私が文壇をおりる日

木立 花音

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私の誕生日

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 どんなに気まずい出来事があったとしても、私たちは姉弟だ。家の中では普通に顔を合わせるし、部活動でも一緒になる。
 私は努めて平静を装ったし、俊介もキスのことには触れてこなかった。あの日の出来事を水に流して、何事もなかったかのように平穏な日々を過ごした。
 顔を出す。それからも、お互いに指摘し合いながら小説を書いた。二人とも、泣かず飛ばずの日々が続いた。お互いの、どこか決定的に欠けたピースは、結局埋まらないままなのだ。
 落ち葉踏みしめる秋が過ぎ、季節はやがて冬になった。関東地方では珍しく雪が降ったその日、私はリビングのソファでくつろいでいた。テレビをぼんやり眺めていると、傍らでスマホがメッセージの着信を知らせる。画面を見ると、送り主は俊介だ。
『明後日、学校帰りに駅前の喫茶店で会えないか? 渡したいものがあるんだ』
 思わず天井を仰いだ。
 視線の先、二階にある自室に弟はいる。降りて来て直接言えばいいじゃないか。まどろっこしいな、と、と苦笑しながら返信した。『いいよ』と。
 明後日は――私の誕生日。いったい何を企んでいるのやら。そう思っていた。
 この時は、そう思っていたんだ。
「なに? いいことでもあった? 口元綻んでいる」と母の声。
「そんなわけないでしょ」
 そう。そんなわけ、ないんだ。

 迎えた明後日の天候は雨。この店で誰かと待ち合わせをすると、必ず雨になるんだよな、と店内から鈍色の空を見上げて思う。
 ところがこの日、待ち合わせ時刻を過ぎても弟は現れなかった。代わりにやって来たのは、彼からの一通のメール。『一葉』とタイトルがついたそのメールには、PDFファイルが添付されている。開くと中身は小説のプロットだ。
 なにこれ、と目を通して驚愕する。
 あらすじを少し読んだだけでわかる。これをそのまま作品にできたなら、とてつもないものが完成すると。
 どういう意味? 私へのあてつけ?
 訝しみながら本文を下までスクロールしていくと、最後にメッセージが添えられていた。

 Happy birthday SAYURI

「なんのつもり?」
 もしかして、誕生日プレゼントかなんかのつもり? こういうのが余計なお世話だって言ってんのよ! 遅刻して来るであろうあいつに不満を述べようと浮かしかけた腰は、続いて入った電話の着信で止められる。
 着信の主は、母だ。
『小百合? いまどこ? 大変なの、俊介がナイフで刺されて――』
 衝撃で、視界が暗転した。
 この日弟は、搬送された先の病院で、出血性ショックにより死亡した。享年十六。冷たい雨が降る、十二月の出来事だった。

 俊介を背中から刺した犯人は、逃走した先の路上ですぐ取り押さえられた。
 驚いたことに、犯人は六月に別れた元カレだった。私を振ったあとも私に対する気持ちを断ち切れず、いつからかストーカー好意を繰り返していたらしい。ストーカー行為に気づかなかった私が悪いのか。遠因を作った私が悪いのか。この事実が今でも心の中で澱みとなっている。
 私に別れ話を持ち掛けたとき、確かに浮気相手はいたようだ。しかしそれは、そのことを私に嫉妬して欲しい、というやけばちな気持ちも背景にあったようで、中途半端な恋心を新しい彼女に見透かされて、すぐ振られたらしい。そこまではいい。まるで私みたいな未成熟な感情で、多少は理解できるところもあるし。理解できないのは、そこから私に対するストーカー行為に転じたことや、弟を新しい彼氏だと勘違いをして妬み嫉みを募らせていたことか。私を幸せにできるのは自分だけだと負の感情を募らせていき、それがやがて俊介に対する憎悪に変わる、クリスマスイブに幸せそうな顔で歩く俊介を目撃し、突発的に犯行に及んだ。
 恨みはあった。でも、殺意はなかったんだ。そんな供述を繰り返しているらしいが、肺にまで達した傷が致命傷となって俊介は死んだ。これは紛れもない事実で覆らない。殺意の有無とかどうでもいい。言い訳なんて、聞きたくないんだ――!
 あの男とうまくやれていたら。ストーカー行為に、私が気づいていたら。今さらどうにもできない憤りを、執筆に向けることにした。彼が最後に残してくれたプロットを、形にしようと足掻く日々がそこから始まる。登場人物の背景に更なる肉付けをして、構成を見直して、いま私が持てる力のすべてを結集して作品を書いた。
 そこから半年の期間を費やし、原稿用紙四百枚で完成した作品のタイトルは『一葉』。
 私と俊介の、最初で最後となる合作である。
 この作品を応募した先の新人賞で、大賞を受賞するのがそのまた一年後の話。そこからの顛末は、皆の知るところである。

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