会長にコーヒーを☕

シナモン

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3話 はじめての課題

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 落ち着いて落ち着いて。目を合わさないように。彼の煙草をひっかける長い指を見ながら言ったのだ。

「結婚? 私が?」

 男らしい節の際立つ、それでいてしなやかな指は、いったん胸の位置で静止して、彼は煙草を灰皿に置いた。

「何を今更。私は結婚なんてしないよ」
「でも……」

 ちらりと上目遣いに覗くと、会長は大きく足を組みなおし重心を左側の肘掛に寄せた。あきれた顔をして、

「キミも言ってくれるね。いずれ結婚してキミをお払い箱にする? 私がそんなことをする男に見えるか?」
「す、すみません」

 だって、わからないじゃん。恋は突然落ちるものだ。

「キミは社則を読んだだろう?」
「は? え、ええ」
「一度契約を交わした社員はそう簡単に解雇できない。我が社だけじゃない、今は大抵どこもそうなってるんだ。不当に解雇なんてすればこっちが訴えられる」
「はあ……」

 そっか……。バイトや派遣と違うんだね。私、経験上そういうのイマイチわからないからさ。ちょっと安心?

「それに」

 会長は腕を崩し置いていた煙草の灰を灰皿の縁で払い口にくわえた。少しだけ顔をしかめてせわしく吸い込むとワンテンポ置いてふうと吐き出す。紫煙が彼の上半身を一瞬覆った。


「私がキミを解雇するわけないだろう。せっかくうまくいきかけてるのに。台無しになるじゃないか」

 指の先で持ちかえると煙草を灰皿に押しつぶした。つい、もったいないなと思ってしまう。まだ相当残ってるのに。

「私は結婚しないよ。断言してもいい」

 腕組みをしてまっすぐ視線をこっちに向けた。

「恋愛事は向いてないんだ。見ていてわからないか?」

 ……まあ、そんな気はしてるけど。
 私もどっちかというと恋愛体質じゃない。
 それなのにこんなこというなんて変かな?
 よくわかんなくなってきた。

「……私のことより、キミはどうなんだ」
「え?」
「私よりキミにそういう相手が現れる確率のほうがよほど高いと思うが」

 
 そんな。

「まだ若いのだから。そうだろう?」
「そ、そんな人、いませんよっ」

 会長、知らないから、私のダメ男遍歴……。私が勢いよくテーブルを叩いたものだから、会長は面白そうに微笑んだ。煙草持ってないのに、持ってるみたいに右手をふりかざして、すぐに下ろした。

「だから将来可能性がある……。そういう話をしてるんだろう? 私としてもキミが突然『結婚退職』なんてことになったら困るんだが」

 けっこんたいしょく?
 ちょっと……話をすりかえないで。
 
「そんなこと、ぜーーっっっ……たいありえないです! 私は今の仕事がいいんです! 男なんかとデートするよりよっぽど楽しいんだから」
「私もそうだよ」
「え」
「私もそうだ。……女性と付き合って、最初はいいんだ。だが、だんだん……あるだろう? 束縛だったり、他の男との比較だったり、ちょっとした駆け引き……。そういうのがイヤなんだ。我慢できなくて切ってしまう」

 腕組みしてちらっと窓の外に目をやる。遠い目で記憶をたどってるのだろうか。
 それは……マヤさん?

「キミといる方がはるかに有意義だ」

 そうだろう? といわんばかりの強い視線。腕を伸ばしてケースから新しい煙草を出した。
 真鍮の透かし彫りのクソ高そうなシガレットケースである。
 ところで何故こんなのが出てくるんだろう? まるでキープしてるがのごとく。
 もしかして、お店のオリジナル銘柄とかあるのだろうか。
 どうしても煙草がやめられないセレブなおじさん向けに出してる……とか。

「キミと私は利害関係が一致している。私はもう女を抱く気はないし、キミは男と街を歩くよりこまごまと……身奇麗にして料理を作ってる方が楽しいんだろう?」

 にっと女の人みたいに微笑んで私の顔を覗き込む。固まってるとおやという表情になった。

「失礼。昼間だったな」

 姿勢を正してまた煙草に火をつける。ふっと窓に煙をぶつけた。

「それでいいんじゃないか? とにかく私がキミを解雇することはないから安心してくれ。それでも万が一……と不安がるなら、キミと個人契約を結んでもいいな」
 
 こじんけいやく?

「もし仮にキミの想像する事態になったらそれ相応の違約金を払うよ。それこそキミが安心して暮らせるだけの額を。約束する」

 ちょっと……。それって。

「今すぐにでも、弁護士を呼んで正式に文書化してもいいよ。いちいちそんなことで不安がられたのではたまらんからな」

 会長は実にうまそうに煙草を吸いながらそう結んだ。
 ありがとうございます、とも言えず私は黙り込んだ。
 ち・ん・も・く。
 こんなとき……やることといえばできるだけ自然を装うのみである。
 つまり、目の前にあるものをひたすら食らう。
 てかてかのフォークをマカロンに突き刺すと中のクリームがむにゅっと出てきた。

「実際快適な環境にあるんだ。今の仕事をスムーズに終わらせるために……キミは私に最低限の食事を出してくれさえすればいい。あとは何をしてもいい。必要なものがあればそのつど買ってあげる」

 何をしてもいい……って下におすそ分けしたら怒るくせに。なんかもやっとするなあ。
 エアーもやっとボールをぶつけてみる。
 じっと見つめられて、見つめ返すとふっと微笑。何かを含ませた視線である。私が会長の彼女なら『何? 何か言いたいの?』と尋ねるところだ。

「いや。付き合ってる男がいないのなら、キミの携帯の待ち受け画面の男は誰なのだろうと思ってね。……家族ではなさそうだ」

 どきーーん。しししし、知ってたの?
 私の携帯……いつ見たんだろう。
 私ときたら無造作に会長の目の前で取り出していじってたことがあったかもしれない。タクシーの中とか。
 見られてたんだ?
 白バラの王子様……。

「ち、ちちちがいますよっ、やだなあ、会長ったら」

 別に冷汗流すことなんてないのである。
 けれども私はあせりまくって、口からでまかせにこんなことをほざいていた。

「あ、 あれ、あの人、地元でちょっと話題の人なんです。あの、よくあるじゃないですか、待ち受けにしとくと幸せになるよーっていう画像とか。そそそそれなんです よ! だって、ほら、素敵でしょ? だから、みんな入れてますよ! 私みたいな、彼氏いない子とか、ちょうどいいの!!」

 なんて。実際携帯ふりかざして。我ながらひどい。
 でも地元の人というのはあってるわ。
 超美男子の彼。松江のお隣米子出身。名前は忘れた。
 

「ふふ。そうか」

 会長はさほど気にせずといった具合に紫煙をくゆらせる。私は携帯をポケットにしまった。どきどきして、指がスカートの裏地に引っかかってしまいそうだ。「そっ……」

「そうですよ! 会長もそういうのいれてみたらどうですか?」

 あーあぶねえ。焦るのも変だけども、もっと変なことに『あとで消去しとかないと』などとちっとも思わないのである。
 麗しいから消しちゃうのもったいないといえばそうなんだけど。
 幸せになる待ち受け。まんざら……口からでまかせでもないような? 一応、高広くんに会うというハッピーをもたらせてくれた功績だってある。

 私は気まずさをごまかすのもあってひたすら食べまくった。そうして大方食べ終えるころ、お店の人がやってきて会長の傍で腰をかがめた。

「九条様。お車が到着しました」
「ん」

 会長は煙草をもみ消した。

「さて。出かけるとするか。キミはどうする? まだここにいてもいいが」

 いえいえ、一緒に帰ります、私は急いで最後のスコーンを飲み込んだ。ぬるくなった紅茶で流し込む。
 ああ、こういうとこが庶民だ。残して去ることができないのである。
 一方会長はコーヒーを半分ほどしか飲んでなかった。

「ありがとうございました」

 おじぎだけされてキャッシャーをスルー。私は籠を両腕で抱えて隠しながらエレベーターを待つ。
 ああ、吹き抜けが気持ちいい。
 私思うの。
 六本木ヒルズとか、ミッドタウンとか、東京に名所は山とあるけど女の子であればまずはここでしょ。
 この雰囲気。
 都会の空中庭園、天界の温室、空にそびえるガラスのピラミッドだ、まるで。
 乙女……のころあいは過ぎたけど、気持ち乙女な女の人で結構混んでいる。会社のようにリフトをほぼ独占……とはいかない。
 狭い空間に乗り込むと感じる。おばさま、おねえさまがたのチラチラ視線。
 会長はそれらを全く無視して、上から私の籠を持ったあたりを見つめていた。
 ドアが開いた。マンションのエントランスホールのようなモダンなつくりのロビーである。あんまりホテルっぽくないと私は思う。そこのモダンオブジェを通り過ぎたところで、会長は歩を止めた。籠をひょいと持ち上げる。
「月桂樹か。あんなところに生えているんだな。こんなに持って帰って冠でも作るのか?」中の月桂樹の葉に顔を近づけた。
 い、いえ、と口ごもる私にすっと籠を返して、「……ダフネーとアポロンのようにならないといいが」それはまた独り言のように聞こえた。

「お疲れ様です。会長。実はーーー」

 外に出るといつもの運転手さんが帽子を取って頭を下げ、会長に耳打ちした。
 広い無機質な車寄せにとまる黒いピカピカのレクサス。ドアマンさんもなじみな風にそばについている。

 彼が会長だって知ってる数少ないうちの一人だね。あとは掃除のおばちゃん、ガードマン、守衛さん……。
 そしてこの隣のホテルの従業員……。
 つくづくヘンな会社だ。そこまで正体隠す必要があるのだろうか。

「これから直接箱根に行くことになった。今日はもう帰社しないからキミは帰っていいよ」

 振り向いて言われて私は籠を抱えたままおじぎをした。

「いってらっしゃいませ」

 ほんの一瞬香る青臭い生葉の匂い。それはよく知るローリエの香りじゃなかった。

 部屋に戻ったのは4時前だ。月桂樹を入れたまま籠をカウンターの定位置に戻した。

 つい、おかえりと声かけてやりたくなる。籠自体は可愛いのだ。

 軽い気持ちで持ち出したのはよかったが……。
 
 よく考えたら浮きまくってたに違いない。会長はスーツだからいいけどさ、私なんて制服にこれ。あの子勤務中に何? みたいな。
 ああ、もやもやもやもや……。

 サバランが本に化けて、わらしべ長者か。
 

 そのりゅうちゃんの本をぱらぱらめくると、はらりと小さな紙切れが床に落ちた。

『今日はごくろうさま。よかったらレシピ交換しませんか?』

 きれいな手書きでそう書かれていた。メアドと、何かのURLとともに。
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