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ぼく、颯兄に助けてもらう

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第二章:ぼく、颯兄に助けてもらう

 菊池颯真こと颯兄そうにいは、一言で言うとやる気のなさそうなお兄ちゃんだ。
 颯兄はぼくより四つ年上で、今年小学六年生になる。
 なぜか小さいころから右目を前髪でかくしていて、一緒に生活をしているぼくも、その下がどうなっているのか知らない。
 いつもねむたそうにしているけれど、体育や体を動かすことは得意だ。逆に勉強の方はあまり得意じゃない。テストの点数が悪くてじいちゃんにげんこつを食らっている場面を何度か見たことがある。
 そんなゆるい颯兄が、フードをかぶっていてもわかるぐらいおこっていた。
 のらりくらりとじいちゃんのお説教をかわしている姿からは想像もつかないような目で口さけ女をにらんでいる。
 あのぬいぐるみや口さけ女といい、ぼくはゆめでも見ているのだろうか。
「けがは?」
 颯兄はぼくの目の前に立つと、片手でひっぱりあげた。ついでにズボンについたよごれもはらってくれた。
「無いと、思う」
 両手をグーパーと何度か開いてとじてをくりかえしつつ、颯兄に答える。痛いところがあったはずだけど、今は全く何も感じない。
(それよりも……)
 ちらりと颯兄から視線を少しずらし、肩に乗ったなぞの生き物を見た。さっきはとっさにぬいぐるみと思ったものの、動いたのだから生き物なんだろう。動物になるのかな?
 じっと見つめていると、ぬいぐるみことなぞの生き物とばっちりと目が合った。
「やっぱりアタシが見えてるのね」
「しゃ、しゃべ……!?」
 なんと! 動くだけじゃなく、しゃべりだした。ぼくはおどろきのあまり、ぴゃっと肩をふるわせて一歩下がった。
 そんなぼくを気にすることもなく、颯兄はぬいぐるみの方へ顔を向ける。
「霊力が低くてもダッキって見えるもんなの?」
「ふつうはありえないわね。やっぱり菊池の血じゃないかしら」
「なるほどねぇ」
 理解しているのかわからない返事をしつつ、颯兄はパーカーのフードをぬいだ。
 さりげなくぼくの前へふらりと移動し、口さけ女から見えないよう背中にかくす。
「わかってないでしょ」
「わかってるわかってる~」
 ぬいぐるみと会話をしながらも、目は口さけ女から動かない。
 颯兄はいつもやる気がなさそうなのに、なんでもそつなくこなす。
 ぼくとは反対にいつも周りに友達がいるのは、今みたいな気づかいができるところなんだろうな。
 あんなに怖かったのに、颯兄がいるだけで別のことを考えられるぐらい心に余裕ができていた。本当に不思議なお兄ちゃんだと思う。
 胸をなでおろしていると、視界のすみっこで口さけ女がゆらりと立ち上がった。
「ごちそう……、ごちそうゥ! 返してェェェェェェェ!」
 さっきなぞの生き物にかまれたところが痛むのか、左手をおさえていた。
(そうだった! まだなんにも解決してないじゃないか!)
 かいじゅうのような声を出したかと思えば、不気味なぐらいぴたりと動きが止まる。次のしゅんかん、目に見えないスピードでこっちに向かって走りだした。
「そ、颯兄!」
 あまりのはくりょくに颯兄のパーカーのすそをつかんだ。
「心配すんな。おれに任せとけ」
 ふるえるぼくの手に、颯兄のあたたかい手が重なる。
「ダッキ!」
「任せなさい!」
 肩に乗っていたなぞの生き物が飛びおりると、颯兄のじゅ文のようなものにあわせて光り始める。よく見えないけれど、口さけ女の動きがにぶくなったのが、ぼくにもわかった。
 下から吹きぬける突風におどろき、颯兄の服のすそをつかんだ手がはなれそうになる。それに気づいた颯兄が手をつかむと、ぼくをぐいっとひきよせた。
 力強い手に顔を見上げれば、風でまきあげられた長い前髪のすきまから、颯兄の右目が見えた。
「きれい……」
 ぼくの目の色とも、颯兄の左目とも、はじめて見た右目の色はちがっていた。
 颯兄の目にみとれてぼーっとしていると、風がさらに強くなる。もう目を開けていられない。
(……もう少しだけ見てたかったなあ)
 つながった手をぎゅっとにぎりながら、ぼくは今見たばかりの宝石みたいな金色の目を思いうかべた。
 そんなのんきなぼくとは真逆に、颯兄はせっぱつまったような大きな声をあげる。
「幽鬼退散!」
 颯兄の声とともに、光が大きくなった。まぶしくて顔をそらしているものの、こわいもの見たさで少しだけ目を開く。
 光の中で、白い大きなきつねが口さけ女に向かってほえていた。びりびりと体にしょうげきを起こす鳴き声に、思わず空いた手で片耳をふさぐ。
 ゴンッ!
 にぶい音がした。視線を音のする方へ向けると、口さけ女が鳴き声にふきとばされてコンクリートのかべにぶつかっていた。かべにもたれかかりながらよろよろと立ち上がった口さけ女の体は、砂のようにくずれている。
「あと少しでごちそうにありつけたのにィィィィィ!」
 足が消えて動けないらしい。口さけ女は空を見上げて負けおしみをさけんでいた。
 ぼくは颯兄の服のすそをはなして、きょろきょろと見回す。いつの間にか大きなきつねはいなくなっていて、颯兄の右目も前髪でかくれていた。颯兄の目は、消えかけの口さけ女の方へまっすぐ向いたままだった。
「クヤシイ、クヤシイ、クヤ……」
 口元がくずれはじめ、ぶつぶつとつぶやいていた言葉も聞き取れない。通学路は何もなかったように静かになった。
「ふぅ~……」
 口さけ女が完全に消えたのを確認すると、颯兄は大きく息をはきだした。
 今までどこに居たのか、なぞの生き物がぴょんと肩に乗ると、何事もなかったようにぼくへ笑いかける。
 まるでさっきまでのできごとがすべて夢だったんじゃないかと思えた。
「帰るぞー」

 振り返りぎわ、前髪のすきまからちらりと右目が見えた。
 金色の目は、夕やけと相まってやさしくかがやいていた。
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