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9話 残り香
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「だが、困ったことになってね…」 樫木は、ふと声の調子を変えた。 そして、隣に控えていた白髪の若い男に目配せをした。
男は無言でノートPCを取り出し、テーブルに置いた。 キーを数回押すと、画面が立ち上がる。
「!?」
成明は立ち上がった。 椅子が軋む音が、室内に響いた。
それは、映像だった。複数の男と、真ん中にいるのは…市川香苗! どこかに監禁されているように見える。
「卑怯だぞ!」
叫び、詰め寄ろうとするがいつの間にか背後に大男が二人いて両腕を羽交い絞めにされた。
「彼女はなにも関係ない」
「ふっ、君にも熱い血が流れているんだね、安心した。できればその感情を私の娘に向けてほしかったが」
「どこなんだ、そこは!」会長は力の限り抵抗した。
「腕が折れるぞ、残念だが、少し前の記録なのだよ、もうここにはいない」
「なんだと」
「私の部下が勝手にしたことだ…許してほしいとは言わない。ありのままを伝える。手を余す身内や処分に困った末端のクズを引き取る業者というものが存在してね…わかるか?ニートや引きこもり…古い言い方をすれば遊女のなれの果て…そういう輩を持ち込む場所が世の中にはあるのさ」
「何の関係があるんだ」
「それがあるのだよ。君の大切な子は、どうやらそのルートに乗ってしまったらしい」
会長は言葉を失った。一気に力が抜け、大男の手が離れた。
「私もこれ以上キミにダメージを与えるつもりはない。いや、なかったんだ。だが、部下がねえ、マヤのためを思って邪魔な存在を排除しようとしたらしいねえ。かなえてやりたかったんだ、女ごころというやつをね」
「そんな…」 顔は青ざめていた。 それを見て、樫木は憐れみさえ感じた。
「君にもそんな感情があるんだな」 樫木は静かに言った。 「残念だが、そういうことだ。だが、決して死が約束されたわけではないよ。その先は誰も知らないんだ」
「これまた古めかしい言い方だが、島流しのようなものだと思ってくれ」 その言葉は、慰めではなく、現実の告知だった。
「証人はこの男だ」 樫木が目を向けたのは、場にそぐわない黒づくめの若い男。 これまで沈黙を守っていた彼に、ついに発言の機会が設けられた。
「彼が事のいきさつを見届けてね」
若い男は、静かに頷いた。 「はい。確かにこの目で」
絶望のゴングが響いた。 香苗がそのルートに乗ってしまった、たった今そのことが証言された。
「私も無事を祈っているよ」 樫木は言った。「もうそれしか手立てがないんだ」
いつの間にか、ノートPCは片付けられていた。 証拠も言葉も尽くされた。 そして、樫木は静かに部屋を出て行った。
大男も、樫木に続いて部屋を出ていった。 扉が静かに閉まる。 空気が、急に軽くなったようで、逆に重く感じられた。
そのときだった。
——「大丈夫、じきに戻る」
空耳のように、何かが聞こえた。 会長は、はっとして顔を上げた。 見渡す。 だが、そこには誰もいなかった。
音ではない。 声でもない。 だが、確かに“何か”が耳に触れた。
「兄さん、どうしたんだよ、ぼーっとして」
高広は、成明の顔を覗き込んだ。
成明は、長年寝所としていたホテルを引き払い、実家に戻っていた。
帰宅するなり、
「ああ…」 食欲もなく、うつろな目をしてソファに寝転んでいる。
「どうした、成明」 父も心配して寄ってきた。
何も答えない。
高広は、天を仰いだ。
あーあ、一つ片付けば一つこれだよ。
⦅ 瀬尾のアレがな—— ⦆高広は思った。⦅ 男にも効けばな。⦆ 場面が想像しにくいが、当然ながらアレは対女性限定の秘技だ。
あの日成明が目にしたものは誰も知りえない。
―――俺のせいで……。
香苗の映像。 あの瞬間から、成明は何かを失った。
―――いつ、どこで、その時俺は何をしていた?
立ち上がり、自室に向かう。
気を抜くとあの映像に頭をブロックされる。 何もそこを突き抜けることができなくなる。 香苗の顔、囲む男たち、あの空気。 それが、あらゆる思考を止めてしまう。
高広は、兄の背中を見ながら、静かにため息をついた。 「あいつのこと、そんなに…」 言葉は続かなかった。 誰も、香苗の“今”を知らない。 ただ、映像の残像だけが、成明の中で生き続けていた。
男は無言でノートPCを取り出し、テーブルに置いた。 キーを数回押すと、画面が立ち上がる。
「!?」
成明は立ち上がった。 椅子が軋む音が、室内に響いた。
それは、映像だった。複数の男と、真ん中にいるのは…市川香苗! どこかに監禁されているように見える。
「卑怯だぞ!」
叫び、詰め寄ろうとするがいつの間にか背後に大男が二人いて両腕を羽交い絞めにされた。
「彼女はなにも関係ない」
「ふっ、君にも熱い血が流れているんだね、安心した。できればその感情を私の娘に向けてほしかったが」
「どこなんだ、そこは!」会長は力の限り抵抗した。
「腕が折れるぞ、残念だが、少し前の記録なのだよ、もうここにはいない」
「なんだと」
「私の部下が勝手にしたことだ…許してほしいとは言わない。ありのままを伝える。手を余す身内や処分に困った末端のクズを引き取る業者というものが存在してね…わかるか?ニートや引きこもり…古い言い方をすれば遊女のなれの果て…そういう輩を持ち込む場所が世の中にはあるのさ」
「何の関係があるんだ」
「それがあるのだよ。君の大切な子は、どうやらそのルートに乗ってしまったらしい」
会長は言葉を失った。一気に力が抜け、大男の手が離れた。
「私もこれ以上キミにダメージを与えるつもりはない。いや、なかったんだ。だが、部下がねえ、マヤのためを思って邪魔な存在を排除しようとしたらしいねえ。かなえてやりたかったんだ、女ごころというやつをね」
「そんな…」 顔は青ざめていた。 それを見て、樫木は憐れみさえ感じた。
「君にもそんな感情があるんだな」 樫木は静かに言った。 「残念だが、そういうことだ。だが、決して死が約束されたわけではないよ。その先は誰も知らないんだ」
「これまた古めかしい言い方だが、島流しのようなものだと思ってくれ」 その言葉は、慰めではなく、現実の告知だった。
「証人はこの男だ」 樫木が目を向けたのは、場にそぐわない黒づくめの若い男。 これまで沈黙を守っていた彼に、ついに発言の機会が設けられた。
「彼が事のいきさつを見届けてね」
若い男は、静かに頷いた。 「はい。確かにこの目で」
絶望のゴングが響いた。 香苗がそのルートに乗ってしまった、たった今そのことが証言された。
「私も無事を祈っているよ」 樫木は言った。「もうそれしか手立てがないんだ」
いつの間にか、ノートPCは片付けられていた。 証拠も言葉も尽くされた。 そして、樫木は静かに部屋を出て行った。
大男も、樫木に続いて部屋を出ていった。 扉が静かに閉まる。 空気が、急に軽くなったようで、逆に重く感じられた。
そのときだった。
——「大丈夫、じきに戻る」
空耳のように、何かが聞こえた。 会長は、はっとして顔を上げた。 見渡す。 だが、そこには誰もいなかった。
音ではない。 声でもない。 だが、確かに“何か”が耳に触れた。
「兄さん、どうしたんだよ、ぼーっとして」
高広は、成明の顔を覗き込んだ。
成明は、長年寝所としていたホテルを引き払い、実家に戻っていた。
帰宅するなり、
「ああ…」 食欲もなく、うつろな目をしてソファに寝転んでいる。
「どうした、成明」 父も心配して寄ってきた。
何も答えない。
高広は、天を仰いだ。
あーあ、一つ片付けば一つこれだよ。
⦅ 瀬尾のアレがな—— ⦆高広は思った。⦅ 男にも効けばな。⦆ 場面が想像しにくいが、当然ながらアレは対女性限定の秘技だ。
あの日成明が目にしたものは誰も知りえない。
―――俺のせいで……。
香苗の映像。 あの瞬間から、成明は何かを失った。
―――いつ、どこで、その時俺は何をしていた?
立ち上がり、自室に向かう。
気を抜くとあの映像に頭をブロックされる。 何もそこを突き抜けることができなくなる。 香苗の顔、囲む男たち、あの空気。 それが、あらゆる思考を止めてしまう。
高広は、兄の背中を見ながら、静かにため息をついた。 「あいつのこと、そんなに…」 言葉は続かなかった。 誰も、香苗の“今”を知らない。 ただ、映像の残像だけが、成明の中で生き続けていた。
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