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ヴァルハラ編
3 ノアとシン
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side ノア=オーガスト
おれの名前はノア=オーガスト。六さい。
おれには双子の弟がいるんだ。名前はシン。とってもかわいくてかっこいい、自慢の弟なんだ。それはそうと今おれたちがなにをしてるかというとね……
「ノアー、シンー、どこだー。……ったくあいつらマジでどこ行きやがった。おとなしく待ってろってあれほど言ってるっていうのに、毎度毎度どっか行きやがって」
秀の声がおれのところまで届いた。結構近いのかも。
「シン。じっとしてるんだぞ。あとお口にチャックもわすれるな」
おれは小声でシンに伝える。するとシンはちょこんと頷いた。
「秀。そっちにはいたか?」
「いや。全部見たわけじゃねぇが今のところはまだだ」
湊も来ちゃった。これじゃすぐに見つかっちゃうかも……。
「ミナト。その竈門の中にいるぞ」
「なっ。竈門の中ってことは……」
紫苑の言葉に秀はノアたちが隠れているところへ近づいてくる。
「やっぱりな。ノアもシンもすすだらけじゃねぇか」
おれたちの姿に秀はため息をつく。
「あーあ、もう見つかっちゃった。つまんないのー」
「つまんないのー、じゃない。ったく。……とりあえずその体を綺麗にしないとな。湊、ノアとシンの着替え持ってきといてくれ」
「ああ」
秀は自分が汚れるのを特に気にすることなくおれたちをかかえてお風呂場に行った。
「あそこなら見つかんないと思ったのになー。湊が来ちゃったら、紫苑にすぐばれちゃうからつまんなーい」
顔を膨らませるおれに秀は優しく言葉をかける。
「ノア。お前たちがいなくなると俺たちはすっごく心配になるんだ。なにかあったのかもしれないってな」
「……だってお勉強やなんだもん」
秀は俯いて話すおれとおとなしく抱かれていたシンを師走の間の前で下ろす。シンに右手を握られているおれの頭に秀は手をポンッと乗せる。
「そうか。お勉強はめんどくさいもんな。んー……よし!ノアがお勉強したら、その日の夜に『アルマーの冒険』を読み聞かせてやるぞ」
「ほんとに?!やったー!!」
『アルマーの冒険』は主人公のアルマーが世界中を冒険する物語で、書庫にある本の中でもおれとシンが特に大好きなものだ。
「ああ。だからさっさと風呂に入って、勉強なんかとっとと終わらせちまうぞ」
「うん!」
おれとシンの手を引き秀は師走の間へと入っていった。
「秀!はやくはやくー!」
おれは秀の膝に思い切りダイブした。
「わかったわかった。……あ、お前らちゃーんと歯は磨いたか?」
「うん!」
「ん……」
おれの元気な返事の後に続いて、シンも小さく頷いた。
「そんじゃ、お待ちかねの読み聞かせターイム!」
「イェーイ!」
『パチパチパチパチ……!』
おれは喜びのあまり手をたくさん叩いた。シンは一緒にやってくれてはいなかったけど、なんだかニコニコとしている気がしたから、きっとシンも楽しみなんだなー!
「えーと、どっから読んで欲しいんだ?」
秀はたくさん積み上がった本をひとつひとつ手に取っていた。
「最初から!」
「え?でもお前らここら辺はもう読んだんじゃ……」
「何言ってるんだよ!秀!おれたちもう、ぜーんぶ一回は読んでるもん!」
「は?!マジかよ。このシリーズって確か百巻くらいあったよな?それをもう全部読んだっていうのか……?」
「もちろん!」
「もちろん、ってお前らなぁ……」
秀はなぜか驚いた顔や困った顔をした。
「ん?ちょっと待て。まさか俺、百巻も読み聞かせをすることになるってことなのか?それはちょっとめんど……あ、いや、主のためならなんでもしてやるのが従者の務め、か……うーん、けどなぁ……」
秀はぶつぶつと独り言を言い始めた。
むー。はやく読んでほしいのに!
「秀!早く読んでってば!」
おれは秀の伸ばした足をポコポコと叩いた。
「あー、はいはい、わかったわかった。……もう考えるのは止めだ止め。とりあえずやるんだ、俺……」
秀はまたよくわからない独り言を言った。おれは、ん?と思いながらシンの顔を見た。するとシンもおれみたいに首を傾げた。
「んんっ。そんじゃ読むぞー。えーっと……アルマーの冒険第一巻『美しき森と湖の乙女』。あるところに、アルマーという大変好奇心旺盛な青年がいました。アルマーは温かな家庭で育ちましたが、逆に平和すぎた環境が自分の肌に合わないことに気づき、旅に出ることにしたのです。家を飛び出して最初に訪れた場所は…………」
side 八神秀
「……こうしてアルマーは湖の乙女に別れを告げ、また次の旅路へと向かうのでした」
「「スゥ……フゥ……スゥ……フゥ……」」
「はは。いつのまにか寝てやがる」
おれの足を枕にして寝る二人の可愛い子どもたちを微笑ましく眺めた。そして本をゆっくりと近くの床に置く。
「秀」
「お、やっと戻ったのかよ、湊。だいぶ遅かったな」
「ああ。詰められるとこまでやりきったからな。それよりこれはどういう状況だ?」
ここ神無月の間に入ってきた湊は、動けない俺の状況に疑問を抱いた。湊がおそくなったのは、きっとあいつの真面目さが原因だろう。今でも自主練を欠かさない湊は、空いた時間にこうして鍛錬をすることが多いのである。もちろんそれは俺や信頼できる他の誰かがこの二人を見守っていることが前提にあるけどな。
「あー、これか?ほら、アルマーの冒険ってシリーズ本あるだろ?それを読み聞かせてやってたんだが、どうやら疲れが溜まってたんだろうな。いつのまにやら寝ちまった」
「そうか。それでお前は動けずにいる、と」
「まあな。こんなにすやすやと気持ちよく寝てるとこ見ちまったらなぁ。わかるだろ?」
「まあ、そうだな」
髪を少し濡らしたままの湊は押し入れに近づきせっせと自分の布団を引き始めた。当然、音を立てないように配慮をしながら。
「……湊」
「なんだ?」
「ぶっちゃけた話、お前はよ……里のみんなの仇を取りたいって思ってるか?」
寝る準備を一通り済ませた湊へ俺は少しトーンを落としてそう問いかけた。
「……唐突だな」
「はは、そうかもしれねぇなぁ……。けどよ、今までこういう話してこなかったろ?触らぬ神に祟りなし的な感じでよ」
「そうだな。ここでの甘く心地の良い毎日を壊すまいと無意識に思っていたのかもな」
「同感だぜ。残酷すぎたあの日が霞むほどに、ここでの生活には俺たち首ったけだ。だがふとした時に思い出すんだ。みんなのあの悲鳴を。燃え盛る里の無惨な有様を」
俺は無意識に唇を噛んだ。だがそんな痛みなどさほど気になりはしなかった。
「俺も何度か同じような悪夢を見る。どうして私たちを見捨てたんだと恨まれ口を言われたことも数えきれないな」
「だよな……」
「先ほどの問いに答えよう。仇を取りたいかどうか……それは当然、取りたいに決まっている。なぜ俺たちの里が襲われなければならなかったのか、誰があんなにも惨たらしいことをやったのか、それすらも俺たちはわかっていない。あの日の真相を解明し、復讐を成し遂げたいと思わないわけがない。それはお前も同じだろう?秀」
「ああ、当然……!」
俺は握り拳に強く力を込めた。
「だが俺はそれを実行に移す日は来ないと考えている。というより、それよりも最優先でなさねばならないことがある、と言った方が正しいか」
「…………」
湊の言葉に俺は反発することなく、顔を下に向けた。
「俺たちにはノアとシンがいるからな」
「……ああ、そうだ。その通りだ」
俺はその言葉に強く同意した。そして眠る二人の頭を優しく撫でる。
「わざわざ主を危険に晒す従者などどこにいるというんだ。それに俺たちはたったの二人しかいない」
「ああ、わかってる。お前の口からそれを聞きたかったんだ。ありがとな。ようやく決心がついた気がするぜ」
俺はつんっとノアのふっくらとしたほっぺに指を当ててみた。するとノアは「ん……」とちょっと顰めた顔をした後、不思議と嬉しそうに笑っていた。それにつられて俺も少し口角を上げてしまう。
「……それは何よりだ」
決してみんなのことを忘れるわけじゃない。ただ俺たちがなすべきことは復讐ではないのだ。それに俺のオヤジや湊の父さんが言っていたように、主の幸せを考えるのなら、俺たちが抱える問題をこいつらに巻き込むわけにはいかない。それは言うまでもなく、修羅の道なのだから。
ノアとシンへ読み聞かせを始めてから数日経ったある日の昼間。今日の勉強の先生は俺が担当だったため、神無月の間でノアとシンとともにいた。正直湊よりは学がないことは百も承知のため、俺の教え方で二人に伝わるかはなんとも言えん。ま、爺さんよかマシだろうが。
「ねぇねぇ、秀」
「ん?どした、ノア?」
ノアはペンを止め、俺の顔をまっすぐに見た。
「どうしておれたちには母さんと父さんがいないの?」
「……っ!」
唐突に言われたその言葉に俺は冷や汗をかいた。まるで心臓に鋭い刃物をぶっ刺されたかのような感覚が走った。
「だって、いろんな本の中にお母さんとかお父さんがいるんだ。最初はそうなんだーって思ってただけだったけど……そういえばなんでおれたちには親がいないの?って……な、シン」
「ん。不思議だ」
「なー」
ああ、二人は本当にただ純粋に疑問に思って俺に聞いただけなんだろうなぁ。けどまさかそんなことを聞かれるとは……いや、そんなこと前々からわかっていた。親がいない子どもなんて世界中のどこにも存在しないのだから。
だがどうする?ここで適当な嘘をつくのは簡単なことだ。二人の両親は里の長の命令で世界中を飛び回って二人には会えないだとか、魔界に行った以降、まだ戻ってきてないだとか……。だが、こんなでっちあげは、きっと主のためにはならない。
「……俺たちがもともとこの世界の住人じゃないことは教えただろ?」
「うん。本当は人界ってとこにいたんでしょ?」
「ああ。そこに俺たちの故郷があったんだが……ある日とある災害が里を襲ってな。それで俺と湊の両親、そして言いづらいんだがお前らの親も亡くなっちまった、と思う」
「「…………」」
二人は何も言わずに、ただ目をパチパチとさせた。
「ふぅーん、そっかー」
ショックで何も言えなかったのかと思えば、ノアが拍子抜けな声を出した。俺はそんなノアの、まるで他人事のような態度に俺は困惑した。そしてそれはシンも同様で、興味なさげにペンを動かし始めた。
「ちょっと待て。それだけ、なのか……?」
「ん?何がー?」
「いや、俺の言ったことちゃんと理解してるか?」
「うん?わかってるよ。おれとシンの親はもういないってことでしょ?」
「あ、ああ……その通りだ」
俺はノアとシンの態度に違和感を覚え、混乱した。
なんなんだこの軽さは。普通自分の親が死んだって聞かされたら、落ち込むなり泣き叫ぶなりするだろ。まだこいつら六歳なんだしよ。なんで俺の方が気が沈んでるんだ。
「……?秀、どうしたの?なんでそんな顔してるの?」
「……?」
二人は、変なのー、と言いたげに俺をまっすぐ見つめてきた。その純真無垢な瞳に俺はますます困惑した。
「な、なんでって、自分の親がいないって、死んだかもしれねぇって、俺はそう言ったんだぞ?!それなのに、お前らのそのさも俺たちには無関係だと言いたげな態度はなんなんだ?!」
俺は普段は絶対にしないというのに、二人に対して声を荒げて問いかけていた。
「だって、親なんて知らないもん。なー、シン」
「ん」
「あ……」
俺は口を半開きにした。ノアのその一言で、ようやく二人の軽い態度の正体に気がついたのだ。
ノアもシンも、両親からの愛を享受したことがないのだと。だから、両親に対してなんの感情も抱かないのだと。そんな当たり前のことに、俺はまったく気づけなかったのだ。
俺や湊は九年という短い間ではあったが、両親からの愛を一身に受けた。だからいなくなれば悲しいし、心にぽっかりと穴が空くような嫌な感覚を覚えることができる。だけど、ノアとシンはそうじゃない。むしろそれすらもできねぇんだ。なぜなら、カノン様も百合様も出会ったことのない人間、つまりは赤の他人も同然なんだからな。きっと二人からすれば、俺や湊、それに爺さんやクロードさんの方が両親的位置に属しててもなんらおかしくはない。少なくとも、家族という枠組みには入ってるだろ。
だけど、会ったこともない二人の本当の両親に、ノアとシンは何を思えばいい?知らないやつに対して、何の感情をもてというんだ?
「…………そ……だよ、な……知らない、もんな……」
「うん、知らなーい。親?とか言われても、へぇー、って感じ?」
「兄さんと同じ。俺もよくわからない」
「…………」
ああ、こんなに残酷なことが起きていいのかよ。カノン様と百合様が二人の誕生をどれだけ待ち侘びてたかなんて、俺も湊も、というか里のみんな全員が知ってたんだぜ?そんなお二人の想いが、子どもたちにまったく伝わってないだなんて、こんな悲しいことあんのかよ……。
それに、ノアとシンは親がいないことに嘆くことすらできない。その当たり前の権利を、生まれた時にすでに奪われてしまった。
「ねぇ」
もしあの時、カノン様と百合様を連れていれば……いや、あんな危機迫る状況じゃ、里長たるカノン様が逃げ出す選択を取るわけがねぇな……。里長として、カノン様には里のみんなを守る義務があったし、何よりカノン様は里のみんなを愛していたんだからなぁ。
「おーい」
百合様は……そういえばオヤジに半ば強引に連れられてノアとシンを預かった時、百合様の姿を見かけなかったな。あの時は状況が状況だったから気に留める余裕なんざなかったが、なんであの時百合様はあの場にいなかったんだ……?それに結局白百合の花も渡せずじまいになって、この部屋に飾ったままだ。
「こらー」
……いずれにしろ、あの状況で二人を連れて行く判断なんざ、きっと取れなかった。不甲斐ないが、そんな余裕はなかった。
「むー……秀ー!!」
「どわっ!」
俺が後悔の念に苛まれ考え事をしていると、突然脇腹に衝撃が走った。それに驚き目をやれば、ムッとして頬を膨らませたノアが俺を見上げていた。
「勉強、早く教えてよー!」
「お、おう、悪りぃ悪りぃ。ちゃんと教えっから、そっち戻れ。な?」
俺は咄嗟にノアの頭をポンッと撫でた。するとノアは機嫌を直してくれたのか、すぐに向かい側に戻って行った。
「にしても、偉いなーノア。勉強にやる気出すなんてよ」
二人に不安感を与えないよう、俺は普段通りを装いながらノアを褒めた。
「だって遊ぶ時間無くなっちゃうもーん!なー、シン」
「ん」
「あ、さいですか……」
俺の褒め言葉は見事に水泡に帰したが、二人の朗らかな様子に俺はなんとなく安堵した。俺たちは今後、こいつらの幸せを守っていくし、二人がいつまでも笑って生きていてほしいと、そう願わずにはいられない。
確かにノアとシンには親がいない。だけどカノン様と百合様が注げなかった愛情を、俺たちが代わりに教えてやるんだ。それはもう散々だってぐれぇに。ははは、もしかしたら、嫌がるぐらい可愛がってやるのがちょうどいいのかもなぁ。俺たちの愛情には、カノン様や百合様の分はもちろん、俺たち里のみんなの分がぎっしりと詰まってんだからよ。
「今日の勉強はここまでにすっか」
「え?!ほんとー?!」
ノアは満面の笑顔で心底嬉しそうな声をあげた。
「おう。ただ勝手に切り上げてどっか行くと湊のやつに咎められっから、昨日読んだアルマーの冒険の続き読み聞かせてやるよ」
「やったー!!」
ノアはすぐさま勉強道具を棚にしまい、一方のシンはといえばノアの後に続いて静かに自分の勉強道具をしまっていた。ノアのようにあからさまに表に気持ちを出しているわけではなかったが、まんざら嬉しくないわけではなさそうだった。
いそいそと動く二人の様子を俺は微笑ましく見守りながら、部屋の隅に置かれたアルマーの冒険の本を手に取るのだった。
おれの名前はノア=オーガスト。六さい。
おれには双子の弟がいるんだ。名前はシン。とってもかわいくてかっこいい、自慢の弟なんだ。それはそうと今おれたちがなにをしてるかというとね……
「ノアー、シンー、どこだー。……ったくあいつらマジでどこ行きやがった。おとなしく待ってろってあれほど言ってるっていうのに、毎度毎度どっか行きやがって」
秀の声がおれのところまで届いた。結構近いのかも。
「シン。じっとしてるんだぞ。あとお口にチャックもわすれるな」
おれは小声でシンに伝える。するとシンはちょこんと頷いた。
「秀。そっちにはいたか?」
「いや。全部見たわけじゃねぇが今のところはまだだ」
湊も来ちゃった。これじゃすぐに見つかっちゃうかも……。
「ミナト。その竈門の中にいるぞ」
「なっ。竈門の中ってことは……」
紫苑の言葉に秀はノアたちが隠れているところへ近づいてくる。
「やっぱりな。ノアもシンもすすだらけじゃねぇか」
おれたちの姿に秀はため息をつく。
「あーあ、もう見つかっちゃった。つまんないのー」
「つまんないのー、じゃない。ったく。……とりあえずその体を綺麗にしないとな。湊、ノアとシンの着替え持ってきといてくれ」
「ああ」
秀は自分が汚れるのを特に気にすることなくおれたちをかかえてお風呂場に行った。
「あそこなら見つかんないと思ったのになー。湊が来ちゃったら、紫苑にすぐばれちゃうからつまんなーい」
顔を膨らませるおれに秀は優しく言葉をかける。
「ノア。お前たちがいなくなると俺たちはすっごく心配になるんだ。なにかあったのかもしれないってな」
「……だってお勉強やなんだもん」
秀は俯いて話すおれとおとなしく抱かれていたシンを師走の間の前で下ろす。シンに右手を握られているおれの頭に秀は手をポンッと乗せる。
「そうか。お勉強はめんどくさいもんな。んー……よし!ノアがお勉強したら、その日の夜に『アルマーの冒険』を読み聞かせてやるぞ」
「ほんとに?!やったー!!」
『アルマーの冒険』は主人公のアルマーが世界中を冒険する物語で、書庫にある本の中でもおれとシンが特に大好きなものだ。
「ああ。だからさっさと風呂に入って、勉強なんかとっとと終わらせちまうぞ」
「うん!」
おれとシンの手を引き秀は師走の間へと入っていった。
「秀!はやくはやくー!」
おれは秀の膝に思い切りダイブした。
「わかったわかった。……あ、お前らちゃーんと歯は磨いたか?」
「うん!」
「ん……」
おれの元気な返事の後に続いて、シンも小さく頷いた。
「そんじゃ、お待ちかねの読み聞かせターイム!」
「イェーイ!」
『パチパチパチパチ……!』
おれは喜びのあまり手をたくさん叩いた。シンは一緒にやってくれてはいなかったけど、なんだかニコニコとしている気がしたから、きっとシンも楽しみなんだなー!
「えーと、どっから読んで欲しいんだ?」
秀はたくさん積み上がった本をひとつひとつ手に取っていた。
「最初から!」
「え?でもお前らここら辺はもう読んだんじゃ……」
「何言ってるんだよ!秀!おれたちもう、ぜーんぶ一回は読んでるもん!」
「は?!マジかよ。このシリーズって確か百巻くらいあったよな?それをもう全部読んだっていうのか……?」
「もちろん!」
「もちろん、ってお前らなぁ……」
秀はなぜか驚いた顔や困った顔をした。
「ん?ちょっと待て。まさか俺、百巻も読み聞かせをすることになるってことなのか?それはちょっとめんど……あ、いや、主のためならなんでもしてやるのが従者の務め、か……うーん、けどなぁ……」
秀はぶつぶつと独り言を言い始めた。
むー。はやく読んでほしいのに!
「秀!早く読んでってば!」
おれは秀の伸ばした足をポコポコと叩いた。
「あー、はいはい、わかったわかった。……もう考えるのは止めだ止め。とりあえずやるんだ、俺……」
秀はまたよくわからない独り言を言った。おれは、ん?と思いながらシンの顔を見た。するとシンもおれみたいに首を傾げた。
「んんっ。そんじゃ読むぞー。えーっと……アルマーの冒険第一巻『美しき森と湖の乙女』。あるところに、アルマーという大変好奇心旺盛な青年がいました。アルマーは温かな家庭で育ちましたが、逆に平和すぎた環境が自分の肌に合わないことに気づき、旅に出ることにしたのです。家を飛び出して最初に訪れた場所は…………」
side 八神秀
「……こうしてアルマーは湖の乙女に別れを告げ、また次の旅路へと向かうのでした」
「「スゥ……フゥ……スゥ……フゥ……」」
「はは。いつのまにか寝てやがる」
おれの足を枕にして寝る二人の可愛い子どもたちを微笑ましく眺めた。そして本をゆっくりと近くの床に置く。
「秀」
「お、やっと戻ったのかよ、湊。だいぶ遅かったな」
「ああ。詰められるとこまでやりきったからな。それよりこれはどういう状況だ?」
ここ神無月の間に入ってきた湊は、動けない俺の状況に疑問を抱いた。湊がおそくなったのは、きっとあいつの真面目さが原因だろう。今でも自主練を欠かさない湊は、空いた時間にこうして鍛錬をすることが多いのである。もちろんそれは俺や信頼できる他の誰かがこの二人を見守っていることが前提にあるけどな。
「あー、これか?ほら、アルマーの冒険ってシリーズ本あるだろ?それを読み聞かせてやってたんだが、どうやら疲れが溜まってたんだろうな。いつのまにやら寝ちまった」
「そうか。それでお前は動けずにいる、と」
「まあな。こんなにすやすやと気持ちよく寝てるとこ見ちまったらなぁ。わかるだろ?」
「まあ、そうだな」
髪を少し濡らしたままの湊は押し入れに近づきせっせと自分の布団を引き始めた。当然、音を立てないように配慮をしながら。
「……湊」
「なんだ?」
「ぶっちゃけた話、お前はよ……里のみんなの仇を取りたいって思ってるか?」
寝る準備を一通り済ませた湊へ俺は少しトーンを落としてそう問いかけた。
「……唐突だな」
「はは、そうかもしれねぇなぁ……。けどよ、今までこういう話してこなかったろ?触らぬ神に祟りなし的な感じでよ」
「そうだな。ここでの甘く心地の良い毎日を壊すまいと無意識に思っていたのかもな」
「同感だぜ。残酷すぎたあの日が霞むほどに、ここでの生活には俺たち首ったけだ。だがふとした時に思い出すんだ。みんなのあの悲鳴を。燃え盛る里の無惨な有様を」
俺は無意識に唇を噛んだ。だがそんな痛みなどさほど気になりはしなかった。
「俺も何度か同じような悪夢を見る。どうして私たちを見捨てたんだと恨まれ口を言われたことも数えきれないな」
「だよな……」
「先ほどの問いに答えよう。仇を取りたいかどうか……それは当然、取りたいに決まっている。なぜ俺たちの里が襲われなければならなかったのか、誰があんなにも惨たらしいことをやったのか、それすらも俺たちはわかっていない。あの日の真相を解明し、復讐を成し遂げたいと思わないわけがない。それはお前も同じだろう?秀」
「ああ、当然……!」
俺は握り拳に強く力を込めた。
「だが俺はそれを実行に移す日は来ないと考えている。というより、それよりも最優先でなさねばならないことがある、と言った方が正しいか」
「…………」
湊の言葉に俺は反発することなく、顔を下に向けた。
「俺たちにはノアとシンがいるからな」
「……ああ、そうだ。その通りだ」
俺はその言葉に強く同意した。そして眠る二人の頭を優しく撫でる。
「わざわざ主を危険に晒す従者などどこにいるというんだ。それに俺たちはたったの二人しかいない」
「ああ、わかってる。お前の口からそれを聞きたかったんだ。ありがとな。ようやく決心がついた気がするぜ」
俺はつんっとノアのふっくらとしたほっぺに指を当ててみた。するとノアは「ん……」とちょっと顰めた顔をした後、不思議と嬉しそうに笑っていた。それにつられて俺も少し口角を上げてしまう。
「……それは何よりだ」
決してみんなのことを忘れるわけじゃない。ただ俺たちがなすべきことは復讐ではないのだ。それに俺のオヤジや湊の父さんが言っていたように、主の幸せを考えるのなら、俺たちが抱える問題をこいつらに巻き込むわけにはいかない。それは言うまでもなく、修羅の道なのだから。
ノアとシンへ読み聞かせを始めてから数日経ったある日の昼間。今日の勉強の先生は俺が担当だったため、神無月の間でノアとシンとともにいた。正直湊よりは学がないことは百も承知のため、俺の教え方で二人に伝わるかはなんとも言えん。ま、爺さんよかマシだろうが。
「ねぇねぇ、秀」
「ん?どした、ノア?」
ノアはペンを止め、俺の顔をまっすぐに見た。
「どうしておれたちには母さんと父さんがいないの?」
「……っ!」
唐突に言われたその言葉に俺は冷や汗をかいた。まるで心臓に鋭い刃物をぶっ刺されたかのような感覚が走った。
「だって、いろんな本の中にお母さんとかお父さんがいるんだ。最初はそうなんだーって思ってただけだったけど……そういえばなんでおれたちには親がいないの?って……な、シン」
「ん。不思議だ」
「なー」
ああ、二人は本当にただ純粋に疑問に思って俺に聞いただけなんだろうなぁ。けどまさかそんなことを聞かれるとは……いや、そんなこと前々からわかっていた。親がいない子どもなんて世界中のどこにも存在しないのだから。
だがどうする?ここで適当な嘘をつくのは簡単なことだ。二人の両親は里の長の命令で世界中を飛び回って二人には会えないだとか、魔界に行った以降、まだ戻ってきてないだとか……。だが、こんなでっちあげは、きっと主のためにはならない。
「……俺たちがもともとこの世界の住人じゃないことは教えただろ?」
「うん。本当は人界ってとこにいたんでしょ?」
「ああ。そこに俺たちの故郷があったんだが……ある日とある災害が里を襲ってな。それで俺と湊の両親、そして言いづらいんだがお前らの親も亡くなっちまった、と思う」
「「…………」」
二人は何も言わずに、ただ目をパチパチとさせた。
「ふぅーん、そっかー」
ショックで何も言えなかったのかと思えば、ノアが拍子抜けな声を出した。俺はそんなノアの、まるで他人事のような態度に俺は困惑した。そしてそれはシンも同様で、興味なさげにペンを動かし始めた。
「ちょっと待て。それだけ、なのか……?」
「ん?何がー?」
「いや、俺の言ったことちゃんと理解してるか?」
「うん?わかってるよ。おれとシンの親はもういないってことでしょ?」
「あ、ああ……その通りだ」
俺はノアとシンの態度に違和感を覚え、混乱した。
なんなんだこの軽さは。普通自分の親が死んだって聞かされたら、落ち込むなり泣き叫ぶなりするだろ。まだこいつら六歳なんだしよ。なんで俺の方が気が沈んでるんだ。
「……?秀、どうしたの?なんでそんな顔してるの?」
「……?」
二人は、変なのー、と言いたげに俺をまっすぐ見つめてきた。その純真無垢な瞳に俺はますます困惑した。
「な、なんでって、自分の親がいないって、死んだかもしれねぇって、俺はそう言ったんだぞ?!それなのに、お前らのそのさも俺たちには無関係だと言いたげな態度はなんなんだ?!」
俺は普段は絶対にしないというのに、二人に対して声を荒げて問いかけていた。
「だって、親なんて知らないもん。なー、シン」
「ん」
「あ……」
俺は口を半開きにした。ノアのその一言で、ようやく二人の軽い態度の正体に気がついたのだ。
ノアもシンも、両親からの愛を享受したことがないのだと。だから、両親に対してなんの感情も抱かないのだと。そんな当たり前のことに、俺はまったく気づけなかったのだ。
俺や湊は九年という短い間ではあったが、両親からの愛を一身に受けた。だからいなくなれば悲しいし、心にぽっかりと穴が空くような嫌な感覚を覚えることができる。だけど、ノアとシンはそうじゃない。むしろそれすらもできねぇんだ。なぜなら、カノン様も百合様も出会ったことのない人間、つまりは赤の他人も同然なんだからな。きっと二人からすれば、俺や湊、それに爺さんやクロードさんの方が両親的位置に属しててもなんらおかしくはない。少なくとも、家族という枠組みには入ってるだろ。
だけど、会ったこともない二人の本当の両親に、ノアとシンは何を思えばいい?知らないやつに対して、何の感情をもてというんだ?
「…………そ……だよ、な……知らない、もんな……」
「うん、知らなーい。親?とか言われても、へぇー、って感じ?」
「兄さんと同じ。俺もよくわからない」
「…………」
ああ、こんなに残酷なことが起きていいのかよ。カノン様と百合様が二人の誕生をどれだけ待ち侘びてたかなんて、俺も湊も、というか里のみんな全員が知ってたんだぜ?そんなお二人の想いが、子どもたちにまったく伝わってないだなんて、こんな悲しいことあんのかよ……。
それに、ノアとシンは親がいないことに嘆くことすらできない。その当たり前の権利を、生まれた時にすでに奪われてしまった。
「ねぇ」
もしあの時、カノン様と百合様を連れていれば……いや、あんな危機迫る状況じゃ、里長たるカノン様が逃げ出す選択を取るわけがねぇな……。里長として、カノン様には里のみんなを守る義務があったし、何よりカノン様は里のみんなを愛していたんだからなぁ。
「おーい」
百合様は……そういえばオヤジに半ば強引に連れられてノアとシンを預かった時、百合様の姿を見かけなかったな。あの時は状況が状況だったから気に留める余裕なんざなかったが、なんであの時百合様はあの場にいなかったんだ……?それに結局白百合の花も渡せずじまいになって、この部屋に飾ったままだ。
「こらー」
……いずれにしろ、あの状況で二人を連れて行く判断なんざ、きっと取れなかった。不甲斐ないが、そんな余裕はなかった。
「むー……秀ー!!」
「どわっ!」
俺が後悔の念に苛まれ考え事をしていると、突然脇腹に衝撃が走った。それに驚き目をやれば、ムッとして頬を膨らませたノアが俺を見上げていた。
「勉強、早く教えてよー!」
「お、おう、悪りぃ悪りぃ。ちゃんと教えっから、そっち戻れ。な?」
俺は咄嗟にノアの頭をポンッと撫でた。するとノアは機嫌を直してくれたのか、すぐに向かい側に戻って行った。
「にしても、偉いなーノア。勉強にやる気出すなんてよ」
二人に不安感を与えないよう、俺は普段通りを装いながらノアを褒めた。
「だって遊ぶ時間無くなっちゃうもーん!なー、シン」
「ん」
「あ、さいですか……」
俺の褒め言葉は見事に水泡に帰したが、二人の朗らかな様子に俺はなんとなく安堵した。俺たちは今後、こいつらの幸せを守っていくし、二人がいつまでも笑って生きていてほしいと、そう願わずにはいられない。
確かにノアとシンには親がいない。だけどカノン様と百合様が注げなかった愛情を、俺たちが代わりに教えてやるんだ。それはもう散々だってぐれぇに。ははは、もしかしたら、嫌がるぐらい可愛がってやるのがちょうどいいのかもなぁ。俺たちの愛情には、カノン様や百合様の分はもちろん、俺たち里のみんなの分がぎっしりと詰まってんだからよ。
「今日の勉強はここまでにすっか」
「え?!ほんとー?!」
ノアは満面の笑顔で心底嬉しそうな声をあげた。
「おう。ただ勝手に切り上げてどっか行くと湊のやつに咎められっから、昨日読んだアルマーの冒険の続き読み聞かせてやるよ」
「やったー!!」
ノアはすぐさま勉強道具を棚にしまい、一方のシンはといえばノアの後に続いて静かに自分の勉強道具をしまっていた。ノアのようにあからさまに表に気持ちを出しているわけではなかったが、まんざら嬉しくないわけではなさそうだった。
いそいそと動く二人の様子を俺は微笑ましく見守りながら、部屋の隅に置かれたアルマーの冒険の本を手に取るのだった。
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