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第1章「アルフレート王子来日」
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…おかげで余計な仕事が増えたんだよな───…
空港の待機場所で、高村忠義警部補は集まった記者(プレス)のリストを眺めながら冷静に考えていた。
彼は外国の要人を担当する警視庁警護課四係配属の警部補───いわゆるセキュリティ・ポリス(SP)だ。
10年近いキャリアを持つ彼にとって、この程度の騒がれ方はそう珍しいことではない。
自分は実際に経験したことはないが、某昔日の大帝国の王太子妃(と王太子)の来日の時はものすごいマスコミの数だったという。
「高村、行くぞ」
「はい」
隣に座っていた上司の警部が腰を上げ、彼も立ち上がった。
二人の後ろに数人が続く
時刻通りに羽田のVIP機専用スポットにチャーター便が着くと、あらかじめ待機していたSPは、外務省の担当役人に先導され、飛行機の中に乗り込んだ。
極上のファーストクラスの様相を呈する機内で、王子の随行者たち、次いで警護担当者と顔合わせをし、最後に王子本人にお目通りがかなえば、飛行機を一歩出た瞬間───王子が日本の領土を踏みしめた瞬間から、高村の任務が始まる。
彼の任務は、その身辺に危害が及ぶことが日本の社会の安全を脅かすことになる人間の安全を確保すること───つまり要人警護だ。
今回来日したアルフレート王子の父君は、ヨーロッパ最後といわれる絶対君主制国家の最高執政者であり、その辣腕振りから歴戦の名家の次期当主としてふさわしい名声を得ていた。
その父皇太子の片腕としてすでにビジネスの世界に───政務ではない、侯爵家は大実業家なのだ───身を投じているアルフレート王子。
高村が初めて目にする彼の人は、仕立てが良いと一目で分かる、濃紺の最高級スーツに身を包んでいた。
確かにその姿は、王族というより切れ者のビジネスマンといった雰囲気だ。
それにしては若い。
だが、スーツと同系統色の薄浅葱のネクタイも、シルバーの腕時計も靴も、身につけているもの全て、たとえウォールストリートで億を稼ぐビジネスマンでさえ手を出そうとは思わないようなランクのものだろう。
日本人としては高身長の部類に入る高村と同じくらいの目線。体格も普段から鍛えている彼と変わらない………。
白人特有の、モデルか俳優のようにくっきりとした二重の大きな目、彫りの深い白皙の面立ち。
若さゆえか、異国の血のせいか、いかにもゲルマン系らしい周囲の屈強な男たちよりも線は細く見えるが、それは軟弱というよりも、むしろそれこそが、彼が周囲と一線を画す“ブルーブラッド”の証のようにも見えた。
瞳は日本人と同じ濃褐色、整えられた短髪は明るい栗色。
さすが前評判どおり、そして事前に確認した写真よりも実物はさらに端整で迫力があった。
長旅で疲れているのか、あるいは性格なのか、少し神経質そうな眼差しは、今回の警護責任者として紹介された高村に一瞬止まったような気もしたが、それはすぐに無感動に外された。
高村は咄嗟に───かつて今までにも何度かあったように───「こんな若造に警護の責任者が務まるのか?」といった言葉が続くのかと身構えたが、そんな言葉もなかった。
すでに三十をいくつか過ぎているというのに、吊るしの背広をどんなに野暮ったく着込んでいても、逆に若さが目立ってしまうような自分のルックスを高村はとても気にしていた。
童顔ではないし、決して飛び抜けて美しい目鼻立ちの持ち主でもないのだが、整った切れ長の目と生来の端正な佇まいが、常に彼を周囲から浮き立たせていた。
が、このときの彼は、相手が「若く見える=頼りない」というマイナスの意味で自分に目を止めたのではないことには気づかなかった。
マスコミにはタラップを降りる王子一行の撮影は許可されたが、一応「実務訪問」扱いの来日のため、会見などは予定されておらず、彼らはすぐにリムジンに乗り込んだ。
王子の隣のシートに滑り込んだ高村は、上司とは空港で別れた。
彼より一つ階級が上の係長は最初の顔合わせに同席するだけで現場には出ない。
ここからは警護主任である高村が指揮を執る。
彼はもうお馴染みともいえる緊張感と任務の重さを肩の辺りに感じながら、頭の中をこれからの実務スケジュールへと切り替えていった。
赤坂のホテルに向かう前に、早速予定を一つ済ませた。
総理大臣官邸への表敬訪問だ。
ホテルに落ち着いて、長旅の疲れを癒す前にやっつけ仕事を一つ消化───というわけではない。
正式な外交関係を樹立してからまだ歴史が浅く、今のところ問題のない二国間に実務的な話し合いは必要なく、最初の行事は予定通り短時間で終了した。
その後、一行は赤坂の、外国要人御用達の一流ホテルに到着し、すでに用意が調っている高層の最上階フロアへと案内された。
今回は東京のきらびやかな夜景が一望できる、このホテル最高のゲスト・ルームをフロアごと貸し切っている。
世界に名だたる金持ち貴族に、関係省庁も見栄を張ったのか…、と高村は、大半は実務で占められている頭の片隅でぼんやりと思った。
一行の他の者もそれぞれ王子に近い部屋を与えられ、高村たち日本の警察官も、少人数の商談をするのにぴったりな、小さな応接間のような部屋が待機場所に指定された。
もちろんそこで待機していては仕事にならないが、シフト交代の時の申し送りや仮眠に利用できるのはありがたいことだった。
先にホテルに入っていた部下と合流した高村は、王子一行に随行してきた外務省の役人やナショナル・ギャラリーの関係者がいったん席を外す前に、その場にいた全員に、顔を揃えた部下たちを簡単に紹介した。そして自分たちが身につけている、今回の王子担当のセキュリティ・ポリスであることを示す警護員バッジについて説明した。
その後、彼は王子側のボディーガードと改めて今後の任務の役割分担や詳細を打ち合わせた。
その間、王子は几帳面にもその場に立ち会い、高村たちのやり取りを生真面目そうに代わる代わる見守っていた。
彼らの公用語はドイツ語だが、両国の大使館関係者はともかく、高村たちはドイツ語を解さないので、一同はその場では全員英語を話していた。
しかし当然、王子は随行の者とは母国語───ドイツ語系の言葉で話す。
高村は、王子が母親の故郷の言葉である日本語を話せるのかどうかふと気になったが、今はそんな私的な疑問を口にできる空気ではなかった。
旅の疲れを調整するためか、その後は行事は設定されておらず、夕食はホテルの同じフロアにある専用ラウンジで取る予定になっていた。
王子はインターネットと国際電話を使って長時間仕事をしたあと、しばらくリビングで読書をしていた。
王子の部屋は直接廊下には面しておらず、出入りするには高村たちが詰める小部屋───玄関のようなもの───を通らなくてはならない。そこで警護する高村に室内は窺えなかったが、彼の前を通って行き来する秘書や侍従、その時漏れ聞こえる声などから、なんとなく様子は察せられた。
交代にはまだ時間のある、真夜中に近い時刻だった。
不意にドアが開き、ボディーガードを含めた八人の随行団の中で、唯一の女性である中年の秘書が顔を出した。
赤茶の髪を後ろで一つにまとめている。真っ青な瞳の───ああ、外国人だなぁ、と日本人に思わせる───持ち主は、生来なのかビジネス用なのか、常に抑制の利いた無表情だった。口元には頑固そうなほうれい線がくっきりと刻まれている。
「どうぞ。殿下がお呼びです」
「はい───?」
一体なんの用事だと思いながら、高村は秘書に従って部屋の中に入った。
ダイニングとリビングを兼ね備えた、だだっ広いエグゼクティブ・スイートには王子一人がいた。
「これから寝室に引き上げます。今日はありがとうございました」
低く落ち着いた声だった。
寝室はさらにその奥にある。
壁一面の窓に向いたシングルソファに腰掛けていた王子は、分厚い英字の本を手にしながら立ち上がった。
その身のこなしは、若さが匂い立つような、ごく普通の青年ものだった。
無造作に羽織っているオフホワイトのナイトガウン一枚ですら、高村の月給は吹っ飛ぶだろうが。
「───おそれいります。殿下。長いフライトでお疲れでしょう。どうかゆっくりお休みになってください」
警護対象がベッドに入ろうがそれで高村の方の対応が変わるわけではない。しかし、それを自分に告げ、その上礼まで言ってくれた相手に彼は任務時間内で表せる精一杯の誠実さを込めて応じた。
彼の声のトーンは男性のものとしては高い方だ。だが仕事中は可能な限り抑制しているため、硬く平坦になりかちなのだが、この時だけは幾分掠れ気味に───ほんの少しだけ柔らかく響いた。
すると相手は頷き、高村の背後に控えていた女性秘書に目を遣ると、
「あなたももういい。休んで下さい」
と言った。
「───はい。おやすみなさい。殿下」
秘書は一礼して踵を返した。
そのままドアを開けて待っているから、自分のことかと高村は王子に向かって一礼すると戸口を通り抜けた。
彼の背後で秘書は再び頭を下げると、高村を一顧だにせず玄関を出て行った。
奥の寝室で、王子はすぐに眠りに就くのだろうか………。
あるいはあのまま読書を続けるのかもしれない。
…ずいぶんと品行方正な王子様だな…
皮肉ではなく真面目に高村は思った。
来日一日目の夜に公式予定を入れないというのは珍しいことではなかったが、ここまで地味に堅実な夜を過ごすVIPというのは稀だ。中には長時間のフライトもなんのその、せっかくのフリーナイトタイム、眠らない街に繰り出す要人たちは───少なくない。
迎える日本側の関係者も、そういった場合の心積もりも計画もきっちり前もって立てていただろう。
高村も今回の警護対象者が若いVIPと知った時から、そういった類いのイレギュラーは想定内のことだとシビアに考えていた。
ところが、今回の王子様は、どうやらビジネスと読書が好きらしい………。
若い王族と聞いて、我が侭なのではないか───べつに人間的にはそれでもいいのだが、任務に支障を来すような行動を取られると困る───などと案じていたのだが、この日の行動を見る限り、どうやらその手の心配は無用のタイプのようだった。
とはいえ、なにが起こるか、この先は誰もわからない───。
油断は禁物だ…、と彼は、改めて気持ちを引き締めた。
空港の待機場所で、高村忠義警部補は集まった記者(プレス)のリストを眺めながら冷静に考えていた。
彼は外国の要人を担当する警視庁警護課四係配属の警部補───いわゆるセキュリティ・ポリス(SP)だ。
10年近いキャリアを持つ彼にとって、この程度の騒がれ方はそう珍しいことではない。
自分は実際に経験したことはないが、某昔日の大帝国の王太子妃(と王太子)の来日の時はものすごいマスコミの数だったという。
「高村、行くぞ」
「はい」
隣に座っていた上司の警部が腰を上げ、彼も立ち上がった。
二人の後ろに数人が続く
時刻通りに羽田のVIP機専用スポットにチャーター便が着くと、あらかじめ待機していたSPは、外務省の担当役人に先導され、飛行機の中に乗り込んだ。
極上のファーストクラスの様相を呈する機内で、王子の随行者たち、次いで警護担当者と顔合わせをし、最後に王子本人にお目通りがかなえば、飛行機を一歩出た瞬間───王子が日本の領土を踏みしめた瞬間から、高村の任務が始まる。
彼の任務は、その身辺に危害が及ぶことが日本の社会の安全を脅かすことになる人間の安全を確保すること───つまり要人警護だ。
今回来日したアルフレート王子の父君は、ヨーロッパ最後といわれる絶対君主制国家の最高執政者であり、その辣腕振りから歴戦の名家の次期当主としてふさわしい名声を得ていた。
その父皇太子の片腕としてすでにビジネスの世界に───政務ではない、侯爵家は大実業家なのだ───身を投じているアルフレート王子。
高村が初めて目にする彼の人は、仕立てが良いと一目で分かる、濃紺の最高級スーツに身を包んでいた。
確かにその姿は、王族というより切れ者のビジネスマンといった雰囲気だ。
それにしては若い。
だが、スーツと同系統色の薄浅葱のネクタイも、シルバーの腕時計も靴も、身につけているもの全て、たとえウォールストリートで億を稼ぐビジネスマンでさえ手を出そうとは思わないようなランクのものだろう。
日本人としては高身長の部類に入る高村と同じくらいの目線。体格も普段から鍛えている彼と変わらない………。
白人特有の、モデルか俳優のようにくっきりとした二重の大きな目、彫りの深い白皙の面立ち。
若さゆえか、異国の血のせいか、いかにもゲルマン系らしい周囲の屈強な男たちよりも線は細く見えるが、それは軟弱というよりも、むしろそれこそが、彼が周囲と一線を画す“ブルーブラッド”の証のようにも見えた。
瞳は日本人と同じ濃褐色、整えられた短髪は明るい栗色。
さすが前評判どおり、そして事前に確認した写真よりも実物はさらに端整で迫力があった。
長旅で疲れているのか、あるいは性格なのか、少し神経質そうな眼差しは、今回の警護責任者として紹介された高村に一瞬止まったような気もしたが、それはすぐに無感動に外された。
高村は咄嗟に───かつて今までにも何度かあったように───「こんな若造に警護の責任者が務まるのか?」といった言葉が続くのかと身構えたが、そんな言葉もなかった。
すでに三十をいくつか過ぎているというのに、吊るしの背広をどんなに野暮ったく着込んでいても、逆に若さが目立ってしまうような自分のルックスを高村はとても気にしていた。
童顔ではないし、決して飛び抜けて美しい目鼻立ちの持ち主でもないのだが、整った切れ長の目と生来の端正な佇まいが、常に彼を周囲から浮き立たせていた。
が、このときの彼は、相手が「若く見える=頼りない」というマイナスの意味で自分に目を止めたのではないことには気づかなかった。
マスコミにはタラップを降りる王子一行の撮影は許可されたが、一応「実務訪問」扱いの来日のため、会見などは予定されておらず、彼らはすぐにリムジンに乗り込んだ。
王子の隣のシートに滑り込んだ高村は、上司とは空港で別れた。
彼より一つ階級が上の係長は最初の顔合わせに同席するだけで現場には出ない。
ここからは警護主任である高村が指揮を執る。
彼はもうお馴染みともいえる緊張感と任務の重さを肩の辺りに感じながら、頭の中をこれからの実務スケジュールへと切り替えていった。
赤坂のホテルに向かう前に、早速予定を一つ済ませた。
総理大臣官邸への表敬訪問だ。
ホテルに落ち着いて、長旅の疲れを癒す前にやっつけ仕事を一つ消化───というわけではない。
正式な外交関係を樹立してからまだ歴史が浅く、今のところ問題のない二国間に実務的な話し合いは必要なく、最初の行事は予定通り短時間で終了した。
その後、一行は赤坂の、外国要人御用達の一流ホテルに到着し、すでに用意が調っている高層の最上階フロアへと案内された。
今回は東京のきらびやかな夜景が一望できる、このホテル最高のゲスト・ルームをフロアごと貸し切っている。
世界に名だたる金持ち貴族に、関係省庁も見栄を張ったのか…、と高村は、大半は実務で占められている頭の片隅でぼんやりと思った。
一行の他の者もそれぞれ王子に近い部屋を与えられ、高村たち日本の警察官も、少人数の商談をするのにぴったりな、小さな応接間のような部屋が待機場所に指定された。
もちろんそこで待機していては仕事にならないが、シフト交代の時の申し送りや仮眠に利用できるのはありがたいことだった。
先にホテルに入っていた部下と合流した高村は、王子一行に随行してきた外務省の役人やナショナル・ギャラリーの関係者がいったん席を外す前に、その場にいた全員に、顔を揃えた部下たちを簡単に紹介した。そして自分たちが身につけている、今回の王子担当のセキュリティ・ポリスであることを示す警護員バッジについて説明した。
その後、彼は王子側のボディーガードと改めて今後の任務の役割分担や詳細を打ち合わせた。
その間、王子は几帳面にもその場に立ち会い、高村たちのやり取りを生真面目そうに代わる代わる見守っていた。
彼らの公用語はドイツ語だが、両国の大使館関係者はともかく、高村たちはドイツ語を解さないので、一同はその場では全員英語を話していた。
しかし当然、王子は随行の者とは母国語───ドイツ語系の言葉で話す。
高村は、王子が母親の故郷の言葉である日本語を話せるのかどうかふと気になったが、今はそんな私的な疑問を口にできる空気ではなかった。
旅の疲れを調整するためか、その後は行事は設定されておらず、夕食はホテルの同じフロアにある専用ラウンジで取る予定になっていた。
王子はインターネットと国際電話を使って長時間仕事をしたあと、しばらくリビングで読書をしていた。
王子の部屋は直接廊下には面しておらず、出入りするには高村たちが詰める小部屋───玄関のようなもの───を通らなくてはならない。そこで警護する高村に室内は窺えなかったが、彼の前を通って行き来する秘書や侍従、その時漏れ聞こえる声などから、なんとなく様子は察せられた。
交代にはまだ時間のある、真夜中に近い時刻だった。
不意にドアが開き、ボディーガードを含めた八人の随行団の中で、唯一の女性である中年の秘書が顔を出した。
赤茶の髪を後ろで一つにまとめている。真っ青な瞳の───ああ、外国人だなぁ、と日本人に思わせる───持ち主は、生来なのかビジネス用なのか、常に抑制の利いた無表情だった。口元には頑固そうなほうれい線がくっきりと刻まれている。
「どうぞ。殿下がお呼びです」
「はい───?」
一体なんの用事だと思いながら、高村は秘書に従って部屋の中に入った。
ダイニングとリビングを兼ね備えた、だだっ広いエグゼクティブ・スイートには王子一人がいた。
「これから寝室に引き上げます。今日はありがとうございました」
低く落ち着いた声だった。
寝室はさらにその奥にある。
壁一面の窓に向いたシングルソファに腰掛けていた王子は、分厚い英字の本を手にしながら立ち上がった。
その身のこなしは、若さが匂い立つような、ごく普通の青年ものだった。
無造作に羽織っているオフホワイトのナイトガウン一枚ですら、高村の月給は吹っ飛ぶだろうが。
「───おそれいります。殿下。長いフライトでお疲れでしょう。どうかゆっくりお休みになってください」
警護対象がベッドに入ろうがそれで高村の方の対応が変わるわけではない。しかし、それを自分に告げ、その上礼まで言ってくれた相手に彼は任務時間内で表せる精一杯の誠実さを込めて応じた。
彼の声のトーンは男性のものとしては高い方だ。だが仕事中は可能な限り抑制しているため、硬く平坦になりかちなのだが、この時だけは幾分掠れ気味に───ほんの少しだけ柔らかく響いた。
すると相手は頷き、高村の背後に控えていた女性秘書に目を遣ると、
「あなたももういい。休んで下さい」
と言った。
「───はい。おやすみなさい。殿下」
秘書は一礼して踵を返した。
そのままドアを開けて待っているから、自分のことかと高村は王子に向かって一礼すると戸口を通り抜けた。
彼の背後で秘書は再び頭を下げると、高村を一顧だにせず玄関を出て行った。
奥の寝室で、王子はすぐに眠りに就くのだろうか………。
あるいはあのまま読書を続けるのかもしれない。
…ずいぶんと品行方正な王子様だな…
皮肉ではなく真面目に高村は思った。
来日一日目の夜に公式予定を入れないというのは珍しいことではなかったが、ここまで地味に堅実な夜を過ごすVIPというのは稀だ。中には長時間のフライトもなんのその、せっかくのフリーナイトタイム、眠らない街に繰り出す要人たちは───少なくない。
迎える日本側の関係者も、そういった場合の心積もりも計画もきっちり前もって立てていただろう。
高村も今回の警護対象者が若いVIPと知った時から、そういった類いのイレギュラーは想定内のことだとシビアに考えていた。
ところが、今回の王子様は、どうやらビジネスと読書が好きらしい………。
若い王族と聞いて、我が侭なのではないか───べつに人間的にはそれでもいいのだが、任務に支障を来すような行動を取られると困る───などと案じていたのだが、この日の行動を見る限り、どうやらその手の心配は無用のタイプのようだった。
とはいえ、なにが起こるか、この先は誰もわからない───。
油断は禁物だ…、と彼は、改めて気持ちを引き締めた。
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