悪役令嬢が四つ子だなんて聞いてません!

青杜六九

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学院編 14

487 悪役令嬢は記憶を辿る

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「よっ……と。失礼しまっす!」
軽い身のこなしで、ジュリアは窓から廊下に滑り込んだ。
「入っていいとは言ってない」
マクシミリアンに睨まれても、全く動じることはない。
「お取込み中すいませんね。妹が心配で、こっそりついてきちゃった」
てへ、と笑うジュリアに、アレックスが頬を染める。
「さっきの、あれ……」
「しっかり聞いたよ。ありがとう、アレックス」
「……言うなよ。恥ずかしいから」
ラブラブムードを漂わせる二人とは対照的に、アリッサ達三人の冷たい視線は一層冷たくなった。
「……ジュリアちゃん、行くなってマリナちゃんに言われたでしょ?」
「マリナが私を止められるわけないじゃん?走ったら簡単に逃げ切れるし」
「……はあ」
あっけらかんと答える姉は、何も考えていないらしい。自分が覗き見していたこのやりとりも、くだらないと笑い飛ばしてしまいそうだ。
「それにしてもさ。ベイルズ先輩って、アリッサに一目惚れしてたんだねえ。ふうーん」
「アレックス君と同じこと言わないで!」
「一目惚れなんかしていない!」
アリッサとマクシミリアンが同時にジュリアを責めた。
「……私、ビルクールに来たことなんて、……ないと思う」
「思うってだけでしょ?忘れてるんじゃないの?」
「……マリナちゃんだと思うなあ」
「いや、アリッサも時々お父様についてってさ……」
二人がああでもないこうでもないと話している脇で、我慢の限界を超えたマクシミリアンが叫んだ。
「いい加減にしろ!俺は一目惚れなんかしていないし、学院の生徒会室で会ったのが初対面だ!」
「……だそうですよ、ジュリア様。俺が聞いた噂とはちぃっと違うみたいですがね」
「煩い!」
起き上がったマクシミリアンがエイブラハムの襟元を掴んだ。高身長の二人が睨み合う。
「なんでもその坊ちゃんは、一目惚れした相手に会いたくて、王都の図書館まで魔法陣で通っていたそうですよ。ただ通うのも勿体ないんで本を読んでいたら、神童って呼ばれるくらい賢い子になったって」
「嘘だ!適当なことを言うな!」
「やんちゃなクソガキが見違えるようになったって褒めてたなあ。貴族社会に混じっても目立たないように、やたらと礼儀作法を身に付けて、おとなしい子になったんで寂しいってさ。……ああ、これが素かな?」
両手を肩の高さでひらひらさせ、エイブラハムはあくまで手出しをしないポーズを取った。マクシミリアンは軽く舌打ちをすると、彼の服から手を放した。
「ねえねえ、アリッサ。図書館で会ったことあんの?」
「分かんないよぉ……(レイ様しか見てなかったし)」
小声で会話をする。ジュリアは「そうだと思った」と声を出さずに唇だけで伝えた。マクシミリアンは生徒会の中でも影が薄いから仕方がないと思ったのだ。
「と、とにかく。俺は図書館に行っていないし、あんたに会ってもいない。分かったな?」
怯えたアリッサはジュリアの服を掴み、
「ほら、やっぱり、ビルクールに来たのは、きっとマリナちゃんだよぉ」
と囁いた。アメジストの瞳から今にも涙が溢れそうだ。マクシミリアンの二度目の舌打ちを聞いて、とうとう堰が決壊した。
「いつもいつも、ぐずぐず泣いてんじゃねえよ!目が溶けるだろ!」
彼の怒鳴り声を聞いた瞬間、アリッサの記憶の糸が繋がった。

   ◇◇◇

八年前。初冬。
ハーリオン侯爵は突然起こった領民の揉め事に頭を悩ませていた。
「すまないね、アリッサ」
「ううん。お父様。気にしないでね?」
侯爵家の馬車で王立博物館に向かい、図書館にアリッサを置いて仕事をするつもりが、往路で邸から急使が来たのである。
「どうしても今日のうちにビルクールに行かないといけないんだよ。アリッサを一人で図書館に行かせるわけにはいかないし……」と考えあぐねる侯爵に、娘は笑顔で答えた。
「お父様と一緒に行く!」

かくして。
父について行ったアリッサだったが、初めて見る港の様子に興味を引かれ、気づけば迷子になってしまっていた。
「どうしよう……」
街特有の訛りや、外国船の船員達が話す言葉が耳に入る。一度、このままずっと一人なのではないかと思ってしまうと、どっと不安が押し寄せ、目からとめどなく涙が溢れた。ショルダーバッグからはみ出した熊のぬいぐるみだけが味方だった。
「……おい、お前」
「……?」
「お前だよ。そこのチビ!」
ハンカチで涙を拭う。視界に入ったのは一人の痩せた少年だった。癖のない藍色の髪を揺らし、アリッサを指さして苛立っている。
「あ、あ……」
「一人か?」
「……」
こくん。頷くとまた涙が頬を伝った。
「だよな。しばらく見てたけど、親とはぐれたみたいだもんな」
「……ぐすっ」
「ぐずぐず泣いてんじゃねえよ!目が溶けるだろ!……宝石みたいにきれいな目ぇしてんのにさ」
最後は口ごもりながら言い、少年は向こうを向いて手を差し出した。
「……?」
「手。親と会いたいっていうなら、繋げば?」
「あの……」
おずおずと手を重ねると、冷たい指先に驚いた。長い時間アリッサの様子を見ていたのだろう。互いの温度を感じて、少年は振り返って言った。
「お前さ、……船、見てたんだろ?」
「……うん」
「面白いよな。あんなでっかいもんがさ、どうやって海に浮かんでいるのかって不思議に思わないか?」
「……うん」
「んで、船に乗れば見たこともない国に行けるんだぜ。食べたことがないうまいもんがあって、面白い動物や……ああ、お前、花は好きか?」
「……うん」
「じゃあ、きれいな花が咲いてるところに案内してやるよ。街の皆で手入れしてる花壇でさ。寒くてもまだ花が咲いてるんだ」
街のことを自慢げに話す少年を見ているうちに、まだ見ぬ外国はどんなところだろうと空想が弾ける。思い描く不思議を手当たり次第に語り合ううちに、アリッサは自然と笑顔を取り戻したのだった。

   ◇◇◇

アリッサは困惑した。
あのときの少年がマクシミリアンだったのなら、自分と彼は王立学院で初めて会ったのではなく、既に面識があったということだ。自分を追いかけて王都の図書館に通ったという、エイブラハムが集めた情報が本当なのか疑わしいが、学院での成績を考えれば神童と呼ばれていたのは嘘とは思えない。
自分へ向けられた好意が、「ハーリオン侯爵の娘なら誰でもよかった」ではないとすれば、どうして彼は、船から海に落ちた自分を見捨てたのだろうか。
「……先輩が、もっと分からなくなりました」
「分かってほしいなんて思っちゃいない。さっさと縄をかけて連れていけばいいだろう?」
「そんな……」
「連れて行けよ!……どうせ、どんなに頑張ったって、俺に千載一遇のチャンスなんて巡って来やしないんだよ。あんたのそのきれいな目には、死ぬまであいつ……レイモンドしか映さないんだろ?あいつのために笑って泣いて、あいつのために綺麗になる……。あいつはあんたを鳥籠に閉じ込めて、自分の腕の中で守ろうとするだろうな。俺ならあんたに新しい世界を見せてやれる……」
「……先輩は、私を閉じ込めようとしていたのに?」
マリナが迷い込んだ魔法陣の行先は、マクシミリアンが用意した隠れ家だったと聞いた。彼は自分を閉じ込めたいのか、自由にさせたいのか。アリッサには真意を汲めなかった。
「行方不明になってしばらくすれば、アリッサ・ハーリオンは死んだと見なされる。そうしたら……」
震える声を絞り出す。
「何もかも捨てて、俺はあんたと、船で逃げようと……」
アリッサを見つめるマクシミリアンの灰色の瞳が揺れた。薄い唇を引き結び、軽く頭を振ると、
「ベイルズ商会の後始末は任せろ。お前達に迷惑はかけない」
と言い残して立ち去った。
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