愛玩石

稲葉夏雲

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12話

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 彼女は改札を通って駅を出、そのまま僕が家に帰る道を完全に、全く間違えずに辿った。
 一体、何者なんだろう。

 彼女は無言で歩いた。僕の前を一寸の迷いもなく、すたすたと、しかしその片手に持った軽そうなトランクをまるでパントマイムのように空間で停止させて歩いた。
 
 僕の家まで、およそ半分の所で彼女は前を向いたまま、僕に話しかけてきた。

「僕の持っているトランク、欲しいですか?」

 と、何の脈絡もない、素っ頓狂な問いだった。

「い、いりませんよ」
「残念ですね。まあ、トランクは上げなくてもいいからいいんですけど、中身は君に無理やりにでも上げなくちゃいけません」

「無理やり? そんな大切な物なんですか」
「ええ、無理やりにでも、押し付けなければいけません」

 彼女は口調こそ全く変わらないが、その言葉は強い印象を僕に持たせたし、そもそも、言葉の持つ空気感が変化していた。

 僕がその言葉に戸惑っている中、先頭を歩くその人は、ピタッと、いきなり立ち止まった。
 いきなり止まるものだから彼女に僕は激突したが、まるで地面に根でも張ったかのように微動だにせず、そのまま横の敷地に入った。

 彼女は虎柄テープをくぐって、中には入った。
 言うまでもない、その敷地は例の三粂神社だった。

 直感的に、本能的にまずい、と思った。何故かは知らないが兎に角良くない流れだと体が語った。

「? どうしたの? 早く来てください」
「どうしたのって……こんなこの前殺人事件が起こった現場にずかずか入って行くなんて、非常識どころの騒ぎじゃない……大体、何するんですか」

「どうもしませんよ。ただあなたになんで今回みたいな、胸糞悪い事が君に起こってしまったか、それを説明するだけです」

 これでもう、ほぼ確信したのだった。
 彼女は関係者であると。

「せ、説明って、ここでいいじゃないですか。ここで話してください」
「君、自分のしたことちゃんと分かってるのかな」

 彼女は、完全に人を叱責するような口調でそういった。はっきり言って怖かった。子供の頃、近所にいた怖い年上の女性を思い出した。

「兎に角、こういう説明とか、そういうのは、場所が大切なんだよ。君、クラブの中で大切な商談されたらどう?」
「それはいやですけど……っていうか、いったい僕が何をしたって言うんですか」

「だからー、その話をこっちでしようと、そう言ってるんだよ僕は」

 僕は、僕は本当にしょうがなく、虎柄テープをくぐった。それ以外に道がなかったと言うか、彼女のその口調と態度、表情には従わなければ何かされるような、そんな不気味な空気感をくっつけていたからだ。

 僕が虎柄テープを潜ると、「こっちこっち」と僕を誘導した。

 誘導されたそこには、奇妙な照明のようなものが四、五本立てられていた。
 その照明のようなものは木製で、まるでそこら辺の大きな木の大きな枝を折ってきて地面に刺したような、粗末な作りだった。いや、作りというか、多分柄の部分はただの木の枝だろう。

 そしてその木の枝の先には電球がくくりつけられていた。
 本当に粗末な作りだった。電球のコードの処理は柄(枝)に巻き付けるだけで剥き出しで、しかもコードは全て無駄に大きい発電機に繋がっていた。

 そのオレンジ色の淡い光が作り出す空間、その中央に鎮座するようにあるのは、三粂神社のもう一つの社殿。誰が祀ってあるのか分からない社殿だった。

「これ……あなたが用意したんですか?」
「うーん……」

 彼女は目を細目にして僕を見ていた。

「君、この状況を見ても、何だかわからない?」
「いや、全く」

 分かるわけがない。

「君、彼女さんに偶然会ったんだよね。電車内で」
「はあ」
「じゃあ、なんで今日は平日なのに君は電車に乗ってたの?」
「それは仕事で……」

 僕は、言葉を続けることができなかった。嘘を貫き通すことができなかった。故に言葉の語尾はほつれ、曖昧になった。

「うん、だから君はさっきからビクビクしているのか」
「何を——」

 真逆、そんな、僕が平日の、真っ昼間に電車に乗っていた本当にの理由を知るわけがない。誰も知らない。
 なのに、なのになんで彼女はそんな含蓄のある言い方をするんだ。
 彼女は細目にした目をまた開いた。

「何をって、まあ、とりあえずこれ、どうぞ」

 彼女は、そう言って、僕にその、さっきから持っている軽そうなトランクを差し出した。
 それをなんとなく、両の手でトランクを挟み込むようにして受け取った。

 と、僕はその重さに、腰を抜かした。重いものを軽いと思って持つと人は腰を痛めるらしい。そしてひどい場合には下半身不随になるという。
 僕はその時、一歩間違えたら下半身不随になっていたかもしれない。

 彼女が片手で、いかにも軽そうな口調で、表情で差し出したそれはおよそ十キロ程はあるんじゃないだろうかという重さで、僕は持った瞬間にそのトランクを地面に落とした。

 そのトランクは如何にもヴィンテージ、高級そうな代物。落としたら彼女に殴られんじゃないかと思ったが、しかし彼女は舌をべーっと出して。

「うえー、中身、かわいそー」

 と、言った。

 中身? 中身が、何だ?

「か、かわいそうって、中身は」

 彼女はそれには答えず、目頭を押さえるのみだった。

 僕は恐る恐る、トランクの留め具を外す。そのトランクはやはり随分古いらしく、よくわからない留め具の形だった。
 僕はなんとかそれを外して、中身を覗いた。

 中には——石が、入っていた。
 そこには石が、鎮座していた。トランク中央に、でんと居座った石は、僕はその石に見覚えがあった。

 その石は、眷属石——僕が毎日の密かな楽しみにしていた石だった。柄が全く同じである。いつも見ている僕には分かるのだ。中央に大きな雲のような白い柄。端の方には真っ黒い細長い柄。
 しかもその眷属石はこの前の朝見たように、勾玉のような形になっていた。それは眷属石だと、確信めいたものを感じた。

 そこで彼女は、

「分かりますか?」
「これは、その、眷属石」

「せいかい。その石、かわいいですよね」
「かわいい?」

 今の発言、完全に気違いのそれにしか聞こえなかった。まあ収集家とか、そういう人ならそういう表現を使うだろうが、彼女の「かわいい」のニュアンスはまるで動物にでも言うような感じだった。

「ええ。ていうか、まさか、君その石が「何なのか」分からないわけでは無いよね」
「何なのか? いや、そりゃあ石じゃないんですか」
「石? へえ、あの子も馬鹿だし君も馬鹿だね」
「は——」

 彼女に馬鹿と言われる筋合いはないし、しかも……あの子?

「は? 馬鹿って、あなた会って間もないのに人に向かって失礼じゃないですか」
「ああ、ごめん。そうだね。君は馬鹿じゃない。あの子——猫守柳ちゃんが馬鹿なんだね」
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