私のドレスを切り刻んだお母様、それ国を守る結界だったので伯爵家ごと詰みです

かおるこ

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エピローグ:触れられないもの

エピローグ:触れられないもの

 朝は静かに訪れていた。王宮の高い窓から差し込む光は柔らかく、白い石床に長い影を落としている。外では衛兵の足音が規則正しく響き、遠くで鐘の音がゆっくりと空気を震わせていた。

 エルザはその光の中に立っていた。机の上には広げられた設計図。細密な線が幾重にも重なり、見る者が見れば理解できるだろう――これはもはや衣服ではない。都市規模の防衛構造、その核となる術式だ。

 指先で紙をなぞる。インクは乾いているが、そこに込められた理論はまだ生きている。かつて失われたものとは、似て非なるもの。より広く、より強く、そして――誰にも壊せないように設計されていた。

「進んでいるな」

 背後から声がした。

 振り返らずとも分かる。

「はい、殿下」

 エルザは静かに答える。

 アルベールが隣に立つ。視線は設計図に落ちている。

「以前より複雑だ」

「守る対象が増えましたので」

 淡々とした言葉。だがその奥には、確かな意思がある。

 アルベールは小さく息をつく。

「一人のための結界ではない、か」

「はい」

 エルザは頷く。

「個人に依存する構造は、いずれ破綻します」

 その言葉に、かすかな沈黙が落ちた。

 風が窓を抜ける。紙の端がわずかに揺れる。

「……戻りたいと思うことはないのか」

 不意に、アルベールが問う。

 その声音は静かだったが、試すようでもあった。

 エルザは手を止める。

 ほんの一瞬だけ。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。

「ありません」

 即答だった。

 迷いはない。

「過去は、構造的に破綻していました」

 冷静な言い方だった。まるで一つの理論を説明するかのように。

「修復する価値も、必要もありません」

 アルベールはその横顔を見る。そこには怒りも悲しみもない。ただ、切り離された結果だけがある。

「……そうか」

 短く呟く。

 それ以上は何も言わない。

 エルザは再び設計図に視線を戻す。ペンを取り、線を引く。わずかな擦れる音が、静かな部屋に溶けていく。

 その手は迷わない。

 過去を振り返る必要がないからだ。

 窓の外では、陽が少しずつ高くなっていく。城下の屋根が光を受けて輝き、人々の動きがゆっくりと増えていく。

 守るべきものは、もう明確だった。

「エルザ」

 アルベールが再び呼ぶ。

「今回の設計、どこまで持たせるつもりだ」

 その問いに、エルザはわずかに考える。

 ほんの一拍。

 そして答える。

「壊れない構造にします」

 簡潔な言葉。

 だが、その意味は重い。

「理論上は不可能だぞ」

 アルベールは苦笑する。

 エルザは首を横に振る。

「いいえ。不可能ではありません」

 静かな声。

「前提を変えればいいだけです」

 ペン先が紙に触れる。新しい線が加わる。

「誰にも触れられない位置に配置する」

 それは単なる物理的な話ではない。

 権限。構造。干渉経路。

 すべてを再定義するという意味だった。

 アルベールは目を細める。

「……完全な閉鎖系か」

「はい」

 エルザは頷く。

「破壊される可能性を前提にした設計ではなく、破壊という概念自体を排除します」

 淡々とした説明。

 だがそこには、確かな決意があった。

 かつて一度、すべてを奪われた者の。

 同じ過ちを、二度と許さないという意思。

 部屋に静けさが戻る。

 ペンの音だけが続く。

 アルベールはしばらくその様子を見ていたが、やがて小さく笑った。

「変わらないな」

 その言葉に、エルザはわずかに視線を上げる。

「何がですか」

「いや」

 アルベールは肩をすくめる。

「君は最初からそういう人間だった」

 エルザは何も答えない。

 ただ、ほんのわずかに口元が緩んだ。

 それは笑みと呼ぶにはあまりにも小さな変化だったが、確かにそこにあった。

 窓の外で風が吹く。

 旗が揺れる。

 今度は、守られる側ではない。

 守る側として。

 エルザは手を動かし続ける。

 もう、誰にも壊されないように。

 そして――誰も失わないように。

 朝の光は、変わらずそこにあった。

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