20 / 22
20 チコの記憶 -温もりを覚えている-
しおりを挟む
ラウルは子供の頃、父親と二人でローパーへとやってきた。ここに来る前からも二人きりでほかの家族の記憶はない。
父は同郷だと言うミハルと親しくしていた。
単身移住だった10代の青年ミハルと、ラウルの父は、ともに物静かで穏やかな性格だった。集団でローパーへ向かう途中で親しくなったらしく、移住者住宅も隣同士、勤める工場も同じになった。
小さなラウルは工場の託児に預けられる予定だったが、それはできなかった。ラウルが同じ年頃の集団になじめずイジメられたからだ。
そこで父はラウルを一人自宅に置き、留守中は当時高価だった本を与えることにした。自分にはない学をラウルに与えようとしたのだ。
読み書きの危うい父がラウルに教えられる事は何もなかった。だから二週に一度は町の学校へも行かせた。
それは大きな負担だったようで、ミハルにお金を借りることもあったようだ。
でもそのおかげで、十歳になったラウルは労働条件の悪い工場ではなく、商店街にある穀物屋で働けることになった。
地道に真面目に働き信頼を得て、馬と商品を任され運搬する役目を担うまでになった。それをラウルの父はとても喜んでくれた。
しかし、十三歳になったラウルは一人になっていた。父親が病死してしまったのだ。
混乱するラウルを支えてくれたのはミハルとその家族だった。
ミハルの妻アリスは優しく気配り上手な人で、その後もラウルが負担を感じない程度に食事に誘ってくれり、差し入れをしてくれた。
二人の子供マリーとマシューは自分をお兄ちゃんと呼んで遊んでくれた。
それが孤独になったラウルをどれだけ救ったことか。
その頃のラウルは既に大人顔負けの体躯になっていた。しかし顔立ちは年相応に幼く忠犬を連想させ、特に女性から優しくされた。
ラウルとは逆に顔が怖いというだけの理由だけで、店の表に立たせてもらえない同僚もいた。
容姿が悪くないという事は有利に働くのだとこの頃になってわかったことだ。
ラウルには人の美醜がよくわからない。
だから隣のミハルが美形だと評判なのもずっと不思議だった。人の顔を認識する事はできるが、それをどう振り分けるかが苦手なのだ。
これまで特に困ったことがないから気にしてこなかった。
だけど人の美しさは、良い事ばかりでなく悪い事まで引き寄せるのだと、その後思い知らされる事となった。
あの日、ミハルが血相を変えてラウルの家へやってきた。
たまたま荷馬車で家によった所にタイミングよく飛び込んできたのだ。
ここの町を出るのに表の馬車を貸してほしいと言う。
今すぐ、と言うからにはよほどの事があったのだろう。
荷馬車は店の物であるし、高価な商売道具でもある。自分の判断で自由にできるものじゃない。
それでもこの人の頼みを断るのが嫌で、ラウルはミハルから渡された現金をもち、他から借りられないかと交渉に走った。
移住民は貧しい者が大多数だ。でもこの頃にはミハルのように貧しさから抜け出た人もいたし、運よく馬を持てるまでになった人もいて、あてがゼロではなかった。
だけど、成果のないままミハルの家に戻ってみれば、あるのは荒らされた室内と血に浸るミハルの死体。そして、馬車の荷台で小さくなったマリーとマシューだった。
どうして……自分がすぐに馬車を貸していれば、こんな事にならなかったのか? ここで一体何があったんだ……
しばらく放心していたかもしれない。だけどすぐに持ち直し、今の自分ができる事をするのだと腹をくくった。
ラウルは子供たちに、あと少しだけ荷台で待つように言い聞かせ、ミハルの家に戻った。
この家の内部はよく知っている。妻アリスが亡くなってからは、ミハルが帰りの遅い時や出張の時には、子供二人の面倒見ていたからだ。場合によっては泊まり込む事もあった。
ミハルの寝室に入り、引き出しにある現金と指輪をポケットにねじ込んだ。
ハアハアと煩い息が誰かに聞かれるのではないかと怖かった。すぐそばにはミハルの遺体があって血の匂いに酔いそうになる。手足がブルブル震えるのを止めることはできなかった。
ここの警察は差別意識が強い。移住民の家だけに金品を盗むのを罪だと思わないだろう。捜査と言う理由をつけてしたい放題するに決まっている。
この周辺住民の認識も同じよなもので、弱い者から奪う事を悪だと思っていない。
だから自分が守る……二人を、ミハルさん、守るよ。
勝手に流れてくる涙を何度も袖でぬぐった。
それから近所の人を呼び通報を任せ、二人を自分の家に連れ帰る。そしてやってきた警察からの事情聴取を現場で受けた。
しかしそこにマリーとマシューが来てしまった。大人たちの会話が聞こえてきて、居ても立っても居られなかったのだろう。
幼い二人がミハルの惨い遺体を目にしてしまったのは自分の失態だと、ラウルは今でも思っている。
その後の事は予想した通りだった。
ドアや窓にカギをかけたのに、ミハルの家は内も外もないほどに荒らされ壊された。
警察がいる間に二人に必要な荷物を持ち出せたが、全部とはいかないのが悔しい。
周辺はまるで観光地のようになり、昼夜を問わず騒がしくなった。
ラウルはあの日からずっと姉弟を預かっていたが、昼間は仕事で留守になるし、一人で守るのに限界がきた。と言うのも、二人を匿うラウルまでも嫌がらせの対象になってしまったのだ。
警察も学校も教会さえあてにならず、職場の店主に姉弟を預かってくれる人を紹介してほしいと頭をさげた。
彼は少しだけ同情してくれて避難先を探してくれた。
しかし何をするにもお金はかかるもので、持ち出したミハルの金もラウルの金も、謝礼という名であっという間になくなってしまった。
預け先の家庭もいい所ばかりではなかったようで、姉弟に辛い言葉を浴びせ、時には手を上げる事もあったようだ。
こんな生活はもう続けられない、いよいよ切羽詰まっていたところで、二人は国都の人間に連れられ孤児院にいってしまった。
ラウルのいない間に起こった事でお別れもできなかった。だけど、ここを離れるのは二人にとっていい事だと思った。
残されたラウルはそのあと、貯めた金を吐きだした馬鹿、一人だけ貧乏くじを引いたなどと、店の人達に陰口を言われた。けれど気にならなかった。
少しの寂しさと、肩の荷が下りた安心感しかなかった。
その後すぐラウルは店をクビになった。ミハルに肩入れした人間を雇うのかと、苦情が入るようになったからだ。子供二人がいなくなり、標的がラウルに移ったと言っていい。
金もなく職もなくなり、家にはゴミが投げられ落書きされ、笑えなかった。
それでも天は見放さなかったようで、国都で警備業をするという男性がラウルに会いにやってきた。
どうやら姉のマリーが自分たちを迎えにやってきた偉い人に談判してくれたようだ。しばらくは修行で無給になるが来る気はあるかと覚悟を問われ、すぐに了解の返事をした。
華やかで都会的な国都ではなく、森が近く動物が出る国都の端へ行ってからも、ラウルは変わらず、やるべきことをした。
事務所は思った以上に小さく儲かってもいなかったが、住む場所と食事は保障された。
独身の所長は骨のある人だった。
強くなれればいいと願うラウルを鍛えてくれた。しばらく一緒に暮らしてラウルの優しい心根を知ってからは養子にしてくれた。
親子と言うより師弟の関係に近かったのは、所長なりの気遣い、ラウルの亡くなった父への配慮なのだろうと思う。
景気のいい事務所ではなかったから、警護の仕事をしつつ、空いた時間には別の仕事をした。
それでもローパーにいる頃より人間らしく生きられた。制約されない身は自由そのものだった。ここでは誰にも蔑まされず、移住民と指さされる事なく、一人の人間として生きられる。
今の自分があるのはただ運がよかったから。そして巡ってきた運を正しく掴めたから。自分の力なんて関係ない。
これからも傲慢にならずに生きていこうと決心した。
ラウルは二十四歳になった。
ある時、所長から数年単位の長期の護衛を打診された。守秘義務など面倒な条件を細かく提示されたが、数秒迷った後に引き受ける事にした。
その即断があったおかげで、その案件が他の所員に流れる事はなかった。
結果、再びミハルの子供達、マリーとマシューに再会する事ができたのだ。
ラウルの話にチコはの体は固まっていた。
チコは幼い時の事をあまり覚えていない。そんなチコと違い、はっきりと当時を覚えている姉とラウルだけが、苦しみを負っているような気がした。
青ざめるチコの肩に姉がとんと手を置く。
「おじい様と汽車に乗ってようやく国都に着く頃、ラウルの事を思い出して訴えたの。ラウル兄さんも一緒に連れて行ってお願いしますって。そうしたら一緒には暮らせないけれど考えようって言ってくれたのよ」
「姉さんが、おじい様に」
「そうよ。ラウルは強い、ずっと私たちを守ってくれたって、私も必死だったのよ」
「すごいよ。姉さんがラウルを守ってくれたんだ……」
チコはここまで聞かされてもあまり思い出せない。
だけど、事件の夜、震える自分を荷馬車から降ろしてくれた誰かのぬくもりは覚えている。それはラウルだったのだ。
まだ大人になっていなかった十四歳のラウルが、大人を相手に自分たちを守ってくれた。それを今まで知らずにいた。
全部が大きな感情になって襲ってくる。とても言葉にはならなくて、代わりにボタボタ雫が落ちる。
「ごめん、全然、ラウルの事が思い出せない。だけどあんな中でも安心できた温もりがあった事は覚えてる。でも他の事はきちんと思い出せないんだ……姉さんが僕に怒りたくなる気持ちもわかる」
「あんたは小さかったししょうがないわ。私だって本当は仕方ない事だってわかってる。さっきの喧嘩も全部私が悪い。昔からあるチコへの嫉妬が、わーっと出てきちゃったの。本当にごめんなさい」
仲直りだなとラウルが言うから急に照れ臭くなった。
「あのね、ラウルはよく家に来てくれて、チコも私もお兄ちゃんって呼んでたの。私は女だし少し遠慮してた所があるけど、あんたは甘え放題だった」
実際そうだったのだろうと自分でも想像できる。
ラウルは昔を懐かしむように穏やかに笑う。
「父親が亡くなって一人になった俺を一人にしなかったのが、ミハルさん一家だった。マリーとマシューは可愛くて、菜園に水やりするのも、一緒にご飯を食べるのも楽しかった。自分より弱い者を守るには力も知恵もなかったけれど、何もしないなんて絶対に無理だった。それだけだ」
ラウルは一度大きく頷く。
「俺が勝手にした事に罪悪感なんていらないし、感謝する必要はない」
「感謝するに決まってる。ラウル、ありがとう。守ってくれて、ありがとう……大好きだよ」
チコはそれだけしか言えなくなったけれど、姉とラウルに抱かれて今ある幸せを噛み締めた。
その後、予定通り向かったのがオーソンだった。
三人そろって仕事ができる古書店の物件をラウルが見つけ、すぐに仮押さえした。
住まいと職場が一緒なのも安心だし、学生向けの本を扱う点が姉弟の専門と趣味に共通した。姉のリアナは教育者だし、チコは本好きだ。
実際にオーソンの町の印象も悪くなく、古書店の建物も古いながら味があり、大量の本が残置物として残っているのも良かった。
三人はすぐにそこで生活を始め、ラウルは代表として組合に登録し諸々の手続きを請け負った。
その時にはしっかり、以前は祖父がお世話になりましたと挨拶した事で、上手く親類と勘違いしてくれた人が多く、商売もやりやすくなったのだった。
しばらくチコは書店の二階で暮らしたのだが、すぐに近くのアパートに引っ越しを決めた。
これまで離れて暮らした事もあり、同居もそこそこ息苦しいと感じた事が理由の一つ。だけど決定的だったのは、姉とラウルが結婚した事だった。
ずっと二人の結婚を望んでいたチコはもちろん喜んだ。姉の心を動かす為にわずかながらチコだって動いていたのだ。
人嫌いなのに町ゆく人にインタビューしたり、二人きりになれる機会を作ったり。
そうやって二人がくっついて、教会で小さな結婚式をして、店の上手く回りだして、三人でささやかなお祝いにとディナーへ出た。
そこで出会ったのがブラムだった。
すぐに恋をして、恋人になり、同棲。
何もかも上手くいっていた所で、ロイドがオーソンへやってきたと情報がもたらされた。
いい機会かもしれないと求婚して断られ、懲りずに求婚しては断られ、ブラムの気持ちが傾いた所で時間切れとなって、夜逃げのように飛び出してしまったのだった。
父は同郷だと言うミハルと親しくしていた。
単身移住だった10代の青年ミハルと、ラウルの父は、ともに物静かで穏やかな性格だった。集団でローパーへ向かう途中で親しくなったらしく、移住者住宅も隣同士、勤める工場も同じになった。
小さなラウルは工場の託児に預けられる予定だったが、それはできなかった。ラウルが同じ年頃の集団になじめずイジメられたからだ。
そこで父はラウルを一人自宅に置き、留守中は当時高価だった本を与えることにした。自分にはない学をラウルに与えようとしたのだ。
読み書きの危うい父がラウルに教えられる事は何もなかった。だから二週に一度は町の学校へも行かせた。
それは大きな負担だったようで、ミハルにお金を借りることもあったようだ。
でもそのおかげで、十歳になったラウルは労働条件の悪い工場ではなく、商店街にある穀物屋で働けることになった。
地道に真面目に働き信頼を得て、馬と商品を任され運搬する役目を担うまでになった。それをラウルの父はとても喜んでくれた。
しかし、十三歳になったラウルは一人になっていた。父親が病死してしまったのだ。
混乱するラウルを支えてくれたのはミハルとその家族だった。
ミハルの妻アリスは優しく気配り上手な人で、その後もラウルが負担を感じない程度に食事に誘ってくれり、差し入れをしてくれた。
二人の子供マリーとマシューは自分をお兄ちゃんと呼んで遊んでくれた。
それが孤独になったラウルをどれだけ救ったことか。
その頃のラウルは既に大人顔負けの体躯になっていた。しかし顔立ちは年相応に幼く忠犬を連想させ、特に女性から優しくされた。
ラウルとは逆に顔が怖いというだけの理由だけで、店の表に立たせてもらえない同僚もいた。
容姿が悪くないという事は有利に働くのだとこの頃になってわかったことだ。
ラウルには人の美醜がよくわからない。
だから隣のミハルが美形だと評判なのもずっと不思議だった。人の顔を認識する事はできるが、それをどう振り分けるかが苦手なのだ。
これまで特に困ったことがないから気にしてこなかった。
だけど人の美しさは、良い事ばかりでなく悪い事まで引き寄せるのだと、その後思い知らされる事となった。
あの日、ミハルが血相を変えてラウルの家へやってきた。
たまたま荷馬車で家によった所にタイミングよく飛び込んできたのだ。
ここの町を出るのに表の馬車を貸してほしいと言う。
今すぐ、と言うからにはよほどの事があったのだろう。
荷馬車は店の物であるし、高価な商売道具でもある。自分の判断で自由にできるものじゃない。
それでもこの人の頼みを断るのが嫌で、ラウルはミハルから渡された現金をもち、他から借りられないかと交渉に走った。
移住民は貧しい者が大多数だ。でもこの頃にはミハルのように貧しさから抜け出た人もいたし、運よく馬を持てるまでになった人もいて、あてがゼロではなかった。
だけど、成果のないままミハルの家に戻ってみれば、あるのは荒らされた室内と血に浸るミハルの死体。そして、馬車の荷台で小さくなったマリーとマシューだった。
どうして……自分がすぐに馬車を貸していれば、こんな事にならなかったのか? ここで一体何があったんだ……
しばらく放心していたかもしれない。だけどすぐに持ち直し、今の自分ができる事をするのだと腹をくくった。
ラウルは子供たちに、あと少しだけ荷台で待つように言い聞かせ、ミハルの家に戻った。
この家の内部はよく知っている。妻アリスが亡くなってからは、ミハルが帰りの遅い時や出張の時には、子供二人の面倒見ていたからだ。場合によっては泊まり込む事もあった。
ミハルの寝室に入り、引き出しにある現金と指輪をポケットにねじ込んだ。
ハアハアと煩い息が誰かに聞かれるのではないかと怖かった。すぐそばにはミハルの遺体があって血の匂いに酔いそうになる。手足がブルブル震えるのを止めることはできなかった。
ここの警察は差別意識が強い。移住民の家だけに金品を盗むのを罪だと思わないだろう。捜査と言う理由をつけてしたい放題するに決まっている。
この周辺住民の認識も同じよなもので、弱い者から奪う事を悪だと思っていない。
だから自分が守る……二人を、ミハルさん、守るよ。
勝手に流れてくる涙を何度も袖でぬぐった。
それから近所の人を呼び通報を任せ、二人を自分の家に連れ帰る。そしてやってきた警察からの事情聴取を現場で受けた。
しかしそこにマリーとマシューが来てしまった。大人たちの会話が聞こえてきて、居ても立っても居られなかったのだろう。
幼い二人がミハルの惨い遺体を目にしてしまったのは自分の失態だと、ラウルは今でも思っている。
その後の事は予想した通りだった。
ドアや窓にカギをかけたのに、ミハルの家は内も外もないほどに荒らされ壊された。
警察がいる間に二人に必要な荷物を持ち出せたが、全部とはいかないのが悔しい。
周辺はまるで観光地のようになり、昼夜を問わず騒がしくなった。
ラウルはあの日からずっと姉弟を預かっていたが、昼間は仕事で留守になるし、一人で守るのに限界がきた。と言うのも、二人を匿うラウルまでも嫌がらせの対象になってしまったのだ。
警察も学校も教会さえあてにならず、職場の店主に姉弟を預かってくれる人を紹介してほしいと頭をさげた。
彼は少しだけ同情してくれて避難先を探してくれた。
しかし何をするにもお金はかかるもので、持ち出したミハルの金もラウルの金も、謝礼という名であっという間になくなってしまった。
預け先の家庭もいい所ばかりではなかったようで、姉弟に辛い言葉を浴びせ、時には手を上げる事もあったようだ。
こんな生活はもう続けられない、いよいよ切羽詰まっていたところで、二人は国都の人間に連れられ孤児院にいってしまった。
ラウルのいない間に起こった事でお別れもできなかった。だけど、ここを離れるのは二人にとっていい事だと思った。
残されたラウルはそのあと、貯めた金を吐きだした馬鹿、一人だけ貧乏くじを引いたなどと、店の人達に陰口を言われた。けれど気にならなかった。
少しの寂しさと、肩の荷が下りた安心感しかなかった。
その後すぐラウルは店をクビになった。ミハルに肩入れした人間を雇うのかと、苦情が入るようになったからだ。子供二人がいなくなり、標的がラウルに移ったと言っていい。
金もなく職もなくなり、家にはゴミが投げられ落書きされ、笑えなかった。
それでも天は見放さなかったようで、国都で警備業をするという男性がラウルに会いにやってきた。
どうやら姉のマリーが自分たちを迎えにやってきた偉い人に談判してくれたようだ。しばらくは修行で無給になるが来る気はあるかと覚悟を問われ、すぐに了解の返事をした。
華やかで都会的な国都ではなく、森が近く動物が出る国都の端へ行ってからも、ラウルは変わらず、やるべきことをした。
事務所は思った以上に小さく儲かってもいなかったが、住む場所と食事は保障された。
独身の所長は骨のある人だった。
強くなれればいいと願うラウルを鍛えてくれた。しばらく一緒に暮らしてラウルの優しい心根を知ってからは養子にしてくれた。
親子と言うより師弟の関係に近かったのは、所長なりの気遣い、ラウルの亡くなった父への配慮なのだろうと思う。
景気のいい事務所ではなかったから、警護の仕事をしつつ、空いた時間には別の仕事をした。
それでもローパーにいる頃より人間らしく生きられた。制約されない身は自由そのものだった。ここでは誰にも蔑まされず、移住民と指さされる事なく、一人の人間として生きられる。
今の自分があるのはただ運がよかったから。そして巡ってきた運を正しく掴めたから。自分の力なんて関係ない。
これからも傲慢にならずに生きていこうと決心した。
ラウルは二十四歳になった。
ある時、所長から数年単位の長期の護衛を打診された。守秘義務など面倒な条件を細かく提示されたが、数秒迷った後に引き受ける事にした。
その即断があったおかげで、その案件が他の所員に流れる事はなかった。
結果、再びミハルの子供達、マリーとマシューに再会する事ができたのだ。
ラウルの話にチコはの体は固まっていた。
チコは幼い時の事をあまり覚えていない。そんなチコと違い、はっきりと当時を覚えている姉とラウルだけが、苦しみを負っているような気がした。
青ざめるチコの肩に姉がとんと手を置く。
「おじい様と汽車に乗ってようやく国都に着く頃、ラウルの事を思い出して訴えたの。ラウル兄さんも一緒に連れて行ってお願いしますって。そうしたら一緒には暮らせないけれど考えようって言ってくれたのよ」
「姉さんが、おじい様に」
「そうよ。ラウルは強い、ずっと私たちを守ってくれたって、私も必死だったのよ」
「すごいよ。姉さんがラウルを守ってくれたんだ……」
チコはここまで聞かされてもあまり思い出せない。
だけど、事件の夜、震える自分を荷馬車から降ろしてくれた誰かのぬくもりは覚えている。それはラウルだったのだ。
まだ大人になっていなかった十四歳のラウルが、大人を相手に自分たちを守ってくれた。それを今まで知らずにいた。
全部が大きな感情になって襲ってくる。とても言葉にはならなくて、代わりにボタボタ雫が落ちる。
「ごめん、全然、ラウルの事が思い出せない。だけどあんな中でも安心できた温もりがあった事は覚えてる。でも他の事はきちんと思い出せないんだ……姉さんが僕に怒りたくなる気持ちもわかる」
「あんたは小さかったししょうがないわ。私だって本当は仕方ない事だってわかってる。さっきの喧嘩も全部私が悪い。昔からあるチコへの嫉妬が、わーっと出てきちゃったの。本当にごめんなさい」
仲直りだなとラウルが言うから急に照れ臭くなった。
「あのね、ラウルはよく家に来てくれて、チコも私もお兄ちゃんって呼んでたの。私は女だし少し遠慮してた所があるけど、あんたは甘え放題だった」
実際そうだったのだろうと自分でも想像できる。
ラウルは昔を懐かしむように穏やかに笑う。
「父親が亡くなって一人になった俺を一人にしなかったのが、ミハルさん一家だった。マリーとマシューは可愛くて、菜園に水やりするのも、一緒にご飯を食べるのも楽しかった。自分より弱い者を守るには力も知恵もなかったけれど、何もしないなんて絶対に無理だった。それだけだ」
ラウルは一度大きく頷く。
「俺が勝手にした事に罪悪感なんていらないし、感謝する必要はない」
「感謝するに決まってる。ラウル、ありがとう。守ってくれて、ありがとう……大好きだよ」
チコはそれだけしか言えなくなったけれど、姉とラウルに抱かれて今ある幸せを噛み締めた。
その後、予定通り向かったのがオーソンだった。
三人そろって仕事ができる古書店の物件をラウルが見つけ、すぐに仮押さえした。
住まいと職場が一緒なのも安心だし、学生向けの本を扱う点が姉弟の専門と趣味に共通した。姉のリアナは教育者だし、チコは本好きだ。
実際にオーソンの町の印象も悪くなく、古書店の建物も古いながら味があり、大量の本が残置物として残っているのも良かった。
三人はすぐにそこで生活を始め、ラウルは代表として組合に登録し諸々の手続きを請け負った。
その時にはしっかり、以前は祖父がお世話になりましたと挨拶した事で、上手く親類と勘違いしてくれた人が多く、商売もやりやすくなったのだった。
しばらくチコは書店の二階で暮らしたのだが、すぐに近くのアパートに引っ越しを決めた。
これまで離れて暮らした事もあり、同居もそこそこ息苦しいと感じた事が理由の一つ。だけど決定的だったのは、姉とラウルが結婚した事だった。
ずっと二人の結婚を望んでいたチコはもちろん喜んだ。姉の心を動かす為にわずかながらチコだって動いていたのだ。
人嫌いなのに町ゆく人にインタビューしたり、二人きりになれる機会を作ったり。
そうやって二人がくっついて、教会で小さな結婚式をして、店の上手く回りだして、三人でささやかなお祝いにとディナーへ出た。
そこで出会ったのがブラムだった。
すぐに恋をして、恋人になり、同棲。
何もかも上手くいっていた所で、ロイドがオーソンへやってきたと情報がもたらされた。
いい機会かもしれないと求婚して断られ、懲りずに求婚しては断られ、ブラムの気持ちが傾いた所で時間切れとなって、夜逃げのように飛び出してしまったのだった。
7
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
【完結】嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った伯父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした婚約者、辺境伯オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
婚約破棄させた愛し合う2人にザマァされた俺。とその後
結人
BL
王太子妃になるために頑張ってた公爵家の三男アランが愛する2人の愛でザマァされ…溺愛される話。
※男しかいない世界で男同士でも結婚できます。子供はなんかしたら作ることができます。きっと…。
全5話完結。予約更新します。
「出来損ない」オメガと幼馴染の王弟アルファの、発情初夜
鳥羽ミワ
BL
ウィリアムは王族の傍系に当たる貴族の長男で、オメガ。発情期が二十歳を過ぎても来ないことから、家族からは「欠陥品」の烙印を押されている。
そんなウィリアムは、政略結婚の駒として国内の有力貴族へ嫁ぐことが決まっていた。しかしその予定が一転し、幼馴染で王弟であるセドリックとの結婚が決まる。
あれよあれよと結婚式当日になり、戸惑いながらも結婚を誓うウィリアムに、セドリックは優しいキスをして……。
そして迎えた初夜。わけもわからず悲しくなって泣くウィリアムを、セドリックはたくましい力で抱きしめる。
「お前がずっと、好きだ」
甘い言葉に、これまで熱を知らなかったウィリアムの身体が潤み、火照りはじめる。
※ムーンライトノベルズ、アルファポリス、pixivへ掲載しています
政略結婚のはずが恋して拗れて離縁を申し出る話
藍
BL
聞いたことのない侯爵家から釣書が届いた。僕のことを求めてくれるなら政略結婚でもいいかな。そう考えた伯爵家四男のフィリベルトは『お受けします』と父へ答える。
ところがなかなか侯爵閣下とお会いすることができない。婚姻式の準備は着々と進み、数カ月後ようやく対面してみれば金髪碧眼の美丈夫。徐々に二人の距離は近づいて…いたはずなのに。『え、僕ってばやっぱり政略結婚の代用品!?』政略結婚でもいいと思っていたがいつの間にか恋してしまいやっぱり無理だから離縁しよ!とするフィリベルトの話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる