『帰宅したら風呂で不倫中→そのまま両家を呼んで公開処刑しました』

かおるこ

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第10話:再生と新しい日常

第10話:再生と新しい日常

「じゃあ、この壁は全部張り替えでいいですか?」

業者の男性が、図面を指でなぞりながら聞いた。

「はい。あと、その……」

主人公は少しだけ考えてから、続ける。

「浴槽も変えたいです」

「全部ですか?」

「全部」

迷いなく答える。

「もう、跡形もなく」

その言葉に、男性は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いた。

「分かりました。かなり印象変わりますよ」

「それがいいんです」

小さく微笑む。

「まったく別の場所にしたいので」

「了解です」

ペンが走る音。
紙に書き込まれていく線。

それを見ながら、ふっと息を吐いた。

――あの日から、三週間。

家の中は、少しずつ変わっていった。

いらないものは捨てた。
見たくないものも、全部。

靴箱の奥に残っていた赤いハイヒールも、
浴室に残っていた使いかけの入浴剤も。

「これも処分でいいですか?」

別の日、業者が聞いた。

小さなボトルを持っている。

見覚えのある香り。

「……はい」

少しだけ間を置いて、頷く。

「全部」

その瞬間、胸の奥にあった何かが、すっと軽くなった。

「ありがとうございます」

業者が箱に入れる。

カタ、と小さな音。

それで終わり。

本当に、それだけで終わった。

――工事は思っていたより早く終わった。

「お疲れさまでした」

最後の日、業者が頭を下げる。

「すごく雰囲気変わりましたよ」

「……ですね」

新しい浴室のドアを見る。

白くて、すっきりしたデザイン。

前とはまるで違う。

「使うの、楽しみですね」

「はい」

その言葉に、素直に頷けた。

「ありがとうございました」

ドアが閉まる音。

家の中に、静けさが戻る。

一人きりの空間。

でも、もう寂しさはない。

むしろ、心地いい。

「……さて」

小さく呟く。

新しい浴室のドアに手をかける。

金属の感触は、前と同じはずなのに、違って感じる。

カチ、と音がして開く。

ふわり、と新しい匂いが広がる。

木と石の、落ち着いた香り。

前の甘ったるさとは、まったく違う。

「……いい」

思わず声が漏れる。

足を踏み入れる。

床はひんやりしていて、でも嫌じゃない。

むしろ、すっと熱を奪ってくれる感じがする。

蛇口をひねる。

水が流れる音。

透明で、まっすぐな音。

「静か……」

ぽつりと呟く。

前は、もっと違う音だった気がする。

笑い声とか、水が跳ねる音とか。

でも、今は違う。

ただ、水の音だけ。

それが、やけに心地いい。

湯船にお湯を張る。

ゆっくりと、満ちていく。

湯気が立ち上る。

でも、あの日みたいに重くない。

軽くて、やわらかい。

「……入ろ」

服を脱ぐ。

一つ一つの動作が、妙に丁寧になる。

急ぐ必要がないから。

誰かを気にする必要もないから。

足を入れる。

お湯の温かさが、じんわりと広がる。

「……ああ」

思わず息が漏れる。

肩まで沈む。

体がほどけていく。

「……いいな」

誰に言うでもなく呟く。

水面が静かに揺れる。

その揺れだけが、今の世界の全部みたいだった。

目を閉じる。

静か。

本当に、静か。

耳に入るのは、自分の呼吸と、水の音だけ。

――思い出す。

あの日のこと。

湯気。笑い声。知らない香り。

胸の奥に刺さった違和感。

「……」

少しだけ、息を吐く。

でも、もう苦しくない。

痛くもない。

ただ、遠い。

「……終わったんだ」

ぽつりと呟く。

それは確認みたいなものだった。

目を開ける。

天井が見える。

白くて、きれいで、何もない。

「……うん」

小さく頷く。

「終わった」

もう一度、言う。

今度は、少しだけはっきりと。

水面に指を落とす。

小さな波紋が広がる。

それをぼんやりと見ながら、思う。

――失ったのか。

一瞬だけ、そんな言葉が浮かぶ。

でも、すぐに消える。

違う。

それは違う。

「……失ったんじゃない」

静かに言葉にする。

声が、浴室にやわらかく響く。

「いらないものが消えただけ」

その言葉が、すっと胸に落ちる。

無理に納得する感じじゃない。

自然に、そう思える。

「……そっか」

小さく笑う。

水面が揺れる。

その揺れが、やけに穏やかで。

「軽い」

ぽつりと呟く。

体じゃなくて、心が。

あんなに重かったものが、
今はどこにもない。

「……いいね」

誰もいないのに、そう言う。

返事はない。

でも、それでいい。

静かな時間。

自分だけの場所。

誰にも汚されない空間。

「……これから、どうしようかな」

ぼんやりと考える。

答えは、まだいらない。

急ぐ必要もない。

ただ――

「まあ、ゆっくりでいいか」

そう思えることが、もう変化だった。

湯船の中で、体を少し伸ばす。

水が静かに揺れる。

その音が、心地いい。

外はもう夜が深い。

でも、この中はあたたかい。

守られているみたいに。

「……ふふ」

自然と、笑みがこぼれる。

あの日とは違う笑い。

無理じゃない。

作ってない。

ただ、そこにあるもの。

「……大丈夫」

小さく言う。

「ちゃんと、進んでる」

その言葉が、静かに溶けていく。

お湯の中に。

夜の中に。

そして――

新しい日常の中へと。

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