『レッド・クリフ・バイアウト:不夜城の陥落』

かおるこ

文字の大きさ
5 / 13

第4話:苦肉のゼロデイ

しおりを挟む
 黄は、夜の会議室の窓に映る自分の顔を見ていた。
 蛍光灯の白い光が、頬の骨を冷たく浮かび上がらせる。
 エアコンの乾いた風が、静かに唇を裂いていた。

 曽我総一郎は、テーブルの向こうでワイングラスを回していた。

 深い赤色が、ゆっくりと壁に反射する。

「それで?」

 低い声だった。
 曽我の声は、いつも温度がない。

「君は――」

 グラスを置く。
 コツ、と乾いた音。

「裏切るつもりなのか?」

 黄は小さく息を吸った。
 ワインの香りが、鼻の奥に残る。少し甘く、少し腐った匂い。

「裏切り?」

 黄は肩をすくめた。

「その言葉、好きですね。日本の企業は」

 曽我は笑わない。
 ただ、黄の目を見ている。

「私はただ」

 黄はテーブルに指を置く。

 木の表面が少しざらついている。
 古い家具だ。

「評価される場所に行きたいだけです」

「評価?」

 曽我はグラスを持ち直した。

「サン・グループのCTOが?」

 皮肉が、空気にゆっくり広がる。

 黄は軽く笑った。

「肩書きです」

 少しだけ、声を落とす。

「実際は――」

 窓の外。
 都心の夜景が、ガラスに流れている。

「ただのメンテナンス係ですよ」

 曽我の眉が、ほんの少し動いた。

「メンテナンス?」

「ええ」

 黄は頷いた。

「美しい理想を掲げる人たちの後ろで」

 指を軽く叩く。

 トン、トン。

「壊れたサーバーを直す人間です」

 曽我は黙っていた。

 沈黙が、部屋の空気を重くする。

 エアコンの風の音。
 遠くの車の音。

 黄は続けた。

「あなたの会社は違う」

「ほう」

「効率がすべてだ」

 黄は曽我の目を見る。

「私は、そういう場所が好きです」

 曽我の唇が、少しだけ上がった。

「理想主義に疲れた?」

「ええ」

 黄は即答した。

「もう十分です」

 少しだけ声に棘を混ぜる。

「ユーザーの笑顔とか」

「コミュニティの温度とか」

「そういう言葉」

 鼻で笑う。

「システムは感情では動きません」

 曽我は、静かにグラスを置いた。

 指先がテーブルに触れる。

「……なるほど」

 その声には、ほんの少しの興味が混じっていた。

「それで?」

「それで?」

「君は何を望む」

 曽我は言った。

「金か」

「権力か」

「それとも」

 目を細める。

「復讐か?」

 黄は一瞬、黙った。

 喉の奥に、苦い感覚が上がる。

 思い出す。

 サーバールームの夜。

 疲れたエンジニアたちの背中。

 床に落ちたコーヒーの匂い。

 そして――

 龍崎美央の声。

「このシステムは、人のためにある」

 その言葉。

 黄は、ゆっくり息を吐いた。

「望むもの?」

 肩をすくめる。

「単純ですよ」

「言ってみろ」

 黄は曽我を見た。

 まっすぐ。

「巨大なシステムを」

 少し笑う。

「作りたいんです」

 曽我は動かなかった。

「どれくらい巨大だ?」

 黄は答える。

「世界の半分が止まるくらい」

 一瞬の沈黙。

 そして。

 曽我は、静かに笑った。

「いい」

 その笑いは冷たい。

「気に入った」

 黄は胸の奥で、小さく息を吐いた。

 第一関門。

 通過。

「ギガ・テラは」

 曽我が言う。

「いま“連鎖”を構築している」

 その言葉を聞いた瞬間、黄の背筋に電流が走る。

 来た。

「Chain」

 曽我はゆっくり言う。

「すべての企業データを一つのクラウドで管理する」

「完璧な効率」

「完璧な支配」

 窓の外の夜景を指す。

「都市はネットワークでできている」

「物流」

「金融」

「通信」

「全部だ」

 曽我は黄を見る。

「それを一つにする」

 低い声。

「神の視点でな」

 黄は小さく笑った。

「魅力的ですね」

「だろう?」

「ただ」

 黄は指を組む。

「問題があります」

 曽我の目が光る。

「言え」

「巨大なシステムは」

 黄は静かに言う。

「巨大な穴を持つ」

 曽我は黙る。

「穴?」

「ええ」

 黄は微笑む。

「だから」

「それを設計できる人間が必要です」

 曽我の視線が鋭くなる。

「君か?」

 黄は頷く。

「私です」

 沈黙。

 数秒。

 曽我は立ち上がった。

 椅子がわずかに鳴る。

 ゆっくり歩き、黄の横で止まる。

 ワインの香りが近づく。

「黄」

 低い声。

「君は危険な男だ」

「光栄です」

 曽我は窓の外を見た。

「だが」

 振り返る。

「危険な人間は」

 小さく笑う。

「好きだ」

 そして言った。

「ギガ・テラに来い」

 黄の胸の奥で、鼓動が一つ強くなる。

「歓迎しよう」

 その瞬間。

 夜景の光が、ガラス越しに揺れた。

 黄はゆっくり立ち上がる。

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げる。

 その顔には、穏やかな笑み。

 だが。

 胸の奥では。

 別の声が響いていた。

 ――成功。

 ポケットのスマートフォンが、微かに震える。

 美央からの暗号メッセージ。

 黄は、指先で画面を隠す。

 曽我には見えない角度で。

 メッセージを読む。

 短い一行。

「風、入った?」

 黄は返信する。

「今」

「城の中」

 送信。

 曽我がグラスを掲げた。

「新しい仲間に」

 黄もグラスを持つ。

 ガラスが触れる。

 チン。

 高い音が、静かな部屋に響いた。

 その音は。

 まるで。

 遠い戦場で鳴る、開戦の鐘のようだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

処理中です...