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第5章1「永遠の別れ」
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その夜。
シフトが明けた高村は、次の交代時間まで、王子の宿泊している部屋と同じ建物の中にある三階のツイン・ルームで仮眠を取っていた。
部下二人は警護に当たっていて、部屋には彼一人だけだった。
珍しいことになかなか寝つけず、やっとウトウトしかけた頃。
フロントから電話があり、高村を名指しで人が訪ねてきたと告げられた。
名前を聞いて通してもらうと、部屋にやってきたのは、昼間会った室田という三、四十歳の痩せた男だった。
「すみません………寝てました?」
深夜はまだ回っていなかったが、人を訪ねるには遅い時間だった。
ワイシャツの襟元を直す高村に、男は殊勝げな様子で如才なく言った。
こちらは昼間とは変わらぬ格好だ。
だが、その表情はどことなく冴えなかった。
一見、いかにも凡庸な中年男といった風体は、職業柄、わざとそうしている部分もあるのだろう。それは高村にも通じるところがある。
だが昼間は、決してこんな無気力そうには見えなかったのだが………。
「なんのご用ですか?」
もしかしたら年齢はあまり変わらないのかもしれないが、高村は丁寧かつ事務的な口調で尋ねた。
そうすると───外見は彼の方が若く見えるため───よりいっそう高村の年下めいた雰囲気が強調されるが、訓練された俊敏な動きと落ち着きは彼の方が明らかに勝っていた。
「弁護士事務所の方と言われてましたね。名刺をいただけますか?」
「はぁ………」
室田は素直にコートのポケットから革の財布を探ると、そこから名刺を一枚取り出し、高村に渡した。
「調査員をやってます」
確かに名刺にはそう記してあった。
「私は警視庁警備部警護課の高村と申します。申し訳ありませんが、こちらの名刺は───」
「ああ、はい、結構です」
相手はヘラヘラと両手を挙げた。
考えてみれば彼は昼間、高村に本物の拳銃を向けられたのだ。
高村に対して警戒を怠らない───というより、むしろ及び腰なのは当然かもしれなかった。
ある程度、世間の裏側を見るのが商売の調査員とはいえ、真っ当な弁護士事務所に勤めていれば、この日本で拳銃を突きつけられるような経験はまずしないだろう。
「それでご用は?」
であればなおのこと、なぜわざわざ自分に面会に来たのか。
高村が重ねて尋ねると、
「すいません、座っていいですかね?」
と相手ははぐらかすでもなく、どこか疲労感を滲ませて言った。
「………どうぞ」
高村が壁際のソファセットを勧めると、相手は、すみませんねぇ、と言いながら、それなりに座り心地の良いソファに背中を丸めて腰を下ろした。
高村も向かいに座る。
「ええっと、石川さんに会いたいんですけど」
「………」
「昼間、私がお迎えに行ったあのお若い方のことなんですが」
「………ええ」
高村は曖昧に頷いた。
「私、あの方の本名を聞かされていないんですよ。───一応ね。ただ、上司からは石川さんだと聞かされましたし、実際、あの方も石川だと名乗ってらしたし、それに、今日会ってきたおじいさまが石川さんだったので、まあ、まったく関係のないお名前ではないとは思うんですが」
高村は声には出さず、ただ頷く素振りを見せた。
そんな名前、自分は知らない───とは言い難い。
男が言っていることが真実ならば、おそらく石川というのは王子の亡母の旧姓なのだろう。
ただ王子の長い正式な姓名の中に、Ishikawaという固有名詞はなかった。
「で、その石川さんにもう一度お会いしたいんですが………」
室田は上目遣いに高村の顔色を窺いながら言った。
「………難しいですか?」
「難しいもなにも、なぜ私を通そうとするんですか?」
「いやぁ、もう依頼は終了しましたし、元から私からあの方に連絡することは禁じられていましたので」
「いったい、どんなご用件なんですか?」
この男───というより、この男が所属する弁護士事務所にはおそらく王子自身が依頼したのだろうし、その内容の範囲内でならば、王子がこの男との面会を拒否するとは思えなかった。
むしろ高村がこの男を随行員たちのいるところに連れていく方が面倒だし、それは王子の望むところでもないだろう。
そんな彼の心も知らず、
「いやねぇ………」
男は頭を掻いた。
「───本来なら、このまま何もせずに東京に戻ってもいいんだろうとは思うんですけどね。って言うか、それが正しいんだろうと思うんですが」
「どういう意味です?」
思わせぶりな言葉に彼は幾分表情を険しくした。
すると相手はへりくだったような笑みを浮かべた。
「高村さんは、あの方───石川さんから、おじいさまと面会したときの様子を聞かれましたか?」
「いや………」
意外なことを聞かれて、高村は表情を消したまま首を横に振った。
狙撃の件と、それを王子の要望通り誰にも知られずに処理したことで、そんな暇は全くなかったし、そもそも頭にも上らなかった。
それに部下と合流して王子をホテルの部屋に送り届けたあと、すぐに交代の時間が来て、それ以来、王子とは会っていなかった。
「───言い訳になりますが、私が依頼されたのは、石川修さんの居場所を調べることだけだったんです」
「石川修………」
「えと、つまり、あの方のおじいさまです。あの、私、それも説明されてなくて、なんとなく状況から合点したわけなんですが」
室田はそれまでとは少し様子を変えて早口に喋りだした。
「逆にそれ以外は調べるなっていう意向を伝えられていたんで、私はただ依頼通りに、石川修さんの現在の住所を調べ、判明した老人ホームに、依頼者である石川さんをお連れしたんですが………」
「なにがあったんです?」
「………おじいさま、寝たきりで、認知症で、石川さんのことはもちろん、石川さんのお母さんのことも全く覚えていなかったんです」
と彼は一気に言った。
「そのことは私も知りませんでした。だから、もちろん───」
相手の声を聞きながら、高村は息を飲むと同時に、なぜ思いつかなかったのだろうと後悔のようなものを感じた。
行きの車の中から見かけた看板には、西風園の名称の前に、『特別養護』という文字が書かれていた。
それを目にしたとき、彼は無意識に、常時介護が必要な高齢者が入所する施設だと認識した。
そして王子の口から『西風園』という言葉が出たとき、咄嗟にそこまで連想していたはずなのに、これからそこに向かう王子がどんな場面に遭遇するかまでは、まるで想像が及ばなかった。
「今回は僕が甘かったんです。───初めての事態にうまく対応できなかった。隙を見せてしまったんです」
チャペルでの会話を思い出す。
病気とはいえ血の繋がった祖父に自分を認識してもらえず、誰ともわからぬ───しかしおそらくは近くにいる───人間から、存在を抹殺されかけて───。
それでも彼は、自分が「対処できなかったから」と言うのか。
「───面会の後、ずっと無言で」
しばらくの沈黙の後、再び室田が口を開いた。
「私はあの後、石川さんを森の途中まで送っていって、そこで別れて、東京に帰りました。そうしたら、ちょうど着いた頃に西風園から電話があって………。受け付けした時の連絡先を私の携帯にしてたんです。それで慌ててさっき、西風園に行ってきたところなんですが………」
ということは、彼は今日、二度も東京と箱根の間を往復したのか。
「西風園でなにがあったんですか?」
「………はぁ」
「室田さん?」
「はぁ………───こんなことってあるんですね」
彼はいかにも言いにくそうに一度言葉を切った。
「おじいさま、石川さんが帰ったすぐ後に、元々持病があったらしいんですが、それが急変して、さっき、病院で亡くなったと」
「───」
高村は思わず言葉を失った。
咄嗟に室田がなにか企んでいるのではないかと疑いたくなったが、世慣れた物言いの割りに、苦そうな表情を浮かべる彼を見ていると、馬鹿げた妄想だと思わざるを得なかった。
今、彼がここにいるのは、余計なことは一切するなという上司の───つまり依頼主の───意向に逆らう“お節介”な行動以外の何物でもないのだ。
つまり、これは真実で───…。
「………石川修さんは、昔、割烹だかのお店をやっていたそうで。持病とボケ始めたっていうのがあって、身内もいないし、お店の人たちが相談して、お店を売ってあのホームに入れるように骨を折ってくれたという話です」
彼は調査書でも読み上げるように口調で言った。
「ホームの人に、もし家族と連絡がつくのなら、亡くなったことを教えてあげてくださいと言われまして───。面会の時、石川さんは自分と石川修さんの関係は言わなかったんですよ。あらかじめ私の方で事務所通して面会許可もらってまして。でも私はあの方のこと石川さんと呼んでましたし、マスクで顔を隠していたり、ホームの人もなんか事情があるんだなって察してたみたいで」
「………」
「お葬式はホームの方で出してもらえるそうです。昔のお店関係の人たちにも───今は散り散りになっているんだそうですが───連絡を入れてくれるという話でした。そういうことの日取りも大体のところは聞いてきましたが………」
室田は語尾を濁して言葉を切った。
「………」
「お葬式───無理ですよねぇ………」
問われて、高村は曖昧に頷いた。
王子一行は、明日の朝にはもう箱根どころか日本を発っている。
公に出来ない理由で、予定を変えることは不可能だった。
「まあ、葬式はともかく、おじいさまが亡くなったことは石川さんに伝えようと思って、ここまで来たんですが………」
室田はようやく躊躇いの原因を思い出したかのように、考え考え言葉を選んだ。
「明らかに私の仕事の範囲を逸脱してますしねぇ………。どうしようかと悩みつつ、こうして高村さんをお訪ねしたわけなんですよ。その“石川さん”の警護をなさっているわけなんですよね? 高村さんは」
「………」
「え、まぁ、もちろん、答えは結構ですけども。───あの、あとはお任せしてもいいですか?」
「え?」
「おじいさまが亡くなったこと、お伝え願えますか?」
「………」
躊躇う気持ちがないわけではなかった。
彼とてそんなことは任務に入っていない。
しかし、
「わかりました。私の方からお伝えします」
と高村は答えた。
知ってしまった以上、王子の耳に入れぬわけにはいかない───ただそんな思いからだった。
「ああ、よかった」
室田はそれまでが緊張していたのだ───とでもいうかのように表情を緩めた。その様子は彼の人柄の良さを示すだけでなく、目の前の相手に重い荷物を肩代わりしてもらえたという安堵もあったのかもしれない。
それを咎めるわけにもいかず………。
「“石川さん”は、きっとあなたに感謝するでしょう。───それを伝えられる機会はないかもしれませんが」
「え? ああ、それはいいんです」
室田はソファから立ち上がった。
「お時間、ありがとうございました」
「あなたは───」
高村も合わせて立ち上がりつつ、ふと、この目の前の男は“石川”についてどれくらい知っているのだろうと考えた。
そもそも王子はどうやって日本の法律事務所に連絡を取ったのか。また、どこまで自分の身分を明かしたのか。
………もっとも相手はお城のてっぺんに住んでいる中世の「王子様」ではない。ヨーロッパを主戦場に世界各地を専用ジェットで飛び回るやり手のビジネスマンだ。
「───謎めいていて、忘れられない、印象的な依頼人です。どうかよろしくお伝えください」
高村の顔に疑問が書かれていたわけではないだろうが、室田はそう告げると、ドアに向かった。
「………ええ、伝えます」
彼は立ち去る男を見送った。
シフトが明けた高村は、次の交代時間まで、王子の宿泊している部屋と同じ建物の中にある三階のツイン・ルームで仮眠を取っていた。
部下二人は警護に当たっていて、部屋には彼一人だけだった。
珍しいことになかなか寝つけず、やっとウトウトしかけた頃。
フロントから電話があり、高村を名指しで人が訪ねてきたと告げられた。
名前を聞いて通してもらうと、部屋にやってきたのは、昼間会った室田という三、四十歳の痩せた男だった。
「すみません………寝てました?」
深夜はまだ回っていなかったが、人を訪ねるには遅い時間だった。
ワイシャツの襟元を直す高村に、男は殊勝げな様子で如才なく言った。
こちらは昼間とは変わらぬ格好だ。
だが、その表情はどことなく冴えなかった。
一見、いかにも凡庸な中年男といった風体は、職業柄、わざとそうしている部分もあるのだろう。それは高村にも通じるところがある。
だが昼間は、決してこんな無気力そうには見えなかったのだが………。
「なんのご用ですか?」
もしかしたら年齢はあまり変わらないのかもしれないが、高村は丁寧かつ事務的な口調で尋ねた。
そうすると───外見は彼の方が若く見えるため───よりいっそう高村の年下めいた雰囲気が強調されるが、訓練された俊敏な動きと落ち着きは彼の方が明らかに勝っていた。
「弁護士事務所の方と言われてましたね。名刺をいただけますか?」
「はぁ………」
室田は素直にコートのポケットから革の財布を探ると、そこから名刺を一枚取り出し、高村に渡した。
「調査員をやってます」
確かに名刺にはそう記してあった。
「私は警視庁警備部警護課の高村と申します。申し訳ありませんが、こちらの名刺は───」
「ああ、はい、結構です」
相手はヘラヘラと両手を挙げた。
考えてみれば彼は昼間、高村に本物の拳銃を向けられたのだ。
高村に対して警戒を怠らない───というより、むしろ及び腰なのは当然かもしれなかった。
ある程度、世間の裏側を見るのが商売の調査員とはいえ、真っ当な弁護士事務所に勤めていれば、この日本で拳銃を突きつけられるような経験はまずしないだろう。
「それでご用は?」
であればなおのこと、なぜわざわざ自分に面会に来たのか。
高村が重ねて尋ねると、
「すいません、座っていいですかね?」
と相手ははぐらかすでもなく、どこか疲労感を滲ませて言った。
「………どうぞ」
高村が壁際のソファセットを勧めると、相手は、すみませんねぇ、と言いながら、それなりに座り心地の良いソファに背中を丸めて腰を下ろした。
高村も向かいに座る。
「ええっと、石川さんに会いたいんですけど」
「………」
「昼間、私がお迎えに行ったあのお若い方のことなんですが」
「………ええ」
高村は曖昧に頷いた。
「私、あの方の本名を聞かされていないんですよ。───一応ね。ただ、上司からは石川さんだと聞かされましたし、実際、あの方も石川だと名乗ってらしたし、それに、今日会ってきたおじいさまが石川さんだったので、まあ、まったく関係のないお名前ではないとは思うんですが」
高村は声には出さず、ただ頷く素振りを見せた。
そんな名前、自分は知らない───とは言い難い。
男が言っていることが真実ならば、おそらく石川というのは王子の亡母の旧姓なのだろう。
ただ王子の長い正式な姓名の中に、Ishikawaという固有名詞はなかった。
「で、その石川さんにもう一度お会いしたいんですが………」
室田は上目遣いに高村の顔色を窺いながら言った。
「………難しいですか?」
「難しいもなにも、なぜ私を通そうとするんですか?」
「いやぁ、もう依頼は終了しましたし、元から私からあの方に連絡することは禁じられていましたので」
「いったい、どんなご用件なんですか?」
この男───というより、この男が所属する弁護士事務所にはおそらく王子自身が依頼したのだろうし、その内容の範囲内でならば、王子がこの男との面会を拒否するとは思えなかった。
むしろ高村がこの男を随行員たちのいるところに連れていく方が面倒だし、それは王子の望むところでもないだろう。
そんな彼の心も知らず、
「いやねぇ………」
男は頭を掻いた。
「───本来なら、このまま何もせずに東京に戻ってもいいんだろうとは思うんですけどね。って言うか、それが正しいんだろうと思うんですが」
「どういう意味です?」
思わせぶりな言葉に彼は幾分表情を険しくした。
すると相手はへりくだったような笑みを浮かべた。
「高村さんは、あの方───石川さんから、おじいさまと面会したときの様子を聞かれましたか?」
「いや………」
意外なことを聞かれて、高村は表情を消したまま首を横に振った。
狙撃の件と、それを王子の要望通り誰にも知られずに処理したことで、そんな暇は全くなかったし、そもそも頭にも上らなかった。
それに部下と合流して王子をホテルの部屋に送り届けたあと、すぐに交代の時間が来て、それ以来、王子とは会っていなかった。
「───言い訳になりますが、私が依頼されたのは、石川修さんの居場所を調べることだけだったんです」
「石川修………」
「えと、つまり、あの方のおじいさまです。あの、私、それも説明されてなくて、なんとなく状況から合点したわけなんですが」
室田はそれまでとは少し様子を変えて早口に喋りだした。
「逆にそれ以外は調べるなっていう意向を伝えられていたんで、私はただ依頼通りに、石川修さんの現在の住所を調べ、判明した老人ホームに、依頼者である石川さんをお連れしたんですが………」
「なにがあったんです?」
「………おじいさま、寝たきりで、認知症で、石川さんのことはもちろん、石川さんのお母さんのことも全く覚えていなかったんです」
と彼は一気に言った。
「そのことは私も知りませんでした。だから、もちろん───」
相手の声を聞きながら、高村は息を飲むと同時に、なぜ思いつかなかったのだろうと後悔のようなものを感じた。
行きの車の中から見かけた看板には、西風園の名称の前に、『特別養護』という文字が書かれていた。
それを目にしたとき、彼は無意識に、常時介護が必要な高齢者が入所する施設だと認識した。
そして王子の口から『西風園』という言葉が出たとき、咄嗟にそこまで連想していたはずなのに、これからそこに向かう王子がどんな場面に遭遇するかまでは、まるで想像が及ばなかった。
「今回は僕が甘かったんです。───初めての事態にうまく対応できなかった。隙を見せてしまったんです」
チャペルでの会話を思い出す。
病気とはいえ血の繋がった祖父に自分を認識してもらえず、誰ともわからぬ───しかしおそらくは近くにいる───人間から、存在を抹殺されかけて───。
それでも彼は、自分が「対処できなかったから」と言うのか。
「───面会の後、ずっと無言で」
しばらくの沈黙の後、再び室田が口を開いた。
「私はあの後、石川さんを森の途中まで送っていって、そこで別れて、東京に帰りました。そうしたら、ちょうど着いた頃に西風園から電話があって………。受け付けした時の連絡先を私の携帯にしてたんです。それで慌ててさっき、西風園に行ってきたところなんですが………」
ということは、彼は今日、二度も東京と箱根の間を往復したのか。
「西風園でなにがあったんですか?」
「………はぁ」
「室田さん?」
「はぁ………───こんなことってあるんですね」
彼はいかにも言いにくそうに一度言葉を切った。
「おじいさま、石川さんが帰ったすぐ後に、元々持病があったらしいんですが、それが急変して、さっき、病院で亡くなったと」
「───」
高村は思わず言葉を失った。
咄嗟に室田がなにか企んでいるのではないかと疑いたくなったが、世慣れた物言いの割りに、苦そうな表情を浮かべる彼を見ていると、馬鹿げた妄想だと思わざるを得なかった。
今、彼がここにいるのは、余計なことは一切するなという上司の───つまり依頼主の───意向に逆らう“お節介”な行動以外の何物でもないのだ。
つまり、これは真実で───…。
「………石川修さんは、昔、割烹だかのお店をやっていたそうで。持病とボケ始めたっていうのがあって、身内もいないし、お店の人たちが相談して、お店を売ってあのホームに入れるように骨を折ってくれたという話です」
彼は調査書でも読み上げるように口調で言った。
「ホームの人に、もし家族と連絡がつくのなら、亡くなったことを教えてあげてくださいと言われまして───。面会の時、石川さんは自分と石川修さんの関係は言わなかったんですよ。あらかじめ私の方で事務所通して面会許可もらってまして。でも私はあの方のこと石川さんと呼んでましたし、マスクで顔を隠していたり、ホームの人もなんか事情があるんだなって察してたみたいで」
「………」
「お葬式はホームの方で出してもらえるそうです。昔のお店関係の人たちにも───今は散り散りになっているんだそうですが───連絡を入れてくれるという話でした。そういうことの日取りも大体のところは聞いてきましたが………」
室田は語尾を濁して言葉を切った。
「………」
「お葬式───無理ですよねぇ………」
問われて、高村は曖昧に頷いた。
王子一行は、明日の朝にはもう箱根どころか日本を発っている。
公に出来ない理由で、予定を変えることは不可能だった。
「まあ、葬式はともかく、おじいさまが亡くなったことは石川さんに伝えようと思って、ここまで来たんですが………」
室田はようやく躊躇いの原因を思い出したかのように、考え考え言葉を選んだ。
「明らかに私の仕事の範囲を逸脱してますしねぇ………。どうしようかと悩みつつ、こうして高村さんをお訪ねしたわけなんですよ。その“石川さん”の警護をなさっているわけなんですよね? 高村さんは」
「………」
「え、まぁ、もちろん、答えは結構ですけども。───あの、あとはお任せしてもいいですか?」
「え?」
「おじいさまが亡くなったこと、お伝え願えますか?」
「………」
躊躇う気持ちがないわけではなかった。
彼とてそんなことは任務に入っていない。
しかし、
「わかりました。私の方からお伝えします」
と高村は答えた。
知ってしまった以上、王子の耳に入れぬわけにはいかない───ただそんな思いからだった。
「ああ、よかった」
室田はそれまでが緊張していたのだ───とでもいうかのように表情を緩めた。その様子は彼の人柄の良さを示すだけでなく、目の前の相手に重い荷物を肩代わりしてもらえたという安堵もあったのかもしれない。
それを咎めるわけにもいかず………。
「“石川さん”は、きっとあなたに感謝するでしょう。───それを伝えられる機会はないかもしれませんが」
「え? ああ、それはいいんです」
室田はソファから立ち上がった。
「お時間、ありがとうございました」
「あなたは───」
高村も合わせて立ち上がりつつ、ふと、この目の前の男は“石川”についてどれくらい知っているのだろうと考えた。
そもそも王子はどうやって日本の法律事務所に連絡を取ったのか。また、どこまで自分の身分を明かしたのか。
………もっとも相手はお城のてっぺんに住んでいる中世の「王子様」ではない。ヨーロッパを主戦場に世界各地を専用ジェットで飛び回るやり手のビジネスマンだ。
「───謎めいていて、忘れられない、印象的な依頼人です。どうかよろしくお伝えください」
高村の顔に疑問が書かれていたわけではないだろうが、室田はそう告げると、ドアに向かった。
「………ええ、伝えます」
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