人より出でて、狼に堕ちる

三十路独身フリーター男

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第20話 鳥籠の中の小鳥たち⑤

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 一方その頃、スピカと同じく独りで試験に挑んでいたシュネーはというと、狩人試験会場を流れる川辺にある背の高い木の上で装填式大型長銃を抱えながら、投げ出した両足をぷらぷらと遊ばせた状態で身体を休めていた。

『狩人において重要なのは拠点作成だ』

 『ハインツバルグ』までの二週間にも及ぶ修業の際、ティアはシュネーにそう指導していた。

 武器無し道具無しの状態で、一対一で人狼に勝てる様な狩人はいないであろう。人狼が牙や爪を使う様に、狩人も武器や道具を使って初めて人狼と対等と成れる。しかし、それだけでは十分ではなく、そこに地の利までも自分の味方に出来れば狩人側の勝算は格段に上がるだろう。

 かつて、とある狩人が武器や道具が無い状態で人狼を討伐したという伝説がある。彼が利用したのは正しく地の利であり、彼は巧みに人狼を誘導し、仕舞いには人狼は自ら木の杭に刺さりに行ったそうだ。その者が作り出したギルドが今の四大ギルドの一角とされる“赤頭巾”であり、そのギルドの構成員たちはその信念に則った狩りをすると言うが、今は関係のない話なので省略する。

 とにかく、どんな狩人であれ地の利を得られることは人狼戦においてプラスに働くものであり、その点においてシュネーは木の上という地の利を生み出した。正確にはそれもティアの指示でもあるが、小柄な体格から木の上での戦闘は自分に合っているとシュネー自身もそう思っていた。

 特殊な場合を除き、相手の頭上を取るということは有利に働く。人狼は人よりも鼻や目、耳などの感覚が鋭く、どんな異常でも瞬時に気が付き、瞬時に対応できてしまう。だが、その注意はあくまでも自分が気にしている部分のみであり、大概は目線より下に注意が行く。そこに着目してシュネーはティア相手に木の上という射撃位置を選択し、それが見事に理に適っていたというわけだ。

 勿論、普通の人間がずっと木の上で生活するのには限界があるので、出来る限り木の上に居られるようにここ一週間でシュネーは身体に覚えさせられたのであった。

「……ッ!」

 するとその時、近場の茂みが不自然に揺れる音が聞こえ、シュネーは身構えた。

 木の上で長時間居られるようになっただけで、射撃体勢には限界がある。木の幹で姿を隠しながらシュネーは音の主の方を確認したが、そこに居たのは三人の男たちだった。彼らは見るからに狩人の様な小汚い風貌で、その先頭に立つ男にシュネーは見覚えがあった。

(どうしよう。あっちは私に気付いていないみたいだけど……。師匠は無駄に他の受験者に関わるなと言っていたし、このまま見過ごそうか。いや、でも……)

 シュネーはしばし考えた後、男たちが向かっている方向を見て降りることを決意した。木の幹に縛り付けた縄を利用してひょいっと飛び降りると、途中で縄を切ってシュネーは男たちの前に見事に着地する。

「うわっと!?」

「どうも、オーエンさん」

「お?おぉ、シュネーちゃんか!?驚いたな!?何だい、何だい!木の上に居たのかい?」

 親切な男、オーエンとその仲間たちは咄嗟にシュネーへと銃口を向けたが、彼女が人間であることを視認すると警戒を解くようにして銃口を下げた。

「お久しぶりです」

「そうだね。1日ぶりかな?……ずっと木の上に居たのかい?」

「はい」

「へー、そうかそうか、あまりの恐怖に木の上に逃げたのか。うんうん、狼や野生動物は木の上には登れないからね。良い選択だ。感心感心!」

「あ、いえ。そうではないんですが……」

「お、そうだ、お腹は空いているかな?ここは川辺も近いことだし、今は見張りも付けれるから一緒にご飯を食べよう!怖くて昨日は食事も喉を通らなかっただろうに……、さぁ!おいで!」

「……」

 まるで久しぶりにあった親戚のおじさんの様に優しく接してくれるオーエン。シュネーはティアから餞別で貰っていた干し肉を齧って腹は満たされていたが、彼の好意とまだまだ試験日数が残っていることからも食事の提案に乗った。

 シュネーたちはそのまま近場の川辺まで移動すると、近くに危険な野生動物が居ないことを確認した上で火起こしを始め、オーエンの仲間たちが見張りを務める中、シュネーはオーエンと二人きりで火を囲むこととなった。

「どうだい、シュネーちゃん。試験は問題ない?狼は狩れそうかな?」

「はい、試験は問題ありません。狼は……まだです」

 オーエンから手渡された乾燥野菜を使った即席スープを受け取りながら、シュネーはそう答えた。

『焦るな。人狼を殺すのに焦る必要はない。時間を掛けて、見定め、そして確実に殺せ』

 ティアにそう指導されたシュネーはその忠告に従い、初め数日間は様子見でいるつもりであった。

 オーエンの様な他の受験者たちは、数回に及ぶ挑戦でこの森について少なからず地の利がある。それがない初見のシュネーは、先ずこの森について知ることから始めた。最初に川辺を捜索し、安全な場所を確保してから高所からの偵察。森に生息する動植物や地面から情報を得て、狼たちが何処に居てどんな行動を取っているのか、それらをシュネーは調査するつもりであった。

 無論、ここは安全地帯として見定めた場所であり、ここに居ても狼が向こうから近づいて来ることは考えられない。なので、シュネーもいつかは狼の居る方へ出向かねばならなかったが、いざという時の備えはここに設置してあるので問題はない。

 この試験が『より多くの狼を討伐する』ことが合格条件で、一週間後にその順位を競うのであればうかうかしていられないところであったが、その数については指定されていない以上シュネーは安全策で挑むことにしていた。

 そんな腹積もりで言ったつもりであったが、シュネーの言葉を受けてオーエンは同情する様な悲しい眼で彼女を見つめていた。

「分かる、分かるよー……!その気持ち。狼を狩れって言われても難しいよね!でもね、これには人狼狩りに向けたちゃんとした理由があるんだよ」

「そうなんですか?」

 薄々、自分がオーエンからずぶの素人だと思われていることに感付き始めたシュネーだったが、特に問題ないのでポツリと「まぁいいか」と独り言ちると彼の話に耳を傾けた。

「人狼には様々な能力がある。それは知っているよね?」

「はい、狼に変身したりとか、再生能力が高かったりとかですよね」

「そうそう。それらも厄介だけど、他に厄介なのが“狼の使役”能力さ」

 人智を超えた力を持つ人狼だが、その秘められた能力の一つに狼を使役する力がある。それは人狼によっても個人差があるが、須らく狼と意思疎通する力が備わっており人狼によっては彼らを手足の様に自由に動かせるという。統率の取れた獣程に厄介なものはなく、力は人狼程ではないにしてもその俊敏さと加えて身体の小ささを合わせると、一匹の人狼と複数の狼が手を組んだ状態では狩人も圧倒的に不利になる。

 そこで人狼狩りを生業とする狩人たちであるが、彼らは必然的に狼を対処するノウハウも覚える必要があり、この狩人試験ではその能力が問われるのであった。

「狼を使役……するんですか?でも、どうやって?」

「言葉や鳴き声でないことは確かだけど、詳しくは分からないんだ。人狼と狼にしか通じない念?みたいなものがあるのかね」

「それを人狼は使えるんですか?誰でも?」

「まぁ、人狼によって得意不得意があるんだろうけど、狼を使役した人狼の話はよく聞くね」

「成程」

「その気になれば火の輪でも潜らせることでも出来るんじゃないかな?ははっ、奴らはサーカス団の調教師にも成れるわけだ」

(火の輪潜り……)

 身近でシュネーの知っている限りの人狼はティアしかいない。なので、妄想の中で『それー!やー!はいよー!』と言って狼に火の輪潜りをさせているティアを想像したところ、彼女の胸の中がほっこりと温かくなって落ち着いた。

「オーエン、そろそろ……」

「おっと、話に夢中になり過ぎた」

 しばらく周りを警戒していてくれたオーエンの仲間の一人が彼を呼びに来ると、彼は少し慌てた様子で立ち上がり身支度を始める。

「オーエンさん、貴重なお話をありがとうございました」

「いやいや、いいんだよ。……それで、シュネーちゃんは本当に一人でも大丈夫かな?」

「はい、何とかやっていけます」

「そうか……。でも、困った時はいつでも頼っていいからね。いざという時は“救助の狼煙”を上げるんだよ。そうすれば狩人が助けに来てくれるから」

「ご指導ありがとうございます」

「じゃあね」

 軽く別れの挨拶を言うとオーエンは仲間を引き連れて再び歩き始めた。……と、思ったが何かを思い出したかのように彼だけシュネーの下に走って戻って来た。

「そうだ、そうだ。念のために役立つ物をあげよう」

 シュネーに食事を分け、その上色々と人狼について教授してくれたオーエンは背嚢から一つの包みを取り出しシュネーに見せた。何重にも巻いてある古くなった布を解くと、中から小さな年季の入った短剣が姿を現した。

「……これは何ですか?」

「これは護身用の短剣さ。そして、刃は銀製だ」

 短剣を鞘から少し抜いてその刃を太陽の下に露わにし、光を受けた刃は新品の様に白く銀色に輝いた。その鞘や柄は古臭くなっていたが、その刃を見れば十分に手入れされてきたことは素人のシュネーにも一目瞭然で、オーエンの持つ短剣の銀の輝きにシュネーは眼を離せなかった。

「これって人狼戦闘用の銀製の武器ですよね」

「そうさ。これをシュネーちゃんにあげよう」

「え!?いいんですか!こんな貴重なものを!」

「これは昔僕が使っていたものでね。年季は入っているけど、だからこそその丈夫さは保証済みだよ」

「……でも」

「なぁに、遠慮することない。僕には……ほら、新しい短剣があるからね」

 オーエンはそう微笑むと腰に付けた新たな短剣をぽんぽんと叩く。しばらくオーエンの手の上にあった短剣を見つめた後に、シュネーは遠慮がちにそれに手を伸ばす。オーエンからシュネーの手に渡った瞬間、あんなに軽そうに見えた銀製の短剣はシュネーにはずっしりと重く、これが“人狼を殺す武器”なのだと自覚すると共に自分にはまだ手に余る武器だということも嫌でも気付かされてしまった。

「ありがとう……ございます」

「いいよいいよ。まぁ、ただの狼相手なら鉄製の武器の方が有利だし、それがこの試験中に役立つことはないだろうから。でも、もしシュネーちゃんが狩人に成れた暁には、その短剣を使ってくれると嬉しいな」

「はい!絶対……必ず!」

 今はまだ扱いきれない銀の武器であるが、これを使いこなせない限りは人狼を殺すなんて夢のまた夢である。

 シュネーは銀の短剣を腰に付けてもらうと、今度こそ本当にオーエンたちと別れの挨拶を交わした。その背中を見送りながら再び狩人に成る決意を固め、同時にオーエンたちも試験に合格できる様にと祈るシュネーであった。
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