6 / 9
第六話:妹の天笠天唯
しおりを挟む
「二季でしょ、桐」
「…………はい。二季」
藤壺屋敷の離れで何度目かの出来事が行われていた。芳しいお香と共にベットシーツを頭からすっぽりと被る桐。そして傍らには二季の姿があった。桐の白い両手には似合わない年季の入った手錠がかけられている。それはベッド脇の壁に繋がれていた。彼女の両脚の間には歪な男の手の跡が色濃く刻まれている。鍛えられ程よい柔らかな太ももに二季が枕として頭を預けると、は満足げに微笑むとそっと脚をさすった。愛おしそうに目を細めると幸せな気持ちで満たされた声音で言葉を紡ぐ。
「桐のお気に入り――弥咲さんもう一週間も姿を表しませんねぇ」
「はい」
「あぁ嫌だ嫌だ、そんな顔をしないで桐。最愛の妹にそれは似合わない」
二季は優しく語りかけるとゆっくりと体を起こす。そのまま桐の上に覆いかぶさり首筋へ手を這わし――真綿を扱うように優しく締めていく。良く手入れされた黒髪はここ連日の行いで、黒に赤が混じりこびり付いている。鼻孔を擽るのは血と涎とお互いの汗の匂い。それが一方的で歪な交わりを表すものでもあった。
何度目かの浮遊感に身体が拒絶を示し神経を叩き起こす。思わず身体が跳ね上がる桐と同時に遠くから思い足音が近づいてくる。
「二季様! ご就寝中失礼致します。天笠家当主、天笠天唯を本部へお連れ致しました!」
部屋の前で立ち止まる気配がする。それとほぼ同時に扉が勢いよく開かれた。顔を紙で覆われた使用人――息を切らしている老人は部屋に踏み入るや否や、表情は決して見えずともその目は大きく見開かれ驚愕しているようだった。目の前の狂った光景、そこには首を絞められた桐とその上に跨りながら、楽し気に喉元に手を伸ばす二季の姿があった。老人は慌てて駆け寄ると苦し気な表情を見せる桐を抱きかかえる。すぐさま脈を確認し安堵の溜息をつく二季から顔を殴られてしまった。
「っ……二季様。やり過ぎです」
「指図をするな塵芥」
顔を隠していた紙が桐の胸元へ落ちる。彼もまたこの屋敷の住人であるであるがその顔は、二季とよく似た面立ちを感じさせる。かつてはあったであろうその美しい容姿は台無しとなっていた。顔には無数の傷跡があり口端からは出血が滲んでいる。瞳は虚ろであり頬には幾重にも涙の跡がある。意識を霞ませている桐は、その使用人の顔を見ると痛々しく眉を寄せた。
「申し訳ありません、二季様」
舌打ちをする二季は裸のまま通路へ出ていく。離れには涙ぐむ老人と桐の二人。老人は床に落ちていたシーツで桐の身体を優しく包み込む。
「桐様、今すぐに白湯とお着替えをお持ちいたします」
紙を拾い上げ再度付けると老いた使用人もその場を離れていった。残された桐はその視線を自身の下へと落とす。下腹部に広がる違和感に身震いをした。この違和感は女である身体の使用上仕方のないモノ。微かな滑りと共に重く沈んでいく。
「……弥咲、天唯」
桐が発した言葉は、今までの痛みから来るものでは無く、愛する者への謝罪であった。
■
帝都憲兵本部 第十三隊尋問室―――第十三隊は明治から続く由緒正しい憲兵分隊であり、大正期に入り陸軍や海軍との協力体制のもと、従来の警察機能の強化・拡充を図りつつ、帝都治安維持に精励してきた。この分隊は現在の規模まで拡張され、現在では二つの分隊が帝都各所に分散して配属されている。各部隊の名前は藤の名が入っており、それぞれを“紫藤分隊”、“紅藤分隊”という。藤壺桐は第十三隊紅藤分隊の所属であり、主に治安の維持及び犯罪捜査を担当し憲兵を統轄指揮する傍らで、帝都における重要人物や事件の被疑者などに対しての拷問を行う部署。その性質上、他の憲兵隊員は近づく事すら許されず、またその存在は極秘とされている。
入室したら決して戻れない。そう囁かれる程の異質な場所。厳重な扉を開くと薄暗い部屋が姿を現した。明かりは部屋の中央にあるテーブルの上にある、ランプの冷たい光だけである。壁際には多くの棚と引き出しがあり、そこには数々の道具が収められている。天井からぶら下がる鎖に吊るされた拘束具は、壁に立てかけられている武器と同じで異様な雰囲気を放っている。
そんな場所で、大きく作られた椅子にちょこんと座っている少女――天笠天唯。不釣り合いな甘い香りと黄金に輝く紅茶をすする音が響く。
色素の薄い金髪の上半分を軽く一つに纏め、三つ編みをしてから弧を描くように――英国結びにし、紫の天鵞絨リボンで彩られている。下半分の余らせた髪は緩く巻かれ、少し歩くたびにふんわりと揺れ動く。まるで西洋の書物に登場しても可笑しくない程の美しい少女が憲兵達に囲まれながら何食わぬ顔で紅茶を嗜んでいる。綺麗な足から覗くレースで象られたパンプスはこの時代では最先端のお洒落であったが、天唯はパンプスに飼い猫を象った飾りを特注で入れている。
両手を縛られ、脚も鎖で繋がれている。そんな状態でも優雅に紅茶を飲むその姿は、とてもこの惨状を作り上げた張本人とは思えない。
「猫寅様、誰が私を尋問するんですか?」
幼い少女の手前、決して煙草を吸わない猫寅は代わりに西洋菓子でお持て成しをしながら、目の前で優雅に微笑む天唯を見やる。彼女は先程から何が面白いのか、自身を囲う憲兵達に質問を投げかけながら楽しそうに笑い声を上げている。そんな彼女の笑顔は年相応の無邪気なもの――ただ、その無垢さ故に底知れぬ恐ろしさがあった。
――まるで桐様のようだ。
猫寅は思わず喉まででかかった言葉を必死に飲み込んだ。藤壺家と天笠家の仲は先日、桐本人から嫌と言うほど聞かされた。
「藤壺桐様が貴様を尋問する……のだが四日前から体調が優れず、本家でお休みになっている」
「あら。桐様が……そうですか。これが終わり次第お見舞いの品を届けに行きますね」
藤壺の名前を出すと途端に目を輝かせる。その表情は乙女に憧れを詰めた綺麗なものだった。可憐な姿をしている少女――名を天笠天唯と言い、最年少で天笠家当主を務める齢十二の少女だ。四神家の中でも天笠家と言えば、先見の明で世界を揺るがす存在であり、その力は既に世界経済界に影響を及ぼせるほどの大きなものであった。また、それだけでなく現当主は陰陽道に精通しており、その力は計り知れない。しかし、それはあくまでも表の顔である。
現在、この国に存在する神は八百万と言われ、その全てが人間の信仰対象となっている。その中でも最も力を持つと言われる神々こそ――創世神話に登場する始原の神と呼ばれる四柱の神々であった。政府関係者の中でも機密情報として一部の者しか認知していない――天笠家は、天を支配せし偉大なる始源神の末裔。歴代の中で天笠天唯は一番血を色濃く継いでいると言われている。あの天笠家をたった三年で全盛期と同じ水準へと立て直した化け物。
「この度、帝都で起きた連続不審死事件についての容疑者――貴方の兄、天笠弥咲を逮捕する流れでしたが……貴方が彼の代わりにお話をするとのことで。こう言ってはなんですが…………我々が行う尋問を貴方はご存知の筈だ。そこまでして天笠弥咲を庇うのか?」
「庇うというよりは……お兄様は何か勘違いされていると思います」
「ほう? ……例えばどのような?」
猫寅の言葉に対し、天唯は困ったように眉を下げながらも、口元を緩ませ微笑んだ。その反応を見て、猫寅は目の前の幼子が自身の兄に対して並々ならぬ感情を抱いていることに気づく。
「……あぁ、申し訳ありません。これは私の口からはお伝えできない内容です。けれど、私には確信があります。私は……お兄様を信じていますから」
どこか寂しげな顔をして俯く。その仕草はとても愛らしく、思わず抱き締めたくなる程の可愛らしさがある。まるで魔性。猫寅を含む憲兵達には正直言って、女、子供にはあまり尋問を行いたくはない。ましてや相手が相手なのだ。本来であればこんなにも幼い子供を尋問するなど心苦しいものがある。
「私の情報網を持ってしても、一週間前にこちらで桐様や、猫寅様と何かをやり取りをしたことくらいしか……あぁお兄様の行方がわからず。寂しい」
「桐様との約束を決して反故する方では無い、と桐様本人から言われましたが。ごほん。我々は天笠弥咲を疑っているのですよ」
わざとらしい咳払いの後、猫寅は本題に入る。天唯はそんな猫寅の様子にクスリと笑みを浮かべた後、椅子の背もたれに寄りかかり、少し考える素振りを見せた後、小さく首を傾げた。
「私は貴方達を利用し、二季様と取引をしに来たのです」
そう言う天唯は何処か愉快そうに見えた。――利用、だと? 憲兵達は思わず怪しみ、彼女の次の言葉を待った。両手を縛られ、脚も鎖で繋がれているにも関わらず、少女は紅茶を飲みながらまるで優雅にティータイムを過ごす貴族のように落ち着き払っていた。いや。むしろこの状況はまるで……そう。それはまさに処刑されるのを待つ罪人のようだった。だが、しかし。彼女からは罪悪感や恐怖と言ったものは微塵も感じられなかった。
扉の開かれる音ともに外気が流れ込んでくる。その冷たい空気に思わず身震いしそうになるが、一人の男が部屋に入ってくると憲兵達の緊張は一気に高まる。
不機嫌な子供のような雰囲気を纏っていた藤壺二季が、中央に座っている天唯を視界に捉えるなり表情を一変させる。目を見開き、唇を戦慄かせながら彼は顔を変える。
「善行を行う者は、周りに不幸を撒き散らすってご存知でしょうか?」
「二季様おはようございます。それは私の知る限り、聞いたことが御座いません」
他愛も無い会話だが、お互いに棘が見え隠れしている。二季の瞳はどこか嫌悪と混ざった興奮を瞳に移し、小刻みに揺れていた。一方、天唯は微笑みを絶やすことなく落ち着いた口調で言葉を発した。憲兵達にはこの二人の関係が何なのか理解することが出来なかった。お互いを嫌い合っているように見えるが一方的で歪なものを感じ取れる。
「そうでしょうね。そもそも、これを知らない人間の方が多いはずですよ。では……逆に質問をさせて頂いても宜しいですか?」
「はい。なんなりと」
二季は白い布に包まれたものを、テーブルへおく。酷く重い音からして何らかの器具であることは確かだろう。天唯は、一瞬その中身が何かを考えた後、思い当たる節があったのか無邪気な声音で笑うと答える。
「私の爪を剥がす道具!」
「えぇ正解です」
二季は口元を歪め微笑む。その笑顔は慈愛に満ちた聖母というよりも……獲物を見つけた悪魔のように見えた。
「なっ……二季様、もしかしてこの少女に行うのですか!?」
猫寅の首にチクリとした痛みが走る。透明な液体が入った注射器が目の前に差し出された。猫寅が驚いて首元に触れると、そこには小さな針が刺さっており、既に血が滲んでいた。
「…………何を言っているんだ。これは尋問だよ? 私は嘘つきが大っ嫌いなんだ……。桐や天唯さんも君も彼の事を疑わずに、今だに真犯人を探している。無駄では? それに彼女は私と取引をしたからこの尋問には何の問題もない」
「しかし!!」
猫寅の右頬へ注射器が刺される。口内へと針が飛び出しても関わらずに二季は液体を流す。ざわつく憲兵達の荒ぶる声を猫寅が息を上げつつも抑える。だがしかし、そんな猫寅達の様子を気にもせず、二季はただひたすら天唯を凝視していた。二本目の注射器を鞄から取り出すと、猫寅の手を掴み腕の内側を露わにすると、そこにも躊躇なく突き刺し液体を流し込む。猫寅の太い腕から血液が飛び散り、二季の顔に付着したが彼は気にせずに、また一本。三本目を注射しようと――天唯の拘束された両手がゆっくりと動き出し、二季の腕を掴む。その力は異常に強く、彼女の細い指が二季の腕に食い込み骨の軋む音が響く。天唯は二季から視線を外すことなく睨みつけると、彼の手を払い除ける。
「この茶番は止めませんか?」
「この憲兵に優しさを?」
天唯の両腕を強く掴みあげる。細い肩から嫌な音が聞こえるが、それでも彼女の顔は笑っていた。まるで痛みを感じていないかのように。
「小物をイジメて何が楽しいのですか? それに私は一刻も早くお兄様を探したいのです。あまり焦らされるのは好きではありません」
「……へぇ。やっぱり面白いね。いいよ。貴方の言う通りにしよう」
猫寅や憲兵達は二人の会話に驚きを隠せなかった。あの、いつも冷静で感情を表に出さない藤壺二季が、こんなに余裕の無い表情をするなんて。それだけでも珍しいのに、彼女は何故か楽しそうに見えた。まるで、天唯という存在そのものが藤壺二季にとって玩具のように思えた。猫寅が力の抜けていく身体の震えを抑える。覚束無い舌で尋問に関する言葉を吐くと、ため息を吐かれる。
「煩いなぁ……私がやると言ってるんだよ。黙って従えばいい。貴様達は出て行け」
「……ッ」
猫寅は悔しげに歯噛みする。部下の憲兵三人に身体を支えられ椅子から立ち上がると、覚悟を決めたように深くゆっくり深呼吸をすると部屋を後にする。
大きな身体を引きずって歩く姿を、天唯は煌めく瞳で捉えると今までの笑みとは違う、何か安心したような微笑を浮かべた。
「…………はい。二季」
藤壺屋敷の離れで何度目かの出来事が行われていた。芳しいお香と共にベットシーツを頭からすっぽりと被る桐。そして傍らには二季の姿があった。桐の白い両手には似合わない年季の入った手錠がかけられている。それはベッド脇の壁に繋がれていた。彼女の両脚の間には歪な男の手の跡が色濃く刻まれている。鍛えられ程よい柔らかな太ももに二季が枕として頭を預けると、は満足げに微笑むとそっと脚をさすった。愛おしそうに目を細めると幸せな気持ちで満たされた声音で言葉を紡ぐ。
「桐のお気に入り――弥咲さんもう一週間も姿を表しませんねぇ」
「はい」
「あぁ嫌だ嫌だ、そんな顔をしないで桐。最愛の妹にそれは似合わない」
二季は優しく語りかけるとゆっくりと体を起こす。そのまま桐の上に覆いかぶさり首筋へ手を這わし――真綿を扱うように優しく締めていく。良く手入れされた黒髪はここ連日の行いで、黒に赤が混じりこびり付いている。鼻孔を擽るのは血と涎とお互いの汗の匂い。それが一方的で歪な交わりを表すものでもあった。
何度目かの浮遊感に身体が拒絶を示し神経を叩き起こす。思わず身体が跳ね上がる桐と同時に遠くから思い足音が近づいてくる。
「二季様! ご就寝中失礼致します。天笠家当主、天笠天唯を本部へお連れ致しました!」
部屋の前で立ち止まる気配がする。それとほぼ同時に扉が勢いよく開かれた。顔を紙で覆われた使用人――息を切らしている老人は部屋に踏み入るや否や、表情は決して見えずともその目は大きく見開かれ驚愕しているようだった。目の前の狂った光景、そこには首を絞められた桐とその上に跨りながら、楽し気に喉元に手を伸ばす二季の姿があった。老人は慌てて駆け寄ると苦し気な表情を見せる桐を抱きかかえる。すぐさま脈を確認し安堵の溜息をつく二季から顔を殴られてしまった。
「っ……二季様。やり過ぎです」
「指図をするな塵芥」
顔を隠していた紙が桐の胸元へ落ちる。彼もまたこの屋敷の住人であるであるがその顔は、二季とよく似た面立ちを感じさせる。かつてはあったであろうその美しい容姿は台無しとなっていた。顔には無数の傷跡があり口端からは出血が滲んでいる。瞳は虚ろであり頬には幾重にも涙の跡がある。意識を霞ませている桐は、その使用人の顔を見ると痛々しく眉を寄せた。
「申し訳ありません、二季様」
舌打ちをする二季は裸のまま通路へ出ていく。離れには涙ぐむ老人と桐の二人。老人は床に落ちていたシーツで桐の身体を優しく包み込む。
「桐様、今すぐに白湯とお着替えをお持ちいたします」
紙を拾い上げ再度付けると老いた使用人もその場を離れていった。残された桐はその視線を自身の下へと落とす。下腹部に広がる違和感に身震いをした。この違和感は女である身体の使用上仕方のないモノ。微かな滑りと共に重く沈んでいく。
「……弥咲、天唯」
桐が発した言葉は、今までの痛みから来るものでは無く、愛する者への謝罪であった。
■
帝都憲兵本部 第十三隊尋問室―――第十三隊は明治から続く由緒正しい憲兵分隊であり、大正期に入り陸軍や海軍との協力体制のもと、従来の警察機能の強化・拡充を図りつつ、帝都治安維持に精励してきた。この分隊は現在の規模まで拡張され、現在では二つの分隊が帝都各所に分散して配属されている。各部隊の名前は藤の名が入っており、それぞれを“紫藤分隊”、“紅藤分隊”という。藤壺桐は第十三隊紅藤分隊の所属であり、主に治安の維持及び犯罪捜査を担当し憲兵を統轄指揮する傍らで、帝都における重要人物や事件の被疑者などに対しての拷問を行う部署。その性質上、他の憲兵隊員は近づく事すら許されず、またその存在は極秘とされている。
入室したら決して戻れない。そう囁かれる程の異質な場所。厳重な扉を開くと薄暗い部屋が姿を現した。明かりは部屋の中央にあるテーブルの上にある、ランプの冷たい光だけである。壁際には多くの棚と引き出しがあり、そこには数々の道具が収められている。天井からぶら下がる鎖に吊るされた拘束具は、壁に立てかけられている武器と同じで異様な雰囲気を放っている。
そんな場所で、大きく作られた椅子にちょこんと座っている少女――天笠天唯。不釣り合いな甘い香りと黄金に輝く紅茶をすする音が響く。
色素の薄い金髪の上半分を軽く一つに纏め、三つ編みをしてから弧を描くように――英国結びにし、紫の天鵞絨リボンで彩られている。下半分の余らせた髪は緩く巻かれ、少し歩くたびにふんわりと揺れ動く。まるで西洋の書物に登場しても可笑しくない程の美しい少女が憲兵達に囲まれながら何食わぬ顔で紅茶を嗜んでいる。綺麗な足から覗くレースで象られたパンプスはこの時代では最先端のお洒落であったが、天唯はパンプスに飼い猫を象った飾りを特注で入れている。
両手を縛られ、脚も鎖で繋がれている。そんな状態でも優雅に紅茶を飲むその姿は、とてもこの惨状を作り上げた張本人とは思えない。
「猫寅様、誰が私を尋問するんですか?」
幼い少女の手前、決して煙草を吸わない猫寅は代わりに西洋菓子でお持て成しをしながら、目の前で優雅に微笑む天唯を見やる。彼女は先程から何が面白いのか、自身を囲う憲兵達に質問を投げかけながら楽しそうに笑い声を上げている。そんな彼女の笑顔は年相応の無邪気なもの――ただ、その無垢さ故に底知れぬ恐ろしさがあった。
――まるで桐様のようだ。
猫寅は思わず喉まででかかった言葉を必死に飲み込んだ。藤壺家と天笠家の仲は先日、桐本人から嫌と言うほど聞かされた。
「藤壺桐様が貴様を尋問する……のだが四日前から体調が優れず、本家でお休みになっている」
「あら。桐様が……そうですか。これが終わり次第お見舞いの品を届けに行きますね」
藤壺の名前を出すと途端に目を輝かせる。その表情は乙女に憧れを詰めた綺麗なものだった。可憐な姿をしている少女――名を天笠天唯と言い、最年少で天笠家当主を務める齢十二の少女だ。四神家の中でも天笠家と言えば、先見の明で世界を揺るがす存在であり、その力は既に世界経済界に影響を及ぼせるほどの大きなものであった。また、それだけでなく現当主は陰陽道に精通しており、その力は計り知れない。しかし、それはあくまでも表の顔である。
現在、この国に存在する神は八百万と言われ、その全てが人間の信仰対象となっている。その中でも最も力を持つと言われる神々こそ――創世神話に登場する始原の神と呼ばれる四柱の神々であった。政府関係者の中でも機密情報として一部の者しか認知していない――天笠家は、天を支配せし偉大なる始源神の末裔。歴代の中で天笠天唯は一番血を色濃く継いでいると言われている。あの天笠家をたった三年で全盛期と同じ水準へと立て直した化け物。
「この度、帝都で起きた連続不審死事件についての容疑者――貴方の兄、天笠弥咲を逮捕する流れでしたが……貴方が彼の代わりにお話をするとのことで。こう言ってはなんですが…………我々が行う尋問を貴方はご存知の筈だ。そこまでして天笠弥咲を庇うのか?」
「庇うというよりは……お兄様は何か勘違いされていると思います」
「ほう? ……例えばどのような?」
猫寅の言葉に対し、天唯は困ったように眉を下げながらも、口元を緩ませ微笑んだ。その反応を見て、猫寅は目の前の幼子が自身の兄に対して並々ならぬ感情を抱いていることに気づく。
「……あぁ、申し訳ありません。これは私の口からはお伝えできない内容です。けれど、私には確信があります。私は……お兄様を信じていますから」
どこか寂しげな顔をして俯く。その仕草はとても愛らしく、思わず抱き締めたくなる程の可愛らしさがある。まるで魔性。猫寅を含む憲兵達には正直言って、女、子供にはあまり尋問を行いたくはない。ましてや相手が相手なのだ。本来であればこんなにも幼い子供を尋問するなど心苦しいものがある。
「私の情報網を持ってしても、一週間前にこちらで桐様や、猫寅様と何かをやり取りをしたことくらいしか……あぁお兄様の行方がわからず。寂しい」
「桐様との約束を決して反故する方では無い、と桐様本人から言われましたが。ごほん。我々は天笠弥咲を疑っているのですよ」
わざとらしい咳払いの後、猫寅は本題に入る。天唯はそんな猫寅の様子にクスリと笑みを浮かべた後、椅子の背もたれに寄りかかり、少し考える素振りを見せた後、小さく首を傾げた。
「私は貴方達を利用し、二季様と取引をしに来たのです」
そう言う天唯は何処か愉快そうに見えた。――利用、だと? 憲兵達は思わず怪しみ、彼女の次の言葉を待った。両手を縛られ、脚も鎖で繋がれているにも関わらず、少女は紅茶を飲みながらまるで優雅にティータイムを過ごす貴族のように落ち着き払っていた。いや。むしろこの状況はまるで……そう。それはまさに処刑されるのを待つ罪人のようだった。だが、しかし。彼女からは罪悪感や恐怖と言ったものは微塵も感じられなかった。
扉の開かれる音ともに外気が流れ込んでくる。その冷たい空気に思わず身震いしそうになるが、一人の男が部屋に入ってくると憲兵達の緊張は一気に高まる。
不機嫌な子供のような雰囲気を纏っていた藤壺二季が、中央に座っている天唯を視界に捉えるなり表情を一変させる。目を見開き、唇を戦慄かせながら彼は顔を変える。
「善行を行う者は、周りに不幸を撒き散らすってご存知でしょうか?」
「二季様おはようございます。それは私の知る限り、聞いたことが御座いません」
他愛も無い会話だが、お互いに棘が見え隠れしている。二季の瞳はどこか嫌悪と混ざった興奮を瞳に移し、小刻みに揺れていた。一方、天唯は微笑みを絶やすことなく落ち着いた口調で言葉を発した。憲兵達にはこの二人の関係が何なのか理解することが出来なかった。お互いを嫌い合っているように見えるが一方的で歪なものを感じ取れる。
「そうでしょうね。そもそも、これを知らない人間の方が多いはずですよ。では……逆に質問をさせて頂いても宜しいですか?」
「はい。なんなりと」
二季は白い布に包まれたものを、テーブルへおく。酷く重い音からして何らかの器具であることは確かだろう。天唯は、一瞬その中身が何かを考えた後、思い当たる節があったのか無邪気な声音で笑うと答える。
「私の爪を剥がす道具!」
「えぇ正解です」
二季は口元を歪め微笑む。その笑顔は慈愛に満ちた聖母というよりも……獲物を見つけた悪魔のように見えた。
「なっ……二季様、もしかしてこの少女に行うのですか!?」
猫寅の首にチクリとした痛みが走る。透明な液体が入った注射器が目の前に差し出された。猫寅が驚いて首元に触れると、そこには小さな針が刺さっており、既に血が滲んでいた。
「…………何を言っているんだ。これは尋問だよ? 私は嘘つきが大っ嫌いなんだ……。桐や天唯さんも君も彼の事を疑わずに、今だに真犯人を探している。無駄では? それに彼女は私と取引をしたからこの尋問には何の問題もない」
「しかし!!」
猫寅の右頬へ注射器が刺される。口内へと針が飛び出しても関わらずに二季は液体を流す。ざわつく憲兵達の荒ぶる声を猫寅が息を上げつつも抑える。だがしかし、そんな猫寅達の様子を気にもせず、二季はただひたすら天唯を凝視していた。二本目の注射器を鞄から取り出すと、猫寅の手を掴み腕の内側を露わにすると、そこにも躊躇なく突き刺し液体を流し込む。猫寅の太い腕から血液が飛び散り、二季の顔に付着したが彼は気にせずに、また一本。三本目を注射しようと――天唯の拘束された両手がゆっくりと動き出し、二季の腕を掴む。その力は異常に強く、彼女の細い指が二季の腕に食い込み骨の軋む音が響く。天唯は二季から視線を外すことなく睨みつけると、彼の手を払い除ける。
「この茶番は止めませんか?」
「この憲兵に優しさを?」
天唯の両腕を強く掴みあげる。細い肩から嫌な音が聞こえるが、それでも彼女の顔は笑っていた。まるで痛みを感じていないかのように。
「小物をイジメて何が楽しいのですか? それに私は一刻も早くお兄様を探したいのです。あまり焦らされるのは好きではありません」
「……へぇ。やっぱり面白いね。いいよ。貴方の言う通りにしよう」
猫寅や憲兵達は二人の会話に驚きを隠せなかった。あの、いつも冷静で感情を表に出さない藤壺二季が、こんなに余裕の無い表情をするなんて。それだけでも珍しいのに、彼女は何故か楽しそうに見えた。まるで、天唯という存在そのものが藤壺二季にとって玩具のように思えた。猫寅が力の抜けていく身体の震えを抑える。覚束無い舌で尋問に関する言葉を吐くと、ため息を吐かれる。
「煩いなぁ……私がやると言ってるんだよ。黙って従えばいい。貴様達は出て行け」
「……ッ」
猫寅は悔しげに歯噛みする。部下の憲兵三人に身体を支えられ椅子から立ち上がると、覚悟を決めたように深くゆっくり深呼吸をすると部屋を後にする。
大きな身体を引きずって歩く姿を、天唯は煌めく瞳で捉えると今までの笑みとは違う、何か安心したような微笑を浮かべた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
竜華族の愛に囚われて
澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。
五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。
これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。
赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。
新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。
そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。
※某サイトの短編コン用に書いたやつ。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる