訳ありの僕が完璧な恋人にプロポーズしてみた結果

宇井

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20 チコの記憶 -温もりを覚えている-

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 ラウルは子供の頃、父親と二人でローパーへとやってきた。ここに来る前からも二人きりでほかの家族の記憶はない。
 父は同郷だと言うミハルと親しくしていた。
 単身移住だった10代の青年ミハルと、ラウルの父は、ともに物静かで穏やかな性格だった。集団でローパーへ向かう途中で親しくなったらしく、移住者住宅も隣同士、勤める工場も同じになった。
 小さなラウルは工場の託児に預けられる予定だったが、それはできなかった。ラウルが同じ年頃の集団になじめずイジメられたからだ。
 そこで父はラウルを一人自宅に置き、留守中は当時高価だった本を与えることにした。自分にはない学をラウルに与えようとしたのだ。
 読み書きの危うい父がラウルに教えられる事は何もなかった。だから二週に一度は町の学校へも行かせた。
 それは大きな負担だったようで、ミハルにお金を借りることもあったようだ。
 でもそのおかげで、十歳になったラウルは労働条件の悪い工場ではなく、商店街にある穀物屋で働けることになった。
 地道に真面目に働き信頼を得て、馬と商品を任され運搬する役目を担うまでになった。それをラウルの父はとても喜んでくれた。

 しかし、十三歳になったラウルは一人になっていた。父親が病死してしまったのだ。
 混乱するラウルを支えてくれたのはミハルとその家族だった。
 ミハルの妻アリスは優しく気配り上手な人で、その後もラウルが負担を感じない程度に食事に誘ってくれり、差し入れをしてくれた。
 二人の子供マリーとマシューは自分をお兄ちゃんと呼んで遊んでくれた。
 それが孤独になったラウルをどれだけ救ったことか。

 その頃のラウルは既に大人顔負けの体躯になっていた。しかし顔立ちは年相応に幼く忠犬を連想させ、特に女性から優しくされた。
 ラウルとは逆に顔が怖いというだけの理由だけで、店の表に立たせてもらえない同僚もいた。
 容姿が悪くないという事は有利に働くのだとこの頃になってわかったことだ。
 ラウルには人の美醜がよくわからない。
 だから隣のミハルが美形だと評判なのもずっと不思議だった。人の顔を認識する事はできるが、それをどう振り分けるかが苦手なのだ。
 これまで特に困ったことがないから気にしてこなかった。
 だけど人の美しさは、良い事ばかりでなく悪い事まで引き寄せるのだと、その後思い知らされる事となった。

 あの日、ミハルが血相を変えてラウルの家へやってきた。
 たまたま荷馬車で家によった所にタイミングよく飛び込んできたのだ。
 ここの町を出るのに表の馬車を貸してほしいと言う。
 今すぐ、と言うからにはよほどの事があったのだろう。
 荷馬車は店の物であるし、高価な商売道具でもある。自分の判断で自由にできるものじゃない。
 それでもこの人の頼みを断るのが嫌で、ラウルはミハルから渡された現金をもち、他から借りられないかと交渉に走った。
 移住民は貧しい者が大多数だ。でもこの頃にはミハルのように貧しさから抜け出た人もいたし、運よく馬を持てるまでになった人もいて、あてがゼロではなかった。
 だけど、成果のないままミハルの家に戻ってみれば、あるのは荒らされた室内と血に浸るミハルの死体。そして、馬車の荷台で小さくなったマリーとマシューだった。
 どうして……自分がすぐに馬車を貸していれば、こんな事にならなかったのか? ここで一体何があったんだ……
 しばらく放心していたかもしれない。だけどすぐに持ち直し、今の自分ができる事をするのだと腹をくくった。

 ラウルは子供たちに、あと少しだけ荷台で待つように言い聞かせ、ミハルの家に戻った。
 この家の内部はよく知っている。妻アリスが亡くなってからは、ミハルが帰りの遅い時や出張の時には、子供二人の面倒見ていたからだ。場合によっては泊まり込む事もあった。
 ミハルの寝室に入り、引き出しにある現金と指輪をポケットにねじ込んだ。
 ハアハアと煩い息が誰かに聞かれるのではないかと怖かった。すぐそばにはミハルの遺体があって血の匂いに酔いそうになる。手足がブルブル震えるのを止めることはできなかった。
 ここの警察は差別意識が強い。移住民の家だけに金品を盗むのを罪だと思わないだろう。捜査と言う理由をつけてしたい放題するに決まっている。
 この周辺住民の認識も同じよなもので、弱い者から奪う事を悪だと思っていない。
 だから自分が守る……二人を、ミハルさん、守るよ。
 勝手に流れてくる涙を何度も袖でぬぐった。
 それから近所の人を呼び通報を任せ、二人を自分の家に連れ帰る。そしてやってきた警察からの事情聴取を現場で受けた。
 しかしそこにマリーとマシューが来てしまった。大人たちの会話が聞こえてきて、居ても立っても居られなかったのだろう。
 幼い二人がミハルの惨い遺体を目にしてしまったのは自分の失態だと、ラウルは今でも思っている。

 その後の事は予想した通りだった。
 ドアや窓にカギをかけたのに、ミハルの家は内も外もないほどに荒らされ壊された。
 警察がいる間に二人に必要な荷物を持ち出せたが、全部とはいかないのが悔しい。
 周辺はまるで観光地のようになり、昼夜を問わず騒がしくなった。
 ラウルはあの日からずっと姉弟を預かっていたが、昼間は仕事で留守になるし、一人で守るのに限界がきた。と言うのも、二人を匿うラウルまでも嫌がらせの対象になってしまったのだ。
 警察も学校も教会さえあてにならず、職場の店主に姉弟を預かってくれる人を紹介してほしいと頭をさげた。
 彼は少しだけ同情してくれて避難先を探してくれた。
 しかし何をするにもお金はかかるもので、持ち出したミハルの金もラウルの金も、謝礼という名であっという間になくなってしまった。
 預け先の家庭もいい所ばかりではなかったようで、姉弟に辛い言葉を浴びせ、時には手を上げる事もあったようだ。
 こんな生活はもう続けられない、いよいよ切羽詰まっていたところで、二人は国都の人間に連れられ孤児院にいってしまった。
 ラウルのいない間に起こった事でお別れもできなかった。だけど、ここを離れるのは二人にとっていい事だと思った。
 残されたラウルはそのあと、貯めた金を吐きだした馬鹿、一人だけ貧乏くじを引いたなどと、店の人達に陰口を言われた。けれど気にならなかった。
 少しの寂しさと、肩の荷が下りた安心感しかなかった。

 その後すぐラウルは店をクビになった。ミハルに肩入れした人間を雇うのかと、苦情が入るようになったからだ。子供二人がいなくなり、標的がラウルに移ったと言っていい。
 金もなく職もなくなり、家にはゴミが投げられ落書きされ、笑えなかった。
 それでも天は見放さなかったようで、国都で警備業をするという男性がラウルに会いにやってきた。
 どうやら姉のマリーが自分たちを迎えにやってきた偉い人に談判してくれたようだ。しばらくは修行で無給になるが来る気はあるかと覚悟を問われ、すぐに了解の返事をした。
 
 華やかで都会的な国都ではなく、森が近く動物が出る国都の端へ行ってからも、ラウルは変わらず、やるべきことをした。
 事務所は思った以上に小さく儲かってもいなかったが、住む場所と食事は保障された。
 独身の所長は骨のある人だった。
 強くなれればいいと願うラウルを鍛えてくれた。しばらく一緒に暮らしてラウルの優しい心根を知ってからは養子にしてくれた。
 親子と言うより師弟の関係に近かったのは、所長なりの気遣い、ラウルの亡くなった父への配慮なのだろうと思う。
 景気のいい事務所ではなかったから、警護の仕事をしつつ、空いた時間には別の仕事をした。
 それでもローパーにいる頃より人間らしく生きられた。制約されない身は自由そのものだった。ここでは誰にも蔑まされず、移住民と指さされる事なく、一人の人間として生きられる。
 今の自分があるのはただ運がよかったから。そして巡ってきた運を正しく掴めたから。自分の力なんて関係ない。
 これからも傲慢にならずに生きていこうと決心した。
 
 ラウルは二十四歳になった。
 ある時、所長から数年単位の長期の護衛を打診された。守秘義務など面倒な条件を細かく提示されたが、数秒迷った後に引き受ける事にした。
 その即断があったおかげで、その案件が他の所員に流れる事はなかった。
 結果、再びミハルの子供達、マリーとマシューに再会する事ができたのだ。


 ラウルの話にチコはの体は固まっていた。
 チコは幼い時の事をあまり覚えていない。そんなチコと違い、はっきりと当時を覚えている姉とラウルだけが、苦しみを負っているような気がした。
 青ざめるチコの肩に姉がとんと手を置く。

「おじい様と汽車に乗ってようやく国都に着く頃、ラウルの事を思い出して訴えたの。ラウル兄さんも一緒に連れて行ってお願いしますって。そうしたら一緒には暮らせないけれど考えようって言ってくれたのよ」
「姉さんが、おじい様に」
「そうよ。ラウルは強い、ずっと私たちを守ってくれたって、私も必死だったのよ」
「すごいよ。姉さんがラウルを守ってくれたんだ……」

 チコはここまで聞かされてもあまり思い出せない。
 だけど、事件の夜、震える自分を荷馬車から降ろしてくれた誰かのぬくもりは覚えている。それはラウルだったのだ。
 まだ大人になっていなかった十四歳のラウルが、大人を相手に自分たちを守ってくれた。それを今まで知らずにいた。
 全部が大きな感情になって襲ってくる。とても言葉にはならなくて、代わりにボタボタ雫が落ちる。

「ごめん、全然、ラウルの事が思い出せない。だけどあんな中でも安心できた温もりがあった事は覚えてる。でも他の事はきちんと思い出せないんだ……姉さんが僕に怒りたくなる気持ちもわかる」
「あんたは小さかったししょうがないわ。私だって本当は仕方ない事だってわかってる。さっきの喧嘩も全部私が悪い。昔からあるチコへの嫉妬が、わーっと出てきちゃったの。本当にごめんなさい」

 仲直りだなとラウルが言うから急に照れ臭くなった。

「あのね、ラウルはよく家に来てくれて、チコも私もお兄ちゃんって呼んでたの。私は女だし少し遠慮してた所があるけど、あんたは甘え放題だった」

 実際そうだったのだろうと自分でも想像できる。
 ラウルは昔を懐かしむように穏やかに笑う。

「父親が亡くなって一人になった俺を一人にしなかったのが、ミハルさん一家だった。マリーとマシューは可愛くて、菜園に水やりするのも、一緒にご飯を食べるのも楽しかった。自分より弱い者を守るには力も知恵もなかったけれど、何もしないなんて絶対に無理だった。それだけだ」

 ラウルは一度大きく頷く。

「俺が勝手にした事に罪悪感なんていらないし、感謝する必要はない」
「感謝するに決まってる。ラウル、ありがとう。守ってくれて、ありがとう……大好きだよ」

 チコはそれだけしか言えなくなったけれど、姉とラウルに抱かれて今ある幸せを噛み締めた。

 その後、予定通り向かったのがオーソンだった。
 三人そろって仕事ができる古書店の物件をラウルが見つけ、すぐに仮押さえした。
 住まいと職場が一緒なのも安心だし、学生向けの本を扱う点が姉弟の専門と趣味に共通した。姉のリアナは教育者だし、チコは本好きだ。
 実際にオーソンの町の印象も悪くなく、古書店の建物も古いながら味があり、大量の本が残置物として残っているのも良かった。
 三人はすぐにそこで生活を始め、ラウルは代表として組合に登録し諸々の手続きを請け負った。
 その時にはしっかり、以前は祖父がお世話になりましたと挨拶した事で、上手く親類と勘違いしてくれた人が多く、商売もやりやすくなったのだった。
 しばらくチコは書店の二階で暮らしたのだが、すぐに近くのアパートに引っ越しを決めた。
 これまで離れて暮らした事もあり、同居もそこそこ息苦しいと感じた事が理由の一つ。だけど決定的だったのは、姉とラウルが結婚した事だった。
 ずっと二人の結婚を望んでいたチコはもちろん喜んだ。姉の心を動かす為にわずかながらチコだって動いていたのだ。
 人嫌いなのに町ゆく人にインタビューしたり、二人きりになれる機会を作ったり。
 そうやって二人がくっついて、教会で小さな結婚式をして、店の上手く回りだして、三人でささやかなお祝いにとディナーへ出た。
 そこで出会ったのがブラムだった。
 すぐに恋をして、恋人になり、同棲。
 何もかも上手くいっていた所で、ロイドがオーソンへやってきたと情報がもたらされた。
 いい機会かもしれないと求婚して断られ、懲りずに求婚しては断られ、ブラムの気持ちが傾いた所で時間切れとなって、夜逃げのように飛び出してしまったのだった。
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