氷の狼と令嬢の政略結婚な1年

林優子

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一年目

10.饗宴の秋4

 王宮で開かれた秋の大舞踏会で最も注目を集めたのは、ジークフリート・ギュンターとその妻ロゼッタ・ギュンターであった。

 今日のロゼッタは緑に黒を差し色で使ったドレスを着ている。伝統的なデザインと色合いで派手さはないが、その分上品で優美だった。胸元にはエメラルドの首飾りが輝いていた。
 ギュンター家は銀髪に緑の瞳の者が多い。そのため家系色とも言えるエメラルドの宝石は代々ゆかりのものが宝物庫に眠っている。今日首に巻いているのはそのうちの逸品だ。王宮の舞踏会に相応しい豪華な代物だった。

 ロゼッタにとって今宵の装いは特別だった。
 ジークフリートの色を纏い、ギュンター家伝統の宝石で飾られた自分は、真実ジークフリートの妻になれた気がした。
 王宮に到着し、馬車から降りた瞬間にロゼッタとジークフリートに人々の目が集まる。ジークフリートにエスコートされたロゼッタは臆することなくスッと背筋を伸ばして大広間に入場する。

 以前のロゼッタは背を少し丸めていた。胸が大きいことが年頃で恥ずかしかったのと、令嬢としては高めの背丈を少しでも隠したかった。
 背が小さく華奢な娘の方が王都では人気があった。
 だが、何かの拍子にジークフリートが「もっと背を伸ばして堂々と歩け」と言った。
「君はギュンター夫人なのだ」

 人によっては叱咤に聞こえたかも知れないが、ロゼッタはジークフリートが自分を認めてくれたようで嬉しかった。その日から背筋を伸ばした。
 伸びた背筋の分だけ、ジークフリートに近づけた気がした。


 国王に挨拶する前にジークフリートはリーネルト侯爵夫妻とその令息に挨拶する。
 ロゼッタの両親と兄だ。
 リーネルト侯爵はこの国の宰相を務めている。
『一級の政治家ではあるが、息子が小物過ぎて話にならない』
 ロゼッタは聡明な娘だ。場をわきまえて頭の回転も速い。父親に似たんだろう。
 だが、息子の方は軽薄そのものな男だった。
 結婚式で冷たく振る舞ったジークフリートが言えた義理ではないが、父親の代理としてやってきたはずの長兄はロゼッタを送り届けただけで、結婚の翌日には早々と帰って行った。
 父親のリーネルト侯爵の方は、これを機にギュンター家との繋がりを深めたかったようだが、跡を継ぐのがこの馬鹿息子ならギュンター家は深入りしない。

 国王一家との挨拶を無事終え、二人は王家から始まり公侯伯と続くダンスの順番を待つ。さりげなく侍従が近づきジークフリートに耳打ちすると彼は盛大に眉をしかめた。

「夫婦のダンスの後、一曲願いたいそうだ」
 としかめっ面でロゼッタに囁く。
「どなたでしょうか」
「私はマーガレット王女殿下、君は王太子殿下がお相手らしい」
「まあ……」
 ロゼッタは息を呑んだ。



 本当なら、ジークフリートの結婚相手はマーガレットだった。王家に近い家とはいえ、リーネルト侯爵家ではギュンター家をつなぎ止めるには力が弱い。
 ジークフリートの首に縄を付けるなら、王女の降嫁が一番だったが、醜男の田舎者との結婚はまっぴらご免と当のマーガレットが嫌がったのだ。
 その後は噂に恐れを成した公爵家の姫君も軒並み断り、回り回ってロゼッタに降ってきた縁談だった。

 そのマーガレットはジークフリートを見て歯ぎしりした。
「あんな方だなんて聞いてないわ」
 王都でも彼より美しい男は稀だろう。ことにあの銀髪はため息が出る程に美しい。あんな男が夫なら自慢出来る。
 体つきは騎士らしく屈強だが、色が白いせいで暑苦しさはさほどない。すらりと見場がいい男だ。王都の男にはない怜悧な表情も気に入った。
 逃した魚の大きさにマーガレットは悔しがった。
 マーガレットは20歳。
 既に適齢期は終わりかけている。王女であるから縁談に困ることはないが、家柄、財産、美貌をひっくるめると、ジークフリートより条件のいい男はいない。
「こんなことならあのロゼッタにくれてやるんじゃなかったわ」
 ジークフリートが王都に来る前、マーガレットは親切ごかしてロゼッタを王宮の茶会に呼び散々気の毒がってやった。
 ロゼッタは王都に居た頃と変わらず大人しく、何を言われても曖昧に微笑んでいた。
 マーガレットは「自分は何て幸福なのかしら」と悦に入ったが、その実ロゼッタはジークフリートの美しさを隠していたのだ。何と言う女だろうか。
「お心の広い優しい方ですわ。私にもとても良くして下さいます」
 一応ロゼッタは遠慮がちに反論はしたがマーガレットは聞いていなかった。

 政略結婚なのだから、相手がロゼッタでなくてもいいはずだ。むしろ王女の私の方が箔が付くというもの。マーガレットは意気揚々とダンスを申し込んだ。




 ***

 王太子はロゼッタをダンスに誘い出したが、すぐに苛ついた。
 つい一年前まではダンスに誘えば尻尾を振って喜んだロゼッタが今は王太子の顔もろくに見ず、視線はジークフリートを追いかけている。
 ジークフリートもマーガレットを腕に抱きながら、ロゼッタを見つめ、目が合うと二人は微笑みあう。
「君が私の妃になった未来もあっただろうに」
 囁くとロゼッタは困った風に微笑んだ。
「まあ殿下……」
「今からでは妃は無理だが、公妾として私に仕えてくれるのはどうだろうか」
 王太子はロゼッタの胸元を覗き込む。
 この胸を知っていたら、正妃にしてやっても良かった。
 人の物になったからだろうか、ロゼッタは美しくなった。今日のドレスも露出は控えめだが、ロゼッタが着るとひどく艶めかしい。
「君にもいい話だと思う。グリューニングの田舎は若い君にはつまらないだろう?私なら十分君を愉しませることが出来る。そう色々とね、教えてあげよう」
 王都の令嬢達を魅了してやまない若き王太子はロゼッタにたっぷりと色気を振りまいた。

 そんな王太子をロゼッタは冷静に観察した。
『不思議ね。全然嬉しくない』
 かつてはそんな王太子に胸を高鳴らせ、一言二言会話を出来ただけで舞い上がったものだが、今はまったくそんな気分ではない。
 ただジークフリートが気になって仕方ない。
 ジークフリートは、マーガレットが気に入っただろうか。
 マーガレットは美しく、そして王女だ。何もかも自分より優れている。

「ロゼ」
 曲が終わるとジークフリートはマーガレットに慇懃に一礼し、すぐにロゼッタを迎えに来る。
「ジークフリート様」
 ロゼッタは夫が伸ばした手に指を絡める。ジークフリートは慣れた手つきでロゼッタの腰を抱き寄せる。
 二人の様子は、愛し合う夫婦そのものだった。
「明日は早く立たねばならない。そろそろ失礼するよ」
「はい……」
 ジークフリートの腕の中だと何処より安心出来た。ロゼッタは頼もしい胸に頬を寄せうっとり頷く。


 王太子はそれを見て腹を立てた。
 聡明だと妃候補に加えられたロゼッタを、花がないと嫌がったのは王太子だ。表層だけ見て手放したロゼッタが今更惜しくなる。
 そのロゼッタを磨き上げ、国一番の貴公子である自分が霞むほどの美丈夫だったジークフリート。
 二人の間に何とか波風立ててやりたい。

 王太子はロゼッタに近づき、囁いた。
「了承してくれて嬉しいよ、ロゼッタ。早速私から伯爵にお願いしよう」
「……殿下?」
 ロゼッタは唖然として王太子を見上げた。分からないが、悪い予感がする。

 王太子はジークフリートを見つめると、密談には不適切な大声で話し始めた。
「内密にご相談があるのですが、グリューニング伯爵」
「何でしょうか、王太子殿下」
 対するジークフリートは涼やかに応じた。
『すぐにその仮面を剥ぎ取って大慌てさせてやる』
 王太子はほくそ笑んだ。
「ご存じないでしょうが、ロゼッタと私は以前から親しい友人なのです」
 ロゼッタは内心で困惑した。
 そんな事実はない。いつも王太子はロゼッタを『ロゼッタ嬢』と呼んで距離を置いていた。
「ほう」
 ジークフリートの答えは短く、白皙の美貌からは何の感情も読み止めない。
「ロゼッタは私にグリューニング領に戻りたくないと打ち明けてくれました。このまま私に仕えて王都で暮らしたいそうです。私も可能な限り便宜を図らせて頂きます。どうかロゼッタの願いを叶えては頂けませんか?」

 公然の場で愛人にするから置いてゆけと王太子は言った。しかもロゼッタはもう了承済みだと。
 ロゼッタは真っ青になった。
「そ、そんな……」
 ロゼッタは抗議しかけたが、王太子は芝居がかった仕草で首を横に振る。
「ああ、ロゼッタ、心配しなくていい。辺境伯もこんなところで暴力を振るったりはしないよ。それに私が守ってあげる」
「な……」
 それではジークフリートが暴力を振るう男のようだ。ロゼッタはわなわなと震えた。
 それは暴力に怯えているにも、屈辱に耐えかねているようにも、どちらにも見えた。

 ジークフリートはゆっくりと落ち着き払った口調で言った。
「何か行き違いがあるようですが、王太子殿下。妻は私と領地に戻ります」
 すぐに王太子は言った。
「ロゼッタの意志はどうなります?無理強いはいけません、伯爵」

 ジークフリートはロゼッタを抱き寄せた。
「最愛の妻です。妻も私を愛してくれています」
 ジークフリートは心の底からそう信じていたわけではない。ただ、ロゼッタを信頼していた。
 ここで場もわきまえず否定するような頭の悪い女にジークフリートは心を寄せたりはしない。ギュンター夫人として表に出したりもしない。
 ロゼッタはジークフリートの意図を完璧にくみ取った。新妻は初々しく頬を染めると夫の体に甘えるように身を寄せる。
「はい、わたくし、ジークフリート様をお慕いしております……」
 何処から見ても相思相愛の夫婦だ。
 王太子が権力をちらつかせ夫婦に横槍を入れている構図に、ジークフリートは一瞬でひっくり返してみせた。

 妻を腕に抱いたジークフリートは王太子にうんざりした視線を投げる。
「殿下、そろそろお遊びは止めて身を固めてはいかがですか。息抜きは結構ですが、しっかりとあなたをお支えするご令嬢が必要かと。王太子殿下とてえり好みしすぎると余り物で間に合わせることになりかねません」

 辛辣に言い捨てるとジークフリートは「行くよ、ロゼ」と妻を伴い、返事も待たずに大広間を後にした。


 後に残された宮廷スズメ達がひそかに囁きあう。
 王都で一番美しい金の雌鹿を手に入れたのは誰?
 それは北の氷の狼。
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