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ゲーム開始前 5 婚約騒動

78 悪役令嬢の婚約

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「お母様、今、何とおっしゃいましたか?」
押し黙るアリッサの横で、代わりにマリナが口を開いた。
侯爵夫人は泣きはらした目を隠さない娘を気にかけながら、他の三人を順に見て、ゆっくりと切り出した。
「アリッサの、婚約が決まったわ。先方に打診しているけれど、受けていただけそうよ」
「えっ……」
一同黙り込む。父はアリッサとレイモンドの交際に反対していたのではなかったか。
「お父様が、お許しになるとは思いませんでした」
「うん。びっくりした」
口々に感想を述べる。
「相手が違う」
エミリーがぼそりと呟く。
「そうなの。よく分かったわね、エミリー」
「嘘!」
ジュリアが声を上げ椅子に腰かけた母の傍へ走り寄る。
「だってさ、アリッサはあんなにレイモンドが好きなんだよ?なのに、他の人だなんて!」
「落ち着きなさい、ジュリア。……そうね、これはあなたにも関係があるわね」
「私に?」
侯爵夫人は凛々しい男の子のような娘を愛おしそうに眺めて、左手で頬を撫でた。ジュリアはくすぐったそうに片目を瞑る。
「――相手は、ヴィルソード侯爵家のアレックスよ」
「な、んだってぇえええ!」
アリッサが再び泣き出し、マリナは母の足元で顎が外れそうなほど絶叫したジュリアに駆け寄る。
エミリーは一つ息を吐き出すと、何も言わずに部屋を出て行った。

   ◆◆◆

ハーリオン侯爵が、ヴィルソード侯爵邸から戻ったのは夜遅くになってからだった。
早朝に出かけたのだから、随分と時間がかかったのだが、侯爵夫人は夫から何も聞き出そうとはしなかった。駆け寄ってきた息子を途中で抱き上げ、お帰りなさいと言うだけだった。クリスは父が帰るまで寝ないと駄々をこねて、眠い目を擦りながら起きていたのだ。妻を労い、侯爵は自室に籠った。
「お父様」
水色のドレスに身を包んだマリナは、一人で侯爵の自室に乗り込んだ。
父と真面目な話をするのは緊張する。しかし、妹達のためにはここが頑張りどころだ。自分の説得に応じるような父ではないだろうが。
「まだ起きていたのか、マリナ」
「お父様がお帰りになるのをお待ちしておりました」
「そうか」
侯爵は上着を無造作に椅子の背にかける。クラヴァットを外して机に放り投げ、手前にある一人掛けの椅子に腰を下ろすと脚を組んだ。
「話があるようだな」
「はい」
「アリッサのことだろう」
「はい。お父様のなさりようは、あんまりですわ」
「アレックスは悪くない少年だ。ジュリアと遊ぶうちに、お前達とも仲良くなったと聞いているぞ」
「仲良くしておりますわ。ですが、アリッサには他に想う方がいるのです」
「知っている。アリッサを貶めるような噂を広めた男の息子だろう。狡猾そうな目もあいつにそっくりの」
「アリッサがキスしていたところをご覧になったとか」
「それがどうした」
「腹立ちまぎれにレイモンド様をお認めにならないだけではありませんの?」
侯爵は怒気を含んだ眼差しを娘に向けた。マリナの唇が震える。
「もし、仮に……私がセドリック殿下とキスしているのをご覧になったら、お父様は殿下と私を引き離そうとお考えになりますか?」
「何を言い出すかと思えば。殿下とお前の話は……」
「別、なのですか?相手が王家だから」
「そうではない。お前と殿下は正式な婚約者と言ってもいいだろう。近々発表されるのだからな。アリッサは婚約していない。それなのに……」
「婚約していないことが問題なら、婚約させればよいだけでは?」
「公爵家からの婚約の打診は断った。……ああ、もうこの話は終わりだ。部屋に戻って早く寝なさい、マリナ」
「お父様……」
くるりと向きを変えられ、ドアに向けて押し出されたマリナは、父を振り返りながら名残惜しそうに部屋を出る。後ろ手にドアを閉めがっくりと肩を落とした。

部屋に戻ると、泣き疲れたアリッサはとうに夢の中だった。ジュリアが窓辺に置かれた椅子に脚を組んで腰かけている。すらりと伸びた脚は、先刻の父侯爵を髣髴とさせる。月光を浴びながら物憂げに佇む様子は一枚の絵のようだった。マリナは声をかけようとして思い止まり、そのまま自分のベッドへ向かった。
「……マリナ。父上が戻ってきたんだね」
ジュリアが立ち上がりこちらを向いた。
「ええ。少し、お話ししてきたわ……ダメだったけれどね」
「話を聞いてもらえるようなら、アリッサもちょっとは救われるのに」
「そうね」
マリナはベッドを離れ、窓辺のジュリアに歩み寄った。
「ジュリア、あなた……」
「ん?……わっ」
不意に抱きつかれ、ジュリアはふらついて半歩下がる。
「ごめんね……ごめんなさい、ジュリア……私が男になれって言ったばっかりに」
「マ、マリナ???」
自分で恋とは意識はしていなくとも、ジュリアはアレックスを大切に思っているだろうとマリナは考えていた。アリッサとの婚約を母の口から聞かされた時、ジュリアの顔が一瞬で強張ったのを思い出す。幼馴染で親友だと彼女は言うが、それ以上の想いを抱いていないわけがない。現に、あれこれ思い悩んで起きていたに違いない。
「ジュリアは、アレックスが好きなのに、私、酷いことを……」
「へっ?私が、す、好きって、何?」
混乱したジュリアから腕を放すとマリナはベッドに戻る。頭を抱えたジュリアがふらふらとベッドに入ったのは、それからしばらく経ってからだった。自分のことで精一杯の三人は、末の妹がベッドにいないことに気づかないまま朝を迎えたのである。

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