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第4話:再会
第4話:再会
グラスが触れ合う、澄んだ音が広がる。
高い天井。
柔らかな光を落とすシャンデリア。
磨かれた床に、靴音が規則的に反響する。
S社の創立記念式典。
甘い香水と、アルコールの匂いが混ざり合い、空気がわずかに重たい。
「課長、あちらがS社の幹部陣です」
「ああ」
拓海はネクタイを軽く整えた。
指先が、ほんの少しだけ汗ばんでいる。
(……落ち着け)
この場は重要だ。
国家プロジェクトの支援を担う企業、その中心にいる人間たち。
ここでの印象が、今後を左右する。
「失礼します」
名刺を差し出す。
笑顔を作る。
いつも通りの、営業用の顔。
だが——
どこか、落ち着かない。
理由は分かっている。
(“切り札”が来るって話だったな)
自社では手に負えないシステム障害。
それを解決するために送り込まれる、S社のエンジニア。
その人物が、この会場にいる。
だが、見当たらない。
どの顔を見ても、“それらしい”圧はない。
「……本当に来てるのか?」
小さく呟いたときだった。
ふと、視界の端で光が揺れた。
振り向く。
人の流れの向こう、グラスを持つ一人の女性。
黒のスーツ。無駄のないシルエット。
細く整えられた指先が、グラスの縁を静かになぞる。
背筋が、伸びている。
その立ち姿だけで、空気が変わる。
(……誰だ)
初めて見るはずなのに——
なぜか、引っかかる。
女性が、ゆっくりと顔を上げた。
光が、横顔をかすめる。
その瞬間——
胸の奥が、強く跳ねた。
「……結衣?」
思わず、声が漏れる。
女性の視線が、こちらを捉えた。
わずかに、目が細まる。
それは驚きではない。
ただ、認識しただけの反応。
「……お久しぶりです」
静かな声。
低くも高くもない、均整の取れた響き。
あまりにも、落ち着いている。
「な、なんで……ここに……」
言葉がうまく繋がらない。
3年前の記憶と、目の前の現実が、うまく重ならない。
エプロン姿。
台所の匂い。
柔らかい声。
それらが、一つもない。
代わりにあるのは——
冷たいほど整った、別人のような存在。
「業務で来ています」
結衣は、グラスをテーブルに置いた。
指先が、わずかに光を反射する。
「業務……?」
「はい」
それだけ。
余計な説明はない。
拓海は一歩近づいた。
香りが変わる。
以前の、料理の匂いではない。
すっとした、冷たい香水。
「お前、S社にいたのか?」
「……質問の意図が分かりません」
ぴたりと、言葉が返ってくる。
感情の揺れがない。
「いや、だから……なんでここにいるんだよ」
「先ほど申し上げましたが、業務です」
視線が、わずかに外れる。
その仕草が——距離を示していた。
拓海は、苛立ちを覚える。
「そんな言い方ないだろ。俺たち——」
言いかけた瞬間。
結衣の視線が、戻る。
まっすぐに。
逃げ場のない角度で。
「申し訳ありませんが」
一拍。
空気が、少しだけ冷える。
「個人的な関係は終了しています」
言葉が、正確に落ちる。
余計な装飾は一切ない。
「業務に集中してください」
その一言で、すべてが区切られた。
拓海の口が、開いたまま止まる。
何か言い返そうとして——
言葉が出ない。
周囲のざわめきが、遠くに感じる。
グラスの音。笑い声。
すべてが、膜の向こうのようだ。
(……なんだよ、それ)
胸の奥に、じわりと熱が溜まる。
怒りか、羞恥か、分からない。
「……ずいぶん偉くなったんだな」
絞り出すように言う。
結衣は、わずかに首を傾げた。
「評価は他者がするものですので」
淡々とした返答。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……っ」
言葉が詰まる。
かつてなら。
少し強く言えば、黙ったはずの相手。
だが今は——
まったく通じない。
そのとき、会場にアナウンスが流れた。
「まもなく、特別ゲストのご紹介に移ります」
拍手が起こる。
人の流れが、壇上へと向かう。
結衣も、その流れに自然に乗る。
「待てよ」
思わず、腕を伸ばす。
だが——触れない。
ほんのわずかな距離が、異様に遠い。
結衣は振り返らない。
ただ、歩く。
迷いなく。
ヒールの音が、一定のリズムで響く。
カツ、カツ、カツ。
その音が、やけに耳に残る。
(なんなんだよ……)
拓海は、その背中を見つめたまま動けなかった。
胸の奥に、違和感が広がる。
じわじわと。
確実に。
それはまだ、形を持たない。
だが——
確実に、何かがおかしい。
壇上にスポットライトが当たる。
光が強く、目が少し痛む。
司会の声が響く。
「本日、我々のプロジェクトを支援してくださる、特別な方をご紹介します」
拍手。
ざわめき。
空気が、一段階引き締まる。
結衣が、その中心に立つ。
光の中で、影が消える。
(……まさか)
喉が、ひどく乾く。
さっきまで感じていた香水の匂いが、まだ残っている気がする。
だが、その正体に気づくには——
ほんの、あと一歩。
その距離が、やけに長く感じられた。
グラスが触れ合う、澄んだ音が広がる。
高い天井。
柔らかな光を落とすシャンデリア。
磨かれた床に、靴音が規則的に反響する。
S社の創立記念式典。
甘い香水と、アルコールの匂いが混ざり合い、空気がわずかに重たい。
「課長、あちらがS社の幹部陣です」
「ああ」
拓海はネクタイを軽く整えた。
指先が、ほんの少しだけ汗ばんでいる。
(……落ち着け)
この場は重要だ。
国家プロジェクトの支援を担う企業、その中心にいる人間たち。
ここでの印象が、今後を左右する。
「失礼します」
名刺を差し出す。
笑顔を作る。
いつも通りの、営業用の顔。
だが——
どこか、落ち着かない。
理由は分かっている。
(“切り札”が来るって話だったな)
自社では手に負えないシステム障害。
それを解決するために送り込まれる、S社のエンジニア。
その人物が、この会場にいる。
だが、見当たらない。
どの顔を見ても、“それらしい”圧はない。
「……本当に来てるのか?」
小さく呟いたときだった。
ふと、視界の端で光が揺れた。
振り向く。
人の流れの向こう、グラスを持つ一人の女性。
黒のスーツ。無駄のないシルエット。
細く整えられた指先が、グラスの縁を静かになぞる。
背筋が、伸びている。
その立ち姿だけで、空気が変わる。
(……誰だ)
初めて見るはずなのに——
なぜか、引っかかる。
女性が、ゆっくりと顔を上げた。
光が、横顔をかすめる。
その瞬間——
胸の奥が、強く跳ねた。
「……結衣?」
思わず、声が漏れる。
女性の視線が、こちらを捉えた。
わずかに、目が細まる。
それは驚きではない。
ただ、認識しただけの反応。
「……お久しぶりです」
静かな声。
低くも高くもない、均整の取れた響き。
あまりにも、落ち着いている。
「な、なんで……ここに……」
言葉がうまく繋がらない。
3年前の記憶と、目の前の現実が、うまく重ならない。
エプロン姿。
台所の匂い。
柔らかい声。
それらが、一つもない。
代わりにあるのは——
冷たいほど整った、別人のような存在。
「業務で来ています」
結衣は、グラスをテーブルに置いた。
指先が、わずかに光を反射する。
「業務……?」
「はい」
それだけ。
余計な説明はない。
拓海は一歩近づいた。
香りが変わる。
以前の、料理の匂いではない。
すっとした、冷たい香水。
「お前、S社にいたのか?」
「……質問の意図が分かりません」
ぴたりと、言葉が返ってくる。
感情の揺れがない。
「いや、だから……なんでここにいるんだよ」
「先ほど申し上げましたが、業務です」
視線が、わずかに外れる。
その仕草が——距離を示していた。
拓海は、苛立ちを覚える。
「そんな言い方ないだろ。俺たち——」
言いかけた瞬間。
結衣の視線が、戻る。
まっすぐに。
逃げ場のない角度で。
「申し訳ありませんが」
一拍。
空気が、少しだけ冷える。
「個人的な関係は終了しています」
言葉が、正確に落ちる。
余計な装飾は一切ない。
「業務に集中してください」
その一言で、すべてが区切られた。
拓海の口が、開いたまま止まる。
何か言い返そうとして——
言葉が出ない。
周囲のざわめきが、遠くに感じる。
グラスの音。笑い声。
すべてが、膜の向こうのようだ。
(……なんだよ、それ)
胸の奥に、じわりと熱が溜まる。
怒りか、羞恥か、分からない。
「……ずいぶん偉くなったんだな」
絞り出すように言う。
結衣は、わずかに首を傾げた。
「評価は他者がするものですので」
淡々とした返答。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……っ」
言葉が詰まる。
かつてなら。
少し強く言えば、黙ったはずの相手。
だが今は——
まったく通じない。
そのとき、会場にアナウンスが流れた。
「まもなく、特別ゲストのご紹介に移ります」
拍手が起こる。
人の流れが、壇上へと向かう。
結衣も、その流れに自然に乗る。
「待てよ」
思わず、腕を伸ばす。
だが——触れない。
ほんのわずかな距離が、異様に遠い。
結衣は振り返らない。
ただ、歩く。
迷いなく。
ヒールの音が、一定のリズムで響く。
カツ、カツ、カツ。
その音が、やけに耳に残る。
(なんなんだよ……)
拓海は、その背中を見つめたまま動けなかった。
胸の奥に、違和感が広がる。
じわじわと。
確実に。
それはまだ、形を持たない。
だが——
確実に、何かがおかしい。
壇上にスポットライトが当たる。
光が強く、目が少し痛む。
司会の声が響く。
「本日、我々のプロジェクトを支援してくださる、特別な方をご紹介します」
拍手。
ざわめき。
空気が、一段階引き締まる。
結衣が、その中心に立つ。
光の中で、影が消える。
(……まさか)
喉が、ひどく乾く。
さっきまで感じていた香水の匂いが、まだ残っている気がする。
だが、その正体に気づくには——
ほんの、あと一歩。
その距離が、やけに長く感じられた。
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