【R18】微笑みを消してから

大城いぬこ

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シモンズ子爵邸

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アイザック・シモンズは昼近くに自邸に戻り執務室にバロンを呼んだ。 

「父上、エルマリアは?」 

「元奴隷の男が連れ去った」

 金色の髪と紫の瞳を持つバロン・シモンズはソファに座り長い足を組んでいる。 

「フローレン侯爵家は想像以上に阿呆でしたね」 

「ああ…」 

バロンは考え込むアイザックに首をひねった。 

「鉱山の権利はシモンズに渡る…なぜ浮かない顔を?」 

「エルマリアだ」

 父親の返答にバロンは眉を寄せる。 

「どうせ…その元奴隷に色目でも使ったのでしょう。レイモンド・フローレンに相手にされず使用人からも冷遇…相手にしてくれるのは最下層の者だけ」 

「私はなにをされても耐えろと言った、そして戻る家があると思うなと。どんなに辛くても戻れないとエルマリアは理解してソロモン・フローレンに戻りたいと…初日に言ったことが解せない」 

「初夜からあの待遇で相当辛かったのでは?」

 アイザックは机にあった視線をバロンに移す。 

「…阿呆はお前もだ、バロン。お前の仕打ちに耐えたエルマリアがあれしきのことで音を上げると思うか?」

 バロンは組んでいた足をほどき姿勢を正す。 

「傷さえ残らなければいいと…あれに鞭打つお前の冷酷さにはなんとも思わんが、こそこそと動くお前には腹が立つ。エルマリアは私に言いつけなかった…使用人の報告がなければお前はエルマリアを打ち続けた」 

「…卑しい血の娘が…俺の妹など…庶子ではなく…」

 アイザックはイーゴに向かい手を振る。 

「バロン…卑しい血とはなんだ?血などに拘る小物が私の息子とは…それにも腹が立つ」

 アイザックの言葉の後、イーゴがバロンの前に立ち頬を叩いた。 

「お前の血は尊いのか?母親は私が殺したのだ…エルマリアではない…弱者に怒りを向けるとは…恥を知れ」 

「…申し訳ありません」

 バロンは歯を食い縛り、怒りと痛みに耐えた。

「シモンズに後継などいらん…私の代で潰してもいい…バロン…逆らうならお前は死んでもいい」

 バロンは口を閉ざした。

「イーゴ、金はいくら使ってもいい…女の楽園から情報を得ろ。バロン、後日フローレン侯爵邸に行け。権利書を受け取り、エルマリアの暮らしぶりを聞き出せ」 

「わかりました」

 アイザックは手を振りバロンを下がらせた。 

「馬鹿な母親だと子も馬鹿になるか?」 

「旦那様に向けられない怒りをエルマリア様に」 

「そこが馬鹿だと言っている。抑えられない怒りなら私を攻撃すればいいものを…そこまでの覚悟も強さもない…自分を理解しているから弱者を苛む…愚かだ」 

アイザックは万年筆で机を叩き思考する。 

「エルマリアはシモンズに戻りたいと侯爵に願った」 

「はい」 

「侯爵が…叶えられないと知っていたのなら?」 

「契約書の事項を知っていたのですか?」 

「それしか思いつかない…侯爵が話すとも思えない…」

 アイザックの机を叩く音が執務室に響く。 

「…イーゴ…」

 アイザックは引き出しから鍵を取り、背後の本棚の前に立つ。並ぶ本を見つめて手を振るとイーゴが本棚を掴み横に動かした。 

「…まさか」

 アイザックは十年近く、この扉を開けていなかったが鍵穴に差し込み、愛しい女の思い出と悲しみが襲っても耐えながら開いた。 

「…灯りを」

 アイザックの視界には暗闇が続いていた。イーゴに渡された燭台を掲げ、隠し通路をあらためる。

「…蜘蛛の巣が…あるが…小さい…」

 アイザックは屈み、通路の床を照らす。 

「エルマリア…エルマリア…」 

「旦那様?」 

「イーゴ、床の埃が明らかに少ない…エルマリアがここで聞いたのだ…私とお前…バロンの言葉を……リア…教えたんだな…お前が…リア」 

「エルマリア様が部屋の移動をしなかったのは」 

「ああ…リアとの思い出と言っていたが…これが目的だった。エルマリアは侯爵にすがりながら計画していた…思い出せ…私たちはここでなにを……あれはレイモンドの想いも知っていた…フローレン侯爵邸に私の間者がいないことも…」

 アイザックは懐かしい通路を見つめ、漆黒の髪と少し垂れ目の銀色が輝く愛しい女に手を伸ばす。 

「リア」

 幻は一瞬で消え、アイザックの頭と体は急激に冷えていった。

 「…イーゴ…」 

「はい」 

「元奴隷に連れ去られたエルマリアに価値は無い」 

「はい」 

「だが…私はエルマリアを探す…」

 アイザックはエルマリアとリアの話をしたことがなかった。面差しが似てはいてもエルマリアはリアではなくアイザックの駒だった。リアの死後はエルマリアの気持ちなど聞かずに令嬢としての教育を受けさせ、外へは出し惜しみ価値を上げるよう厳しく育てた。その過程はフローレン侯爵家所有の鉱山の存在で無駄になったが、アイザックはエルマリアを手の届く場所におきたくなった。 

「承知しました」

 アイザックは扉を閉めて鍵をかける。 

「私から逃げられると思うか?リア」

 紫の瞳からは一筋の涙が落ちていく。その涙が乾くまでアイザックは扉を見つめていた。 




フェリシアは荷物を抱きしめて泣いていた。

贈られた宝飾品も与えられたドレスも奪われ、簡素な服と下着を詰め込んだ荷物は小さかった。出会って十年あまりをレイモンドに向けていた心は簡単には状況を受け入れていなかった。

 夕暮れには宿に送られるフェリシアは何度も騎士に頼んだが返事さえなく扉は開かなかった。 そのとき、テラスから硝子を叩く音が聞こえフェリシアは走り出す。

「レイ!レイ!」 

テラスには愛しいレイモンドが立っていた。 

「レイ!やっぱり…レイ…」

 フェリシアは扉を開けようと握りを回すが動かない。 

「…開かない…フェリシア…」 

フェリシアは手のひらを硝子につけてレイモンドを見上げる。 

「レイ…私とどこかに行きましょう?顔も覚えていない人と結婚なんてしたくない…レイ…」 

「フェリシア…本当のことを知りたいんだ」 

レイモンドの表情は冷たくフェリシアを見ている。 

「本当のこと…?」 

「ああ…エルマリアを襲わせたのか?使用人に俺の贈った宝石を渡して逃がしたのか?…エルマリアに会ったのか?ランディ・ランドは…」 

「そんなこと今はどうでもいいのよ!私にあれだけの荷物で宿へ行けと言うの!?」 

「お前が純潔ではなく、その上エルマリアを襲った男に加担していたから」 

「宝飾品なんて渡してないの!私は誰にも抱かれてない!ルイスはただ私を慕っていただけ!持参金を返さずにレイと幸せになるには子爵令嬢の有責が必要だったの!あの女が使用人に抱かれたとなれば…離婚できてお金も……」

 フェリシアは歪んでいくレイモンドの顔に言葉が止まる。 

「欲のために必死か…?自分のために嘘を何度も吐いた?叔父まで貶めて…父上の言うとおりお前は邪悪だ…こんなに愛らしい姿をしているのに」

 レイモンドは硝子を撫でて、泣く姿も愛らしいフェリシアを見つめる。 

「じゃ…邪悪?…レイだって私に会えないのは寂しいと言ったわ…叔父様は確かに触れたの…それを大袈裟に伝えただけ…それでレイと離れずに…一緒に住めたのよ!レイも喜んでいたじゃない!」 

「ああ…喜んだけど…お前に同情もした…お前は何度も叔父のことを俺に話して泣いた…あれはすべてが嘘だった…フェリシアは愛する人に嘘を吐く…呼吸するように…嘘を…フェリシア…ランディ・ランドに頭を下げろ。純潔でなくても受け入れてくれと頼むんだ」

 フェリシアはレイモンドが別れをしに来たとようやく理解した。 

「いや!レイ!お願い…離れないで」 

「フェリシア…俺はエルマリアに惹かれていた」 

レイモンドの告白にフェリシアは拳で硝子を叩く。 

「心変わりが早すぎるわ!裏切り者!」 

「ああ…そうだな…最後に嘘は吐きたくなかった…エルマリアに会いたい……さよなら…フェリシア」

 レイモンドはフェリシアに背を向け離れる。 

「レイ!駄目!レイ!レイ…レ…イ…」

 フェリシアは部屋の扉が開くまでうずくまり泣いていた。



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