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レグルス編
1 門出
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side ???
青白い薄明かりが照らす部屋の中、男は突然椅子から立ち上がった。ガタッと音を立てて椅子は地面へと倒れ込む。
灯りは机の上に置かれたランプのみで、部屋の全体像を確認することは叶わない。ほとんど暗闇に近いこの空間で、男はランプを手に持ちこの部屋を出た。
「いけないいけない。僕としたことが、机で突っ伏して寝てしまうなんて……」
ランプの薄明を頼りに、男は長い廊下を進んでいく。廊下の左側の壁には窓はなく、息苦しさを感じるように冷たい灰色の空間が真っ直ぐに続いていた。
男が歩くたびに、こつん、こつん、と靴を鳴らす音が響いた。
「今日はどの子を僕のお遊戯会に招待してあげようかな~。ああ、想像するだけでも幸せだ~!」
男は高揚しているのか、なんの躊躇もなくランプをポイッと上方に投げた。
『ガシャンッ!』
「「きゃあぁ!」」
ランプは天井へと勢いよくぶつかり、バラバラに壊れた部品が廊下へ落ちていく。それと同時に、複数の子どもの悲鳴が反響した。
「あ、起きてたんだね~……。そんなに僕に会いたかったのか~」
男は廊下の右側にいくつも並ぶ錆びついた鉄の棒を思い切り掴んだ。そしてはぁ、はぁと息を切らしながら、掠れ気味の興奮した声で中にいる誰かに話しかけた。
「「ひっ……」」
「ん~、よく見えないな~。仕方ないか、ここ地下だもんね~……。あ、ランプ壊れてるじゃん」
男は灯りを探してキョロキョロと辺りを見回し、廊下にある残骸に目をやった。そして再び檻の中を見る。それも自分の顔が鉄格子の隙間に食い込むくらいに……。
「え~、せっかく今からお楽しみの時間だったのに……こう暗いんじゃ何もできないな~……」
男は名残惜しそうに鉄格子に手を当てながら、とぼとぼと来た道を戻っていく。
まあいいや。もう残ってるのはあの子たちだけだし、追加が届くまでまだまだ時間がかかるらしいからな~。追加が届く頃に僕のお友達になってもらおうっと!
side ノア=オーガスト
オレたちが冒険の旅に出て最初にお世話になった宿、花鳥風月。子供の頃からずっといたあの懐かしい家とどことなく似た雰囲気をもつこの安らぎの場とも、もうすぐお別れだ。
「くーっ、いよいよ明日だなー!」
オレはいつものように綺麗に敷かれた布団に座った状態で、興奮を隠しきれずにいた。ニヤニヤ顔が止まらない。
「ったく、レグルスに行けるってのが嬉しいのはわかるが、ちゃんと寝ろよ。神仙族だって、いい睡眠を取った方がいいパフォーマンスができんだからな」
秀は明日から始まる旅の準備として購入したものを入念にチェックしながら、オレに小言を言ってきた。
ほんと、過保護な兄貴って感じなんだから。
「わかってるって。オレももう子供じゃないんだからさー……。にしても、亜人国家レグルスかー。どんな国なんだろうなー」
「領土を見れば様々ある国々の中ではそんなに大きくはない。だが数多くの動物や植物が生きる豊かな国だと聞いたな」
湊は愛刀である草薙剣を手入れしながら答えた。
「なるほどなるほど。自然に愛されてるってことかー」
「兄さんが好きそうな国だ」
オレに密着するように座っているシンが言った。オレもシンも風呂上がりのため、ちょっと暑苦しい。
「まあなー!」
小さい頃、シンと二人で勝手にこっちの世界にやって来たことがあった。その時にオレたちは見知らぬ森でたくさんの動物や植物に出会ったのだ。オレの人生初めての冒険は、たった一日で終わりを迎えたけど、あの時の興奮度は尋常じゃなかった。
「浮かれてるとこわりぃんだが、それだけじゃねぇらしいぞ、ノア」
「え?」
オレは思わず秀の方を見た。秀はこちらを向くことなく、せっせと準備に勤しんでいる。
「最近、レグルスの中心地のスターライトで子どもの誘拐事件が多発しているらしい。つまりは治安が悪くなってるっつうわけだ」
「マジ?」
子どもの誘拐事件だって?それってかなりの一大事じゃんか。
「レグルスにはさ、師団員みたいに事件解決に動く人たちっていないのか?」
オレたちがこの宿に泊まってすぐの頃、宿の主人のドレイクさんと妻のヴァネッサさんの子どもであるアリスとベルが誘拐されたことがあった。この時は、イオリやミオの協力もあってすぐに救出することができたけど、自分の子どもが長い間行方不明になっている親からしたら、未解決のままというのはたまったものではないはずだ。あの時のドレイクさんやヴァネッサさんの心底安堵した表情を見たら、自分自身の両親を見たことすらないオレでも理解せざるを得ない。
親にとって自分の子どもがいかに大切な存在であるのかということを。
「あー、たしか守護叡団っていう国家の守り手的存在があったはずだぞ。グランドベゼルでいうところの、大帝国師団ってやつだな」
やっぱりあるのか。まあそういう治安を維持する組織がないと、国の安寧を守り続けるのは難しいよな。
「誘拐事件の詳細は俺も秀も知らないが、どうやらその守護叡団も事件解決に手こずっているようだ」
大帝国師団のような立ち位置の国家組織でも捕まえられないってなると、よほど危険な何かが動いているかもしれない。暗殺集団ダスクのような厄介な何かが。
「うーん……つまり浮かれてばっかじゃダメってことか。まあでも、それがオレたちに何か影響することはあんまないと思いたい」
オレのこの発言は人として少し冷たいのかもしれない。でもこれは紛れもないオレの本心だ。
危険な組織だと言われていたダスクを潰した時は、身近で事件が起こったし、オレが狙われちゃったし、それに何よりリュウを助けたいって思いが強かったから首を突っ込んだ。けど、今回は自分から突っ込むのはなるべくやめておいた方がいいと思ってる。
自分一人だけならまだあれだけど、オレにはもうたくさんの仲間ができた。余程のことがない限り、オレの仲間を危険に晒すぐらいなら、申し訳ないけどオレたちとは無関係な子どもたちのことは容易に助けてあげられない。
オレは全人類を救えるような万能なヒーローでも魔神の王を倒せるような全知全能な神でもないのだから。
「なんだ、てっきり子どもたちを助けたいとか言うのかと思ってたんだがなぁ」
「うーん……秀は助けたいのか?」
「はは。わりぃが俺は聖人君子じゃねぇんでな。ノアやシンが助けたいと言わねぇ限りは俺から動くことはほぼねぇよ。なあ、湊」
「そうだな。俺も善人ではない。余計なことをして主を傷つけては本末転倒。従者失格だろう」
手入れを終えた湊は、ゆっくりと刀を鞘に入れた。そしていつのまにか手に入れていた輝く水色の石のついた指輪型のエスパシオを使い、手入れ道具をしまった。
「シンはどうよ」
「兄さんが助けたいのなら助けるが、そうでないのなら無視する。俺には兄さんがいればそれで十分だからな」
「流石のブラコンっぷりだなぁ、シン」
「何か文句でもあるのか、過保護野郎」
「いーや?ひじょーに仲が良くて素晴らしい兄弟だなぁって思っただけだが?」
「…………」
秀の挑発的発言にシンは無言で返し、さらに秀を睨みつけた。
あちゃー、久々に見たよ、このよくわからん……喧嘩?みたいなやつさー。なぜにこうなる?
オレは湊に視線を向けた。こういう時、湊が仲裁してくれてことなきを得ることが多いからだ。オレが止めに入ったこともあるけど、なぜか悉く失敗するんだよなー。
「……紫苑。あのアホどもをどうにかしてきてくれ。俺はもう寝る」
湊は睨み合う二人に呆れたような顔をすると、すぐに布団をかぶってしまった。
「それは無理な相談だ、ミナト。面倒だ」
頼まれた紫苑も湊の布団に潜ってしまった。
「え?マジ?」
流石の湊も、この二人の喧嘩には飽き飽きしていたらしい。
オレは再び二人に向き直る。未だ二人は睨み合い真っ最中である。
もう、どうしろってんだよー!
side セツナ
花鳥風月という名の宿の一室。隣にはノアズアークの男どもが泊まっている。いつもはこの部屋にあと二人の女がいるが、今日は私だけだ。二人は自分の家で寝るらしい。家族というのはそんなにも大切なのかと疑問を持ったが、私が口を挟むことでもないと思い、二人とは宿の前で別れた。
だがひとりで泊まるには少し広すぎるこの部屋に、今日は私だけが泊まるというわけではない。
『タッタッタ』
弓の手入れをしていると、軽い足取りの音が廊下から聞こえてきた。
「セツナお姉ちゃん!来たよ」
優しげで元気な声に顔をあげれば、そこには小さな来訪者がいた。
「ああ、よく来たな、リュウ」
「うん」
リュウは障子を閉めると私の横にちょこんと座った。
「弓の手入れしてるの?」
「ああ。かなりボロボロにはなってきたから買い替えたいとは思っているが、どうにもいい武器が売っていなくてな」
私の弓は、全体的に傷だらけになってしまっている。弦も少し緩くなってきており、痛んでいるのがよくわかる。
一応、今まで欠かさず手入れはしてきたが、この延命処置もそろそろ限界のようだな。
「セツナお姉ちゃん」
「ん?」
「レグルスって、どんなところなの?」
亜人国家レグルス。人口のほとんどが亜人で構成されている国であり、私も一度足を運んだことがある。もちろん、盗み関係でだ。ブリガンドは人も盗みの対象だったからな。マニアどもや汚い貴族連中に人気な亜人たちはよく売れると、昔ドミニクが言っていた。
私は弓を拭く手を止め、リュウを見る。
「亜人たちがたくさん住んでいる国ということしか知らない。すまないな、私も詳しくはわからない」
仕事以外でどこかの国に行くことなどなかったからな。それぞれの国の特色など、私が知る由もない。
「たしか獣耳とかしっぽがついたやつらが多くいたような気はするけど……」
「動物の耳がついてるの……?!」
予想以上に、リュウがくいついてきた。
「たぶんな」
私とは見た目に明らかな差異があったから、一応印象には残っている。
そういえば、秀の式神の……蒼とかいうやつとは見た目が違かったな。蒼は猫をそのまま人間にした感じだが、亜人たちは人間に動物の一部分の特徴が付属している感じだったか。まあ全ての亜人がそうなのかは知らないが。
「そっか……!」
わくわくしているのか、リュウの口もとが緩んでいるのが目に見えてわかる。
「仲良くできるといいな」
「うん……!」
リュウは満面の笑みで私を見た。
楽しそうで何よりだ。
私は途中になっていた弓の手入れを再び始めた。
「ぼくも短剣の手入れする」
私の様子を見たリュウは、懐に入れていた赤と白が目立つ短剣を取り出した。そしてきょろきょろと周りを見渡し始めた。
「拭くやつ、ない……」
リュウは視線を落とし悲しそうにする。
「私のを使えばいい。いくらでもある」
私は左手につけたクロスした形の紫色っぽいブレスレットに氣を込める。すると呼応するようにブレスレットが紫色に優しく光る。
さらにこのエスパシオに収納された布を脳内でイメージすれば、私たちの前に数枚の折り重なった布が現れた。
「ありがとう、セツナお姉ちゃん……!」
リュウはにこっと笑いかけると、布を一枚とって一生懸命短剣を拭き始めた。私はそれを微笑ましく思いながら、弓の手入れを継続した。
side エル
「どうかな、お母さん」
テーブルに置かれた数品の料理。これはすべて私が作ったものです。今日でお母さんとはしばらく会うことができなくなるので、私なりに今返せるお母さんへの感謝を込めました。
私の目の前に座るお母さんは、スプーンを使ってほんのり湯気のたったスープを一口すくい、口の中へと運んだ。
「うん、とても美味しいわ」
「よかったぁ」
思わず安堵の言葉が漏れた。
「私よりもずーっと美味しい料理がつくれてるわ。お母さんよりのよりも美味しいなんて、ちょっと生意気よ?」
「そ、そんなことないよ、お母さん!私はお母さんの料理の方が好きだから!!」
「ふふふ。冗談よ冗談。本当に素直で純粋なんだから、エルは。可愛いわねぇ」
か、からかわれてたー!
私は頬を赤くした。
「もう、お母さんのいじわる!」
「ふふふ」
優しげに笑うお母さん。私は昔からお母さんのこの笑顔が一番好きなんです。
「そういえば、エル。将来は薬師になりたいんですって?」
「う、うん……。ダメだった?」
実は、将来薬師という職業につこうとする人はほとんどいません。みんなそれがどれだけ大変なことかを知っているからです。
スザンヌさんに教えてもらえている私は幸運ですが、そもそも薬についてしっかりと学べる場がどこにもないことが、腕のいい薬師が増えない一番の原因だと私は思っています。私が凄腕の薬師になるのは当然ですが、未来を考えれば、そういう教育の場を設けることも視野に入れねばなりません。ただこれに関しては私が一人前にならないと話になりませんが。
薬師にはこういったマイナスイメージがどうしても付きまとうので、お母さんには黙っていたのに……。
「あらあら。可愛いエルの夢を私が否定するわけないじゃない。全力で応援するわ」
予想外の返答に、私は目を丸くした。
「…………そっか……ありがとう、お母さん」
よく考えたら、お母さんが私のしたいことを否定したことはほとんどありません。唯一あるとするなら、私がお母さんを治癒院に入れたいと言った時ぐらいかもしれません。まあ結局は私が押し通して治癒院に入院させたんですけど。
「ほら、おしゃべりもいいけど、早く食べないとせっかくエルが作ってくれた料理が冷めちゃうわ」
「うん、わかってるよ、お母さん」
私とお母さんは少しばかりぬるくなった料理を、談笑を交えながらおいしくいただきました。
窓から朝日が差し込んでいます。数分前から起きていた私は、せっせと集合場所へと向かう準備をしていました。とは言っても、昨夜には冒険の準備を済ませていたため、本当に準備ができているのか、最終確認をしているだけなんですけどね。
「そろそろ行きますか」
私はピンク色の石が嵌め込まれた指輪型のエスパシオに、床に置かれていたいろんな物を収納して部屋を出ました。
「もう行くのね」
キッチンで作業をしていたお母さんが、私のもとに来てくれました。
「うん」
「これ、みんなで食べてね」
お母さんは可愛いうさぎが刺繍された布に包まれた箱を私に渡してきます。
「これって……」
「お弁当よ。起きるのが遅くなっちゃったから、おにぎりくらいしか詰められなかったのだけれど……」
お母さんは朝が苦手だ。だから、起きるのはだいたいお昼前なのに、私たちのために早起きしてくれたんだ……。
「ありがとう、お母さん。すごく嬉しい」
私はエスパシオには収納せずに、両手で抱えるようにして少し大きめの弁当箱を持ちました。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あ、ちょっと待って」
「……?うん」
お母さんは玄関に私を残して、慌てたようにどこかに行ってしまったけれど、数秒で戻ってきました。
「これつけていって」
そう言ってお母さんは何かを私の右手首につけ始めました。私はまあまあな大きさの弁当箱が視界を遮っているので、お母さんが何をしているのかよく見えませんでした。
「よし、これでいいわ」
お母さんが私から離れた。私はなんとか右手首を見ようと、弁当箱をなるべく左側にずらしました。
「これって……ミサンガ?」
「そうよ。私が編んでみたんだけど、意外と綺麗でしょ?」
私の視界には濃いめのピンクと淡いピンク、それから薄灰色の紐の三色で編まれたミサンガが映っていました。
この色合いって、もしかして……。
「あら、気づいちゃった?エルの思ってる通り、これは私たち家族の髪色をイメージして編んだものなの」
やっぱり。お母さんと私と……お父さんの、色だ……。
「私たち家族はどこにいたってずーっと一緒よ。だから、冒険も薬師になる夢も精一杯頑張るのよ!私もお父さんもエルを見守ってるからね」
私はお母さんの温かな目に、涙が溢れそうになった。目もとを隠したかったけど、弁当箱を離すわけにはいきません。
……ほんの少し、この弁当箱を恨みたい。
「ふふふ。そんなに目を潤ませて。まだまだ子どもね」
必死にこらえようと頑張ったけれど、結局は涙が一粒、流れ落ちてしまいました。
「ほら、笑って、エル。旅立ちの門出なんだから。涙は似合わないわ」
お母さんはポケットからハンカチを取り出して、涙を拭いてくれました。
「……ぅん」
私はニッと笑顔を見せます。
「うん、いい顔だわ」
お母さんは手の塞がった私の代わりにドアを開けてくれました。外は旅をするにはもってこいの、清々しい晴天でした。
「いってらっしゃい、エル」
お母さんの優しげな笑顔が私に向けられます。
「いってきます、お母さん!」
私もそれに合わせて、元気に応えました。
私はチラ、チラと名残惜しそうにお母さんの方を見ました。お母さんはその間、ずっと微笑んでいたと思います。流石に顔が判断できなくなるところまでいくと、どんな表情をしているのか分からなかったから。
だから私は知りませんでした。私の姿が見えなくなった後、お母さんの瞳から一粒の涙が流れ落ちていたことに。
side カズハ
「んー、もう朝か……!」
私は上半身を起こし、両腕を高く上げ背中をぐーんと伸ばした。窓から差し込む光が顔面に当たり、眩しさを感じるとともに今日から始まる新たな冒険への期待感が増す。
「えーっと、着替え着替えっと……」
私はクローゼットから着慣れた服を取り出し、パパッと着替えた。
いつもならこんなにもすっきりと起きれることはないけど、今日はなんだか特別みたいだ。
私はベッドの横に置かれた木製のキャビネットワゴンに目をやった。その引き出しから、少しばかり埃をかぶった写真立てを取り出す。
「あちゃー、こんなに汚くなってたかー」
私はクローゼットから小さめのタオルを取り出し、丁寧に写真立てを拭いた。
「そりゃそうだよね、もう五年も経ってるんだから……」
写真には、かつての私の仲間であるグラディウスのメンバーが写っていた。私に勢いよく被さっているリンナに、それに困った顔をする私、私とリンナを押し潰すかのようにのしかかるサイラス、その右隣でお腹を抱えて笑うココナと左隣で呆れたような顔をするロイ、そしてそれを微笑ましそうに見守るクルト。
この写真には、もう二度と会うことのできない、懐かしい仲間たちの楽しそうな様子が切り取られていた。
「ごめんね、みんな。こんな薄暗いところにいつまでも放って置いて」
私はキャビネットワゴンの上にそっと写真立てを置いた。そして写真立てと対面するようにベッドに座る。
この写真立てはもともと今置いている位置にあった。でもみんなを亡くしてから、写真を見ることさえも当時の私には耐えられなかった。だからずっと薄暗い引き出しの中にしまっていた。
ノアズアークに入ってからは、いい意味で何かと忙しくて、みんなに申し訳なくなるくらいに楽しくて……みんなのことを顧みることがほとんどなかった。だけど、私は今、みんなに報告しないといけない大事なことがある。
私は目を瞑り、サイラスの最期の言葉を思い出す。
『…もう助からねぇ…よ。見りゃわかる…だろう。俺たちは…ここで終わりなんだ。けどな…カズハ、お前には…生き延びて欲しい…んだ。俺たちがいなくたって…お前は…やっていける。なんたってお前はもう…立派な冒険者なん…だからな。…また新しいパーティを探して…ワイワイ楽しくやってくれや。それが俺たち…グラディウスの切なる願い…だ。俺たちはお前のことを…いつまでも見守ってる』
ワイワイ楽しく、か……。サイラスらしい言葉だよね、ほんとにさ。
私は目を開き、陽の光に軽く照らされている写真立てを見据えた。
「ねえ、みんな。私今日ね、初めてこの国とは違う場所に冒険しに行くよ。みんなとは行きたくても行けなかった、ドキドキワクワクの新しい冒険ライフが始まるんだ」
他国に別の用事や依頼で何度か足を運んだことはあるけど、仲間と冒険という形で足を踏み入れたことは全くなかった。
「おいしい食べ物とか綺麗な景色とか珍しい料理とか……めっちゃうまい食べ物とか……そういう未知の世界ってやつを、味わってくるよ。みんなの分までさー……。だから、ちゃーんと見守っててね。すーっごく楽しくて、もうみんなが羨ましがるような冒険をするからさ!」
私は右手を写真立てへと勢いよく突き出した。
ワイワイ楽しく冒険だ!
「よし!」
私はベッドから立ち上がり、部屋のドアまで歩いていく。そして立ち止まり、みんなの方へ振り返った。
「それじゃ、いってきます。サイラス、ロイ、リンナ、クルト、ココナ!」
晴れやかな青空の下、私たちノアズアークは帝都アクロポリスを囲む壁に組み込まれた門の前に来ていた。ちなみに私とエルは自分の家からみんなと合流した。
「お世話になった場所には一通り挨拶したけどさー、ドレイクさんにだけ会えなかったのはちょっと残念だったなー。花鳥風月には特にお礼言いたかったし」
ノアは軽い愚痴をこぼした。
私とエルも昨日セツナと別れてから軽く挨拶はしてきたけど、確かにドレイクさんには会えなかったなー。花鳥風月のオーナーさんだし、挨拶しておきたかったけどこればっかりはしょうがないよねー。
「仕方ねぇさ。いねぇもんは挨拶のしようがねぇんだからよ」
うんうん。秀の言う通りだ。
「はぁはぁはぁ……なんとか、間に合った、な……」
げ。この声は……。
私は振り返らずにそっと門の近くへ立ち位置を変えた。
「え?グレンさん。なんでここに?」
ノアが驚いたようにグレンに話しかけた。
「ふぅー……。いやな、せっかく唯一の俺の弟子が旅立つっていうんだからな。見送りぐらいしておかないと」
……すごい、視線を感じるんだけど。
「弟子って……あ、カズハのことか」
「ああその通りだ、ノア。……おーい、カズハ。こっちに来い」
もう、なんなのよ、あの男は。昨夜もめちゃくちゃ鬱陶しかったのに……。
「カズハー!俺はお前を愛してるぞー!!」
「ああーもう!さっきからうるさいってば!」
グレンはソファーに座っている私の腕に抱きつき離れようとしない。
「あと酒臭いから離れてくんない?」
「いやだいやだ!明日でお前はいなくなるんだろう?だったら今たくさん充電しておかないとー!」
……四十過ぎのおっさんが、何してるわけ?キモすぎるでしょ。
「うざい」
「そんなこと言わないでくれよー、カズハー」
語尾伸ばすな。甘ったるい声出すな。
「キ、モ、い!」
グレンは私の拒絶の言葉を無視して、私の腕にコアラのようにしがみついて離れない。しかも時々頬をすりすりしてくる。
……マジでキモすぎなんだけど……!
「ねえ、母さん……」
私は頼みの綱である母さんを呼んだ。母さんはグレンが飲みまくった酒瓶を片付けていた。
「うふふ。お兄様はカズハが大好きだから、会えなくなるのがとても悲しいの。後もう少ししたら寝てくれるだろうから、それまでもう少し我慢してあげて」
私のSOSも虚しく、母さんはせっせと酒瓶や夕飯の片付けを再開した。
「そんなー……」
ほんっっっっとにあの時のグレンはキモかった。もう過去一で。こんなのが私の師匠ってのが心底許せない。どこをどう考えても縁切りたくなるレベルじゃん。
「はやく来ないと、お前の恥ずかしいあれやこれやをーーー」
「ああもうわかったってば。行けばいいんでしょ、行けばさ!」
私は不機嫌度マックスでグレンに近づいた。
「ん?何をそんなにイライラしてるんだ。ただ呼んだだけだろう?」
お前が昨日キモすぎたからだろうがー!
「……知らないよ!」
グレンは、はて?と言いたげな顔をしている。
……どうしよう、ほんっとにムカつくんだけど。
……殴っていいかな?殴っていいよね?
私は右手をグーの形にし、力を強く込めた。
「んんっ。実はな、カズハ。昨日お前に言い忘れたことがあってな」
グレンは急に真剣な顔をした。私はそれに呆気に取られ、拳に込めた力を緩めてしまった。
「俺はお前に辛い思いをさせてばかりだった。サイラスが死んだ時も、刀を教えることぐらいしかお前の力になれなかった。そんなことじゃ、本当の意味でお前を救うことなどできないのにな」
「…………」
グレンは私の肩に力強く手を置いた。
「だがお前は強い子だ。俺やフローラ、それにグラディウスのかけがえのない宝だ。自信を持って、冒険してこい!そして、世界ってやつを思いっきり楽しんでこい!」
熱のこもった応援が私の胸に響く。
なによ、グレンのやつ。かっこつけちゃってさ。柄でもないくせに。でも……。
「うん、ありがと……」
グレンは満足そうな顔をして、私の肩から手を下ろした。
「それでだな、カズハ。ものは相談なんだが……」
「ん?何?」
「お前の髪を一房ほど俺にくれたりは……ゴボッ!」
私は思いっきりグレンの腹に右ストレートを打ち込んだ。
せっかく少しだけでも見直したのに!
ほんっっと最低!
「ふざけんなっ、このキモ男!」
私はうずくまるグレンを無視して、門の方へと向かった。
青白い薄明かりが照らす部屋の中、男は突然椅子から立ち上がった。ガタッと音を立てて椅子は地面へと倒れ込む。
灯りは机の上に置かれたランプのみで、部屋の全体像を確認することは叶わない。ほとんど暗闇に近いこの空間で、男はランプを手に持ちこの部屋を出た。
「いけないいけない。僕としたことが、机で突っ伏して寝てしまうなんて……」
ランプの薄明を頼りに、男は長い廊下を進んでいく。廊下の左側の壁には窓はなく、息苦しさを感じるように冷たい灰色の空間が真っ直ぐに続いていた。
男が歩くたびに、こつん、こつん、と靴を鳴らす音が響いた。
「今日はどの子を僕のお遊戯会に招待してあげようかな~。ああ、想像するだけでも幸せだ~!」
男は高揚しているのか、なんの躊躇もなくランプをポイッと上方に投げた。
『ガシャンッ!』
「「きゃあぁ!」」
ランプは天井へと勢いよくぶつかり、バラバラに壊れた部品が廊下へ落ちていく。それと同時に、複数の子どもの悲鳴が反響した。
「あ、起きてたんだね~……。そんなに僕に会いたかったのか~」
男は廊下の右側にいくつも並ぶ錆びついた鉄の棒を思い切り掴んだ。そしてはぁ、はぁと息を切らしながら、掠れ気味の興奮した声で中にいる誰かに話しかけた。
「「ひっ……」」
「ん~、よく見えないな~。仕方ないか、ここ地下だもんね~……。あ、ランプ壊れてるじゃん」
男は灯りを探してキョロキョロと辺りを見回し、廊下にある残骸に目をやった。そして再び檻の中を見る。それも自分の顔が鉄格子の隙間に食い込むくらいに……。
「え~、せっかく今からお楽しみの時間だったのに……こう暗いんじゃ何もできないな~……」
男は名残惜しそうに鉄格子に手を当てながら、とぼとぼと来た道を戻っていく。
まあいいや。もう残ってるのはあの子たちだけだし、追加が届くまでまだまだ時間がかかるらしいからな~。追加が届く頃に僕のお友達になってもらおうっと!
side ノア=オーガスト
オレたちが冒険の旅に出て最初にお世話になった宿、花鳥風月。子供の頃からずっといたあの懐かしい家とどことなく似た雰囲気をもつこの安らぎの場とも、もうすぐお別れだ。
「くーっ、いよいよ明日だなー!」
オレはいつものように綺麗に敷かれた布団に座った状態で、興奮を隠しきれずにいた。ニヤニヤ顔が止まらない。
「ったく、レグルスに行けるってのが嬉しいのはわかるが、ちゃんと寝ろよ。神仙族だって、いい睡眠を取った方がいいパフォーマンスができんだからな」
秀は明日から始まる旅の準備として購入したものを入念にチェックしながら、オレに小言を言ってきた。
ほんと、過保護な兄貴って感じなんだから。
「わかってるって。オレももう子供じゃないんだからさー……。にしても、亜人国家レグルスかー。どんな国なんだろうなー」
「領土を見れば様々ある国々の中ではそんなに大きくはない。だが数多くの動物や植物が生きる豊かな国だと聞いたな」
湊は愛刀である草薙剣を手入れしながら答えた。
「なるほどなるほど。自然に愛されてるってことかー」
「兄さんが好きそうな国だ」
オレに密着するように座っているシンが言った。オレもシンも風呂上がりのため、ちょっと暑苦しい。
「まあなー!」
小さい頃、シンと二人で勝手にこっちの世界にやって来たことがあった。その時にオレたちは見知らぬ森でたくさんの動物や植物に出会ったのだ。オレの人生初めての冒険は、たった一日で終わりを迎えたけど、あの時の興奮度は尋常じゃなかった。
「浮かれてるとこわりぃんだが、それだけじゃねぇらしいぞ、ノア」
「え?」
オレは思わず秀の方を見た。秀はこちらを向くことなく、せっせと準備に勤しんでいる。
「最近、レグルスの中心地のスターライトで子どもの誘拐事件が多発しているらしい。つまりは治安が悪くなってるっつうわけだ」
「マジ?」
子どもの誘拐事件だって?それってかなりの一大事じゃんか。
「レグルスにはさ、師団員みたいに事件解決に動く人たちっていないのか?」
オレたちがこの宿に泊まってすぐの頃、宿の主人のドレイクさんと妻のヴァネッサさんの子どもであるアリスとベルが誘拐されたことがあった。この時は、イオリやミオの協力もあってすぐに救出することができたけど、自分の子どもが長い間行方不明になっている親からしたら、未解決のままというのはたまったものではないはずだ。あの時のドレイクさんやヴァネッサさんの心底安堵した表情を見たら、自分自身の両親を見たことすらないオレでも理解せざるを得ない。
親にとって自分の子どもがいかに大切な存在であるのかということを。
「あー、たしか守護叡団っていう国家の守り手的存在があったはずだぞ。グランドベゼルでいうところの、大帝国師団ってやつだな」
やっぱりあるのか。まあそういう治安を維持する組織がないと、国の安寧を守り続けるのは難しいよな。
「誘拐事件の詳細は俺も秀も知らないが、どうやらその守護叡団も事件解決に手こずっているようだ」
大帝国師団のような立ち位置の国家組織でも捕まえられないってなると、よほど危険な何かが動いているかもしれない。暗殺集団ダスクのような厄介な何かが。
「うーん……つまり浮かれてばっかじゃダメってことか。まあでも、それがオレたちに何か影響することはあんまないと思いたい」
オレのこの発言は人として少し冷たいのかもしれない。でもこれは紛れもないオレの本心だ。
危険な組織だと言われていたダスクを潰した時は、身近で事件が起こったし、オレが狙われちゃったし、それに何よりリュウを助けたいって思いが強かったから首を突っ込んだ。けど、今回は自分から突っ込むのはなるべくやめておいた方がいいと思ってる。
自分一人だけならまだあれだけど、オレにはもうたくさんの仲間ができた。余程のことがない限り、オレの仲間を危険に晒すぐらいなら、申し訳ないけどオレたちとは無関係な子どもたちのことは容易に助けてあげられない。
オレは全人類を救えるような万能なヒーローでも魔神の王を倒せるような全知全能な神でもないのだから。
「なんだ、てっきり子どもたちを助けたいとか言うのかと思ってたんだがなぁ」
「うーん……秀は助けたいのか?」
「はは。わりぃが俺は聖人君子じゃねぇんでな。ノアやシンが助けたいと言わねぇ限りは俺から動くことはほぼねぇよ。なあ、湊」
「そうだな。俺も善人ではない。余計なことをして主を傷つけては本末転倒。従者失格だろう」
手入れを終えた湊は、ゆっくりと刀を鞘に入れた。そしていつのまにか手に入れていた輝く水色の石のついた指輪型のエスパシオを使い、手入れ道具をしまった。
「シンはどうよ」
「兄さんが助けたいのなら助けるが、そうでないのなら無視する。俺には兄さんがいればそれで十分だからな」
「流石のブラコンっぷりだなぁ、シン」
「何か文句でもあるのか、過保護野郎」
「いーや?ひじょーに仲が良くて素晴らしい兄弟だなぁって思っただけだが?」
「…………」
秀の挑発的発言にシンは無言で返し、さらに秀を睨みつけた。
あちゃー、久々に見たよ、このよくわからん……喧嘩?みたいなやつさー。なぜにこうなる?
オレは湊に視線を向けた。こういう時、湊が仲裁してくれてことなきを得ることが多いからだ。オレが止めに入ったこともあるけど、なぜか悉く失敗するんだよなー。
「……紫苑。あのアホどもをどうにかしてきてくれ。俺はもう寝る」
湊は睨み合う二人に呆れたような顔をすると、すぐに布団をかぶってしまった。
「それは無理な相談だ、ミナト。面倒だ」
頼まれた紫苑も湊の布団に潜ってしまった。
「え?マジ?」
流石の湊も、この二人の喧嘩には飽き飽きしていたらしい。
オレは再び二人に向き直る。未だ二人は睨み合い真っ最中である。
もう、どうしろってんだよー!
side セツナ
花鳥風月という名の宿の一室。隣にはノアズアークの男どもが泊まっている。いつもはこの部屋にあと二人の女がいるが、今日は私だけだ。二人は自分の家で寝るらしい。家族というのはそんなにも大切なのかと疑問を持ったが、私が口を挟むことでもないと思い、二人とは宿の前で別れた。
だがひとりで泊まるには少し広すぎるこの部屋に、今日は私だけが泊まるというわけではない。
『タッタッタ』
弓の手入れをしていると、軽い足取りの音が廊下から聞こえてきた。
「セツナお姉ちゃん!来たよ」
優しげで元気な声に顔をあげれば、そこには小さな来訪者がいた。
「ああ、よく来たな、リュウ」
「うん」
リュウは障子を閉めると私の横にちょこんと座った。
「弓の手入れしてるの?」
「ああ。かなりボロボロにはなってきたから買い替えたいとは思っているが、どうにもいい武器が売っていなくてな」
私の弓は、全体的に傷だらけになってしまっている。弦も少し緩くなってきており、痛んでいるのがよくわかる。
一応、今まで欠かさず手入れはしてきたが、この延命処置もそろそろ限界のようだな。
「セツナお姉ちゃん」
「ん?」
「レグルスって、どんなところなの?」
亜人国家レグルス。人口のほとんどが亜人で構成されている国であり、私も一度足を運んだことがある。もちろん、盗み関係でだ。ブリガンドは人も盗みの対象だったからな。マニアどもや汚い貴族連中に人気な亜人たちはよく売れると、昔ドミニクが言っていた。
私は弓を拭く手を止め、リュウを見る。
「亜人たちがたくさん住んでいる国ということしか知らない。すまないな、私も詳しくはわからない」
仕事以外でどこかの国に行くことなどなかったからな。それぞれの国の特色など、私が知る由もない。
「たしか獣耳とかしっぽがついたやつらが多くいたような気はするけど……」
「動物の耳がついてるの……?!」
予想以上に、リュウがくいついてきた。
「たぶんな」
私とは見た目に明らかな差異があったから、一応印象には残っている。
そういえば、秀の式神の……蒼とかいうやつとは見た目が違かったな。蒼は猫をそのまま人間にした感じだが、亜人たちは人間に動物の一部分の特徴が付属している感じだったか。まあ全ての亜人がそうなのかは知らないが。
「そっか……!」
わくわくしているのか、リュウの口もとが緩んでいるのが目に見えてわかる。
「仲良くできるといいな」
「うん……!」
リュウは満面の笑みで私を見た。
楽しそうで何よりだ。
私は途中になっていた弓の手入れを再び始めた。
「ぼくも短剣の手入れする」
私の様子を見たリュウは、懐に入れていた赤と白が目立つ短剣を取り出した。そしてきょろきょろと周りを見渡し始めた。
「拭くやつ、ない……」
リュウは視線を落とし悲しそうにする。
「私のを使えばいい。いくらでもある」
私は左手につけたクロスした形の紫色っぽいブレスレットに氣を込める。すると呼応するようにブレスレットが紫色に優しく光る。
さらにこのエスパシオに収納された布を脳内でイメージすれば、私たちの前に数枚の折り重なった布が現れた。
「ありがとう、セツナお姉ちゃん……!」
リュウはにこっと笑いかけると、布を一枚とって一生懸命短剣を拭き始めた。私はそれを微笑ましく思いながら、弓の手入れを継続した。
side エル
「どうかな、お母さん」
テーブルに置かれた数品の料理。これはすべて私が作ったものです。今日でお母さんとはしばらく会うことができなくなるので、私なりに今返せるお母さんへの感謝を込めました。
私の目の前に座るお母さんは、スプーンを使ってほんのり湯気のたったスープを一口すくい、口の中へと運んだ。
「うん、とても美味しいわ」
「よかったぁ」
思わず安堵の言葉が漏れた。
「私よりもずーっと美味しい料理がつくれてるわ。お母さんよりのよりも美味しいなんて、ちょっと生意気よ?」
「そ、そんなことないよ、お母さん!私はお母さんの料理の方が好きだから!!」
「ふふふ。冗談よ冗談。本当に素直で純粋なんだから、エルは。可愛いわねぇ」
か、からかわれてたー!
私は頬を赤くした。
「もう、お母さんのいじわる!」
「ふふふ」
優しげに笑うお母さん。私は昔からお母さんのこの笑顔が一番好きなんです。
「そういえば、エル。将来は薬師になりたいんですって?」
「う、うん……。ダメだった?」
実は、将来薬師という職業につこうとする人はほとんどいません。みんなそれがどれだけ大変なことかを知っているからです。
スザンヌさんに教えてもらえている私は幸運ですが、そもそも薬についてしっかりと学べる場がどこにもないことが、腕のいい薬師が増えない一番の原因だと私は思っています。私が凄腕の薬師になるのは当然ですが、未来を考えれば、そういう教育の場を設けることも視野に入れねばなりません。ただこれに関しては私が一人前にならないと話になりませんが。
薬師にはこういったマイナスイメージがどうしても付きまとうので、お母さんには黙っていたのに……。
「あらあら。可愛いエルの夢を私が否定するわけないじゃない。全力で応援するわ」
予想外の返答に、私は目を丸くした。
「…………そっか……ありがとう、お母さん」
よく考えたら、お母さんが私のしたいことを否定したことはほとんどありません。唯一あるとするなら、私がお母さんを治癒院に入れたいと言った時ぐらいかもしれません。まあ結局は私が押し通して治癒院に入院させたんですけど。
「ほら、おしゃべりもいいけど、早く食べないとせっかくエルが作ってくれた料理が冷めちゃうわ」
「うん、わかってるよ、お母さん」
私とお母さんは少しばかりぬるくなった料理を、談笑を交えながらおいしくいただきました。
窓から朝日が差し込んでいます。数分前から起きていた私は、せっせと集合場所へと向かう準備をしていました。とは言っても、昨夜には冒険の準備を済ませていたため、本当に準備ができているのか、最終確認をしているだけなんですけどね。
「そろそろ行きますか」
私はピンク色の石が嵌め込まれた指輪型のエスパシオに、床に置かれていたいろんな物を収納して部屋を出ました。
「もう行くのね」
キッチンで作業をしていたお母さんが、私のもとに来てくれました。
「うん」
「これ、みんなで食べてね」
お母さんは可愛いうさぎが刺繍された布に包まれた箱を私に渡してきます。
「これって……」
「お弁当よ。起きるのが遅くなっちゃったから、おにぎりくらいしか詰められなかったのだけれど……」
お母さんは朝が苦手だ。だから、起きるのはだいたいお昼前なのに、私たちのために早起きしてくれたんだ……。
「ありがとう、お母さん。すごく嬉しい」
私はエスパシオには収納せずに、両手で抱えるようにして少し大きめの弁当箱を持ちました。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あ、ちょっと待って」
「……?うん」
お母さんは玄関に私を残して、慌てたようにどこかに行ってしまったけれど、数秒で戻ってきました。
「これつけていって」
そう言ってお母さんは何かを私の右手首につけ始めました。私はまあまあな大きさの弁当箱が視界を遮っているので、お母さんが何をしているのかよく見えませんでした。
「よし、これでいいわ」
お母さんが私から離れた。私はなんとか右手首を見ようと、弁当箱をなるべく左側にずらしました。
「これって……ミサンガ?」
「そうよ。私が編んでみたんだけど、意外と綺麗でしょ?」
私の視界には濃いめのピンクと淡いピンク、それから薄灰色の紐の三色で編まれたミサンガが映っていました。
この色合いって、もしかして……。
「あら、気づいちゃった?エルの思ってる通り、これは私たち家族の髪色をイメージして編んだものなの」
やっぱり。お母さんと私と……お父さんの、色だ……。
「私たち家族はどこにいたってずーっと一緒よ。だから、冒険も薬師になる夢も精一杯頑張るのよ!私もお父さんもエルを見守ってるからね」
私はお母さんの温かな目に、涙が溢れそうになった。目もとを隠したかったけど、弁当箱を離すわけにはいきません。
……ほんの少し、この弁当箱を恨みたい。
「ふふふ。そんなに目を潤ませて。まだまだ子どもね」
必死にこらえようと頑張ったけれど、結局は涙が一粒、流れ落ちてしまいました。
「ほら、笑って、エル。旅立ちの門出なんだから。涙は似合わないわ」
お母さんはポケットからハンカチを取り出して、涙を拭いてくれました。
「……ぅん」
私はニッと笑顔を見せます。
「うん、いい顔だわ」
お母さんは手の塞がった私の代わりにドアを開けてくれました。外は旅をするにはもってこいの、清々しい晴天でした。
「いってらっしゃい、エル」
お母さんの優しげな笑顔が私に向けられます。
「いってきます、お母さん!」
私もそれに合わせて、元気に応えました。
私はチラ、チラと名残惜しそうにお母さんの方を見ました。お母さんはその間、ずっと微笑んでいたと思います。流石に顔が判断できなくなるところまでいくと、どんな表情をしているのか分からなかったから。
だから私は知りませんでした。私の姿が見えなくなった後、お母さんの瞳から一粒の涙が流れ落ちていたことに。
side カズハ
「んー、もう朝か……!」
私は上半身を起こし、両腕を高く上げ背中をぐーんと伸ばした。窓から差し込む光が顔面に当たり、眩しさを感じるとともに今日から始まる新たな冒険への期待感が増す。
「えーっと、着替え着替えっと……」
私はクローゼットから着慣れた服を取り出し、パパッと着替えた。
いつもならこんなにもすっきりと起きれることはないけど、今日はなんだか特別みたいだ。
私はベッドの横に置かれた木製のキャビネットワゴンに目をやった。その引き出しから、少しばかり埃をかぶった写真立てを取り出す。
「あちゃー、こんなに汚くなってたかー」
私はクローゼットから小さめのタオルを取り出し、丁寧に写真立てを拭いた。
「そりゃそうだよね、もう五年も経ってるんだから……」
写真には、かつての私の仲間であるグラディウスのメンバーが写っていた。私に勢いよく被さっているリンナに、それに困った顔をする私、私とリンナを押し潰すかのようにのしかかるサイラス、その右隣でお腹を抱えて笑うココナと左隣で呆れたような顔をするロイ、そしてそれを微笑ましそうに見守るクルト。
この写真には、もう二度と会うことのできない、懐かしい仲間たちの楽しそうな様子が切り取られていた。
「ごめんね、みんな。こんな薄暗いところにいつまでも放って置いて」
私はキャビネットワゴンの上にそっと写真立てを置いた。そして写真立てと対面するようにベッドに座る。
この写真立てはもともと今置いている位置にあった。でもみんなを亡くしてから、写真を見ることさえも当時の私には耐えられなかった。だからずっと薄暗い引き出しの中にしまっていた。
ノアズアークに入ってからは、いい意味で何かと忙しくて、みんなに申し訳なくなるくらいに楽しくて……みんなのことを顧みることがほとんどなかった。だけど、私は今、みんなに報告しないといけない大事なことがある。
私は目を瞑り、サイラスの最期の言葉を思い出す。
『…もう助からねぇ…よ。見りゃわかる…だろう。俺たちは…ここで終わりなんだ。けどな…カズハ、お前には…生き延びて欲しい…んだ。俺たちがいなくたって…お前は…やっていける。なんたってお前はもう…立派な冒険者なん…だからな。…また新しいパーティを探して…ワイワイ楽しくやってくれや。それが俺たち…グラディウスの切なる願い…だ。俺たちはお前のことを…いつまでも見守ってる』
ワイワイ楽しく、か……。サイラスらしい言葉だよね、ほんとにさ。
私は目を開き、陽の光に軽く照らされている写真立てを見据えた。
「ねえ、みんな。私今日ね、初めてこの国とは違う場所に冒険しに行くよ。みんなとは行きたくても行けなかった、ドキドキワクワクの新しい冒険ライフが始まるんだ」
他国に別の用事や依頼で何度か足を運んだことはあるけど、仲間と冒険という形で足を踏み入れたことは全くなかった。
「おいしい食べ物とか綺麗な景色とか珍しい料理とか……めっちゃうまい食べ物とか……そういう未知の世界ってやつを、味わってくるよ。みんなの分までさー……。だから、ちゃーんと見守っててね。すーっごく楽しくて、もうみんなが羨ましがるような冒険をするからさ!」
私は右手を写真立てへと勢いよく突き出した。
ワイワイ楽しく冒険だ!
「よし!」
私はベッドから立ち上がり、部屋のドアまで歩いていく。そして立ち止まり、みんなの方へ振り返った。
「それじゃ、いってきます。サイラス、ロイ、リンナ、クルト、ココナ!」
晴れやかな青空の下、私たちノアズアークは帝都アクロポリスを囲む壁に組み込まれた門の前に来ていた。ちなみに私とエルは自分の家からみんなと合流した。
「お世話になった場所には一通り挨拶したけどさー、ドレイクさんにだけ会えなかったのはちょっと残念だったなー。花鳥風月には特にお礼言いたかったし」
ノアは軽い愚痴をこぼした。
私とエルも昨日セツナと別れてから軽く挨拶はしてきたけど、確かにドレイクさんには会えなかったなー。花鳥風月のオーナーさんだし、挨拶しておきたかったけどこればっかりはしょうがないよねー。
「仕方ねぇさ。いねぇもんは挨拶のしようがねぇんだからよ」
うんうん。秀の言う通りだ。
「はぁはぁはぁ……なんとか、間に合った、な……」
げ。この声は……。
私は振り返らずにそっと門の近くへ立ち位置を変えた。
「え?グレンさん。なんでここに?」
ノアが驚いたようにグレンに話しかけた。
「ふぅー……。いやな、せっかく唯一の俺の弟子が旅立つっていうんだからな。見送りぐらいしておかないと」
……すごい、視線を感じるんだけど。
「弟子って……あ、カズハのことか」
「ああその通りだ、ノア。……おーい、カズハ。こっちに来い」
もう、なんなのよ、あの男は。昨夜もめちゃくちゃ鬱陶しかったのに……。
「カズハー!俺はお前を愛してるぞー!!」
「ああーもう!さっきからうるさいってば!」
グレンはソファーに座っている私の腕に抱きつき離れようとしない。
「あと酒臭いから離れてくんない?」
「いやだいやだ!明日でお前はいなくなるんだろう?だったら今たくさん充電しておかないとー!」
……四十過ぎのおっさんが、何してるわけ?キモすぎるでしょ。
「うざい」
「そんなこと言わないでくれよー、カズハー」
語尾伸ばすな。甘ったるい声出すな。
「キ、モ、い!」
グレンは私の拒絶の言葉を無視して、私の腕にコアラのようにしがみついて離れない。しかも時々頬をすりすりしてくる。
……マジでキモすぎなんだけど……!
「ねえ、母さん……」
私は頼みの綱である母さんを呼んだ。母さんはグレンが飲みまくった酒瓶を片付けていた。
「うふふ。お兄様はカズハが大好きだから、会えなくなるのがとても悲しいの。後もう少ししたら寝てくれるだろうから、それまでもう少し我慢してあげて」
私のSOSも虚しく、母さんはせっせと酒瓶や夕飯の片付けを再開した。
「そんなー……」
ほんっっっっとにあの時のグレンはキモかった。もう過去一で。こんなのが私の師匠ってのが心底許せない。どこをどう考えても縁切りたくなるレベルじゃん。
「はやく来ないと、お前の恥ずかしいあれやこれやをーーー」
「ああもうわかったってば。行けばいいんでしょ、行けばさ!」
私は不機嫌度マックスでグレンに近づいた。
「ん?何をそんなにイライラしてるんだ。ただ呼んだだけだろう?」
お前が昨日キモすぎたからだろうがー!
「……知らないよ!」
グレンは、はて?と言いたげな顔をしている。
……どうしよう、ほんっとにムカつくんだけど。
……殴っていいかな?殴っていいよね?
私は右手をグーの形にし、力を強く込めた。
「んんっ。実はな、カズハ。昨日お前に言い忘れたことがあってな」
グレンは急に真剣な顔をした。私はそれに呆気に取られ、拳に込めた力を緩めてしまった。
「俺はお前に辛い思いをさせてばかりだった。サイラスが死んだ時も、刀を教えることぐらいしかお前の力になれなかった。そんなことじゃ、本当の意味でお前を救うことなどできないのにな」
「…………」
グレンは私の肩に力強く手を置いた。
「だがお前は強い子だ。俺やフローラ、それにグラディウスのかけがえのない宝だ。自信を持って、冒険してこい!そして、世界ってやつを思いっきり楽しんでこい!」
熱のこもった応援が私の胸に響く。
なによ、グレンのやつ。かっこつけちゃってさ。柄でもないくせに。でも……。
「うん、ありがと……」
グレンは満足そうな顔をして、私の肩から手を下ろした。
「それでだな、カズハ。ものは相談なんだが……」
「ん?何?」
「お前の髪を一房ほど俺にくれたりは……ゴボッ!」
私は思いっきりグレンの腹に右ストレートを打ち込んだ。
せっかく少しだけでも見直したのに!
ほんっっと最低!
「ふざけんなっ、このキモ男!」
私はうずくまるグレンを無視して、門の方へと向かった。
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