助けた王子に妃へと望まれた魔女ですけれど、自然が恋しいので森に帰りますね

安野 吽

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22.冤罪事件の真相①

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 目が覚めれば、天井には眩しいシャンデリアのきらめきが。そして、背中には絹の柔らかい感触。

 這い出るのも大変なくらい沈む、よくスプリングの効いたベッドから抜け出して、メルは大きく欠伸をした。

(よく眠れた……やっぱり疲れてたんだ)

 彼女は昨晩から、王宮の客室を借り受けている。

 初日だということで幾分か気を張り詰めていたはずなのだけれど、いつしか寝心地のよいベッドに誘われるようにして、夢の世界へと旅立っていた。

 部屋にあるものはなんでも使っていいと言われたので、精緻な薔薇が彫りこまれた身支度用の鏡台に座り、備え付けの化粧品でメルは本日も姿を変える。幸い、シーベルの口聞きもあり城で働く宮女の衣装を借り受けることができた。髪も軽く結い上げまとめる。

 宮女の衣装は華やかな宮廷らしくドレスに寄っており、慣れないメルは着付けに手間取った。後でラルドリスにでもおかしくないか見てもらわなければなるまい。

 まだぬくいベッドで丸まっていたチタを呼び寄せ、食事のクルミと水を与えた後、袖口の絞りの奥に隠れてもらう。そうしてメルは移動するべく部屋を出た。

(あんまり動かないでね。くすぐったくて……)
(チュ……)

 チタは狭いのか不満そうにもぞもぞしていたが、やがて納まりどころを見つけたのか、動かなくなった。
 そこで曲がり角から、誰かが近付いてくる。

「おう、おはよう」
「ラルドリス様、おはようございます。あの……この格好おかしくありませんか?」

 軽く手を上げ笑顔を見せたのはラルドリスだった。後ろに付いた護衛の兵士は、昨日も顔を見せたボルドフの配下だ。こちらから彼の居室に出向くつもりだったのだが……。

「ふうん。なんだ、案外悪くないじゃないか、その恰好。似合ってるぞ」
「お世辞はいいですよ。あなたこそ……」

 言いかけて、メルは言葉を止めた。今日の彼は久々に着飾っている。色調は控えめだが上等の青いコートに、スリムな白のパンツ。こうした体格のラインに添う格好をすると、彼のスタイルのよさが際立ち、控えめに見ても格好いい。

「意外とそれっぽいですよ」

 直接褒めるのは恥ずかしくって言葉を濁したメルに、ラルドリスはがくりと頭を揺らした。

「なんだそりゃ。まあいいか、とりあえず飯でも食おう。専用の場所に用意させた」

 ラルドリスは顎をしゃくると先に立ち、メルは後ろに続く。さして背が高いわけでは無いけれど……育ち盛りの年齢だ、これからもう少し背も伸びるだろう。

 ――そうすればきっと、外見だけは少なくとも、民から一目置かれる立派な君主になるんだろうな。

 そんなことを考えながら、メルは一般の食堂とは別の部屋で、給仕が引いてくれた席に彼と共に腰を落ち着けた。

「毒見は済ませてあるようだから、安心して口にしていいぞ」
「お気遣い痛み入ります。それで、本日はどうします?」
「まずは母上の潔白の証明だな。側に付いていた宮女は幾人かいてな。そいつらにもう一度話を聞こうと思ってる」
「正直に話してくれない可能性もありますね……」

 ラルドリスは、給仕に並べられた銀食器を動かすことなく、丁寧に食事を始めた。当たり前なのかも知れないが、彼はこういった基本的な所作がとかく美しい。子供の頃から厳しく躾けられたことが窺える。

「その辺りは、彼女たちの良識を信じるしかないな。俺が戻ってきたことでザハールに怯えていた気持ちにゆとりが生まれているかもしれん。そこを突かせてもらおう」
「わかりました……お供します。本日はシーベル様たちは?」
「それぞれの仕事をしに行った。シーベルは宮廷内部の伝手を辿り、ボルドフは主に軍関係で俺の支持者を探してくれる。王都で近々、建国三百年の歴史を祝う式典があるからな、そこで大々的に俺が王位を継ぐ意向を示すつもりだそうだ」
「そうですか……」

 メルはごくりと喉を鳴らす。ずいぶんな短期決戦に出たものだと思うが、それもラルドリスの身を慮ってのことだろう。先延ばしにすればするほど彼は長い間、ザハールから命をつけ狙われるリスクを負うことになる。

 どうやら、メルの方もしっかり気合を入れて臨まなければならないようだ。

「事件の解明と、あなたの身の守りに全力を尽くしましょう」
「ああ、頼む。お前が頼りだ」

 食事を終え、ふたりは食休みもそこそこに部屋を出ようとして。
 その際、肩に手を置かれ、メルはびくっとする。

「どうした? すまん、強く叩いてしまったか?」

「い、いえ……そうではなくて」
「……? 疲れでもしたら言えよ? お前の代わりなど、誰にも務まらんのだから」
「は、はい」

 彼の気遣いは嬉しくも、最近距離が近いと、戸惑いを感じてしまうようになった。

 彼の身辺を守るひとりとして堂々としていればいいものなのに、恥ずかしいような浮ついたような……今まで感じたことの無い感情が、たまに表に出てきてしまう……!

(ちょっと、しっかりしてよ……私)

 それは、祖母に対して感じていた親愛の気持ちとよく似たものの気がしなくもない。だけれど、困るのはそれよりもどこか熱量が大きく、そして突然激しく湧き出て、彼女を叫び出したいような気持ちにさせることだ。

「おい、なにしてる。早く行くぞ」
「ちょっとだけ待って下さいっ……! すはー、すはー……」

 その正体も制御の仕方も分からず、メルはその場の開いた窓に駆け寄って、大きく深呼吸を繰り返す。

 そしてようやく収まりをみせた胸に手を当て、彼女はラルドリスににじるように近付いていった。

「なんなんだよ、その微妙な距離は」
「お、女には、殿方には分からぬ事情があるのです……」
「そうなのか? でも話しにくいぞ。まあいいが」

 腑に落ちない顔のラルドリスが前へと進む中、警戒するような目をして斜め後ろに付いたメルは混乱していた。

 ここに至り、彼を守る理由が責務から自らの意思に変わって……それに影響されるように、ラルドリス自身がメルにとって大切な人間となり始めた。

 しかしそうした想いが、ある種の感情と非常に切り分けがたいものなのだと、森の中で引きこもっていた彼女にはまだ知る由もない。





「すまんな、少し邪魔する」
「で、殿下……! このようなところにようこそおいでくださいました」

 ここは城内の備品倉庫。王城の調度品を管理する、多くの使用人で賑わっている。
 かつてティーラと共にジェナの世話を務めた宮女ふたりの居場所を知ると、ラルドリスは、まっすぐにそこに足を向けた。

 そして多くの使用人たちから物珍し気な視線を向けられつつ、声を潜め彼女たちに話しかける。

「すまないが、少し話を聞きたくてな。時間は取れるか」
「しょ、少々お待ちいただけますでしょうか」

 宮女うちのひとりがごくりと喉を鳴らすと上役に確認しに行き……いとまを貰ってきたのだろう、すぐに戻ってくる。

 ラルドリスは城内の一室に場所を変え彼女たち――やや年嵩の宮女と、若い宮女のふたりを座らせた。

「俺がなにを聞きに来たのか、わかっているな?」
「……正妃様が関わられた事件のことでしょうか」

「ああ。その詳細を話して貰いたい。傍にいたお前たちが一番知っているはずだ、母上があのような行動を起こすはずがないことを!」

 その怒声に、宮女たちの肩がびくっと跳ね上がる……しかし。

「私たちは……なにも知らないのです」

 彼女たちは、強く咎めるラルドリスの視線から目を外し、ぎゅっと唇を噛む。

「……知らないということはなかろう。母上からもお前たちが事件の日まで傍にいたことは聞いている。なぜだ――」
「ラルドリス様、彼女たちは……」

 そこで、さらに追及しようというラルドリスをメルは止めた。彼は必死になって気づかなかったようたが、当事者でないメルには、室内に入る前から彼女たちが小刻みに震えるのが見えていた。おそらく……。

「……口止めされているのだな」
「お許しください。これ以上は……」

 宮女たちの目が涙で潤み、祈るように両手を握る。こうなるとザハールかティーラなどがすでに手を回し、仕事か家族か、なんらかを楯に取られ脅迫されている可能性が高い。こうして接触を図っているだけでも彼女たちにとっては危ういのだ。

 ラルドリスは眉間にぐっと皺を刻むと、大きく髪を乱した。

「悪かった。周りの者には、私室に急ぎ運んで欲しいものがあったとでも誤魔化しておけ。もう行っていい」
「「申し訳ありませんでした……」」

 ふたりは頭を深く下げながら部屋を出て行く。
 その背中が消えた後に、ラルドリスはぐったりと天井を仰いだ。

「参ったな。彼女たちが後ろ暗いものを見たのはわかったが、無理やり口を割らせるわけにもいくまいし……。母上が父上の毒殺を謀ったのは夜間とされている。他に事の次第を知る目撃者も考えにくいか。くそっ、あの方が病床にいる父上を害したところで、得をすることなど何一つないというのに」

 ジェナに聞いた話によると、あの夜彼女はどうも眠気がひどく、夕食後早めに床についたらしい。それが目覚めると、城内の騎士団隊舎にある取調室内で、詰問を受けていたのだという。

 彼女自身からの証言は得られなかったが、ティーラや例の宮女たち、そして夜間警備に付いていた兵から同様の証言があり、ジェナの犯行は断定された。

 だが、彼女を直接牢に連れて行った兵士からは、その時彼女はどうも意識があいまいで、受け答えもはっきりとしなかったという説明も聞いている。

 メルもあの正妃が自らそんな無意味な行動を起こすとは思えない。ならば、可能性として一番大きいのは……。

「もしや……ジェナ様の身体は、何者かに操られていたのでは?」
「……魔術師か! しかし、可能なのか? そんなことが」
「特殊な薬と併用すれば、多分……」

 怪しいと思うのは、ジェナがその日強い眠気に襲われたことだ。

 本来、自我を強く持つ人の行動を魔法で操るのは難しい。だが、深い睡眠時や気絶時など、心理的な警戒が零に近い場合に限り、他の者の意識を乗り移らせたりすることも可能になる場合があると、祖母が持つ秘伝書のひとつで読んだ記憶があった。

 想像が確かであれば、やはり姉は恐ろしい。警戒が厳しいはずの正妃の気を緩ませて薬を飲ませるには、数年もの長い時間をかけて信用を得る必要があったはず。そうした長い忍耐を覚悟の上で宮中に潜り込み、ここまで大胆な行動をしてのけたのだから。

「そうか、手間の掛けたことを……。しかし、それがわかったところでどうすれば……」
「私に少し考えがあります。一日ほど時間をいただけますか?」

「うん? 真相がわかるのであれば、もちろんだが……」

 思いがけない言葉を聞いたラルドリスは、そこでなにかに気付いたように顔を上げた。

「そういや、いつもチーチーうるさいあのちびリス、今日は静かなんだな」

 メルはそこで口角を僅かに上げると、両眼を細めた。

「お仕事中です。明日には帰ってくるとは思いますので、朗報をお待ちください。それと、クルミはお城でもらえますか?」
「うん? 厨房に行けば山とあるが……」

 そのメルの言葉に少し首を捻りながら、ラルドリスも顔を明るくした。

「まあ、お前がそう言うなら任せよう。ではそれも兼ねて今のうちに、城を案内しておくか。面倒なほどだだっ広いが、お前の森に比べれば可愛いもんだろ?」
「いやいや、自然と人工物を一緒にしないでくださいよ。勝手が大分違うんですから――」




 ――そんな会話をしていたラルドリスとメルから少し離れ……再び備品倉庫。

「どうしましょう。あの時ジェナ様は意識もうつろで……他には誰にも見られていないはずだけれど」
「殿下やジェナ様には申し訳ないけれど、私たちにはどうすることもできないわ。口を閉ざすしか無いのよ……」

 顔を暗くし、上役に本日の作業は休むよう言い渡された宮女たちが自室へ辿る道筋を、ちょこちょこ後から追う者がいる。

 その小さな獣はごく密やかに、ふたりのスカートに隠れ進むと、彼女たちが自室の扉を開けたタイミングでするりと中に入り込んだ。

 そして結局宮女たちに気づかれることなく、ぱたんとドアは閉められたのだった。





 まんまと室内に入り込んだチタは、短い手足を動かし、ちょこちょこと壁際の足つき戸棚の下に滑り込む。

 あの時メルは思念――イメージの共有を行う事で、チタに頼みごとをしていた。宮女たちの爪や髪と言った体の一部をなんとか手に入れてくるようにと。だがチタとて、例えメルの頼みでもただでは動きたくない。帰って来たら、食べ切れないくらい山ほどのクルミを与えてもらうと聞かされ、彼女の袖を飛び出したのだ。

 中にいるふたりはさすが城勤めの宮女。部屋は徹底的に整頓されており、毎日拭き掃除までしているのか、床には埃一つない。これでは困ったことに、証拠の品は集められない。

 チタは気づかれないよう影から出ると、戸棚の側面を駆けあがった。
 眼下では、宮女たちが深刻な表情で話し合っている。

「……いったいどうしますの。もしラルドリス様が今回の件の真偽を突き留めたら、私たちは処罰を受け、ここにいられなくなるかもしれませんわ」

「だとしても、どうしようもないでしょう。今やティーラ様は王妃にもっとも近き御方。ラルドリス様に真実を離せばまず間違いなく、あなたも私もこの城を追い出され、家族までもが路頭に迷うことになるのよ。私たちができるのは、口を貝のように閉ざしていることだけよ」

 宮女たちはさめざめと顔を覆った。

 その間にも敏捷に、チタは戸棚の上から絵画の淵、窓に釣ったカーテンをブランコにして飛び上がり、両手両足を広げてベッドの上にぽふっと着地。

 しかし、よく整えられたシーツの上にも残念ながら彼女らの髪の毛はなく、そこで宮女たちが動き出したため、チタはすぐにベッドの上から窓際に飛び移って隠れた。

「あら……なんだか風もないのにカーテンが揺れた気がしましたわ」
「馬鹿おっしゃい、なにかの見間違えでしょう。疲れているのよ……私はもう休むわ」

 年嵩の宮女が鏡台の前で髪を下ろして梳きだし、違和感を感じた若い方の侍女がベッドに近づいていく。すると、そこには小さな窪みがある。今朝、朝部屋を出る時に完璧に整えたはずなのに……。

 宮女の部屋は毎日掃除を怠っていないか巡回チェックが回る。注意を受けた覚えはないし、今までこんなことは一度もなかった。

「ど、どうして……シーツが乱れていますの?」
「……今、あなたが触ったんでしょう」
「い、いえ……違います! な、なにか、この部屋にいるの?」
「ちょっと……やめなさいよ気持ち悪い。ひっ!」

 カサカサ……ポリポリポリ。
 木を爪で擦るような不快な音や、なにかを砕くような音を耳にしたふたりはすくみ上がる。よく見ると、吊るしていた絵画もやや曲がり、得体の知れない小さな音が継続的に彼女たちの周りで鳴り続けている。ただただ不気味だ。

「なによこれ……なにか、いる?」

 そこで、窓際からなにかが落下し、静かな部屋にカツーンと高く響いた。

「い、いやぁっ、怖い! 私ここに泊まるのは嫌です!」
「ちょっと、待ちなさいよ!」

 気味の悪さに耐え切れなくなったふたりの宮女は、競うようにその部屋を飛び出してゆった。

 誰も居なくなり部屋が静まり返る……。

「チチュ?」

 その後、カーテンの影から出て来たチタは、地面に飛び降りると、転がっていたひと欠けのナッツを拾った。
 実は……大きな音を立てて宮女たちを脅かしたのは彼が落とした、頬袋にいつも常備しているおやつナッツのひとかけだったのだ。

 それを食べ終えるとチタは鏡台の上に上がり、人気のなくなった一室でお目当てのものを発見する。

「キュッ!」

 台の上に放置されていた櫛になんと、宮女たちの髪が絡みついている。

 チタはつぶらな瞳をまたたかせ、嬉々としてそれを抜き取るとクルクル腕に巻き付けた。幸い、部屋を見渡せば、空気の入れ替えのために取り付けられた小さな穴が、壁の隅に空けられていて、そこが外と繋がっていそうだ。

「キュッキュ、キュッキュ……」

 チタはそこに柔軟な身体を潜り込ませると、毛皮が汚れるのも厭わず這い進んだ。
 メルの笑顔と両手いっぱいのクルミはもうすぐだ。
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