タイムリミット 💍

シナモン

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【前日譚】都筑家の事情 

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 メールを交換し、少し歩きましょうかと席を立ち、キャッシャーのあるフロアまで降りようとしたところだった。
「あら」
 一人でソファに腰かけていた紳士を目が合った。足が止まる。彼は立ち上がる。
「…いいかな、少し」
 その目配せで関のぶえはその人が北条令子の知人だと気づき、「じゃ、先生、ここで」勘定を済まそうと先に足を進めた。
「私が払いますので、よろしいですかな、彼女を少しお借りして」
「え、ええ…」
 男性は素早く店員を呼んで勘定を一緒にするよう指示し、新たな席へ令子を案内した。


「まあ、こんなところであなたに会うなんて」

 ゆったりしたソファに改めて腰かけて、令子は言った。

「いや、香港へはたまに来るのでね。君がメディアに顔を出すと聞いてもしかして、と思ったんだよ」
「よくわかったわね。いくらでもホテルがあるのに」
「利用するのはごくわずかだがね。まあいいじゃないか、久しぶりに話がしたい」
「あら、智則のこと?」
「そういうわけじゃない」

 かつての夫…。実際に顔を合わせるのは何年ぶりだろうか。
 レモン果汁の軽いドリンクを再オーダーした。

「実は今もしていたのよ、子育ての話」
「ほう」
「子育てなんておこがましいわね、遠い昔、少しの間だけだけど」
「それでもきちんと向き合っていた」
「学校の細かなやりとりやお手伝いには全然関わってないけどね」
「それは私も同じだ。たまに行事に行ったくらいだ」

 そう…。あの頃は息子の教育方針で意見が分かれ、険悪な関係になってしまった。
 この人は舅から自分を守ってくれていたが歯止めがかからないほど悪い方へ転がった。

「海外の学校へ通わせたいと言っていたな」
「ええ…。今になって思えば、どうしてあの子をそういう学校へ行かせようとしたのか不思議だわ。英語に触れさせたい、いろんな国の子と遊ばせたい、もっと創造的な授業の学校へ行かせたい…」

 立派に育った息子と会うにつれ、それは無駄な主張だったと思い知った。

「あなたには感謝しているわ。何不自由なく育ててくれて」

 ほう、なんだか機嫌が良いがどうしたのだろう。
 と、氏は傍らの手提げの中を意識した。

「君こそ大したものじゃないか。亡くなった父も感服しとるだろう」
「いいえ、その逆よ。逆に家にとどまってどんな苦労も受け止めて子供の世話をするのも立派な生き方よ。そう思ったの。私にはできなかったことでしょう」

 男に頼る生き方に疑問を感じていた。
 何もかも捨てて社会に飛び出した。
 生活できればいいと始めた仕事がいつの間にかこうなっていた。
 だけど…どんなにもてはやされようが家庭を捨てた女には違いない。罪は少しも埋まらない。冷ややかに蔑む層はいる。女も男も。
 それは今も昔も変わってない。声は小さくなったかもしれないが実際は男性上位であることに変わりはない。

「どんな話をしていたのかな。さっきの女性と?」
「ええ。久しぶりよ、子供の話をするなんて。知らない人とは初めてかも」
「ほう。子供の結婚のことでも?」
「いいえ、その方のお子様はまだ学生よ」
「そうかね」
「…結婚が近いの?」逆に令子は尋ねた。
「いいや、話は聞かないねえ。してもこないが」
「どんな子を連れてきても、あなた、邪魔をしないでよ」

 令子の言葉に少しだけ緊張が走った。

「あなたが私をお義父様に会わせたときそうだったようなことをあの子にしてほしくないの」
「連れてくるとは限らないだろう。いつまでたっても音沙汰ないようならそれは考えるだろうが」
「だから反対しないでってことよ。あの子の好きなようにさせてあげて」
「それはまあそうだな」

 …私がしているのはそれがなかった時の保険だ。あくまでも。
 最悪のケースに備えるのも親の努めだろう。

「私より君の方がよく知ってそうだが」
「ええ、会うことはあってもそんな話はしないわ。それにあんまり街歩きしないよう気を付けているのよ」
「ほう、それはどうして」
「ほら、知らない人が見れば親子と見えないかもしれないわ。親子に見えたとしてもしょっちゅう会っていると噂されかねないでしょ、マザコンじゃないかって」
 マザコン?
 マザコンとは…造語だが、広く意味は通じる。
「話を大げさにしてすぐ広める人っているじゃない」
「母親に依存しているというのか? 智則が」
「そうじゃないけど! そう見る人もいるかもしれないって話よ」
 しかし都筑氏には新しい観点だった。
 そうか、そういう可能性もあるのか。息子はあまりに女性の話をしなさすぎる。
 酒を飲ませても口を割らない。
 まどかを見せたときのあの反応ではロリータ趣味ではなさそうだ。
 常に無表情な息子がはっきりと嫌悪を示していた。
 しかしあの女優は…? 特に思い入れはないと言っていたが、見ようによっては元妻と似たようなタイプと言えなくもない…。
 息子はそのけがあるのか?
「ううむ…」
「あなた、なあに? もしかしてさっそく干渉してるんじゃないでしょうね」令子の顔が険しくなった。「もしそんなことをしたらもう二度と会わないわよ?」
「す、するわけないだろう、私が。智則が決めることだ。…し、してませんとも!」
 くるっと丸い愛らしい眼でなじられると…弱い。何も言えなくなる。昔からそうだった。元妻の最大のチャームポイントだ。
「そう。ならいいけど」令子は視線を緩めた。
 息子に自分の感じた嫌な思いを味あわせたくない。関と同じだ。
 この人は自分側に立ってくれはしたが、主義主張まではそうはいかない。
 度々意見が衝突し、結婚を解消してしまった。関のいうように『親の背中を見て育った』息子には出来るだけ好きにさせてやりたい。
 香港に連れてきていたころの幼い息子の姿が浮かんだ。
「あの子が言っていたわ。もしかしたら近いうち福州郊外で面白いものが見れるかもしれないって。何かしら」
「…あんまり事業に関わるなと言ってるんだがね」
 まだやっているのか、と都筑氏は困ったふうな表情を見せた。
「なあに、その言い方。あの子だって考えているでしょう。いいことじゃないの」
「身を案じるのも親であればこそだろう。危険な目に遭わんとも限らん」
「あなたねえ~。守りに入りすぎでしょう」
「守っていかなければならないんだよ。必要のないことに首を突っ込む…そういうところ、君に似てるんだろうな」
「何なの、ギリギリ嫌味に聞こえる言い方。あの子があなたに似なくてよかったわ」
 令子は不快感をあらわにした。気のせいか急激に風も荒れてきたようだ。
「あら、もう行かなきゃ」
 スマホを見るとメールが届いていた。
『先生、みんなかえってきましたー。もしかしておじゃまですか?( ´艸`)』
 関からだ。フフとほほ笑み、席を立った。

「東京まで送ろうか?」
「いいわよ、小さなチャーター機だけど、楽しいトークが待ってるの」
 
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