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学院編 10 忍び寄る破滅
326 少年剣士は父の筋トレを妨害する
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【アレックス視点】
父上の姿を探し、居間と寝室を覗いて、最後に書斎に飛び込む。
思った通り、父上は書斎で胸に青銅製の馬の置物を抱えて、秒速腹筋を繰り返していた。自分でどうにもならないことが起こると、父上は普段よりきつい練習をして忘れようとするのだ。今まさにそういう状況なのだろう。
「父上、戻りました」
「はっ、ふん!ふん!くぅっ!」
「父上、お話は……」
「はっ、はっ、はっ……」
「父上!いい加減にしてください!」
馬の置物を奪いテーブルの上に置いた。思ったより重く、片手で持つと痺れそうだった。父上はあれほど筋肉があるのに、こんな負荷をかけて訓練する意味があるのだろうか。
「アレックス……」
起き上がって俺を見つめる父上の瞳は、何故か既に潤んでいる。嫌だ、悪い予感しかしない。
「パーシーに会って、皆がハーリオン家の領地へ向かうと聞きました。何が起こっているんですか?騎士団が直接行って調べなければならないほどのことなんですか」
「……俺じゃない。騎士団に指示を出したのは、……そりゃあ俺だが、行けと命じたのは国王陛下だ。ステフ……陛下もフレディの奴も、アーネストを犯人扱いしやがってよぅ」
「父上は違うと考えているんですね」
「当たり前だ。俺はアーネストから直接話を聞くまでは、白黒つけらんねえと思ってる。売ったらいけない品物?をアスタシフォンに持ってって売ったからって、知らないでやってたらどうする?王太子殿下とレイモンド、それにお前と魔導師団長のところの孫が、それぞれ娘と婚約したからって、どうして権力を欲しがってる証拠になるんだ?あいつは何度、要職に就くよう説得されても折れなかったんだぞ。俺は納得できないんだ」
ダン!
勢いよく叩いた机の上で、インク瓶が転がって染みを作った。手紙を書くことがなく殆ど使われていないからか、インクは乾いており零れた量はほんの少しだ。
「陛下はマリナを王太子殿下の婚約者、じゃなくて妃候補か?それから外すと言った。フレディの奴も、息子にアリッサとの婚約を考え直せと手紙を書くと言っていた。考え直せってことは、まあ、婚約解消しろと迫っているようなもんだろうな。そんで、俺に……」
父上はぐっと拳を握った。このまま振り下ろしたら、また何かが壊れる気がする。
「ハーリオン家が騎士団や軍を影響下に置くのはよろしくないとか言いやがって、お前とジュリアの婚約を解消しろと」
――婚約を、解消?
俺は何度か頭の中で繰り返してみた。よく分からない。
「驚くのも無理はない。俺だって考えられなかった。お前達は小さい頃から仲が良かったし、これ以上の縁組などあり得ないだろう。俺は反対したよ。だがな……魔導師団長のエンウィ家のように、結婚相手は魔導士に限るってわけでもないし、うちは騎士を妻にしなくてもいい。アンジェラは騎士じゃないしな。そこを突かれた形だ」
「父上、俺は……」
「俺は断れなかったんだ。お前をブリジット様の婚約者にしてやるから、ジュリアとの婚約は解消しろと言われては……」
――嘘だろう?
まだ四歳かそこらのブリジット様を俺の婚約者に?王女を降嫁させるとなれば、他の縁談を断らなければならない。陛下はそこまでして、俺とジュリアを別れさせたいのか。
「アーネストが悪事を働いた証拠なんて、どこを探しても出てこないだろうさ。俺はあいつの無実を証明するために、騎士団を動かすことに決めた。だが、ハーリオン家への疑惑とお前の結婚は別の問題だ。アーネストが罰を受けても受けなくても、お前を王女の夫にと陛下が決めたのなら、お前はジュリアと婚約解消し、ブリジット様と婚約することになる」
「俺の意思は関係ないのですか?ジュリアと俺は、ずっと一緒にいようって……」
「諦めろ、アレックス。……俺だって辛い」
絞り出すような掠れた声。父上は大きな手で顔を覆い、肩を震わせていた。
◆◆◆
王立学院の自室に戻るまで、俺はどこを歩いていたか分からない。廊下で誰かに声をかけられたが、無視してしまった気がする。景色がぼんやりして、音がざわざわとしか聞こえなくて、何もできず、何もする気が起きなかった。
ジュリアと一緒に過ごしたこの七年間を、全部なかったことにしろと言うのだろうか。父上は騎士団長で、我が家は侯爵家だ。国王陛下の命令に背けるわけがない。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
エレノアが俺を促して椅子に座らせた。彼女が紅茶を用意している間に、ふとテーブルを見ると、見覚えのない一冊の本が置いてある。
「『愛の逃避行~最果ての地に祝福の鐘は鳴る~』?小説か?」
題名を読み上げた俺の前を、本が高速で通過し、ぱっとエレノアのエプロンに隠される。
「申し訳ございません。少し時間があると思い、読んでおりましたので……」
真っ赤になって俯いた。どうやら女性向けの恋愛小説のようだ。
「隠さなくてもいいよ。エレノアは働きすぎだから、俺がいない間に読書でもして休んでほしい」
「ありがとうございます」
愛の逃避行か。どんな話なのだろう?何故かとても気になった。
「ねえ、エレノア。その本、どんな話なの?」
「これは……その……」
「恥ずかしがらないで教えてよ」
「結婚を反対された騎士と令嬢が、駆け落ちして二人だけで最果ての地リングウェイを目指すのです。そこには誰でも結婚が許される教会があって……」
「誰でも?」
食い気味に問いかけると、エレノアは後ろに引いた。
「ええ、誰でもいいそうです。本当にそういう教会があるのか、私は存じませんが」
「そうか……いざとなったら……」
「坊ちゃん?」
「何でもない。疲れたから少し部屋で休むよ」
立ち上がって奥の部屋に行き、使われていない書棚を眺める。地理の本を開いてグランディア北部の地名に目を走らせる。
――あった。リングウェイだ。
物語に出てきた最果ての地は確かに地図にある。それだけを確認して、俺は棚に本を戻した。
父上の姿を探し、居間と寝室を覗いて、最後に書斎に飛び込む。
思った通り、父上は書斎で胸に青銅製の馬の置物を抱えて、秒速腹筋を繰り返していた。自分でどうにもならないことが起こると、父上は普段よりきつい練習をして忘れようとするのだ。今まさにそういう状況なのだろう。
「父上、戻りました」
「はっ、ふん!ふん!くぅっ!」
「父上、お話は……」
「はっ、はっ、はっ……」
「父上!いい加減にしてください!」
馬の置物を奪いテーブルの上に置いた。思ったより重く、片手で持つと痺れそうだった。父上はあれほど筋肉があるのに、こんな負荷をかけて訓練する意味があるのだろうか。
「アレックス……」
起き上がって俺を見つめる父上の瞳は、何故か既に潤んでいる。嫌だ、悪い予感しかしない。
「パーシーに会って、皆がハーリオン家の領地へ向かうと聞きました。何が起こっているんですか?騎士団が直接行って調べなければならないほどのことなんですか」
「……俺じゃない。騎士団に指示を出したのは、……そりゃあ俺だが、行けと命じたのは国王陛下だ。ステフ……陛下もフレディの奴も、アーネストを犯人扱いしやがってよぅ」
「父上は違うと考えているんですね」
「当たり前だ。俺はアーネストから直接話を聞くまでは、白黒つけらんねえと思ってる。売ったらいけない品物?をアスタシフォンに持ってって売ったからって、知らないでやってたらどうする?王太子殿下とレイモンド、それにお前と魔導師団長のところの孫が、それぞれ娘と婚約したからって、どうして権力を欲しがってる証拠になるんだ?あいつは何度、要職に就くよう説得されても折れなかったんだぞ。俺は納得できないんだ」
ダン!
勢いよく叩いた机の上で、インク瓶が転がって染みを作った。手紙を書くことがなく殆ど使われていないからか、インクは乾いており零れた量はほんの少しだ。
「陛下はマリナを王太子殿下の婚約者、じゃなくて妃候補か?それから外すと言った。フレディの奴も、息子にアリッサとの婚約を考え直せと手紙を書くと言っていた。考え直せってことは、まあ、婚約解消しろと迫っているようなもんだろうな。そんで、俺に……」
父上はぐっと拳を握った。このまま振り下ろしたら、また何かが壊れる気がする。
「ハーリオン家が騎士団や軍を影響下に置くのはよろしくないとか言いやがって、お前とジュリアの婚約を解消しろと」
――婚約を、解消?
俺は何度か頭の中で繰り返してみた。よく分からない。
「驚くのも無理はない。俺だって考えられなかった。お前達は小さい頃から仲が良かったし、これ以上の縁組などあり得ないだろう。俺は反対したよ。だがな……魔導師団長のエンウィ家のように、結婚相手は魔導士に限るってわけでもないし、うちは騎士を妻にしなくてもいい。アンジェラは騎士じゃないしな。そこを突かれた形だ」
「父上、俺は……」
「俺は断れなかったんだ。お前をブリジット様の婚約者にしてやるから、ジュリアとの婚約は解消しろと言われては……」
――嘘だろう?
まだ四歳かそこらのブリジット様を俺の婚約者に?王女を降嫁させるとなれば、他の縁談を断らなければならない。陛下はそこまでして、俺とジュリアを別れさせたいのか。
「アーネストが悪事を働いた証拠なんて、どこを探しても出てこないだろうさ。俺はあいつの無実を証明するために、騎士団を動かすことに決めた。だが、ハーリオン家への疑惑とお前の結婚は別の問題だ。アーネストが罰を受けても受けなくても、お前を王女の夫にと陛下が決めたのなら、お前はジュリアと婚約解消し、ブリジット様と婚約することになる」
「俺の意思は関係ないのですか?ジュリアと俺は、ずっと一緒にいようって……」
「諦めろ、アレックス。……俺だって辛い」
絞り出すような掠れた声。父上は大きな手で顔を覆い、肩を震わせていた。
◆◆◆
王立学院の自室に戻るまで、俺はどこを歩いていたか分からない。廊下で誰かに声をかけられたが、無視してしまった気がする。景色がぼんやりして、音がざわざわとしか聞こえなくて、何もできず、何もする気が起きなかった。
ジュリアと一緒に過ごしたこの七年間を、全部なかったことにしろと言うのだろうか。父上は騎士団長で、我が家は侯爵家だ。国王陛下の命令に背けるわけがない。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
エレノアが俺を促して椅子に座らせた。彼女が紅茶を用意している間に、ふとテーブルを見ると、見覚えのない一冊の本が置いてある。
「『愛の逃避行~最果ての地に祝福の鐘は鳴る~』?小説か?」
題名を読み上げた俺の前を、本が高速で通過し、ぱっとエレノアのエプロンに隠される。
「申し訳ございません。少し時間があると思い、読んでおりましたので……」
真っ赤になって俯いた。どうやら女性向けの恋愛小説のようだ。
「隠さなくてもいいよ。エレノアは働きすぎだから、俺がいない間に読書でもして休んでほしい」
「ありがとうございます」
愛の逃避行か。どんな話なのだろう?何故かとても気になった。
「ねえ、エレノア。その本、どんな話なの?」
「これは……その……」
「恥ずかしがらないで教えてよ」
「結婚を反対された騎士と令嬢が、駆け落ちして二人だけで最果ての地リングウェイを目指すのです。そこには誰でも結婚が許される教会があって……」
「誰でも?」
食い気味に問いかけると、エレノアは後ろに引いた。
「ええ、誰でもいいそうです。本当にそういう教会があるのか、私は存じませんが」
「そうか……いざとなったら……」
「坊ちゃん?」
「何でもない。疲れたから少し部屋で休むよ」
立ち上がって奥の部屋に行き、使われていない書棚を眺める。地理の本を開いてグランディア北部の地名に目を走らせる。
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