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第6話:再会、コンペという名の戦場
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第6話:再会、コンペという名の戦場
東京、大手町。ガラスと鉄筋の冷徹な重厚感に包まれた、業界最大手『大和通信グループ』の本社ビル42階。
ここで行われるDX刷新案件のコンペは、今後十年の業界標準(デファクトスタンダード)を決定する、文字通りの「戦場」だった。
会場の空気は、過剰な空調のせいで乾燥し、参加企業の担当者たちが発する緊張の汗の匂いと、高級な珈琲の香りが混ざり合っていた。
「……阿久津社長。ルナさんのSNS、現時点でインプレッションが五百万を超えました。会場の審査員たちも、みんなスマホでチェックしていますよ」
誠也の隣で、秘書を装ったルナが耳打ちした。彼女は今日、ビジネスシーンに相応しくないほど深いスリットの入ったタイトドレスに身を包み、会場の男性たちの視線を独占している。
「フン、当然だ。時代は『見映え』なんだよ。技術なんていう地味な話は、適当な横文字で飾り立てておけばいい」
誠也は自信に満ちた笑みを浮かべ、胸ポケットのチーフを整えた。彼のプレゼン資料には、ルナの華やかな写真と、AIという言葉が踊る中身のないグラフが並んでいる。
「次は、株式会社『Re:Logic』様、お願いします」
事務的な呼び出しの声が響いた時、会場の空気が一変した。
自動ドアが静かに開き、一人の女性が入ってきた。
ダークネイビーの仕立ての良いスーツ。無駄な装飾を排したその姿は、まるで研ぎ澄まされた一振りの剣のようだった。
「……凪?」
誠也の口から、驚愕と失笑が混ざった声が漏れた。
「おいおい、冗談だろ。解任された腹いせに、九条さんの金で『起業ごっこ』か? 凪、君のような地味な女が、この華やかなコンペの舞台に立とうなんて、身の程を知れよ」
隣でルナも、わざとらしい溜息をついた。
「本当。事務員さんがスーツを着たところで、中身は変わらないのにね。誠也、早く終わらせてランチに行きましょう。こんなの時間の無駄よ」
凪は、二人の嘲笑をまるで「ノイズ」として処理するように、一瞥もくれずに演台へと向かった。彼女の背後には、九条が影のように控えている。九条は一言も発さず、ただ冷徹な笑みを浮かべて、獲物を見定める鷹のような目で誠也を見ていた。
「始めます」
凪の声は、低く、しかし驚くほどよく通った。
彼女がリモコンを操作した瞬間、背後の巨大なLEDモニターが、青白い光を放って起動した。
「私が提案するのは、既存の『凪・モデル』を完全に廃棄し、再定義した『凪・モデル2.0』です。阿久津社長が現在運用されている旧モデルは、過剰な広告スクリプトと無駄なエフェクトにより、サーバーリソースの60%を無意味に浪費しています」
「なっ……何をデタラメを!」
誠也が立ち上がろうとしたが、会場を埋め尽くした大和通信の役員たちが、凪の提示した「数値」に釘付けになっているのを見て、言葉を飲み込んだ。
モニターには、誠也の会社のシステムがいかに非効率で、いかに「いつ崩壊してもおかしくないか」が、リアルタイムのトラフィック解析とともに可視化されていた。
「旧モデルの弱点は、接続数に比例して指数関数的に増大する待機時間(レイテンシ)です。対して、こちらの2.0は、分散処理アルゴリズムを根本から書き換え、リソース消費を10分の1に圧縮しました。……今、この会場の回線を使って、実際にテストデプロイを行います」
凪の指が、キーボードの上を滑る。
カチャ、カチャ、カチャ、カチャ――。
その音は、静まり返った会場で、まるで死刑宣告を刻むメトロノームのように響いた。
次の瞬間、モニターに映し出されたのは、数千万件の仮想リクエストを、一切の遅延なく、流れる水のように処理していく新しいロジックの姿だった。
「嘘だ……そんなバカな……」
誠也は、目の前の光景が信じられなかった。
彼が「誰にでもできる作業」と断じ、切り捨てたはずの凪。その彼女が、彼が三年かけて築いた城を、たった一行のコードで過去の遺物に変えてしまったのだ。
会場は、死のような静寂に包まれた。
審査員である大和通信のCTOが、眼鏡を押し上げ、震える声で尋ねた。
「氷室さん。これは……既存の技術の延長ではない。全く新しい数学的アプローチに基づいた、次世代のスタンダード(標準)だ。君一人でこれを設計したのか?」
「いいえ。私を信じ、付いてきてくれた最高のチームと共に作り上げました」
凪は、会場の隅に座っている佐藤、田中、木村、高橋の四人を視線で示した。彼らは、誇らしげに、しかし静かに頷いた。
「阿久津社長」
凪は、初めて誠也を真っ直ぐに見た。
その瞳は、怒りに燃えているのではなく、ただ「正しい論理」を提示するエンジニアの、どこまでも透き通った冷たさを湛えていた。
「あなたは『華やかさ』がビジネスを動かすと言いました。ですが、市場が最後に選ぶのは、虚飾ではなく『機能』です。……あなたの隣にいるトロフィーは、サーバーのダウンを止めてはくれません。あなたの選んだその道が、いかに非論理的(イロジカル)であったか、もうお分かりですね?」
誠也は、顔色を土気色に変え、ガタガタと震える手でデスクを掴んだ。
隣のルナが「誠也、何とか言ってよ!」と袖を引くが、今の彼には、その声さえもシステムを破壊する不快な警告音にしか聞こえなかった。
「チェックメイトです、阿久津さん」
凪は静かに一礼し、ステージを降りた。
入れ替わるように立ち上がった九条が、誠也の横を通り過ぎる際、耳元で毒を吐くように囁いた。
「阿久津。……投資家が最も嫌うのは、無能ではない。自分の持っている宝石の価値がわからず、それを泥の中に捨てた男だ」
九条の冷たい笑い声が、崩壊を待つだけの誠也の背中に突き刺さった。
会場を出た凪の頬を、大手町の冷たい冬の風が撫でた。
背後で、コンペの結果を告げるどよめきが聞こえる。
凪は、空を見上げた。
そこには、三年前のあの夜と同じ、高く、冷たく、しかしどこまでも美しい「論理」の夜明けが広がっていた。
(……さあ、誠也さん。ここからは、買い叩かれる恐怖を、じっくりと味わってください)
凪の唇が、小さな笑みを象った。
それは復讐の喜びというよりは、バグを完璧に修正し終えた時の、深い安らぎに似ていた。
---
**第7話予告:システムダウンの悪夢**
コンペでの大敗北。その直後、誠也の会社の基幹システムが「自重」に耐えきれず完全停止する。パニックに陥り、顧客から見捨てられる誠也。一方、凪の元には、誠也からの「情けない電話」が鳴り響く……。
東京、大手町。ガラスと鉄筋の冷徹な重厚感に包まれた、業界最大手『大和通信グループ』の本社ビル42階。
ここで行われるDX刷新案件のコンペは、今後十年の業界標準(デファクトスタンダード)を決定する、文字通りの「戦場」だった。
会場の空気は、過剰な空調のせいで乾燥し、参加企業の担当者たちが発する緊張の汗の匂いと、高級な珈琲の香りが混ざり合っていた。
「……阿久津社長。ルナさんのSNS、現時点でインプレッションが五百万を超えました。会場の審査員たちも、みんなスマホでチェックしていますよ」
誠也の隣で、秘書を装ったルナが耳打ちした。彼女は今日、ビジネスシーンに相応しくないほど深いスリットの入ったタイトドレスに身を包み、会場の男性たちの視線を独占している。
「フン、当然だ。時代は『見映え』なんだよ。技術なんていう地味な話は、適当な横文字で飾り立てておけばいい」
誠也は自信に満ちた笑みを浮かべ、胸ポケットのチーフを整えた。彼のプレゼン資料には、ルナの華やかな写真と、AIという言葉が踊る中身のないグラフが並んでいる。
「次は、株式会社『Re:Logic』様、お願いします」
事務的な呼び出しの声が響いた時、会場の空気が一変した。
自動ドアが静かに開き、一人の女性が入ってきた。
ダークネイビーの仕立ての良いスーツ。無駄な装飾を排したその姿は、まるで研ぎ澄まされた一振りの剣のようだった。
「……凪?」
誠也の口から、驚愕と失笑が混ざった声が漏れた。
「おいおい、冗談だろ。解任された腹いせに、九条さんの金で『起業ごっこ』か? 凪、君のような地味な女が、この華やかなコンペの舞台に立とうなんて、身の程を知れよ」
隣でルナも、わざとらしい溜息をついた。
「本当。事務員さんがスーツを着たところで、中身は変わらないのにね。誠也、早く終わらせてランチに行きましょう。こんなの時間の無駄よ」
凪は、二人の嘲笑をまるで「ノイズ」として処理するように、一瞥もくれずに演台へと向かった。彼女の背後には、九条が影のように控えている。九条は一言も発さず、ただ冷徹な笑みを浮かべて、獲物を見定める鷹のような目で誠也を見ていた。
「始めます」
凪の声は、低く、しかし驚くほどよく通った。
彼女がリモコンを操作した瞬間、背後の巨大なLEDモニターが、青白い光を放って起動した。
「私が提案するのは、既存の『凪・モデル』を完全に廃棄し、再定義した『凪・モデル2.0』です。阿久津社長が現在運用されている旧モデルは、過剰な広告スクリプトと無駄なエフェクトにより、サーバーリソースの60%を無意味に浪費しています」
「なっ……何をデタラメを!」
誠也が立ち上がろうとしたが、会場を埋め尽くした大和通信の役員たちが、凪の提示した「数値」に釘付けになっているのを見て、言葉を飲み込んだ。
モニターには、誠也の会社のシステムがいかに非効率で、いかに「いつ崩壊してもおかしくないか」が、リアルタイムのトラフィック解析とともに可視化されていた。
「旧モデルの弱点は、接続数に比例して指数関数的に増大する待機時間(レイテンシ)です。対して、こちらの2.0は、分散処理アルゴリズムを根本から書き換え、リソース消費を10分の1に圧縮しました。……今、この会場の回線を使って、実際にテストデプロイを行います」
凪の指が、キーボードの上を滑る。
カチャ、カチャ、カチャ、カチャ――。
その音は、静まり返った会場で、まるで死刑宣告を刻むメトロノームのように響いた。
次の瞬間、モニターに映し出されたのは、数千万件の仮想リクエストを、一切の遅延なく、流れる水のように処理していく新しいロジックの姿だった。
「嘘だ……そんなバカな……」
誠也は、目の前の光景が信じられなかった。
彼が「誰にでもできる作業」と断じ、切り捨てたはずの凪。その彼女が、彼が三年かけて築いた城を、たった一行のコードで過去の遺物に変えてしまったのだ。
会場は、死のような静寂に包まれた。
審査員である大和通信のCTOが、眼鏡を押し上げ、震える声で尋ねた。
「氷室さん。これは……既存の技術の延長ではない。全く新しい数学的アプローチに基づいた、次世代のスタンダード(標準)だ。君一人でこれを設計したのか?」
「いいえ。私を信じ、付いてきてくれた最高のチームと共に作り上げました」
凪は、会場の隅に座っている佐藤、田中、木村、高橋の四人を視線で示した。彼らは、誇らしげに、しかし静かに頷いた。
「阿久津社長」
凪は、初めて誠也を真っ直ぐに見た。
その瞳は、怒りに燃えているのではなく、ただ「正しい論理」を提示するエンジニアの、どこまでも透き通った冷たさを湛えていた。
「あなたは『華やかさ』がビジネスを動かすと言いました。ですが、市場が最後に選ぶのは、虚飾ではなく『機能』です。……あなたの隣にいるトロフィーは、サーバーのダウンを止めてはくれません。あなたの選んだその道が、いかに非論理的(イロジカル)であったか、もうお分かりですね?」
誠也は、顔色を土気色に変え、ガタガタと震える手でデスクを掴んだ。
隣のルナが「誠也、何とか言ってよ!」と袖を引くが、今の彼には、その声さえもシステムを破壊する不快な警告音にしか聞こえなかった。
「チェックメイトです、阿久津さん」
凪は静かに一礼し、ステージを降りた。
入れ替わるように立ち上がった九条が、誠也の横を通り過ぎる際、耳元で毒を吐くように囁いた。
「阿久津。……投資家が最も嫌うのは、無能ではない。自分の持っている宝石の価値がわからず、それを泥の中に捨てた男だ」
九条の冷たい笑い声が、崩壊を待つだけの誠也の背中に突き刺さった。
会場を出た凪の頬を、大手町の冷たい冬の風が撫でた。
背後で、コンペの結果を告げるどよめきが聞こえる。
凪は、空を見上げた。
そこには、三年前のあの夜と同じ、高く、冷たく、しかしどこまでも美しい「論理」の夜明けが広がっていた。
(……さあ、誠也さん。ここからは、買い叩かれる恐怖を、じっくりと味わってください)
凪の唇が、小さな笑みを象った。
それは復讐の喜びというよりは、バグを完璧に修正し終えた時の、深い安らぎに似ていた。
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