会長にコーヒーを☕

シナモン

文字の大きさ
75 / 153
4話 機嫌の悪い日々

しおりを挟む
「九条くん、大丈夫かい!?」

 土産を持って彼ー藤島龍平は現れた。

 となりのキッチンに案内するなり、「へー」目を輝かせる。

 ───このキッチン、こんなだったか? 

 久し振りに見て頭がゲシュタルト崩壊だ……。

「かなり本格的なキッチンだね」
「バブル華やかなりし頃の名残さ」
「へえ、じゃお父上が?」
「商談につかってたらしいよ。全盛期はここでもてなしてたそうだが」
「リッチな空間だなあ。バブルかあ」


 想像できるだろうか?

 陽気にグラスを交わし踊りながら、
 信じられない額の商談が次々決まった。
 商談…、もはや宴だ。

 あのアナ嬢のような客も珍しくなかったかもしれない。

 そんな時代もあったんだ。

「にしても夜中に何かと思ったら」
「すまんな」
「よほど我慢できなかったんだね」

 ところで市川さんどうしたのと聞かれたので適当に話を濁して答えた。

「そんなことが! アレルギーって怖いよね。うちの店でも気をつけてるよ。トマトやチーズが刺激になる子もいるんだ。市川さんもう海老は食べられないのかな」
「ん…」
「いつも世話してもらってる子が休むと大変だね。すぐに代わりをというわけにいかないし」

 彼がマシンにセットするコーヒー豆のいい匂いが部屋に立ち込めた。
 さすが手際がいい。
 長いカウンターに置かれた椅子に腰掛けそれを眺める。
 こんな構図覚えがある。

「君は本職の方はどうなんだ。マスコミの取材も多いようだが。うちの仕事も受けてもらって大変だろう」
「いやいや、やれることは何でもしないとね、先行きどうなるかわかんないから。


 はい、どうぞ」

 と出された。
 サバランとエスプレッソ。

 ────これだ。

 生地の具合や生クリーム、染み込んだアルコール、シロップ、完璧に再現されてる。


「キルシュを別のものにすると味が変わるよ。リキュールも揃ってるんだね。ここで飲んだりするのかい」
「いや」
「ピザでも焼こうか?」
「いいのか?」
「これだけの設備前にしてコーヒー入れるだけじゃもったいないだろ」
「それじゃお願いしようか」

 えーと強力粉は…と彼は厨房を探り出した。

「生地から作るのか」
「おいおい、僕はプロですよ?

 ……へえ、珍しい食材が並んでるね」

 とキャビネットを覗いて、

「……シチリアのチェリートマトソースだね。
 これ使うとうまいんだよ。
 酒盗をアンチョビがわりに使うんだな、わかるわぁ。
 このワイン国産か。
 オリーブオイル、調味料も見たことないのが揃ってる。
 わくわくするなあ、語り合いたいな」

 次に冷蔵庫を開けて、ーーBravo!

「食材の宝庫だね! キラキラしてるじゃん。肉熟成させてるのかな。へーこれ阿蘇のバターだ。あぁ、チーズもうまく熟成してそうだなぁ

 ちょいと拝借…、

 あとで言っといてよ」

 冷蔵庫にある物と持参した食材を使ってみるみる出来上がっていく。

 いい匂いだ。

 思い出すな。
 はじめてここでパンが焼かれた日。
 パンの焼ける匂いが向こうの部屋まで漂ってきた。
 あまりに芳ばしくてついドアを開けたんだ。

 まず、
 長らく使ってなかったこの部屋で料理するという発想がなかった。


「はいどうぞ。カルツォーネにしてみた」
「ありがとう」

 糸を引くチーズをくるりまとめ口に運ぶ。
 噛むとハーブの香りが立った。
 美味い…言葉にしなくても表情に十分出てるらしい、彼は満足げに微笑んであれこれし始めた。

「ハーブに水やっておくね。……へえ、酵母育ててるんだな」

 壁付けの棚にたくさんの苗とガラス容器が並んでいる。

「うちの店もカウンター広げたんだよ。内装屋に流行ってますよーってのせられてさ。九条くんのアドバイス聞いてデータを取ってたんだが、カウンター効果すごいよ。お客さんと喋ってると、その子の食べたいものや足りてなさそうなものがだんだんわかってくるんだ。それで一品アラカルトで思いつくもの出すようにしたらリピーター増えてさ。売り上げも上がった」
「へえ、それはそれは」
「楽しくなってきちゃってさ! テレビにも取り上げられたんだよ。

 ーーあなたに必要な一皿がでてくる店ーー

 それを売りにしてもいいなー。亜鉛が足りなそうな子には牡蠣、毒出しにはコリアンダーやミルクシスル。最近は道端のタンポポさえ食材に見えてしまうよ。気分は女子だね」

 女性のような仕草に見えてくる。笑っていると「九条くんも結構女子っぽいよね。食べ物の好み」「うん?」

「ブログ教えてもらったんだ。割と軽めのメニューだよね。がっつり揚げたり焼くんじゃなくて茹でる和える系。でもってドルチェは甘め…」
「そうか?」
「女子っぽくない? 前菜系が多いよね。普通の家庭で出てきそうなものを九条くん用にアレンジしてるよね。現地でしか手に入らなそうな食材結構使ってるし…基礎のしっかりした料理上手な奥さんのいる家庭って感じかな。愛情あふれる優しい味だね。子供がうまく食育されてそう」

 食育…。そういう見方もあるんだな。

「ハハ、だけどまさかここにこんな空間があるなんて想像できないよね。下から見たんじゃ」
「ここはね…。外に出かけるのが億劫になるんだ。アメリカにいた頃は気楽に出かけて買ってきたりしてたんだが」

 高層階ではなかったしな。とんだ天空の城に越してきたものだ。

「近所の店さ。カウンターにこんもり盛ったブリオッシュが美味しくていつも買ってたんだが、ある日そこの主人に今日で終わりだと言われたんだ。その時くれたサバランが美味くて…」

 ーーお前ぐらいしか買ってかないんだよ。もうこれ作るのやめろってワイフがうるさいんだ。最後に特別にお前だけに作ってやったぞ。俺からのプレゼントだーー

 ああ、思い出した。そんなわけで私はこのパンが好きなんだ。その後マンハッタン歩き回って探した。
 その店以外に有名なD&Dやデリカテッセン…。買ってきては食べていた。あの頃は食べ物にそんなにこだわってなかったような? なぜこうなった。

「その味に近かったんだね。さすがVIP専属料理人」

 料理人ね……。最初はそんなつもりじゃなかった。

「海外で修行してた頃の知り合いで外交官付きの料理人になった奴がいてね」
「へえ」
「結構な重要人物に出したりするんだと。やりがいのある仕事だよね。気に入ってもらえれば長く続けられるし。あ、そうそう、テレビの仕事でさ、アレッシに会ったんだよー…」

 話しながら彼は空いた皿を嫌に思われないタイミングで下げて跡を綺麗に整える。
 頬杖ついて自然と会話が弾む。このカウンターで食事したのは初めてだ。
 この感じ、あったな…。
 バーで飲んで隣の女と話し込み仲良くなる。そんなこともありはした。
 だが最近は全く…。私は東京で人が変わってしまったのか。

「余ったの冷凍しておくよ。自然解凍→リベイクでいけるから。やり方わかる?……おや、スイーツ冷凍してるじゃん。あ、市販品か。自分用なのかな……ル〇ネのハー〇スだな」

 彼はサバランとピザを冷凍庫へ入れた。助かった。これで今週残りなんとかなりそうだ。

「締めのドルチェをどうぞ」

 皿を片した後さっと出てきたのは、
 小さなグラスに入った…

「レアチーズケーキとブラウニーの即席パルフェ。巨峰のリキュールを垂らしてみた」

「ありがとう」

「どうすか」

「美味い」

 出されて初めて気付くが私は葡萄系が好きなんだな。


「小麦粉もチーズもワインも地物なんて、新宿でこれが味わえるんだ、贅沢な舌だね。酵母とハーブはこの部屋メイドだし。温度と湿度がちょうどいいんだろうな。作る人との相性もあるよ。人によっては素手でうまく発酵させられないんだ。

 どうやら彼女は『魔法の手』持ちのようだね。

 酵母少し分けてもらおうかな」

 あとでメールしてみようと彼は窓際の瓶を見て呟く。瓶の中に濃い葡萄色のペースト状のものが見える。


 …メール?


「お困りの際はいつでもご用命下さい。僕が来れなければバイク便よこしますから」
「ありがとう。もちろん報酬はするよ」
「いやいや、それは本職の方でね!」
「ん、わかった。よろしく頼むよ」
「あざーっす! 」



 彼が去った後改めて自問する。


 ーーわかっているんだ、わざわざ夜中に電話して呼びつけるなんて、異常だ。

 これは本格的にまずい。
 私の味覚は深刻だ。


しおりを挟む
感想 38

あなたにおすすめの小説

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのはあなたですよね?

長岡更紗
恋愛
庶民聖女の私をいじめてくる、貴族聖女のニコレット。 王子の婚約者を決める舞踏会に出ると、 「卑しい庶民聖女ね。王子妃になりたいがためにそのドレスも盗んできたそうじゃないの」 あることないこと言われて、我慢の限界! 絶対にあなたなんかに王子様は渡さない! これは一生懸命生きる人が報われ、悪さをする人は報いを受ける、勧善懲悪のシンデレラストーリー! *旧タイトルは『灰かぶり聖女は冷徹王子のお気に入り 〜自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのは公爵令嬢、あなたですよ〜』です。 *小説家になろうでも掲載しています。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...