ツンデレ貴公子は守備範囲外なので悪役令嬢に押し付けたい

青杜六九

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乙女ゲーム以前

泥沼 -side C-

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「……あれ、何かしら?」
「お嬢様、どうか……」
「私でも無理かもしれないわよ。お兄様、さっきからピクリとも動かないもの」
部屋の入口で、ビビアナと侍女が話している。
僕はベッドに横になったまま、シーツに涙の湖を作っていた。左目から出た涙が右目に入り、そのまま下へ流れて行く。
もう、何もかも、どうでもいい。

「何があったの?お兄様」
空気を読まない実の妹は、僕の身体から毛布を取り去った。剥がした毛布は侍女が受けとり、丁寧に畳んでいく。
「……手紙が、来たんだ」
「まあ!よかったわね、お返事が来て」
「……エレナは、僕を……諦めているんだ」
「は?」
妹は眉間に皺を寄せ、顔を傾けて僕を睨んだ。
「エレナの心には僕の居場所なんかなくて、僕の態度に呆れているんだよ」
「それはそうでしょうね。お兄様のしてきたことを思えば」
はっきり言いすぎだよビビアナ。少しはオブラートにくるんでくれ。
「ううう……」
「返信があっただけマシでしょう?」
「差出人を書き忘れたんだ。急いで封筒に入れたから、文面の名前も滲んでしまって、エレナは僕だと知らないまま返事をくれたんだよ」
「うわー……」
いつも通りの残念なものを見る目を向けられた。最早慣れっこだ。

引き出しからエレナの手紙を出し、ビビアナに見せた。
「僕から来た手紙なら暖炉にくべるように言ったそうだよ。嫌われているんだ、僕は」
「嫌われていると自覚してこなかったほうがおかしいわ」
「ビビアナ……」
身体を起こして正座をして妹を見た。
「手紙を出すに当たって、いろいろ考えたんだ。僕はエレナを幸せにしたいと思っているのに、自分の気持ちを素直に伝えられない。頑張って書いた手紙も、凡ミスで台無しにしてしまったんだ」
「ミス……か……」
「?」
「お兄様、謎の男のまま文通を続けたらいいわ。エレナに酷いことを言ってしまったら、それとなくフォローするのよ」
「どうやって?クラウディオはそんなつもりで言ったんじゃないって書いたら、僕が書いたってバレてしまうじゃないか」
「その場に居合わせた参加者の誰かを装うのよ。お兄様とエレナ様が一対一の時は流石にフォローできないけれど、誰かがいる場なら、『クラウディオはこう言いたかったんだと思う』って書けるでしょう?略して、『お兄様の心無い一言で傷ついたエレナ様の心を慰める優しい恋人からの手紙作戦』よ!」
「略した割に長いね」
「じゃあ、短くするわ。『おこきえこなやこて』?」
「……ごめん、言いにくいからやめておこうか」
「おばあ様の誕生日までに、きちんと誤解を解くのよ?お兄様はエレナ様の前では緊張してしまうけれど、本当は大好きなんだって」
「だいす……」
かあっと赤くなった僕を指で突き、ビビアナは悪い笑みを浮かべた。
「お父様はお兄様の婚約者として正式にエレナ様をお披露目するって言ってたわ。このへんでしっかり心を掴んでおかないと」

   ◇◇◇

エレナへ

今度おばあ様の誕生パーティーがある。
お前も来い。必ずだ。
別にお前の顔が見たいんじゃないぞ。
来たくなくても来い。

クラウディオ

   ◇◇◇

「だから、お兄様……」
ビビアナは額に手を当てて俯いた。
「ビビアナ、僕には無理だった。名前を明かすと思っただけで、小説で学習した素敵な言葉がどこかへ飛んで行ってしまうんだ。意気地なしだと笑ってくれ」
「やーい、意気地なし、意気地なしぃ。あははははははは」
喉の奥が見えそうなくらい大口を開けて、ビビアナは僕を指さして笑った。
「言われた通りにしなくてもいいじゃないか、酷いよ」
「お兄様ってつくづく残念ね。三つも下の令嬢相手に緊張して」
「仕方ないだろう。次に絶叫されて拒否されたらと思うと……上から目線を崩せないんだ」
「返事は来ないものと思った方がいいわ。エレナ様が渋っても、伯爵様に出席させられるでしょうけど。それで?熱烈な恋文はどうするの?」
「続けるよ。エレナの警戒心を解いて、悩みを聞き出したい」
「あら、悩みなんてお兄様が酷いってことだけでしょうよ」
「言わないでくれ……」

   ◆◆◆

王宮に呼ばれ、王太子セレドニオ殿下と話をする機会があった。ビビアナと幼馴染のルカも一緒だ。この仲間だと緊張しないんだけどなあ。
「クラウディオは恋愛小説を読むんだって?」
「あ、そう……です」
この人は距離感をどうとったらいいか分からない。同じ歳だからと馴れ馴れしくするのも、相手が王族だからな。
「私も結構読むんだよ。面白いよね、略奪もの」
「は、ええ?略奪、ですか?」
「そうだよ。恋人がいるヒロインを自分の魅力に酔わせて陥落する……いいね、あれ」
セレドニオ殿下は恋人がいる令嬢が好みなのだろうか。隣の芝生は青いってやつだな。他人の趣味趣向にとやかくいう気はないけれど、エレナを取られないように用心しなくては。
「殿下は自信がおありなのでしょうね」
この国の王太子で輝く美貌の持ち主だ。靡かない令嬢はいないだろう。
「勿論だよ。私は狙った獲物は逃さないつもりだからね。……ところで、近々先代の公爵夫人の誕生日なんだって?おいくつになられるのかな」
「はい。祖母は今年六十歳になります」
「君の婚約を発表するって聞いたよ」
「……はい。そのつもりです」
嫌な展開だな。殿下の目が光った気がする。
「婚約者はエレナ嬢だよね?そのうち王宮に連れてきてくれないかな。話してみたい」
「お断りします。……エレナは、その……人見知りなので」
僕と初対面で絶叫したんだぞ。王太子殿下相手じゃ卒倒する。
「ふう……残念だよ。きっと可愛い子なのだろうね。独占したい気持ちは分からないではないが、一人占めするのはよくないと思うよ」
セレドニオ殿下は僕の目をじとっと睨んだ。

「お兄様、厄介なことになったわね」
王宮からの帰り道はいつも、ビビアナとの反省会だ。
「セレドニオ様は、お兄様がエレナ様を大事に思っていると気づいてしまわれたわ。殿下は誰かに愛されている方を好きになるようね」
「そうなんだね……僕はとんでもないことを……」
「他にも気になるご令嬢はいるようだけれど、エレナ様が気になったのは事実よ。パーティーでお声をかけられるでしょう」
「どうしよう、ビビアナ……。あの殿下に言い寄られたら、エレナだってよろめくよね」
「よろめくもなにも、お兄様とは確かな絆なんてないでしょう?磁石で吸い寄せられる鉄くずみたいに簡単にくっついてしまうわ」
「そんな……」
頭を抱えて俯くと、脳天目がけてビビアナのチョップが降ってきた。
「痛い、やめて」
「うじうじしてると、他の誰かに取られるわよ。殿下だけじゃなく、他にもエレナ様を狙ってる男はたくさんいるんだから」
「僕という婚約者がいるのに?」
「まだ正式発表していないんだもの。エレナ様にはまだ選ぶ権利があるわ。婚約を発表したからって、お兄様の立場は安泰ではないのよ」

   ◇◇◇

可愛いエレナへ

君は僕の至上の宝石だ。
誰にも渡したくない。
愛している。

   ◇◇◇

想いが溢れて、僕はエレナに手紙を書いた。
返事は早かった。それだけで満たされた気がする。
ビビアナと一緒に彼女からの返事を見るのは恥ずかしいが、思い切って封を開けた。

   ◇◇◇

ななしのごんべえ様

誰にも渡さないって、何様のつもりなの?
私は誰の物でもありません。
もう手紙を寄越さないでください。

   ◇◇◇

「……」
「……ぐす」
鼻をすすった僕の後頭部に、妹のツッコミが炸裂した。
ビビアナ、今、グーで殴ったよね?
「何泣いてるの!」
「うう、渾身のラブレターだったのに……」
「はい、泣かない泣かない」
「一つだけいいことがあったとすれば、僕に可愛い名前をつけてくれたことかな」
「『ななしのごんべえ』が可愛いの?」
「可愛くない?」
「可愛くないわ。……終わったわね。手紙も拒否されて」
「どうしてかな?素直な気持ちを書いたんだよ?」
素直な気持ちも完全に拒絶された。
僕はエレナを可愛いと思っているし、王太子殿下にも誰にも渡したくない。
ありのままでしかないのだ。
「お兄様の手紙が気持ち悪いからでしょう?知らない奴にいつも見ているとか僕のものだとか言われたら、悪寒が走る以外の何物でもないわよ」
「心を蕩かすようなセリフを勉強して手紙を書けって言ったのはビビアナだろう?酷いよ、見捨てるなんて」
「私はお兄様の口から直接エレナ様に伝えるべきだと思うわよ。おばあ様の誕生会で、きちんと伝えるの。もう他に道はないわ」
「直接……」
「ここで決められなかったら、お兄様は永遠に意気地なしのままよ。エレナ様を見たら緊張するなら、見ないようにすればいいわ」
「見ないなんて無理だよ。目で追っちゃうんだから」
「私に任せて!」
唇に人差し指を当て、ビビアナは軽くウインクをした。
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