碧天のノアズアーク

世良シンア

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ヴァルハラ編

5 アクシデント

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side 八神秀

爺さんにノアとシンの眼の話を聞いてから三年の月日が流れた。いつのまにか俺と湊は十八歳となり、里では成人の儀が行われる歳になった。ノアとシンは九歳になり、俺たちがここに辿り着いた時と同じ年齢になった。

危惧していた眼に関していえば、一度だけシンの眼が暴走し、生死を彷徨ったことがあった。シンは一週間ほど寝込んでしまったのだが、その間俺も湊も気が気でなかった。夜も眠れずつきっきりでそばにいたのだが、そんな俺たちよりも辛かったであろうノアは寝ているシンの隣でずっと泣いていた。ノアは今まで一度だって泣いたことはなかったのだが、この時ばかりは大号泣であった。

「今日はファルとスレイのとこに行ってもいいんだよね?」

ファルとは東部に住むファフニールのことでスレイとは南部に住むスレイプニルのことだ。

「そうだな。爺さんからの頼まれものもあるしな」

「じゃあさ、シンと二人だけで行くのはダメ?」

おいおい、ノア。それはダメに決まってんだろ。

「ノア。それは俺も秀も賛成できない」

俺と同様の意見であった湊の返答にノアは頬を膨らませた。

「えぇー。秀も湊もいっつもついてくるじゃん。式神もさー。ここは別に何の危険もないんだからいいじゃん」

「万が一にもノアやシンに何かあったらと思うと心配になるんだ。だから二人だけで行動するのは絶対にダメだ」

俺が少しきつめに諭すとノアは諦めた顔をする。

「……ケチ。わかったよ」




俺とノア、シン、それから俺がもつ九体の式神の内の一体であるアオは、南部に位置する砂漠へと足を踏み入れる。蒼は猫又の式神で水と氷系統の氣術を得意としている。両手に装着した青色の鉤爪で敵を攻撃する。戦闘力で言えば式神たちの中でも上位クラスといえる。

「スレイ、全然見つかんない。あっちの泉の所にいるのかなぁ」

スレイプニルを探してかれこれ数十分。普段ならノアたちが砂漠に入った途端に駆けつけてくるんだが、今日はなかなか来ないな。

「とりあえずここから一番近い泉に行くか。喉も乾いてきたことだしな」

いざとなれば蒼が飲み水を提供できるけどな。まあ、そういう意味もあって今回は蒼を連れてくることにした。

泉に到着すると先客がいた。俺たちの探し主だ。

「あー!スレイ、ここにいたんだ」

スレイプニルはどうやら泉の水を飲んでいたようだが、ノアに声をかけられ顔を上げた。

「おや皆さん、来ていたんですか。これは申し訳ない。先ほどまであいつらとテレパスをしていたために気づかなかったのです」

あいつら、というのは他の神獣たちのことだろうな。

「全然平気だよ。スレイに会えるだけで嬉しいからさ」

「ノアくん……あなたはやはりいい子ですね。皆から好かれるのがよく分かります」

そういえば、ファフニールなんかは最初はノアたちを毛嫌いしてる感じだったがいつの間にか溺愛するようになってたな。

「そんなことないよ。それよりさ、スレイが前にお話ししてくれたやつの続きが聞きたい」

以前スレイが話した物語をノアはキラキラした目で聞いていたが、あの時は稽古の時間になって中断したんだよな。あの時はすげぇー落ち込んでたから、今のノアのテンションは言うまでもなく最高潮か。

「ああ、あのお話ですか。いいですよ……んんっ。狼の魔物、マーナガルムと呼ばれる大魔王の幹部を倒した勇者一行は世界を平和にするために次々と大魔王軍をうち滅ぼしていきました。そしてついに大魔王の根城へと辿り着きます」

正義の味方たる勇者が諸悪の権化たる魔王を倒す。まあよくある童話だな。

「しかし、城の中には大魔王軍の中でも選りすぐりの精鋭が待ち構えていました。勇者チームが五人に対し相手はおよそ三十人。勇者たちが勝てる確率はほぼゼロになったと言ってもいいほどです」

ノアのやつ、さっきまでニコニコしてたってのに今は不安な顔をしてるな。感情表現が豊かなノアと違ってシンは表情ひとつ変えてねぇけど。

「シン!このままじゃ勇者たちが……」

「兄さん、大丈夫。兄さんが望んでいないことは絶対に起きないから」

ん?シンには結末が見えてんのか。まあ、頭いいとは思ってけどな。湊と少し似てる気がするし。

それはそうと、だ。

「悪いな、蒼。せっかく呼び出したってのに何もやることがなくて」

俺は今までほったらかしだった蒼へと身体を向けた。

「気遣い無用。吾輩は秀の式神。秀の望むままに動くまでのこと」

相変わらずのイケメンぶり。ダンディで戦闘センスも高いとか、蒼はやっぱ頼もしいやつだな。

「そうか。いつもすまねぇな、蒼」





「ーーー黒いマントを着た謎の男は勇者のピンチに颯爽と現れ強敵たちを一掃してしまいました。勇者は感謝の意を伝えようと声をかけようとしますが、謎の男は右手を勇者へ突き出し静止させます。そして大魔王を仕留めに行けと一言言い放つと、姿を消してしまいました」

お、ノアが安堵の表情を浮かべてるな。とりあえず危機がさって一安心って所だろうな。

「さて、いよいよ勇者vs大魔王の一大決戦。勇者が扉を開く。そこには不敵な笑みを浮かべた美しい男が真っ赤な血溜まりの上に立っていました。なんと大魔王は味方までも自身の糧とし、この世界を滅ぼそうというのです」

ついにクライマックスか。ファフニールのとこに寄る時間は十分にありそうだ。頼まれもん渡さなきゃいけねぇからな。

「勇者と大魔王が互いの武器を構え対峙します。そして二人の武器が激しい音を鳴らします。勇者の仲間たちは何が起きているのか目で追うことができず加勢することができません。すると、勇者が弾き飛ばされ壁に衝突してしまいます。仲間たちは助けに入ろうとしますが、呆気なく大魔王の攻撃をくらい動かなくなってしまいます」

おいおい。勇者の仲間たち、弱すぎだろ。

「これを見た勇者は激昂し、自らに課していたリミッターを解除して反撃の刃を大魔王の心臓へと突き刺します。大魔王は一瞬の出来事に理解が追いつかず、自身の口から大量の血が溢れようやく勇者に負けたことに気づき、静かにそして怒気を孕んだ低い声を出します。『これで私が死ぬと思ったら大間違いだ。再びこの地に舞い戻りお前たちを、世界の全てを破壊し尽くしてやる』と。そして不気味な笑い声を出したかと思うと、大魔王は灰となってその姿を消したのでした」

やっぱ正義が悪に勝つっつうありがちなシナリオだったか。

「こうして世界には平和が訪れることとなったのです」

スレイプニルは喋り疲れたのか、泉の水を飲み始めた。

「すーっごく面白かった!……けどさ、謎の男って誰だったの?それに大魔王はまた復活するってこと?」

「うーん、そうですね……。それは秘密ということにしておきましょう。想像を膨らませて考えるというのも、ノアくんの成長にとても良いことだと思いますよ」





スレイプニルとの団欒が終わり、今度はファフニールがいる東部へと俺たちは足を運んでいた。ファフニールは峡谷の奥深くに住んでいるため他の地域と比べると道が険しい。子供が歩いて通るのはかなり大変だろう。

キラの乗り心地もフェンに負けず劣らずだなー!な、シン」

「ん」

俺の式神の一体である煌はノアとシンを背に乗せて毅然と歩いている。俺はといえば、ファフニールのもとへ最短かつ安全な道を選び先導している。ちなみに蒼は戻して煌を代わりに出している形をとっている。

「相変わらず険しい道だな。木切ったりこのゴツゴツした地面を平にしていいんならすぐにやってるんだけどなぁ」

俺は愚痴をこぼしつつ目的地を目指す。そして数十分後ついに到着した。

「おー、よくきたな小僧ども。オレ様になんか用か?」

この上から目線な態度のやつこそファフニールなんだが、相変わらず気に触る奴だな。神獣の中で俺はこいつがあまり好きではない。

「ノア、シン。俺は先にファフニールとお話ししなきゃなんねぇから、あっちで煌と遊んでてくれるか?」

「わかった!シン、煌、行こう!」

俺の願いにノアはすんなりと受け入れてくれた。

「用ってほどのもんじゃねえんだが、爺さんにこれをお前に渡してこいって言われてここに来たんだよ」

俺は小さな黒いキューブをズボンから取り出しファフニールに見せる。

「お、やっとそれが出来たのか。ったく仕事がおせぇーったらねぇぜ」

「なあ、これいったい何なんだ。ただの小せぇ真っ黒いキューブにしか見えねぇんだが」

「あ?なんだ、クロードに聞いてないのかよ。しゃあねぇな、ならこのオレ様が教えてやるよ。ありがたく思うんだな」

ほんと、ムカつく奴だな。正直早く帰りてぇ。

「へぇへぇ。ありがてぇ、ありがてぇ」

「んんっ。これはな、ズバリ、超強力な睡眠薬ってやつだ」

は?睡眠薬?それを何に使うっていうんだ?

「オレ様たち神獣に睡眠という行為をする必要性はねぇけど、オレ様は寝るのが大好きなんだよ。だから、でき次第すぐにくれって言ってるんだが、なかなか届かねぇ。クロードが作ってるらしいんだが、もっと作成スピードをあげて欲しいもんだぜ」

「……。なるほどな。普通に寝ることはできねぇってことか」

「は?そうじゃねえよ。寝ることはできるが、この睡眠薬を服用した方がより深く長く寝れるから重宝してんだよ」 

「あー、そうかよ」

あのキューブ、てっきりもっとヤバい代物かと思ったが、ただの睡眠薬かよ。てか、クロードさん薬も作れたのか。すげぇな。

「ノア、シン。もうこっちきていいぞ」

「話終わったの?」

「ああ。だからめいいっぱいファルと遊べるぞ」

俺は左手をノアの頭、右手をシンの頭に乗せてわしゃわしゃと撫でる。

「うわ、秀、髪がぐちゃぐちゃになっちゃうよー」

ノアの言葉を無視するかのように俺は頭を撫で続ける。やっぱ二人は可愛い俺らの主様だな。癒される。

「はははは」





side 九条湊

そろそろ秀たちが戻ってくる頃か。それにしても今日は一段と厳しい鍛錬だったな。全身が悲鳴を上げている。やはり爺さんとクロードさんを二人同時に相手するのはなかなか厳しいな。

「ん?あれは……」

世界樹ユグドラシルの下での鍛錬後に少し休憩していたところに、一羽の黒い鳥が現れた。

「湊殿、秀様から緊急のご連絡です。ノア殿がファフニール殿の峡谷で行方知れずになったとのこと。至急応援にきて欲しいそうです」

十二式神が一体、八咫烏ヤタガラステンが俺に報告する。

「……了解した。すぐにそっちに向かうと伝えろ」

これは早く向かわなければならないな。ノアの身に何かあったりしたら……

俺の焦燥を感じ取ったのか、紫苑は冷静な声を出す。

「ミナト、落ち着け。ノアが無事なことはお前にもわかるだろう。正確な場所なら私が分かる」

「……ああ、そうだな。すまん、少し取り乱した」

「まったく、ミナトもシュウも主のこととなると一気に視野が狭まくなり過剰な行動に出始める。困ったものだ」

それは分かってはいるんだが、どうも主のこととなると歯止めが効かない。

「すまん」

「いや、気にするな。それよりノアのもとへと急ぐぞ」




side 八神秀

「くそ!ノアのやつ一体どこに……」

さっきまでファフニール、ノア、シンが遊んでいたんだが、ノアだけが忽然と姿を消した。ちょうどそのとき俺は煌と話をしていて目を離してしまっていた。そしてかれこれ数十分探しているが見つからない。

「煌、お前はあっちを探せ。俺はこっちを見てみる」

「承知!」

無事なのはノアの氣をかすかに感じられるからわかるが、だからといって発見が遅れていいわけじゃねぇ。

「秀!」

「湊か。わりぃ、俺が目を離したせいでノアが……」

「謝罪なら後にしろ。紫苑、ノアの場所分かるか?」

紫苑は氣を探る力が誰よりも強い。それを頼ればすぐにーーー

「いや、正確な場所は掴めん。おそらく気を失っているために氣の流れが微々たるものしか出ていない」

マジかよ。……紫苑の話によれば意識がない状態だと外部への氣の流れは極端に薄くなるらしい。正確な氣の流れというのは神である紫苑にしかわからないから俺たちにはわからないが、紫苑が言うならそうなんだろう。

「だが、方角ならわかる。あちらだ」

紫苑が示したのは下流の方向。まさか……

「おいおいまさか、流された、とかじゃねぇよな」

この川はそこまで流れは速くはないが、真ん中付近はかなり深い。もしそこに落ちたのなら、子供なんて簡単に流されちまう。

俺の言葉に一同は不安げな顔を見せる。
湊はなんとか平静を保ちつつ俺たちに指示をする。

「……とにかく下流部へ急ぐぞ」





side 九条湊

俺たちはノアの捜索のために下流付近を目指して走り出した。もし…もしノアの身に何かあったら、俺は……正気でいられるのか?

ほんの数分で目的の場所近くへと着き、俺たちは異様な光景を目の当たりにした。

「おい、あそこに瓦礫の山なんかなかったよな」

秀の言葉に俺は頷く。秀も俺も嫌な予感がして少し立ち尽くしていると、シンがすぐさま瓦礫の山へと駆け寄った。

「秀!湊!ここに兄さんがいる!手を貸せ!!」

そのシンの声音は今までに聞いたことのない重みのようなものを孕んでいた。それに俺はこんなに声を荒げるシンを一度だって見たことはない。

主の言葉に俺たちは素早く反応し、ノアの名前を呼びながら瓦礫が崩れないように丁寧かつ慎重に取り除いていく。

「……シ……ン……」

瓦礫の撤去作業を続けていると小さくて弱々しい声がやけにはっきりと聞こえてくきた。

「兄さん!」

シンは瓦礫の隙間を通ってノアの元へ向かおうとした。

「待て、シン!中に入るのは危険だ。もう少しでノアは救出できる。だから我慢してくれ」

俺と同様のことを思った秀はシンの手を引き説得する。

「嫌だ。兄さんが苦しんでるのに俺は指を咥えてみてるなんてできない。……この手を離せ、秀」

ドスの利いた声が響いた。まだ九歳の少年が発するような声じゃない。現に言われた本人である秀は面を食らっている。

「……いやダメだ。いくらシンの、主の頼みだからってこれは譲れねぇ。主の安全は俺らの最優先事項だからだ」

……秀がシンを抑えている間にノアを救出しなければ。

「紫苑、ここまで近くに来たならノアの正確な場所わかるよな?」

「無論だ」

「ならその位置を教えろ」

「瓦礫の中心部よりやや右だ。さらに正確に知りたいなら私の眼をお前の眼と同調させるが」

紫苑には氣の流れを見る特殊な眼があり、九条家の契約者のみがその力を一時的に借りることができる。

「それで頼む」

「承知した。……同調シンクロ

……これが紫苑が見ていた世界なのか。確かに金色に光る紐状のものが瓦礫の中から見える。それにその紐が幾重にも絡まり合っている場所があるな。おそらくはあれがノア本体の場所を指し示しているんだろう。

ノア、待ってろ。今助けてやるから。

「全てを切り裂け、『無窮刃斬』……!」

腰に下げていた刀「草薙剣クサナギノツルギ」を抜き、目にも止まらぬ速さで岩石を斬り刻んでいく。尋常でない風圧が俺の周りに発生する。

そして岩石の山であったはずの瓦礫は一瞬にして砂に変わる。

「兄さん!」
「ノア!」

先程まで口論をしていたシンと秀が、俺が瓦礫を粉々に切り刻んだことに気づき、真っ先に駆け寄る。

「ノア!……頼む、目を覚ましてくれ」

砂山からノアを拾い上げ、秀は優しく地面に置く。シンは隣で心配そうに見つめる。そして、俺と同じようにノアの無事を祈る。

「…ん……しん?…しゅう?」

……無事みたいだな。本当に良かった。

「兄さん、兄さん、無事で良かった」

シンはノアが生きていることを確認するかのように抱き締めながら呟く。

「シン、安堵するのはわかるが落ち着け。ノアは怪我人だ。抱きつくのはまずい」

秀のソフトな口調の忠告にシンはハッとなり、名残惜しそうに離れる。あそこまで取り乱すシンの姿は初めて見たな。

「兄さん……ごめん」

「とりあえず、家に運んで手当するぞ」





「紫苑、ありがとう」

「なんだ、唐突に」

家に戻り、ノアの手当てを済ませシンとともに寝かせた後、俺は紫苑に礼を言う。

「いや、紫苑のおかげでノアが助かったからな」

「私は眼を貸しただけだ。気にすることはない」

「それもそうだが、俺が岩石を斬る前にノアに防御系の氣術を張ってくれていただろう?ノアへ瓦礫や砂が当たらないように」

「ふむ。やはり気づいていたか」

紫苑は俺が斬ったもの全てがノアに触れないようにシールドを張ってくれていた。これがあったからこそ心置きなく斬ることができたというのもあるが、いずれにしても紫苑は最高の働きをしてくれた。

「紫苑のことは俺が一番よくわかっているからな」

紫苑は俺の方に向けていた顔を逸らし、ボソッと呟く。

「ふふ。そんなに私を信頼してくれるのは……まあ、悪くない」




side 八神秀

「気持ちよさそうに寝てくれてるな」

ノアとシンが仲良く眠る横で俺はノアの髪を少し撫でる。

「あんなことがあったからな。夢見が悪いなんてことになってほしくはねぇんだ」

俺は二人の枕元に浮かぶ式神と目を合わせる。

「だから助かった、リツ

「ふふん。秀の頼みだからね~。当然のことをしたまでよ~」

律は獏の式神だ。夢や記憶への干渉を得意としたサポート特化の式神になる。

俺は再びノアたちへ目を向ける。

……平和ボケしてたんだろうな、俺は。こんな腑抜けになり下がるとは情けねぇ。情けねぇよ、ほんとにな。

「……俺が目を離さなければこんなことにはなってなかったんだ」

もし、あの時ノアが助からなかったら……。オヤジや里のみんな、そして救えなかった親友たちのように取り返しのつかない事になっていたら……。そう思うと俺は自分自身が許せねぇ。

「もう二度と危険な目には合わせねぇ……。絶対にだ」









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