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一悶着

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  カインの全身から滝のように汗が噴き出てくる。
  目の前のオーガ族の大男はゆっくりと、そして確実に距離を縮めてきた。

 その迫力にカインは一瞬ズボンを濡らしそうになる。
  カインがそう思うのも仕方が無い、それほどまでに目の前の男の顔は怖かった。
 普通の感性を持った人なら10人が10人、逃げ出してしまうくらいに。
 そして対人恐怖症気味のカインにとっては最早トラウマ級といって差し支えないだろう。
  それに加えて周りからの視線も凄まじいことになっている。唯一奥の方で飲んでいる酔っ払った老人達だけが、何が面白いのかニヤニヤとこちらを見ていた。
  目の前のオーガ族の男が低い低い声で話しかけてきた。

 「で、犯罪者がここに何しに来やがった?」

 その言葉に少しカチンとするカイン。この土地に来ていきなり疑われ、散々な目に遭ったのもより一層カインの心をかき乱した。

 「えっと、それには色々と理由がありまして。えっと、その」
 「理由~? 大抵のクソ野郎はそう言って逃げようとするんだ! 迷子を理由にライラにすり寄りやがって、ぶっ殺してやる!」

 どうやら目の前の男は人の話を聞く気が無いらしい。
 怒鳴り声を上げてオーガ族の男はカインの胸ぐらを掴もうと腕を伸ばしてくる。
 その時カインに沸いてきた気持ちは恐怖でも焦りでも無い、怒りであった。

  理不尽な状況、周りからの敵意を纏った視線。なにより話を聞かずに責めたてる目の前の大男。
 カインは自分の中で燃え上がる怒りを押さえ込むことが出来なくなっていた。
  男の丸太のような腕がカインに迫り、その馬鹿みたいに太い指が胸ぐらを掴みそうになったところで全身に酷い痛みを感じた。

 「やめて下さい!」

  カインが男の行動を遮るように腕を無造作に振るう。
  何かを感じ取ったかのようにオーガ族の男は慌ててその場を飛び退き、その後ろにいた酔っぱらい達も慌てて椅子から腰を上げた。
  その瞬間カインの正面の床が嫌な音を立てて捲れ上がり、振るった腕から生じた衝撃はそのまま扇状に広がって近くにあった机や椅子を吹き飛ばす。
  椅子から立ち上がっていた酔っぱらい達の身体が魔力によって薄く光り、何の力かは分からないがその衝撃を相殺して破壊が止まる。

 自分のした行為に顔を青くするカイン。
 先ほどまでの怒りはどこへ行ったのやら、呆然とその場に立ち尽くしていた。これでは完全に犯罪者だ、言い逃れが出来ようはずも無いとカインは後悔する。
 とはいえ犯罪者か犯罪者じゃないかなど、問題では無くなっていた。
 何故なら先ほどまで視線を向けていた男達が、老人達以外立ち上がり戦闘態勢に入っているのだから。
 視線も敵意を纏ったものから半ば殺意のこもったものへとクラスアップしている。
 はっきり言ってどうしようも無い状況、カインはせめて殴り殺されないようにと身体を竦ませていた。

 「ちょ、ちょっと何があったのよ?」

 驚き焦ったライラの声が聞こえた。
 カインが声のした方向を見ると、ライラと2人の人物が店の奥から現れるところであった。

 1人は人間の老人。
 赤毛の切りそろえた髪には所々白いものが混ざっているが、その身体はカインほどでは無いものの年齢を感じさせないほどに逞しい。片足が悪いのか歩くたびに杖の音が聞こえる。

 もう1人はライラよりも大分小さな少女。
 フードで髪が隠れているが透き通るような白い肌の、薄紫の瞳をした非常に綺麗な顔立ちをしている女の子であった。

 「なんだこりゃ?」

 赤毛の老人が眉をひそめて辺りを見渡す。先ほどまで殺意のこもった視線をカインに向けていた男達が怒られたように身体を縮こまらせている。
 辺りを見渡し終わった老人は、その視線をカインに向けた。
 どう言い訳すれば良いのか考え、碌な案が出ずに半ばパニックになりかけるカイン。
 戦々恐々とした面持ちで固まっていると、老人は少し驚いた顔をした後大声で、

「お前等、隅でコソコソしてるジジイどもをひっ捕まえろ!」

 怒られると思っていたカインだったが、赤毛の老人が予想していなかった事を叫んだために反射的に隅の方を見た。
 すると先ほど笑いながらカインを見ていた3人の老人達が小さくなって入り口に行こうとしているところであった。
 途端男達が老人達に群がり、あっという間に赤毛の老人の所まで連れてくる。

「おう、お前等! 今日は悪いがこれで店仕舞いだ。また明日来てくれ!」

 赤毛の老人が大声でそう言うと男達は逆らうこと無く店から出て行く。
 暫くすると店内にはカインとライラ、それに先ほど現れた2人と床に座られた3人の老人だけとなる。

「で、お前等。何で俺がこんなことしてるか理解してるか?」
『むははは、はは、は……』

 老人達の責任から逃れようとする魂胆が見え透いた笑いに、呆れたように赤毛の老人は自分の頭を掻いた。

「全く、いい年して馬鹿なことしやがって。お陰で店がひでえ事になってるじゃねえか。お前等の金で直せよ」
「ええじゃろが、懐かしい顔が見られてちょっと興奮しただけじゃ。ちょっと位いいじゃろが!」
『そうじゃそうじゃ!』
「うるせえ、三馬鹿共!」

 カインは何の話かさっぱり理解出来ずにその場で呆然と立ち尽くすしかなかった。
 すると赤毛の老人がカインに向き直り、

「ああ、何言ってんのか分からないって顔をしてるな? 何、ただ単にこいつ等はさっきの騒動止められたのに、面白見たさで止めなかったから怒ってるんだ」

 そう言うと赤毛の老人は満面の笑顔をカインに向けた。

「しっかしまあ、えらく大きくなったなあ。驚いたぜ」

 老人は自分より背の高いカインの頭を腕を伸ばしてフード越しに撫でた。
 何故か嫌な気がせず暫く撫でられていたが、ふと気づいてカインは赤毛の老人に尋ねた。

「あの、もしかしてあなたがブラドさんでしょうか?」
「ああそうだ、俺がブラド・ヴァルフレンだ」

 そう言って赤毛の老人、もといブラド・ヴァルフレンは笑った。 

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