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最も憐れな愚か者は

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それは雪が静かに降り行ける日だった。
いや。あれは、雪なんかじゃ無かったかも知れない。





「人間は全ておんなじなんだってさ」

俺は窓の向こうを、何となしに視線を彷徨わせながら、皿を洗っている妻に言った。妻は此方を見ること無く、「そお」とだけ答えた。
当たり前のことを当たり前に答えているつもりで、何だか自慢気な心を素っ気無さに隠しているようなつもりで、まるで自分は夫の言いたいことが全て分かりきってるみたいな風にしているのが気に障って、俺は先程からチビりと呑んでいた酒を煽り小さく「クソ...」と漏らした。普段はしない品の無い様子に、妻は気付かなかったのかもしくは酔っ払いの戯言たわごとだと思ったのか。どちらにせよ、俺を更に苛立たせた原因にしかならなかった。苛立っていた、と言うよりは憐れんでいたのだが、その時ばかりは苛立ちが目立った。

「それだけか?」
「何が?」

笑い顔を作ってただの酔っ払いのフリをしながら妻にたずねると、本当に何も分かっていない顔をした。今の俺の笑い顔だって、自分からして見れば猿の威嚇顔だというのに、全くその本心に気付かず、妻は呑気な本物の笑顔を見せるのだ

「人が、全て同じだって話さ」
「あぁ、続きがあったの?」

妻は あっ として、俺の話の続きを、目だけで催促さいそくした。
しかし違うんだ。話の続きなんて無かったんだ。お前が続ける筈だったんだ。それはどうか、ならばそうだ、と。賛否に値するか、そうでは無いか、語らいたかっただけなのだ。それを返事とも言えぬ短い言葉で、いや言葉でも無い、ただの鳴き声だ。つまり、そんなもので片付けられたのだ。
「今日は良いお天気ですね。」の返事が「そお。」だけだったら何と淋しいことだろう。「そうですね、お洗濯がはかどりますわ。」くらい返せぬものか。そうでないにしても、先刻のものは会話ではない。反射的に鳴った、ただの雑音なのだ。俺にとってはそうにしか思えなかった。しかしそれらが思い当たらなかった妻にぶつける訳にもいかなく、無い筈の続きを吐き出した

「俺は、違うように思う」
「違うって、同じじゃない、と言いたいのですか?」

妻は偉い。俺の、ハタから見れば酔っ払いの戯言ざれごとを、興味の無い話題でも真剣に向き合おうとしてくれるのだから。だから、理解のとぼしさに、顔を歪めてはならない。

「例えば、俺とお前は性別が違う」
「あっ、立場や生まれの違いかしら?」
「間違っては無い。けれど、それ程簡単なものじゃない」
「では、価値観?」
「それも、間違いじゃない。」
「では、何?」
「言葉では無いよ。きっと言い表せないものだ」
「それは...何だかズルい答えですね」

妻の納得の行かなそうな顔と、無意識に空気中に溶けた溜息に、俺は少し満足感を覚えた。

「お前は、浮気を良しとするか?」
「良くないことと思います」
「お前は、罪を悪だと呼ぶか?」
「私はそうに思います」
「だが、そう思わない者もいる」

それがそうだよ。と笑いかけると、妻は更に眉を縮こませ、口をへの字に曲げた。苦手な癖に続けているクロスワードパズルと睨み合っている時とそっくりだ。あまりのスッキリしなさに、モヤモヤとした不快を感じている表情だった

「価値観と何が違うの?」

眉間にしわが刻まれる程悩み、絞り出したといはそんなものだった。思わず酒瓶を割るところだった。なにで、とは敢えて言うまい

「違う。全く。」

苛立ちを表に少し滲ませながら短く答えると、妻は焦ったような声を出して、弁解かヨイショの言葉を探す。しかし上手い言葉が見つからなかったのか、しょげた肩が主張し始めた。それを見て、何だか動物を虐めてしまったみたいな気持ちになって、ちょびっとだけ優しい気持ちになった

「立場も、生まれの違いも、価値観も、全て他人が後付したものだ。実にくだらない。全部燃やして周りたい」
「では、あなたの言う、「違う」と言うのは?」

妻はおどおどしながら酔っ払いに聞くと、酔っ払いは飄々ひょうひょうと答えた。

「感じ方だ。何、別に助平な意味では無い。もっと格好良い言い方を考えたけれど、矢張り言葉に出来ないものだ。
お前、何処かの会話を耳にしたとする。奥さんの井戸端会議だ。「あなたの息子さんはとっても優秀ですね」と奥方が話している。この「優秀な息子」と聞いて、お前は何を思った?どんな人物だと思った?」

妻はちょっと間を取って言った。

「勉強が出来るお子さんなんじゃないかしら」
「では勉強が出来なければ優秀では無いのか?」
「そうは言わないわ。ただ最初に浮かんだだけよ」
「その最初に浮かんだモンが、一生の固定概念になる。そいつの性質になる。その違いさ。さっきの浮気とか罪だとか、そんなのもそうさ。概念は早々変わったりしない。それこそ、そいつにとっての革命か何かが起こらない限りはね。その物事への感じられ方が、皆違うんだ。絶対ある孤独なんだ。孤独の仲間がいたって、それは孤独だ」

一度区切って酒を喉で流す。ちらりと妻を見ると、ずっと難しそうな顔をして、変わらず眉間に皺を作っていた。すると突然、宇宙の中にでも放り込まれたように体が浮び上がる感覚がやって来た。苛立ちが寝そべって、平穏が遊びに来た

「そうだな。人間は全ておんなじなんじゃない。全て劣化しているんだ」

妻は不思議そうに「どちらにしても全てとくくるならば、それは同じではないのか」と言う。しかし、ハッキリ言える。同じじゃない。そんな大まかな性質や性格で、人は悩むものでは無い。ただ辛いのでは無い。ただ苦しいのでは無い。その本当の理解など存在しない。故に、劣化している。そして全てが劣化していると気付かずに、自分以外の劣化を探して自分の劣化を隠しているつもりになるのだ。劣化していない者など、そうでない事など、存在しやしないのに。それでつ、人間誰しもが持ちゆる孤独に、疲れた頃に気が付くのだ。恐怖におののき、泣き狂い、今更に救いを求めるのだ。存在しない救いを。何よりも不確かなものを。ああ何と滑稽こっけいで愚かなものだろう人間は。何不自由無く育った妻も、いつかはソレに侵されるのだ。喜怒哀楽が曖昧になり、自分というものが分からなくなる。もっとも恐ろしいのは他人では無いのだから。自身の感ぜられ方、言わば自分自身だ。理解出来ぬ自分におののくのだ。そうしている自分が最も恐ろしい。いや、まだきっと、恐ろしいことは隠れ潜んでいる。もしくは既に真横に突っ立っているに違いないのだ。寄り道をしようとしたら視界に入るのだ。いつまでも付き添って来るのだ。そうやって狂人になる思いで日々を過ごすのだ。
常々思う、馬鹿になりたかったと
そうであれば、知らぬまま人生を終わらせられただろう。ああこの思い知り得ぬことだろう。俺の本当の姿など。言葉で説明したところで分からぬことだろう。ああ妻よ、愛している。お前程馬鹿で滑稽で可愛らしい者は知らない。どうか気付かぬまま無垢なまま、俺の傍で生涯を過ごして欲しいという思いもありつつ、その無垢さがヒビ割れ疑いに染まり上がる瞬間も見てみたいとも思う。愛する者の全てを見たいと思う俺は異常か?そうではない筈だ。俺は愚か者だが廃人ではないだろう

「雪が止んだな」

妙に心が晴れ晴れとしているのは酒のお陰か?
はて?そんなに酒好きだったか俺は、とも思いながらコップを流しに運びに行った。
その背中に哀しみのいをたたえ、一人の女が「降って、いませんでしたよ」と呟いたが、男は全く耳に入れていなかったのだった。




それは雪が静かに降り行ける日だった。
いや。あれは、雪なんかじゃ無かったかも知れない。
あれは、俺の眼球の中、脳内のスクリンに映る、憐れな幻想に過ぎなかった。

そう気付いたのは、本来嗅ぎ慣れていた筈の、、、、、、、、、、、、真っ白な薬品臭い室内で、初めて目覚めた時だった。

「...ああ、俺だったのか」

何処から夢で現実だったのか、未だ夢見心地な瞳は掠れていて、小さな声は独りきりの空間に酷く響いたのだった。

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