこで、ベニーがジェイクの子供だとしても、いっしょくたに子供は子供。それも手にかかる子供なのだとして、気が乗った時にしか相手をしてくれない。
 俺の場合はまだ働き手としても価値があるけれど、完璧子供のベニーの相手はせいぜい十分が限界で、それ以降は「疲れた、邪魔、そろそろ帰れ」的なことを平気で口にするのだ。
 だからベニーにとってはちょっとだけ暇を潰せる場所って認識なのかもしれない。

「トン子に餌やろうか?」
「うん、いくぅ。トントン、トントン」

 あいつが餌を食べる姿は俺も見ていて楽しいし飽きない。
 自分に注がれる視線を感じて、ちょっとこっちを窺いながら、プヒプヒ食べる姿は清楚ではにかみ屋さんのようだ。日本の俺の周りでは絶滅に等しかった清楚系女子といえるのかもしれない。
 俺は書斎のジェイクに下に行ってくると声をかけて、ベニーの手を引き部屋を出た。
 階段に出ると手すりには薬草が干してある。ロイがここに来る道々で買って調達してくるやつだ。それを空いた時間にジェイクと俺が加工する。
 それを取り込む判断はロイがしているのか、気が付くと干していた物が回収されて、書斎となる部屋に持ち込まれたり、キッチンに置いてあったり、持ち帰っていたりする。
 干してある物はもう乾いているようで、カラカラと水分が抜けているのが見た感じでわかる。
 太い根の断面が星形のこれは、そこだけを保存してあとはゴミになる。これはたしか鎮痛剤になるはずだ。
 ここが薬になるんだぞとベニーに教えるけれど、あまり興味はないみたいだ。


「何、この店に定休日なんてあるの?」

 これまでこの店が閉まっているのを見たことがないから驚いた。窓にもカーテンが引いてあって中の様子が見えなかったのだ。
 クローズの札がかかった扉だったが、手をかけたらあっさり開いた。店内は光が入らないだけで、いつもと違う雰囲気。
 まだ昼だっていうのに、閉店後の店内そのものだ。
 だけど開いていただけにファルさんはいつもの場所にしっかりいた。それでもこれから出かけますって格好でいるから、ちょっと驚いた。いつもと変わらない格好なのに、深く被った帽子ひとつでちょっと男っぷりが上がっている。

「今日は休み。うちは不定休、買い付けの日だ。相手はできんぞ」
「へえ、いつまでも同じ物を置いてる訳じゃないんだ」
「当たり前だろう。ここで長年商売してるんだ。ちゃんと考えて提供してるんだ」
「一応企業努力はしてるんだね……でも何かファルさん酒臭いけど」

 夕べどれだけ飲んだのか、ファルさんの全身からアルコール臭がするようだった。のんべえだとは知っていたけど、これほど酷いのは初めてだ。

「ああ……明日は休みだと、飲み過ぎた」
「休みって言っても商談相手に会うんだろ。せめてシャワーくらいしなよ」
「時間がない、もう出掛ける。ちょっと物珍しい物があると噂で聞きつけてな、行ってくる」
「どこまで行くの?」

 何をどれだけ買い付けるのかも気になるけど、ファルさんも急いでいるのか早口でぞんざいだ。

「隣町との境だな。遠くはないから三十分ちょっとで着く。その間に酒も抜けるさ」

 隣町か。俺はそこへ行ったことがないから想像するしかない。どんな所だろ。

「……何なら……お前達も行くか?」
「え、行っていいの?」
「しかし遊びじゃないぞ。馬方から手配したのは荷馬車だしな」
「なに言ってんの、それがいいんじゃん」

 荷馬車ならいつも見てる。だいたい馬一頭が車を引いていて、板一枚渡した所に御者が座って、後ろは荷を置く場所になっていて屋根もない。
 箱型で誰が乗っているかわからないクーペより、牧歌的でいいなってずっと思ってたんだ。

「俺、まだ馬にも馬車にも乗ったことがないんだ。だから荷台でもいいから乗りたかった」
「んあ? 乗り心地はよくないぞ」

 フェルさんは自分から言いだしておきながら、こっちが乗り気になると、思案顔になる。ついうっかり言って後悔しているのだろう。

「いくっ」

 俺たちの会話がわかったのか、ベニーがファルさんのズボンのポケットを引っ張って強請る。

「俺達行きたい。帰ってきたら仕入れの整理手伝うし」

 畳みかけるように言えば、ファルさんは渋々ながらも頷いた。

「やった」
「やったぁー」

 俺たちはその場で小さくジャンプした。

「だけど、ちゃんとジェイクの許可を取って来い。道はそう悪路じゃないがチビにはきついかもしれん。許しががなければ絶対に無理だからな。ベニーは見ててやるから、飲み物とおやつも準備しておけ。あとは帽子もいる」
「わかった。ちゃちゃっと許可もらってくる」
「慌てると怪我するぞ。急がなくていい」
「わかってるっ。ベニーはここで待ってて」

 俺は機嫌よく店を飛び出して三階へと向かう。足取りが軽くて階段の二階部分まで一気に駆け上がった。その間に帽子なんて持ってないことに気付いて、今着るには厚いけどフードのついたポンチョでいいかって思い直した。
 ファルさんが買い付けに行く所で店に顔を出せたのはタイミングが良かった。
 水筒とおやつ……馬だと風はきついかな。尻の下に敷くクッションもいるか。あとは何を持って行こう。そうだ、出る前にベニーをトイレに連れていかないとだめだ。
 こっちに来た時より気候はゆるくなっていて、朝夕はともかく昼の日差しは夏を感じるほど強くなっている。だけど荷馬車で三十分か、大丈夫かな。
 まだジェイクに相談もしていないのに、行くことが決定したように、気持ちまで軽くなったのだが。

 ……ん?

 どうしてだか、視線は上を目指しているのにふと足が止まった。何がそうさせたのか自分でもはっきりしない。
 ジェイクが前に言っていた事をふいに思い出す。
 自分が意識していなくても、視覚聴覚から感じる違和感は気持ち悪さとして残る。いつもと違う何かを、脳は見つけ信号を送ってくるのだと。
 それが人より鋭く、研ぎ澄まされた感覚を、ジェイクは自分の魔力の基礎だと言っていた。
 どうしてこの時にそれを思い出したのかわからない。けれど俺は、ファルの店を訪れた時まで時間を巻き戻し、いつもと何が違っていたのかを探すように思い出す。
 帽子を被ったファルさん。すごく酒臭くて、彼が買い付けに行くのを初めて知った。
 店を飛び出した時、この建物のはす向かいに止まっていた、この通りでは見慣れない幌馬車があった。
 少し離れた所にはハットを被った男性がのる単騎。
 いつもと違ったのは、多分、それだけ。
 住宅街は相変わらず人通りがなくて静か。
 店にはベニーだけでなくファルさんもいる。
 だから何も問題ない。

 問題ない、はず……

 なのにこ胸騒ぎはなんだろう。自分のいい加減な勘なんてあてにならないかもしれない。だけど、俺の体は大きく後ろへと引き留められている。
 戻らなきゃいけない……
 俺は身を翻して、階段を一歩降りる。そこからは駆けあがってきた同じ勢いで戻っていった。
 間違いだったらいいんだ。別にそれでいい。
 ファルさんに戻ってくるのが早いって驚かれて、ジェイクの許可を取ってないって知られると呆れた顔をされるかもしれない。
 ベニーは店の中をあっちこっち歩いてるか、カウンターの中の椅子に座って俺が来るのを待ってる。菓子でも持たされて待ちきれずに食べているかもしれない。
 それが見られたら安心できるんだ。
 落ちるように降りていると、扉が開閉する音、人が出入りする足音。それがファルの店からする。
 たったそれだけの情報が胸騒ぎを起こす。いつもと違う音がする、気がする。
 レーンやロイが言っていたことを忘れていないから、つい嫌なイメージを結び付けてしまうんだ。
 そう言い聞かせるけど、頭の中には悪い奴らがファルを殴りつけ尻餅をつき、泣くベニーを連れ出だそうとする絵しか思い浮かばない。

「ファル! ベニー!」

 最後五段を残して飛び降りると、ジーンとした痺れが足裏の骨から膝まで昇る。それでも俺は足を動かした。
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