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「なんですって」
まなじりを上げてゼナイドはにらみ付けてくるが、マリエルはなおも言った。
手はそっとデイビッドの背中を撫でる。
再び毛を逆立て始めたデイビッドだったが、なだめるようなマリエルの手つきに大人しくする。
「ここには誰の許可を得てお越しなのでしょう」
マリエルが静かに尋ねると、
「それは……」
ゼナイドは急にあわて始める。
それはそうだ。
マリエルとデイビッドは魔法省の要望を呑んで「やっている」にもかかわらず、おそらく魔法省の誰かに内々で鼻薬を嗅がせて乗り込んできたのだ。
王家は武家で下級貴族のマリエルより、非軍閥で高位貴族の女性とデイビッドを縁付かせたい。
デイビッドの母方の主家に当たるモナハン公爵家はもっとも適当な相手だった。
公爵家といえどここのところあまり振るわないモナハン公爵家としてはフェンリルを取り込み、王家に恩を売る絶好の機会だった。
どうしてもマリエルかデイビッドに結婚を頷かせないといけないが、騒ぎになって困るのはゼナイドの方である。
マリエルはバークレイ卿はマリエルを擁護すると確信している。長い付き合いというだけではない。
ここで、軍閥を抜ける方が危険であることは、バークレイ卿も承知だからだ。
フェンリルこそが最強の兵器である。軍は軍を守るために彼らを保護する。
「そのお話はバークレイ卿となさってください。お帰りを」
マリエルはゼナイドではなく、取り巻きの人間に言った。
ゼナイドはマリエルと同じ年頃だ。高貴なお嬢様としては少々の行き遅れ。デイビッドを婿にすれば皆を見返せると乗せられて意気揚々やってきたのだろう。
聞けばマリエルがここに来る前にデイビッドの番候補とやってきた令嬢達の一人らしい。
獣の妻はご免だが、フェンリルの形だけの正室ならむしろ喜んで引き受けたい。
そんな欲の皮の突っ張った令嬢にデイビッドを渡すわけにはいかない。
***
ゼナイドを追い払った後、マリエルはデイビッドの狼の顔を両手で挟み込み、言い渡した。
「デイビッド、私が番なら他の人と結婚しては駄目よ。出世したいなら、私じゃなくてその人を番にしなさいな」
デイビッドの将来を考えるならゼナイドが妻になるのは素晴らしい選択だが、ゼナイドもゼナイドの家もフェンリルを利用したいだけだ。
デイビッドに情の一片もないのだから、デイビッドとマリエルの子供など彼らにどんな扱いをされるのか、想像するだに恐ろしい。
マリエルは生まれてくるかも知れない大事な我が子を守る義務がある。
そんな相手にデイビッドをくれてやるわけにはいかないのだ。
デイビッドはマリエルの瞳を覗き込む。
『マリエルマリエルマリエル君だけ君だけ君だけ君だけ番番番番愛している愛している愛している』
デイビッドの瞳は狂おしいほどの愛情で満ちている。
マリエルはうっとりとその愛に浸る。
「僕からも厳重に抗議するよ。警備は何をしてるんだ」
とバーナビーが珍しく怒りを露わにする。
そんなバーナビーにマリエルは言った。
「抗議はして欲しいけれど、程々でいいわ」
「程々、でいいの?」
「聞いていただろうが、バークレイ夫人の縁者らしいんだ。あまり厳密にするとデイビッドのお母上も板挟みになってお辛い立場になってしまう」
「……マリエルってデイビッドのお母さん、嫌いだと思ってたよ」
バーナビーばかりかデイビッドまで驚いたようにマリエルを見つめる。
「好きではないけれど、嫌いではないわ。悪い人じゃないし、可愛がってくれたと思うし……」
マリエルは正直に告白した。
「お母様の立場だとあれが正解なんだと思うの」
騎士の家系の娘のマリエルは皆から「ちょっとおてんば」と表現されたが、バークレイ夫人にとって剣を振り回し木登りまでするマリエルはおてんばの範疇ではない。
お嬢様育ちのバークレイ夫人はマリエルが嫁に来ると聞いてさぞ、驚いたことだろう。
だがマリエルとしても幼い彼女を否定するようなバークレイ夫人は苦手な存在だった。
ただ、バークレイ家はバークレイ夫人が夫に惚れ込んで嫁に来た。だからバークレイ卿の決定にバークレイ夫人は逆らいはしない。
***
「マリエル」
デイビッドが完全に人の姿に戻ったのは、その夜だった。
振り返ると完全に元のデイビッドがいた。
「デイビッド?」
「ああ、マリエル……出来ている?元に戻れている?」
デイビッドは嬉しげに聞く。
尻尾もない、耳も出ていない、毛むくじゃらでもない、明るい茶色の瞳で同じ色の髪の完全にデイビッドだ。
「ええ、大丈夫そう……戻れたのね……」
マリエルは抱きしめられた腕の中で、呟く。嬉しいと言うより、気が抜けた。
これで家に帰れるらしいが……。
「誰に連絡すればいいのかしら…まずバーナビーよね?その後、うちの実家にバークレイ家に…ブルーノ卿…」
「それより俺を見て」
と苛立たしげにデイビッドはマリエルを遮る。
マリエルはデイビッドを見上げる。
子供の頃はどちらかというとマリエルの方が発育が良かったが、年頃になると逆転し、マリエルは思ったほど背が伸びず平均身長といったところだ。女性騎士にしては少し小柄な方だろう。デイビッドはぐんぐん背が伸びて騎士らしい長身だ。
じっと目を逸らさずマリエルを見つめるデイビッドの視線に恥ずかしくなり、マリエルはそっと目を伏せた。
「ああ、そうね……うん、男前よ、デイビッド」
「本当?」
デイビッドは目を輝かしたが、目を伏せたままのマリエルは自分がどれほど番を喜ばせたのか、知らない。
「え、ええ」
戸惑いがちに頷いた体をきつく抱擁される。
「マリエル……ごめん」
「えっ、何?」
「昼間のこと。マリエルを守れなかった……」
「あの、ゼナイド様?あれは、あなたが口出しした方が面倒よ。狼で正解だわ」
マリエルは思い出して笑った。
「そう?」
「そうよ、ああいう人ってあなたが言えば言うほど私が言わせたって思うタイプよ。私はあなたの父親に押し付けただけ。あなたもそうした方が良いわ。『結婚は父が決めたことで今更変えられません』とか何とか……」
「違う!」
とデイビッドが叫んだ。
「結婚は俺から父に願い出たことだ。だから誰にでもちゃんと言うよ。俺が、マリエルを好きだから結婚するって。マリエル以外とは結婚しないって今度こそ、ちゃんと言う……」
まなじりを上げてゼナイドはにらみ付けてくるが、マリエルはなおも言った。
手はそっとデイビッドの背中を撫でる。
再び毛を逆立て始めたデイビッドだったが、なだめるようなマリエルの手つきに大人しくする。
「ここには誰の許可を得てお越しなのでしょう」
マリエルが静かに尋ねると、
「それは……」
ゼナイドは急にあわて始める。
それはそうだ。
マリエルとデイビッドは魔法省の要望を呑んで「やっている」にもかかわらず、おそらく魔法省の誰かに内々で鼻薬を嗅がせて乗り込んできたのだ。
王家は武家で下級貴族のマリエルより、非軍閥で高位貴族の女性とデイビッドを縁付かせたい。
デイビッドの母方の主家に当たるモナハン公爵家はもっとも適当な相手だった。
公爵家といえどここのところあまり振るわないモナハン公爵家としてはフェンリルを取り込み、王家に恩を売る絶好の機会だった。
どうしてもマリエルかデイビッドに結婚を頷かせないといけないが、騒ぎになって困るのはゼナイドの方である。
マリエルはバークレイ卿はマリエルを擁護すると確信している。長い付き合いというだけではない。
ここで、軍閥を抜ける方が危険であることは、バークレイ卿も承知だからだ。
フェンリルこそが最強の兵器である。軍は軍を守るために彼らを保護する。
「そのお話はバークレイ卿となさってください。お帰りを」
マリエルはゼナイドではなく、取り巻きの人間に言った。
ゼナイドはマリエルと同じ年頃だ。高貴なお嬢様としては少々の行き遅れ。デイビッドを婿にすれば皆を見返せると乗せられて意気揚々やってきたのだろう。
聞けばマリエルがここに来る前にデイビッドの番候補とやってきた令嬢達の一人らしい。
獣の妻はご免だが、フェンリルの形だけの正室ならむしろ喜んで引き受けたい。
そんな欲の皮の突っ張った令嬢にデイビッドを渡すわけにはいかない。
***
ゼナイドを追い払った後、マリエルはデイビッドの狼の顔を両手で挟み込み、言い渡した。
「デイビッド、私が番なら他の人と結婚しては駄目よ。出世したいなら、私じゃなくてその人を番にしなさいな」
デイビッドの将来を考えるならゼナイドが妻になるのは素晴らしい選択だが、ゼナイドもゼナイドの家もフェンリルを利用したいだけだ。
デイビッドに情の一片もないのだから、デイビッドとマリエルの子供など彼らにどんな扱いをされるのか、想像するだに恐ろしい。
マリエルは生まれてくるかも知れない大事な我が子を守る義務がある。
そんな相手にデイビッドをくれてやるわけにはいかないのだ。
デイビッドはマリエルの瞳を覗き込む。
『マリエルマリエルマリエル君だけ君だけ君だけ君だけ番番番番愛している愛している愛している』
デイビッドの瞳は狂おしいほどの愛情で満ちている。
マリエルはうっとりとその愛に浸る。
「僕からも厳重に抗議するよ。警備は何をしてるんだ」
とバーナビーが珍しく怒りを露わにする。
そんなバーナビーにマリエルは言った。
「抗議はして欲しいけれど、程々でいいわ」
「程々、でいいの?」
「聞いていただろうが、バークレイ夫人の縁者らしいんだ。あまり厳密にするとデイビッドのお母上も板挟みになってお辛い立場になってしまう」
「……マリエルってデイビッドのお母さん、嫌いだと思ってたよ」
バーナビーばかりかデイビッドまで驚いたようにマリエルを見つめる。
「好きではないけれど、嫌いではないわ。悪い人じゃないし、可愛がってくれたと思うし……」
マリエルは正直に告白した。
「お母様の立場だとあれが正解なんだと思うの」
騎士の家系の娘のマリエルは皆から「ちょっとおてんば」と表現されたが、バークレイ夫人にとって剣を振り回し木登りまでするマリエルはおてんばの範疇ではない。
お嬢様育ちのバークレイ夫人はマリエルが嫁に来ると聞いてさぞ、驚いたことだろう。
だがマリエルとしても幼い彼女を否定するようなバークレイ夫人は苦手な存在だった。
ただ、バークレイ家はバークレイ夫人が夫に惚れ込んで嫁に来た。だからバークレイ卿の決定にバークレイ夫人は逆らいはしない。
***
「マリエル」
デイビッドが完全に人の姿に戻ったのは、その夜だった。
振り返ると完全に元のデイビッドがいた。
「デイビッド?」
「ああ、マリエル……出来ている?元に戻れている?」
デイビッドは嬉しげに聞く。
尻尾もない、耳も出ていない、毛むくじゃらでもない、明るい茶色の瞳で同じ色の髪の完全にデイビッドだ。
「ええ、大丈夫そう……戻れたのね……」
マリエルは抱きしめられた腕の中で、呟く。嬉しいと言うより、気が抜けた。
これで家に帰れるらしいが……。
「誰に連絡すればいいのかしら…まずバーナビーよね?その後、うちの実家にバークレイ家に…ブルーノ卿…」
「それより俺を見て」
と苛立たしげにデイビッドはマリエルを遮る。
マリエルはデイビッドを見上げる。
子供の頃はどちらかというとマリエルの方が発育が良かったが、年頃になると逆転し、マリエルは思ったほど背が伸びず平均身長といったところだ。女性騎士にしては少し小柄な方だろう。デイビッドはぐんぐん背が伸びて騎士らしい長身だ。
じっと目を逸らさずマリエルを見つめるデイビッドの視線に恥ずかしくなり、マリエルはそっと目を伏せた。
「ああ、そうね……うん、男前よ、デイビッド」
「本当?」
デイビッドは目を輝かしたが、目を伏せたままのマリエルは自分がどれほど番を喜ばせたのか、知らない。
「え、ええ」
戸惑いがちに頷いた体をきつく抱擁される。
「マリエル……ごめん」
「えっ、何?」
「昼間のこと。マリエルを守れなかった……」
「あの、ゼナイド様?あれは、あなたが口出しした方が面倒よ。狼で正解だわ」
マリエルは思い出して笑った。
「そう?」
「そうよ、ああいう人ってあなたが言えば言うほど私が言わせたって思うタイプよ。私はあなたの父親に押し付けただけ。あなたもそうした方が良いわ。『結婚は父が決めたことで今更変えられません』とか何とか……」
「違う!」
とデイビッドが叫んだ。
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