私を見つけた嘘つきの騎士

宇井

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34 会議

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 アデラ様の護衛については何の問題もなく勤める事ができていた。

 記憶が飛んでいるという内容はアデラ様には伝わっていたけれど、実際に私の記憶はあるのだから仕事に問題あるわけない。
 変わったのは、存在感の薄い新人護衛という立場から、名前を持った護衛のパトリシアとしてしっかりと認識されるようにもなった事だ。
 アデラ様は兄上であるファーガス様によく似た面立ち。ファーガス様を近く知る前にはそんな事思いもしなかった。

 ストレートのブロンドヘア。瞳のブルーはファーガス様より濃い色を湛えているように見受けられる。その濃さも深さも理知的だ。
 ファーガス様の持つ薄いブルーは澄んでいて、彼の見ている世界までも端然として見えているのではないかと思わせる物がある。
 その底がどうなっているのかと、つい唇が触れるギリギリまでのぞき込んでしまって彼を戸惑わせた事もあった。
 しかも、二日前の夜は……あんなことに……!
 だめだ。ファーガス様は忘れて下さると言ってくれたのに、私が一番それを忘れられずにいる。
 あの行為を何度も何度も思い出し、彼の優しい指先を思い出してしまうのだ。

「パトリシア?」
「はい」

 私のぶっとんだ思考を戻したのはアデラ様の呼びかけだった。

 いかん。勤務中だ。

 アデラ様の私室。扉の内側に立つ私に、こんな風にアデラ様から声を掛けられることは度々ある。
 私と兄であるファーガス様の微妙な関係を彼女は知っているのだろうか。できれば知らないままでいて欲しいと思う。

「もう少しこちらに来てくれる?」

 手にしていた本をパタリと閉じ、コテンと小首を傾げるアデラ様は文句なく美しい。私はアデラ様の斜め前に歩を進めた。そんな風に彼女が所望されるのは、主に私の実家のことだ。
 屋根の修繕が終わったと思ったら、次は横からの雨漏りに悩まされていること。
 頭痛腹痛歯痛、ある程度の痛みはひたすらに寝て治すこと。
 私の貧乏話をアデラ様は嘲笑することなく、他の国の出来事を聞かされるかのように興味を持ち、時折質問を交えてくる。
 アデラ様付きの侍女も非常に出来た人で、時には優しく厳しく、鋭くもある。
 その賢明さに私は頭を垂れたくなるのだった。幼い頃の夢とはいえ、侍女になれると思っていた自分が恥ずかしくなるほどだ。

「アデラ様、つい先ほどですが、ファーガス様が明日第二陣として出発する事が決まったそうです」

 お茶の乗ったワゴンを押して入ってきたもう一人の侍女が、会話の切れ間にアデラ様に話しかける。

 第二陣というのは、マノーオ川上流であった豪雨被害地域への近衛派遣のことだ。

 上流でのマノーオ川の氾濫の知らせが耳に入ったのはつい一週間前だった。
 下流地域でも水位が大きく上がり、茶色く濁った濁流が河口に注いでいたらしい。王都では強い雨が降った程度の印象しかなかったため、その一方が入った時には驚いたものだ。
 川の氾濫した町は王の思い入れのある土地であり、産業立地の拠点としても整備を計画している地域だ。

 近衛隊は特殊な機関で軍の第一軍であるにも関わらず軍司令部からは独立して動いている。
 そのため軍内の他組織の顔色を伺う必要がなく、このような緊急の場合どこよりも機動力があり、どこよりも早く現場に到着する事ができる。
 王の命令で近衛の第二小隊が先発として物資をもって派遣されているが、きっとそれと入れ替わりとしてファーガス様の三隊が駆り出される事になったのだろう。

「そっか。急な話ではあるが、兄上のことだから自ら志願したのかもしれないな。なにしろあの人は変わり者だ」
「災害から一週間です。それほど心配することはないかもしれません」
「だといいけどな」

 セットされた温かいお茶からほのかな湯気が立ち昇る。

「パトリシア、近衛に新しい情報はきてる?」
「今朝の時点では新しい情報はありませんでした」

 私の答えに一つ頷いて、アデラ様は茶を口に含み、顎をあげどこか一点をしばらく見つめていた。
 みながアデラ様が口を開かれるのを待っていて、水を打ったように静寂が波紋となって部屋を広がった。

「まあ、私が心配したところでどうにもならない。パトリシア」
「はい」
「これの返却を」
「はい」

 受け取った本を見て、私は心の中で溜息をつく。
 アデラ様は私にだけこの手の本を返却させるのが趣味なんだろうか。

『感じる身体になる10の方法、愛され上手の秘密』

 なるほど……
 私は表紙面を内側にし小脇に抱え図書館へ向かうことになった。



 アデラ様の本の返却には厄介がつきまとうものだろう。
 やましい本を抱えこそこそしていたのが余計にいけなかったのか、アイリ隊長に捕まって会議室へと引きずり込まれた。

「急な会議だ。書記を頼む」
「私がですか?」
「とにかく文字を書いていればいい。あのファーガスにもいけてる面があることを教えてやろう、この場は少し私に騙されてみるといい」

 あれよあれよという間に席につかされ、ペンを握らされる。
 返却するための本は表紙を下にしてテーブルに伏せておいた。

 ここは豪華な大会議室ではなく、その隣にある小会議室だ。
 会議テーブルは円形になっていて、どっしりとした椅子が置かれている。
 そして、徐々に集まってくる顔ぶれはそうそうたるものだった。近衛の上位人ばかりで、隊長職がもっとも若輩といったところだろう。
 二十人ほどが輪になったテーブルで席につき、緊張した面持ちになる。
 始まりの合図もなく、議長役に次々と指名された人が発言をしていく。
 すべての方の名前は頭に入っているけれど、要約筆記は苦手な授業だった。しかも入隊してからは出番は一度もなく、忘れていることも多い。

 何ていう緊張感。

 私はそれは必死に頭と手を動かした。発言者を確認しながらも、手はとめられない。止めたら迷子になって自分がどこにいるかわからなくなるから。
 初めて知る災害地の様子に驚きながらも、書き損じてもそこで止まらず進める。
 会議のメンバーも渋い顔をしているけれど、私もそれは酷い顔をしているだろう。もう必死だ。

 だけどファーガス様が厳しい顔をしていることがわかった。目の端でも彼が手元の紙に重要なことを書きつけているのがわかる。
 仕事に集中している時は、また違う知的な顔をするのだと、知らない彼の一面が見えた。
 会議が進む中、偉い方であっても時々おかしなことを言いだす人はいる。そんな時もファーガス様は、目をつぶることも時には必要だと、他の方のように見当違いに熱くはならず、飲み込んでいるように見えた。
 
 会議の内容は災害についてで、派遣されるファーガス様の三隊への情報の伝達と、あちらの状態が告げられている。
 現場はいまだ落ち着けるような状態でないのだ。
 対応策も幾つか提示されるが、意見が幾つか出されるだけで方針がまとまっていない状況だ。
 それぞれの意見が一巡したところで、会議室がしずまる。
 カサカサと紙が動く音がして、難しい顔をしている方が多い。その静寂を打ち破るかのように声が響いた。

「三隊、ファーガスです。状況と位置関係は把握しました」

 ファーガス様が起立する。

「すべては現場に行ってみないとわからないということです。マノーオの事務所は機能しているが、連絡系統がばらけていて指示も調整も近衛頼み。複数ある現場で譲り合えず指揮を執る者自らが混乱を招いている。水位は下がっても町への流入量は維持したまま。そして管理規約をたてに施設をあけわたさないとは言語道断です。でしたらこちらも少々道義に反する手にでましょう」

 ファーガス様ができる可能性を挙げていくのに、上からことごとく潰されていき、こちらの方がはらはらしてしまう。
 当然だけどファーガス様はいたって真面目で、きっと私がこの会議室の隅っこにいるなどとは気付いていない。
 しかしこの緊迫の中、この場で発言権をもつ唯一の女性である我が隊長だけは、ひとり緊張を緩め余裕のある顔を作った。

「ここで緊迫していても何も始まりません」

 隊長は書類を指ではじき、座ったまま誰ともなしに話始める。

「この関係機関の図を見せられるのもこれで二度目です。前回より相関図の矢印は減りましたが、それも現場の二隊の頑張りがあってこそ。現場主義というなら現場に責任を、この三隊のファーガスがすべてを請け負うと言うのですから、細かいことはいいじゃないですか」
「貴様は余計なこと言って乱すな」

 ファーガス様の声も華麗に聞こえないふりをする。

「あくまでも人命優先、その上での多少のやんちゃなら片目をつぶって見守ってください。近衛の面子は誰にもそうそう潰せないものです」

 ファーガス様は隊長の顔を見てため息を吐く。そしてテーブルに肘をつき、参ったというように人差し指と中指の二本の指でこめかみを押さえている。
 すごく不躾ではあるが、その憂いのある姿に私は見とれてしまった。
 眉間に皺を寄せてひとつ息を吐き、ジャケットのポケットからハンカチを出し、額の汗を押さえる。

 ん……?
 それは白地に黒の水玉模様が入っていて、とても成人男子が持つもののように見えない。
 見えない……って、それ、私のパンツ!

 澄ました顔をしていて、周りの誰もがその柄に気付かない。ファーガス様があまりに自然すぎるのだ。こんな緊迫感のある会議で、まさか隣の人が女性のパンツで汗を拭っているとは思わないだろう。アイリ隊長でさえも。

 ペンを握る私の指は震えていた。
 あの大変だった夜に、私はとても言いだせなかった。
 パンツが見当たりません、とは。
 そう、私はあの時パンツを身に着けていなかったのだ。

『忘れ物はない?』

 そう聞いてきたファーガス様の言葉には意味があったとしか思えない。彼はあの時、私のパンツを手に入れていたのだ。

「この、変態が……」

 小さく、誰にも聞こえない声でつぶやいたが、ペンは曲がっていた。


 会議室から人が去って行く中、私は書き散らした紙を順番を確かめながら重ねていく。
 そんなことをしている間に会議室には誰もいなくなり、隊長さえもいなくなっていた。

 これは執務室に届ければいいのだろうか。

 まとめた束をテーブルの隅に置き、この場の整理にかかる。
 あちこち向いている椅子を戻し、テーブルの角をそろえる。そうしている間に、後ろから人の気配が伝わってきた。

「アイリ隊長は気をきかせてくれたらしい。まとめた書類は僕が預かることになった」

 ファーガス様の足音は毛足の長い絨毯に吸い込まれている。だけど、私はその存在を振り向く前から背中で感じていた。

「少し、お待ちください」

 自分が座っていた席に小走りになり、書類を抱えてまた走って、ファーガス様に手渡す。それはまるで恋心をしたためた手紙を渡すような、そんな淡い気分にさせた。

「ありがとう。これだけの量を書くのは大変だっただね。うん、とても見やすい」

 パラパラと書類をめくるファーガス様の笑顔には、ほんの少しだけ疲れが見えた。しかし、言わなければいけないこともある。

「……あの、こんな時に言うのは憚られますが……返していただけませんか、さっきの……あれを」
「ん? 僕は何かパトリシアに借りていただろうか?」
「あの、ですね……あれです。夜の……私の忘れ物です」

 それが入っているであろうポケットを指さすが、彼はそこを見ない。

「あの夜、とは? 僕にはまったく覚えがないがいつのことだろう? 僕たちは夜に会ったことがないだろう?」

 僕全然わからない、と言った感じにファーガス様は可愛らしく首をひねる。
 そうか……
 あの夜のことは、私たちの間ではないものとなったのだ。
 あの夜が存在しない。ということは、忘れ物であるパンツも存在しないのだろう。
 なるほど、そうきたか。
 有り難いのか、そうでないのか、よくわからなくなってきた。

「えっと、あの、私の勘違いだったようです。失礼しました」

 なぜパンツを盗られた私が謝っているのかと、思わないでもない。

「いいんだ。勘違いは誰にでもある。それにこうして明日の出立前にパトリシアに会えたのは、幸運の前触れのようだ。しばらくは会えなくなるからね。お願いだから、ちょっとだけ補給させて」

 ファーガス様はそう言って書類を持ったまま、そっと私を抱き寄せた。
 いつもの突然さとは全然違っていて、それは窓から差し込む陽だまりごと、私を包みこむようだった。
 やっぱりファーガス様の胸は広くて、温かくて、つい目を閉じて体を預けてしまう。いつの間にかここが、私の落ち着く場所になっている。

「ああ、パトリシア……やっはり、本物は違う……」

 そうやって目いっぱい頭上ですーはーと呼吸する人を、怒れるわけない。
 
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