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第8話 或る男
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沈んでいく美しく燃えるような夕焼けの真紅は、今のユートの目には眩し過ぎた。瞳から入ってくる光が体に沁みる。その色彩から目を背けるように視線を上げると茜色に染まった空を見上げる。遠く、野鳥の啼く声がしたような気がした。
ユート達はあれから一直線に「セントラル・ガイア」へと向かったのは良いものの、当然犯人がいるわけもなく、また入ることが出来るわけもなかった。よって奴の所在は依然として不明のままだ。そこでユート達はとある小高い丘の展望台に来ていた。暗くなってきたせいか、ここには人っ子一人おらず、静寂と紅色に包まれたその場所は淡く灯った街灯だけを残していた。誰もいない事もあってか、二人はこんな事態だと言うのに悪戯にこの退屈な一時を謳歌していた。ふと、端の方にあった転落防止の鉄柵に寄りかかってその街並みを眺めてみる。柵から伝わる氷のような冷たさに、これが現実だと思い知らされた。町はすっかり夕陽の紅色で染め上げられて、人通りも少し疎らになり始めている。鮮やかな紅の色彩と様々な建造物に灯りやら蒸気やらが混ざり合い、此の世ならざる壮観な眺めをその眼に映した。もし今ここに詩人がいたならば、こんなにも美しい壮大な眺めを見たとして、詩の一つや二つぐらいならいとも簡単に詠めるだろう。
こんなにも美しい景色、こんな緊急事態に見るべきじゃない。
犯人はこれまでに全ての保管庫を襲撃し、そこで遺物を手に入れた。そうなってくると、恐らくもうすべき事は無くなっているだろう。そして昼夜問わず「セントラル・ガイア」の警備は常時厳戒態勢になっていて、このタイミングで行くのは袋の鼠にでもなりに行くようなものだ。よって犯人は夜の闇に紛れて動く、そう読んでの待機だが果たして当たっているだろうか。アガレスには既に所定の場所で待ち伏せをしてもらっている。そちらにも犯行グループの一員が来ると踏んでの思い切った待機行動だ。
隣で同じように鉄柵に寄りかかるシルヴィアは、心ここに在らずといった様子で風に吹かれ、黄昏ている。何とも気の抜けた表情だが、大丈夫だろうか。
「あぁ、そういえば。まだコレを渡していなかったな。ほれ、護身用にでも持っておけ」
突然、何かを思い出したようにパンッとその白い手を叩いて景気の良い音を出したと思うと、シルヴィアは上着の中をまさぐり出した。いきなりどうしたのかと思ったが、その疑問は手渡されたそれに対する疑問で上書きされて消え去った。
「…なんですか? コレ」
シルヴィアから手渡されたそれは今まで見て来た物の中でもトップクラスに不思議で奇妙な物だった。陽の光とは対照的に妖しく黒光りするそれはどうも鉄で出来ているらしく、その小さな風貌によらず、ズシリと重い。妙に突き出た部分があり、その先端には深い穴が開いている。そして持ち手のようなものもあり、指を掛けられそうな所もあってか何かの道具の様にも見える。
「それは歴とした旧世界の遺物の一つだ。そして当然、現代の技術では作り出せない代物で、こんなに小さいながらも、人間でさえいとも簡単に殺せる強力な代物だ。旧世界の呼び名で呼ぶなら…「回転式拳銃」長くて嫌なら、「拳銃」と呼んでも良いだろう。それは端的に言ってしまえば、"小さな鉄片を高速で射出することで狙った目標を穿通し、損害を与える武器"だな」
自慢げに言ってはいるがにわかには信じがたい。こんなにも小さいのに、人を簡単に殺せるという事らしいが、魔術師相手にこんな物が通用するのだろうか。
「それは魔弾と違って射撃時に魔力を必要としない。よって状況次第では魔弾よりも強力で、対象に対して驚異的な効力を発揮するだろうな。勿論、当てることが出来るならだが」
…旧世界の遺物、遥か昔の世界をこの世に伝える数少ない世界の財産。そして強力な武器。
「…そんな強力な物をどうして僕に?」
すぐに足手纏いになってしまうからだろうか、それとも緊急時での自決用だろうか?
「…単純に、お前に死んで欲しくないからだよ」
白い頬をほんのりと赤らめ、さも恥ずかしがる乙女の様にシルヴィアは吐き捨てる。おそらく他意はないのだろうが、取り敢えず今の様子について触れるのは止めておこう。後で何をさせられるか分からない。
そしてお互い気まずくなってしまい、何とも言えない絶妙な空気が二人の周りに立ち込める。何か言うべきなのは分かっているが、何と言葉を掛けたらいいのか分からないまま、結局何も言い出せずにゆっくりと時間は過ぎていく。こんなにも持て余した気まずい時間さえも、シルヴィアとなら不思議と愉しいと感じてしまう。そんな不可解なユートの心情は、きっとユート自身もこれからずっと解らないままなのだろう。そんな二人を置き去りに、夜の帳はしっとりとその幕を下ろしていった。
夜が世界を覆う。町に浮かんだ灯りでさえ、今は遠い。手元の懐中時計に目を落とせば時刻は午前零時半。即ち、出発の時間だ。ユートはずっと同じ姿勢をしていたせいか、すっかりと固まった体を伸ばすと後ろで同じように体を伸ばしているシルヴィアに声をかける。
「…時間ですね」
「あぁ、そのようだな」
覚悟を決め、互いに顔を見合わせる。これからは決して楽な任務じゃない。と言うか任務ですらない。それでも必ず遂行しなければ。
「準備はいいか?」
シルヴィアが最終確認とでも言いたげに聞いてくる。そんなの、今更だろう。
「はい。もう迷いはありません」
ユートの言葉を聞くとシルヴィアは会ってから何回見たのかすら覚えていない、いつもの愉しそうな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、行こうか。奴の前に颯爽と現れて、正義の味方と洒落込もうじゃないか」
一歩歩みを進める度に靴底と鉄製の足場がカンカンッ、と良く響く音を立てた。何とか侵入には成功した…と言うか扉を破壊して無理矢理入ったが、「セントラル・ガイア」の内部は焼ける様な灼熱と化していた。そこら中から高温のスチームが噴き出し、金属の擦れ合う不快な雑音と無秩序に流れる高純度の魔力が生命の侵入を阻む様で、ユートの目にはここは地獄の入り口の様に映った。防護術式は展開しているが、それでもなお襲ってくる熱とその噴き出す水蒸気を含んで温度の高くなった熱風が容赦なく全身に叩き付けられる。これには流石のシルヴィアも、汗を流して厭そうな顔を隠せていない。"学校"でも対高温状況任務の訓練はしたが、これはその比にならない。ユートはこの余りにも凶悪な熱気に体力が奪われていくのを感じた。
…ってそんなどうでもいい様な感想は一先ずそこらに置いて、まずは男を見つけなければ。探知を起動してみると、生命体の反応がある。どうやら一人の男がここの中心部に居るようだ。強力な魔力が感じられる事から、恐らくあの黒コート男だろう。
「見つけました」
「私もだ」
二人はまた顔を見合わせると、男がいるのであろう「セントラル・ガイア」の中心部…メインリアクターへと向かった。
或る男は、意味を探していた。
意味とは無論、生きる意味である。誰にでもあって当たり前の物だ、と人は笑うかも知れない。だが男にはそれが無かった。男は長い間軍人として生きてきたが、長く生きる事とは、多くの別れを経験する事と同義だ。男には信頼できる友も、愛する家族もいた。だがそれらは無情にも、男の人生から奪われてしまった。勿論軍人あった故、非人道的な行いもして来た。人を殺し、町を焼き、拷問で被疑者を非道なまでに殴りつけもした。人を殺める事には抵抗があった。瀕死の状態になってもなお生きようと必死に足掻き続ける人間を見ると、同族として助けたくもなる。そして、今になってツケが回ってきた。当然の事だと人は言うだろう、しかし相手の心情とは、相手の立場に立って初めて理解出来るもの。身近な人が死ぬとどうしようも無く悲しく、怒りさえ湧き上がってくる。この残酷な現実こそが、男のこれまでに犯した罪の報いだった。そんな経験をした者が、まともで居られる訳も無い。何をするにも身が入らず、何を見たとしても何も感じない彼は、最早死んだも同然だった。男は失意と後悔の中で、長い間苦しみ続けた。そして男は人生の底、道端で雨に打たれ、途方に暮れていた時にある男と出会った。人と出会う事自体は有り触れているものであるが、彼との出会いは文字通り、男の人生を変えた。
「貴方はこんな所で終わっていい人じゃない」
そう声を掛けられたのは何年前だっただろうか。だが今でも鮮明に覚えている。彼の体は、男と同じように濡れていた。
「どうか私と共に来てくれませんか? 私は貴方の様な人間は沢山見て来ました。そして彼らは普通の人間とは異なる、確かな"生"への熱量を持っていました。私は彼らを見捨てられなかった。私は彼らと共に歩む事に決めました。彼らを再び蘇らせる為に。そして、彼ら共に"大いなる計画"を実現し、全ての人間が幸福を手にする世界、誰もが生を実感出来る理想郷、世界の夢、"新世界"を創り上げる事こそが、私の夢です。さぁ、もし貴方が望むのならば、どうか手を取って下さい。私達と共に世界を変えましょう」
その顔は慈悲に満ちた笑顔で、男の目には神の使いか、救世主の様に映った。以前の自分ならそんなの夢物語だと笑い飛ばすような話だ。だが、今は違う。彼の言葉には熱意と憧れがある。このまま野垂れ死ぬくらいなら、最後の夢に賭けてみるのも悪くないと、そう思えた。
…もし、普通の人々がこんな落ちこぼれで荒み切った男が、救世主である彼の後ろを歩むと知ったら笑うだろうか、身分違いだと蔑むだろうか。彼の夢は崇高で、それでいて半ば夢の様で実現するかは解らない。それでも男は彼の手を取る。こんな価値も無い一人の男を救い、導いてくれた彼の夢だけは笑わせないと、その雨に濡れた体に誓って。
———俺は彼と共に歩む。かの世界を実現すべく、例えこの身が朽ち果てようとも、彼に貰ったこの掛け替えの無い二度目の生の全てを捧げて。
男は立ち上がると、彼と並んで歩き出した。男はちらっと横に並んだ彼の顔を見る、雨に打たれすっかりと濡れてしまっている黒縁の眼鏡の奥、燦然と輝く深淵の様な昏い瞳には、確かな熱量と慈悲の意思が表れ、昏いながらも煌々と瞬いている様だった。
そして、男は此処に居る。彼の世界を実現する為に。彼の夢を妨げるあらゆる障壁を壊す為に。これはその第一歩に過ぎない。男は手元に目をやり、その武骨な手の内にあるそれを見る。
———そう、これは序章に過ぎない。これから起こる"革命"に、世界はどう立ち向かうのか、見物だな。
透明な容器に入った翠玉色のそれを握り締めると、男は高らかに笑った。
———或る男は、意味を探していた。そしてやっとの事で手に入れたそれは、二度目の人生の始まりを告げる、福音の様なものだった。
ユート達はあれから一直線に「セントラル・ガイア」へと向かったのは良いものの、当然犯人がいるわけもなく、また入ることが出来るわけもなかった。よって奴の所在は依然として不明のままだ。そこでユート達はとある小高い丘の展望台に来ていた。暗くなってきたせいか、ここには人っ子一人おらず、静寂と紅色に包まれたその場所は淡く灯った街灯だけを残していた。誰もいない事もあってか、二人はこんな事態だと言うのに悪戯にこの退屈な一時を謳歌していた。ふと、端の方にあった転落防止の鉄柵に寄りかかってその街並みを眺めてみる。柵から伝わる氷のような冷たさに、これが現実だと思い知らされた。町はすっかり夕陽の紅色で染め上げられて、人通りも少し疎らになり始めている。鮮やかな紅の色彩と様々な建造物に灯りやら蒸気やらが混ざり合い、此の世ならざる壮観な眺めをその眼に映した。もし今ここに詩人がいたならば、こんなにも美しい壮大な眺めを見たとして、詩の一つや二つぐらいならいとも簡単に詠めるだろう。
こんなにも美しい景色、こんな緊急事態に見るべきじゃない。
犯人はこれまでに全ての保管庫を襲撃し、そこで遺物を手に入れた。そうなってくると、恐らくもうすべき事は無くなっているだろう。そして昼夜問わず「セントラル・ガイア」の警備は常時厳戒態勢になっていて、このタイミングで行くのは袋の鼠にでもなりに行くようなものだ。よって犯人は夜の闇に紛れて動く、そう読んでの待機だが果たして当たっているだろうか。アガレスには既に所定の場所で待ち伏せをしてもらっている。そちらにも犯行グループの一員が来ると踏んでの思い切った待機行動だ。
隣で同じように鉄柵に寄りかかるシルヴィアは、心ここに在らずといった様子で風に吹かれ、黄昏ている。何とも気の抜けた表情だが、大丈夫だろうか。
「あぁ、そういえば。まだコレを渡していなかったな。ほれ、護身用にでも持っておけ」
突然、何かを思い出したようにパンッとその白い手を叩いて景気の良い音を出したと思うと、シルヴィアは上着の中をまさぐり出した。いきなりどうしたのかと思ったが、その疑問は手渡されたそれに対する疑問で上書きされて消え去った。
「…なんですか? コレ」
シルヴィアから手渡されたそれは今まで見て来た物の中でもトップクラスに不思議で奇妙な物だった。陽の光とは対照的に妖しく黒光りするそれはどうも鉄で出来ているらしく、その小さな風貌によらず、ズシリと重い。妙に突き出た部分があり、その先端には深い穴が開いている。そして持ち手のようなものもあり、指を掛けられそうな所もあってか何かの道具の様にも見える。
「それは歴とした旧世界の遺物の一つだ。そして当然、現代の技術では作り出せない代物で、こんなに小さいながらも、人間でさえいとも簡単に殺せる強力な代物だ。旧世界の呼び名で呼ぶなら…「回転式拳銃」長くて嫌なら、「拳銃」と呼んでも良いだろう。それは端的に言ってしまえば、"小さな鉄片を高速で射出することで狙った目標を穿通し、損害を与える武器"だな」
自慢げに言ってはいるがにわかには信じがたい。こんなにも小さいのに、人を簡単に殺せるという事らしいが、魔術師相手にこんな物が通用するのだろうか。
「それは魔弾と違って射撃時に魔力を必要としない。よって状況次第では魔弾よりも強力で、対象に対して驚異的な効力を発揮するだろうな。勿論、当てることが出来るならだが」
…旧世界の遺物、遥か昔の世界をこの世に伝える数少ない世界の財産。そして強力な武器。
「…そんな強力な物をどうして僕に?」
すぐに足手纏いになってしまうからだろうか、それとも緊急時での自決用だろうか?
「…単純に、お前に死んで欲しくないからだよ」
白い頬をほんのりと赤らめ、さも恥ずかしがる乙女の様にシルヴィアは吐き捨てる。おそらく他意はないのだろうが、取り敢えず今の様子について触れるのは止めておこう。後で何をさせられるか分からない。
そしてお互い気まずくなってしまい、何とも言えない絶妙な空気が二人の周りに立ち込める。何か言うべきなのは分かっているが、何と言葉を掛けたらいいのか分からないまま、結局何も言い出せずにゆっくりと時間は過ぎていく。こんなにも持て余した気まずい時間さえも、シルヴィアとなら不思議と愉しいと感じてしまう。そんな不可解なユートの心情は、きっとユート自身もこれからずっと解らないままなのだろう。そんな二人を置き去りに、夜の帳はしっとりとその幕を下ろしていった。
夜が世界を覆う。町に浮かんだ灯りでさえ、今は遠い。手元の懐中時計に目を落とせば時刻は午前零時半。即ち、出発の時間だ。ユートはずっと同じ姿勢をしていたせいか、すっかりと固まった体を伸ばすと後ろで同じように体を伸ばしているシルヴィアに声をかける。
「…時間ですね」
「あぁ、そのようだな」
覚悟を決め、互いに顔を見合わせる。これからは決して楽な任務じゃない。と言うか任務ですらない。それでも必ず遂行しなければ。
「準備はいいか?」
シルヴィアが最終確認とでも言いたげに聞いてくる。そんなの、今更だろう。
「はい。もう迷いはありません」
ユートの言葉を聞くとシルヴィアは会ってから何回見たのかすら覚えていない、いつもの愉しそうな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、行こうか。奴の前に颯爽と現れて、正義の味方と洒落込もうじゃないか」
一歩歩みを進める度に靴底と鉄製の足場がカンカンッ、と良く響く音を立てた。何とか侵入には成功した…と言うか扉を破壊して無理矢理入ったが、「セントラル・ガイア」の内部は焼ける様な灼熱と化していた。そこら中から高温のスチームが噴き出し、金属の擦れ合う不快な雑音と無秩序に流れる高純度の魔力が生命の侵入を阻む様で、ユートの目にはここは地獄の入り口の様に映った。防護術式は展開しているが、それでもなお襲ってくる熱とその噴き出す水蒸気を含んで温度の高くなった熱風が容赦なく全身に叩き付けられる。これには流石のシルヴィアも、汗を流して厭そうな顔を隠せていない。"学校"でも対高温状況任務の訓練はしたが、これはその比にならない。ユートはこの余りにも凶悪な熱気に体力が奪われていくのを感じた。
…ってそんなどうでもいい様な感想は一先ずそこらに置いて、まずは男を見つけなければ。探知を起動してみると、生命体の反応がある。どうやら一人の男がここの中心部に居るようだ。強力な魔力が感じられる事から、恐らくあの黒コート男だろう。
「見つけました」
「私もだ」
二人はまた顔を見合わせると、男がいるのであろう「セントラル・ガイア」の中心部…メインリアクターへと向かった。
或る男は、意味を探していた。
意味とは無論、生きる意味である。誰にでもあって当たり前の物だ、と人は笑うかも知れない。だが男にはそれが無かった。男は長い間軍人として生きてきたが、長く生きる事とは、多くの別れを経験する事と同義だ。男には信頼できる友も、愛する家族もいた。だがそれらは無情にも、男の人生から奪われてしまった。勿論軍人あった故、非人道的な行いもして来た。人を殺し、町を焼き、拷問で被疑者を非道なまでに殴りつけもした。人を殺める事には抵抗があった。瀕死の状態になってもなお生きようと必死に足掻き続ける人間を見ると、同族として助けたくもなる。そして、今になってツケが回ってきた。当然の事だと人は言うだろう、しかし相手の心情とは、相手の立場に立って初めて理解出来るもの。身近な人が死ぬとどうしようも無く悲しく、怒りさえ湧き上がってくる。この残酷な現実こそが、男のこれまでに犯した罪の報いだった。そんな経験をした者が、まともで居られる訳も無い。何をするにも身が入らず、何を見たとしても何も感じない彼は、最早死んだも同然だった。男は失意と後悔の中で、長い間苦しみ続けた。そして男は人生の底、道端で雨に打たれ、途方に暮れていた時にある男と出会った。人と出会う事自体は有り触れているものであるが、彼との出会いは文字通り、男の人生を変えた。
「貴方はこんな所で終わっていい人じゃない」
そう声を掛けられたのは何年前だっただろうか。だが今でも鮮明に覚えている。彼の体は、男と同じように濡れていた。
「どうか私と共に来てくれませんか? 私は貴方の様な人間は沢山見て来ました。そして彼らは普通の人間とは異なる、確かな"生"への熱量を持っていました。私は彼らを見捨てられなかった。私は彼らと共に歩む事に決めました。彼らを再び蘇らせる為に。そして、彼ら共に"大いなる計画"を実現し、全ての人間が幸福を手にする世界、誰もが生を実感出来る理想郷、世界の夢、"新世界"を創り上げる事こそが、私の夢です。さぁ、もし貴方が望むのならば、どうか手を取って下さい。私達と共に世界を変えましょう」
その顔は慈悲に満ちた笑顔で、男の目には神の使いか、救世主の様に映った。以前の自分ならそんなの夢物語だと笑い飛ばすような話だ。だが、今は違う。彼の言葉には熱意と憧れがある。このまま野垂れ死ぬくらいなら、最後の夢に賭けてみるのも悪くないと、そう思えた。
…もし、普通の人々がこんな落ちこぼれで荒み切った男が、救世主である彼の後ろを歩むと知ったら笑うだろうか、身分違いだと蔑むだろうか。彼の夢は崇高で、それでいて半ば夢の様で実現するかは解らない。それでも男は彼の手を取る。こんな価値も無い一人の男を救い、導いてくれた彼の夢だけは笑わせないと、その雨に濡れた体に誓って。
———俺は彼と共に歩む。かの世界を実現すべく、例えこの身が朽ち果てようとも、彼に貰ったこの掛け替えの無い二度目の生の全てを捧げて。
男は立ち上がると、彼と並んで歩き出した。男はちらっと横に並んだ彼の顔を見る、雨に打たれすっかりと濡れてしまっている黒縁の眼鏡の奥、燦然と輝く深淵の様な昏い瞳には、確かな熱量と慈悲の意思が表れ、昏いながらも煌々と瞬いている様だった。
そして、男は此処に居る。彼の世界を実現する為に。彼の夢を妨げるあらゆる障壁を壊す為に。これはその第一歩に過ぎない。男は手元に目をやり、その武骨な手の内にあるそれを見る。
———そう、これは序章に過ぎない。これから起こる"革命"に、世界はどう立ち向かうのか、見物だな。
透明な容器に入った翠玉色のそれを握り締めると、男は高らかに笑った。
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