25 / 49
第三章「少女の決意と魔族の影」
刻印の魔法(マーキング)
しおりを挟む
翌日の朝。木々に残った朝露が朝日を浴び煌めくなか、鈴蘭亭の前に一台の馬車が止まった。
二頭立てのそこそこ立派な造りの馬車で、箱型にしつらえた乗車部分の小窓には、赤いカーテンがかけられている。
「すいません、お待たせしました。コノハ・プロスペロ様と、ご友人の方で間違いないですか?」と、御者台に座る男が話しかけてくる。年の頃は二十代後半ほどで、身なりの良い銀髪の青年だ。
「はい。ロイスさんの使いの方で間違いないですか?」
直ぐに仕事の話になると考えたわけでもないが、万一の時は即座に動けるようにと、コノハたちは愛用の鎧を着こんでいた。もし武装解除を要求されたらその時応じればいいだろう、と思っていた。
「おや……? 確か四人とうかがっていましたが」
「ちょいと急な日程だったからね。二人はちょっと都合がつかなかった」
リンの言葉に青年はしばし考えこんだのち、「そうですか、わかりました」告げて馬車の扉を開ける。
青年にエスコートされ、二人は馬車に乗り込んだ。
「おはよう、コノハ」
馬車の中には、如何にもよそ行き、という洒落た衣服に身を包んだカノンが乗っていた。フリルのあしらわれた白いブラウスに、チェック柄のミニスカート。可愛い、とコノハが手を叩いて賛辞の声を送る。
「やっぱり、カノンも呼ばれてたんだな」とリンが言うと、「ごめん、伝えてなかったねそういえば」とコノハが決まり悪そうな顔になる。
「いや。別に構わないんだが」
むしろリンは、心のどこかで安堵していた。流石に俺らだけじゃ、ロイスとかいう初対面の青年と会っても会話が続かなそうだ。というか、はっきり言ってなんか気まずい。
「それにしても、カノンも隅に置けないな。十五歳にして彼氏持ちか。モテる女は違うね」
静かに動き始めた馬車の中、リンがカノンを冷やかした。
「からかわないで下さい、リンさん。偶然です。神殿に礼拝にやって来た彼に、たまたま声をかけられただけ」
「たまたま、ねえ」
それは意図的なものだろう、という言葉をリンは言わずに飲み込む。ま、カノンは可愛いっちゃー可愛いからな。見た目は多少地味でこそあるが、スタイルはいいし目鼻立ちもしっかりしてる。
そうこうしているうちに、馬車は街を離れて街道に出たようだった。
馬車の中にまで聞こえていた街の喧噪が止み、伝わってくる揺れが大きくなったことから、整備された石畳の街を離れたのはわかった。
わかった、とか、ようだった、という表現になるのには理由があって、三人の目には先ほどから外の景色が見えていない。馬車の窓は全てカーテンの上から木の板が打ち付けてあり、外が見えないのだ。
「なあ、カノン」
「はい」
「お前の彼氏の屋敷って、街を出て北側で合ってるのか?」
リンの質問に、カノンはうーんと唸って首を傾げる。
「実は、行ったこと無いんですよ」
「行ったことがない?」
驚いたように目を丸くしてコノハが口を挟んだ。
「あ……うん。だって、まだ交際して一ヶ月くらいだし。彼も基本的に、こっちの宿に滞在していることが多かったし」
「ん~……」
そういうものなのかな、とコノハは思う。でも、異性と交際した経験のない彼女には、これといった答えは出せそうにない。一ヶ月で交際相手の家に行くのは早い気もするし、問題は時間じゃない、という気も同時にした。でも。
「それはそうと、なんで外見られないのかな」
「閉じ込められているのと、同じ状態だよね」
カノンにそう言われると、いよいよコノハは気になり始めた。手紙や筆跡におかしな点はなかったと思う。馬車に乗るとき武器を取り上げられなかったし、とあまり警戒はしてなかったが、次第に不信感が増してくる。
正直、ひと暴れでもしたら馬車を強引に止めることは容易だろう。でも、本当にフロイド家の使いだった場合、申し開きのしようがない。とにもかくにも、馬車が正式な使いかどうか分かるまで、動きようがないのだ。
「たぶん、間に合わせの馬車だったんだよ」
「だといいがな」
相変わらず楽観的なコノハの意見を、複雑な顔でリンが一蹴する。カノンは何も答えずただ俯いていた。
うん、そうだよ。ちょっと深く考えすぎているだけ。こんなの私らしくない。
コノハは指折り数えてみる。
馬車がちょっとだけ胡散臭くて、手紙の呼び出しが突然で、向かっている場所が、恋人であるカノンすら行ったことのない屋敷。
あれ? とコノハは首を傾げる。
もしかして、やっぱりこれは胡散臭い?
んーと唸り声を上げたコノハの隣で、カノンが小声で魔法の詠唱を始める。
「カノン?」
「刻印の魔法」
カノンの手のひらから鈍い光を放つ黄色の光源が生まれると、彼女は右手を振って、それを馬車の外に飛ばした。狙った座標に固定して、光と魔力反応を一定時間放ち続ける連絡用の魔法だった。わかり易くいうと、狼煙、もしくは目印のようなもの。
「気付かれたかな?」
カノンは声を潜めて御者台のある方角に顔を向けるが、特に妙な動きはなかった。ほっと彼女は胸を撫で下ろす。
「そっか、一応の目印か。シャンかオルハが気付いてくれるといいけど」
コノハの呟きに、カノンが「だね」と同意した。やっぱり、胡散臭いと思ってるのは私だけじゃないんだ、とコノハは心中で思う。その証拠にリンも、怪しい音を聞き逃すまいと先程から馬車の外から入って来る音に耳を澄ませている。
数時間が過ぎ軽めの食事を済ませた時、不意に馬車が進行方向を変えた。さっきまでガタガタいっていた車輪の音が小さくなると同時に、揺れが少し大きくなった。
「街道から外れたね」
リンが腰を浮かし、馬車の壁に耳を当てる。整備されていない道に移ったのは、不規則な揺れに変わったことからも明らかだ。
「そろそろ、目的地が近いのかな」というコノハの問いに、「たぶんね」とリンが答える。
そのまましばらく馬車は走った。朝出発してから約半日、秋の気配感じる肌寒さが身にしみ始めた頃、馬車は静かに停止した。周囲から目立った音は聞こえてこない。
お疲れ様、到着しましたよ、と言って、御者の青年が扉を開けてくれた。
なにかあっても対応できるようにと、リン、コノハ、カノンの順で、気を配りながら馬車から降りる。
既に日は翳っており、冷え込んだ大気が肌を刺激する。身震いをしてから、コノハは左右に視線を配った。
到着するまでに、坂を登る感覚があった。高い木々で周囲を囲まれている様子から、山の中なのは間違いなさそう。木陰の隙間から覗く空は夕暮れ色。一番星が瞬いていた。
「こちらです」
という青年の声に導かれ向けた視線の先には、外壁にやや痛みこそあるものの、立派な造りの洋館が建っていた。
二階部分には大き目のバルコニーと、意匠のされた窓が複数見受けられる。そこまで大きくは無いが、裕福な貴族の館、という雰囲気があった。
「主人が皆様をお待ちしております。どうぞ中へ」
促され、三人は屋敷の方に向かう。一様に、少し緊張した面持ちをしながら。
*
ブレストの街の裏通り。
日中でも日陰になり人通りの少ない路地裏に、盗賊ギルドの支部がある。コノハたち三人がブレストの街を出立したのち、オルハはこの場所を訪れていた。
冒険者たちを管理するべく冒険者の店があるように、盗賊たちを管理する組織も存在しており、それが盗賊ギルドなのである。盗賊と一口に言っても、オルハのような冒険者もいれば、密偵・情報収集や暗殺といったきな臭い仕事をする者たちもいる。ゆえに、盗賊ギルドはあまり人目に付き難い場所にあるのが慣例だ。
表向き飲食店にしか見えない入口をくぐり、入って直ぐの扉を開け地下へと続く階段を足音を立てず下りていく。もっとも足音を消しているのは意図的なものではなく、盗賊としての本能のようなものだが。
下りきった先にある長い廊下。幾つか見える扉の一つに、彼女は入っていった。
「おう、来たか」
と頭の禿げあがった男が声を掛けてくる。壁際に置かれた棚に無数の書類が詰め込まれたこじんまりした部屋。男とテーブルを挟んでオルハは席に着いた。
「……それにしても、今日はどういった用件なのですか? 突然呼び出しをくらったので、友人との小旅行がキャンセルになってしまいました」
本気とも冗談ともつかぬ声でオルハが軽口を叩く。こりゃすまんな、と男がひそめた声で笑った。
「お前さんに、少々頼みたいことがあってな」
「……頼みたいこと?」
「そう。この街でも指折りの冒険者グループに所属しているお前を見込んでの頼みだ。知っているかもしれないが、ここ最近、隣国であるディルガライスから複数の密偵が紛れ込んできている」
確かにオルハは知っていた。
ディルガライス帝国とエストリア王国は現在休戦状態にあるが、エストリア側から経済制裁を行ったことが過去にあり、ディルガライス側に再び宣戦布告の動きがあるという先日の話通り、関係はまったくもって良好ではない。小競り合いや陰謀といったいさかいも絶えず、密偵が入ってきていてもなんら不思議ではない。
その件で、つい先日もオルハはこの場所を訪れていた。
ルティスを拾ったその日の夜に、ディルガライス帝国と繋がりがありそうな人物のリストを見せてもらい、『ルティス』という名前がないか確認をしていたのだ。無論、本名かどうかすら分かっていなかったし、なんの情報もその時は得られなかったのだが。
「……まあ、それはそうでしょうね。ですが、今現在あの国は、それどころじゃないのでは?」
どうしてこのタイミングで密偵の話題が、とオルハが首をかしげる。
「そうだな。俺も、こんな状況下では、積極的な動きを見せることもないだろうと、高を括っておった。ところが」
「……むしろ逆、とでも?」
そこまでじゃないが、と首を振ったのち、男は一枚の羊皮紙を机の上に置きオルハの方に差し出した。
「ディルガライスから入国してくる犯罪者の数は、たいして減っていない。どうやら国内にいる貴族階級の何人かが、入国後の世話や手引きをしているらしい。そこで俺らが調査した結果、怪しいと思われる人物が何人かあがった」
「……それが、このリストですか」
「うむ。特に怪しいと思われる者には、すでに密偵をつけている。だが、いかんせん手が回らない。そこでお前さんに、そのうちの一人でもいいから調査してもらえんかと思ってな」
「……なるほど。呼び出された背景は飲み込めました」
そこには、何人かの名前が記されていたが、その中に知っている名前を見つけ、オルハは息を呑んだ。
「どうした?」
「……あ、いえ」
オルハが視線を落とした紙の上、確かにこう書かれてあった。
──ロイス・フロイド。活動拠点の提供および、情報漏えいの疑い。
二頭立てのそこそこ立派な造りの馬車で、箱型にしつらえた乗車部分の小窓には、赤いカーテンがかけられている。
「すいません、お待たせしました。コノハ・プロスペロ様と、ご友人の方で間違いないですか?」と、御者台に座る男が話しかけてくる。年の頃は二十代後半ほどで、身なりの良い銀髪の青年だ。
「はい。ロイスさんの使いの方で間違いないですか?」
直ぐに仕事の話になると考えたわけでもないが、万一の時は即座に動けるようにと、コノハたちは愛用の鎧を着こんでいた。もし武装解除を要求されたらその時応じればいいだろう、と思っていた。
「おや……? 確か四人とうかがっていましたが」
「ちょいと急な日程だったからね。二人はちょっと都合がつかなかった」
リンの言葉に青年はしばし考えこんだのち、「そうですか、わかりました」告げて馬車の扉を開ける。
青年にエスコートされ、二人は馬車に乗り込んだ。
「おはよう、コノハ」
馬車の中には、如何にもよそ行き、という洒落た衣服に身を包んだカノンが乗っていた。フリルのあしらわれた白いブラウスに、チェック柄のミニスカート。可愛い、とコノハが手を叩いて賛辞の声を送る。
「やっぱり、カノンも呼ばれてたんだな」とリンが言うと、「ごめん、伝えてなかったねそういえば」とコノハが決まり悪そうな顔になる。
「いや。別に構わないんだが」
むしろリンは、心のどこかで安堵していた。流石に俺らだけじゃ、ロイスとかいう初対面の青年と会っても会話が続かなそうだ。というか、はっきり言ってなんか気まずい。
「それにしても、カノンも隅に置けないな。十五歳にして彼氏持ちか。モテる女は違うね」
静かに動き始めた馬車の中、リンがカノンを冷やかした。
「からかわないで下さい、リンさん。偶然です。神殿に礼拝にやって来た彼に、たまたま声をかけられただけ」
「たまたま、ねえ」
それは意図的なものだろう、という言葉をリンは言わずに飲み込む。ま、カノンは可愛いっちゃー可愛いからな。見た目は多少地味でこそあるが、スタイルはいいし目鼻立ちもしっかりしてる。
そうこうしているうちに、馬車は街を離れて街道に出たようだった。
馬車の中にまで聞こえていた街の喧噪が止み、伝わってくる揺れが大きくなったことから、整備された石畳の街を離れたのはわかった。
わかった、とか、ようだった、という表現になるのには理由があって、三人の目には先ほどから外の景色が見えていない。馬車の窓は全てカーテンの上から木の板が打ち付けてあり、外が見えないのだ。
「なあ、カノン」
「はい」
「お前の彼氏の屋敷って、街を出て北側で合ってるのか?」
リンの質問に、カノンはうーんと唸って首を傾げる。
「実は、行ったこと無いんですよ」
「行ったことがない?」
驚いたように目を丸くしてコノハが口を挟んだ。
「あ……うん。だって、まだ交際して一ヶ月くらいだし。彼も基本的に、こっちの宿に滞在していることが多かったし」
「ん~……」
そういうものなのかな、とコノハは思う。でも、異性と交際した経験のない彼女には、これといった答えは出せそうにない。一ヶ月で交際相手の家に行くのは早い気もするし、問題は時間じゃない、という気も同時にした。でも。
「それはそうと、なんで外見られないのかな」
「閉じ込められているのと、同じ状態だよね」
カノンにそう言われると、いよいよコノハは気になり始めた。手紙や筆跡におかしな点はなかったと思う。馬車に乗るとき武器を取り上げられなかったし、とあまり警戒はしてなかったが、次第に不信感が増してくる。
正直、ひと暴れでもしたら馬車を強引に止めることは容易だろう。でも、本当にフロイド家の使いだった場合、申し開きのしようがない。とにもかくにも、馬車が正式な使いかどうか分かるまで、動きようがないのだ。
「たぶん、間に合わせの馬車だったんだよ」
「だといいがな」
相変わらず楽観的なコノハの意見を、複雑な顔でリンが一蹴する。カノンは何も答えずただ俯いていた。
うん、そうだよ。ちょっと深く考えすぎているだけ。こんなの私らしくない。
コノハは指折り数えてみる。
馬車がちょっとだけ胡散臭くて、手紙の呼び出しが突然で、向かっている場所が、恋人であるカノンすら行ったことのない屋敷。
あれ? とコノハは首を傾げる。
もしかして、やっぱりこれは胡散臭い?
んーと唸り声を上げたコノハの隣で、カノンが小声で魔法の詠唱を始める。
「カノン?」
「刻印の魔法」
カノンの手のひらから鈍い光を放つ黄色の光源が生まれると、彼女は右手を振って、それを馬車の外に飛ばした。狙った座標に固定して、光と魔力反応を一定時間放ち続ける連絡用の魔法だった。わかり易くいうと、狼煙、もしくは目印のようなもの。
「気付かれたかな?」
カノンは声を潜めて御者台のある方角に顔を向けるが、特に妙な動きはなかった。ほっと彼女は胸を撫で下ろす。
「そっか、一応の目印か。シャンかオルハが気付いてくれるといいけど」
コノハの呟きに、カノンが「だね」と同意した。やっぱり、胡散臭いと思ってるのは私だけじゃないんだ、とコノハは心中で思う。その証拠にリンも、怪しい音を聞き逃すまいと先程から馬車の外から入って来る音に耳を澄ませている。
数時間が過ぎ軽めの食事を済ませた時、不意に馬車が進行方向を変えた。さっきまでガタガタいっていた車輪の音が小さくなると同時に、揺れが少し大きくなった。
「街道から外れたね」
リンが腰を浮かし、馬車の壁に耳を当てる。整備されていない道に移ったのは、不規則な揺れに変わったことからも明らかだ。
「そろそろ、目的地が近いのかな」というコノハの問いに、「たぶんね」とリンが答える。
そのまましばらく馬車は走った。朝出発してから約半日、秋の気配感じる肌寒さが身にしみ始めた頃、馬車は静かに停止した。周囲から目立った音は聞こえてこない。
お疲れ様、到着しましたよ、と言って、御者の青年が扉を開けてくれた。
なにかあっても対応できるようにと、リン、コノハ、カノンの順で、気を配りながら馬車から降りる。
既に日は翳っており、冷え込んだ大気が肌を刺激する。身震いをしてから、コノハは左右に視線を配った。
到着するまでに、坂を登る感覚があった。高い木々で周囲を囲まれている様子から、山の中なのは間違いなさそう。木陰の隙間から覗く空は夕暮れ色。一番星が瞬いていた。
「こちらです」
という青年の声に導かれ向けた視線の先には、外壁にやや痛みこそあるものの、立派な造りの洋館が建っていた。
二階部分には大き目のバルコニーと、意匠のされた窓が複数見受けられる。そこまで大きくは無いが、裕福な貴族の館、という雰囲気があった。
「主人が皆様をお待ちしております。どうぞ中へ」
促され、三人は屋敷の方に向かう。一様に、少し緊張した面持ちをしながら。
*
ブレストの街の裏通り。
日中でも日陰になり人通りの少ない路地裏に、盗賊ギルドの支部がある。コノハたち三人がブレストの街を出立したのち、オルハはこの場所を訪れていた。
冒険者たちを管理するべく冒険者の店があるように、盗賊たちを管理する組織も存在しており、それが盗賊ギルドなのである。盗賊と一口に言っても、オルハのような冒険者もいれば、密偵・情報収集や暗殺といったきな臭い仕事をする者たちもいる。ゆえに、盗賊ギルドはあまり人目に付き難い場所にあるのが慣例だ。
表向き飲食店にしか見えない入口をくぐり、入って直ぐの扉を開け地下へと続く階段を足音を立てず下りていく。もっとも足音を消しているのは意図的なものではなく、盗賊としての本能のようなものだが。
下りきった先にある長い廊下。幾つか見える扉の一つに、彼女は入っていった。
「おう、来たか」
と頭の禿げあがった男が声を掛けてくる。壁際に置かれた棚に無数の書類が詰め込まれたこじんまりした部屋。男とテーブルを挟んでオルハは席に着いた。
「……それにしても、今日はどういった用件なのですか? 突然呼び出しをくらったので、友人との小旅行がキャンセルになってしまいました」
本気とも冗談ともつかぬ声でオルハが軽口を叩く。こりゃすまんな、と男がひそめた声で笑った。
「お前さんに、少々頼みたいことがあってな」
「……頼みたいこと?」
「そう。この街でも指折りの冒険者グループに所属しているお前を見込んでの頼みだ。知っているかもしれないが、ここ最近、隣国であるディルガライスから複数の密偵が紛れ込んできている」
確かにオルハは知っていた。
ディルガライス帝国とエストリア王国は現在休戦状態にあるが、エストリア側から経済制裁を行ったことが過去にあり、ディルガライス側に再び宣戦布告の動きがあるという先日の話通り、関係はまったくもって良好ではない。小競り合いや陰謀といったいさかいも絶えず、密偵が入ってきていてもなんら不思議ではない。
その件で、つい先日もオルハはこの場所を訪れていた。
ルティスを拾ったその日の夜に、ディルガライス帝国と繋がりがありそうな人物のリストを見せてもらい、『ルティス』という名前がないか確認をしていたのだ。無論、本名かどうかすら分かっていなかったし、なんの情報もその時は得られなかったのだが。
「……まあ、それはそうでしょうね。ですが、今現在あの国は、それどころじゃないのでは?」
どうしてこのタイミングで密偵の話題が、とオルハが首をかしげる。
「そうだな。俺も、こんな状況下では、積極的な動きを見せることもないだろうと、高を括っておった。ところが」
「……むしろ逆、とでも?」
そこまでじゃないが、と首を振ったのち、男は一枚の羊皮紙を机の上に置きオルハの方に差し出した。
「ディルガライスから入国してくる犯罪者の数は、たいして減っていない。どうやら国内にいる貴族階級の何人かが、入国後の世話や手引きをしているらしい。そこで俺らが調査した結果、怪しいと思われる人物が何人かあがった」
「……それが、このリストですか」
「うむ。特に怪しいと思われる者には、すでに密偵をつけている。だが、いかんせん手が回らない。そこでお前さんに、そのうちの一人でもいいから調査してもらえんかと思ってな」
「……なるほど。呼び出された背景は飲み込めました」
そこには、何人かの名前が記されていたが、その中に知っている名前を見つけ、オルハは息を呑んだ。
「どうした?」
「……あ、いえ」
オルハが視線を落とした紙の上、確かにこう書かれてあった。
──ロイス・フロイド。活動拠点の提供および、情報漏えいの疑い。
0
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
もしかして私ってヒロイン?ざまぁなんてごめんです
もきち
ファンタジー
私は男に肩を抱かれ、真横で婚約破棄を言い渡す瞬間に立ち会っている。
この位置って…もしかして私ってヒロインの位置じゃない?え、やだやだ。だってこの場合のヒロインって最終的にはざまぁされるんでしょうぉぉぉぉぉ
知らない間にヒロインになっていたアリアナ・カビラ
しがない男爵の末娘だったアリアナがなぜ?
ひめさまはおうちにかえりたい
あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編)
王冠を手に入れたあとは、魔王退治!? 因縁の女神を殴るための策とは。(聖女と魔王と魔女編)
平和な女王様生活にやってきた手紙。いまさら、迎えに来たといわれても……。お帰りはあちらです、では済まないので撃退します(幼馴染襲来編)
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる