碧天のノアズアーク

世良シンア

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レグルス編

33 スターライト連続誘拐事件ⅩⅢ

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side カズハ

「確か秀の話じゃこの辺りに……いた!」

ノートリアスに潜入してクロエちゃんを保護してすぐ、私は近くに待機しているらしいエウロスの叡団員を探し回っていた。

思ったより早く見つかったねー。

「お前がノアズアークの人間か?」

冷たい声が耳に届いたと同時に、暗い路地に溶け込むように潜んでいた男たちがぞろぞろと目の前に現れた。

「そうそう。私はカズハ。よろしくー」

できれば叡団長のエヴァン=ブレイブに直接伝えたいんだけど……。

キョロキョロと軽く周囲を見てみたものの、叡団長らしき人物は見つけられない。

「本来ならば人間などに協力したくはないが、ライアン宰相からの命令だからな。不満はあるが我慢してやる」

一歩前に出て話す、高圧的な態度の亜人に鋭い眼光を浴びせられた。夜だから余計に怖さが演出されてる。

リオンやステラ叡団長と接する機会が多かったから忘れてたけど、悲しいことにこの態度が普通なんだよねー……。

「えーっと、ありがとねー……。ちなみに、エヴァン叡団長って来てる?」

「ふん!お前の目は節穴か?エヴァン叡団長ならそこに……って、あれ?」

馬鹿にしながら後ろを振り向いた亜人だったが、どうやら叡団長がいないことに驚いている様子だ。

「悪いがエヴァンのやつはライアン宰相からの密命を受けていてな。急ではあるが、ここの指揮権は私に譲渡されているんだ」

「な!あんたは、ギルハルト=クリムゾン?!」

フードを取りつつ、集団の後方からこちらに歩いてきたのは、いつぞやか私とセツナに声をかけてきたあの赤髪の男だった。

「指揮権を譲渡って……まさかエヴァン叡団長が?!」

「それ以外ないと思うけどな」

「んなバカな!お前みたいなハンパ者、俺たち亜人の仲間だとは認めねぇ。たしかにクリムゾン家は由緒ある武に秀でた家系だが?自分たちは火の最上位精霊たる朱雀の子孫だとかほざいてる、ホラ吹き野郎の命令を俺たちが聞くとでもーーー」

「あーあー、ダッッッサいなー」

「あん?今、なんつった?下等生物」

罵倒されたことにか、はたまた話を遮られたことにか、それともその両方か……いずれにせよ私のこの態度に青筋を立てて、こっちをギラギラと鋭い目で射抜いた。

「あ」

もしかしなくても、今、口に出てた……?

「おい。今お前、俺のことをダサいとか言いやがったな?」

ズンッと、興奮気味の亜人が近づいてきた。頭ひとつ分ほど私より背が高いからか、より圧を感じる。

「いやー、あははは。つい出ちゃった。私こう見えてもうっかりさんなんだよねー。ごめんよー」

無理やりに口角を上げて、表に出てしまった不満を笑顔で誤魔化す。

こんなところで無駄な不和を生んで事件解決が遠のいたら、今までの作戦が全部水の泡だよー。とりあえずここは穏便に……。

「……んだその態度は。舐めてんのか。ヘラヘラしてんじゃねえぞ!」

怒りが頂点に達したらしい。男は大きく一歩踏み込んで私の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。その一連の動作は流れるようで、この男がただの亜人ではないことはこの一瞬の動きでわかった。

これも湊との鍛錬の成果かもねー。

「よっと」

「な?!」

伸ばされた手が触れる寸前で左に避け、懐に入り込む。

「よいしょ!」

「ぐがっ?!」

そして相手の顎目掛けて、右手で下から上に掌底打ちを喰らわせた。男は突然の頭部への衝撃に、軽く宙に浮きつつ、白目を剥きながら後方へと倒れた。

「あ。やっちゃったよ、もー!」

いきなり掴みかかってくるもんだから、つい……。でも正直これ、私悪くなくなーい?

「「「…………」」」

「え、えーっと……」

前方を見れば、他の叡団員が信じられないと言わんばかりに口を開けて呆然としていた。

「ま、まあ、こういうこともあるってことで……とりあえずノートリアスのアジト、押さえにいきません?ね?」

「「「…………」」」

次第に、叡団員たちの纏う雰囲気が変わった。肌がピリつくこの感覚はたぶん……。

「そこまでだ!」

修羅場となりかけたこの空間を、震わすような一喝が響いた。私も叡団員たちも、反射的にピクッと少しだけ身体が震えた。

「エウロスに所属する諸君らの、今最も優先するべき任務はなんだ?」

私たちの間に割って入ったギルハルトは、私に背を向けて姿勢良く立っていた。見据えているのはエウロスの叡団員たちだ。

「……EDEN所属のCランクパーティノアズアークとともに、スターライトに巣喰うとされるノートリアスのアジトを叩くこと、です」

「その通りだ。そしてそれはここを任された私も同じこと。出自を気にする前に、お前たちは叡団員だろう?この国に生きる皆が幸せな日常を送るために我々がいるんだ。違うか?」

「いえ……おっしゃる通り、です」

「ならばその職責を全うせねばな。……今一度このことを心に刻み、任務にあたれ。いいな」

「「「はい!」」」

ギルハルトの説教は新たな波紋を呼ぶどころか、むしろ起こりかけた不穏な荒波を瞬時に鎮めた。さっきまであんなに不服そうだった叡団員たちの態度が嘘のように消え、真っ当に責務に務めようとする、まさに国を、民を守る騎士に見えた。

「よし。……カズハ。アジトはあそこに見える店でいいんだな」

「え、あ、そうだけど」

「では今からノートリアスのアジトを押さえる。敵が抵抗することも踏まえ、二人一組で行動する。各自中に入り次第、徹底的に中を調べ上げ、すべての敵を捕えろ。ただし、仲間や自分の命が危険であると判断した場合は躊躇なく殺せ。また対処不能な問題が発生した場合は、直ちに撤退。すぐに私に報告するように。いいな」

「「「はっ!」」」

「散!」

その言葉を合図に、叡団員たちは姿を消した。きっとアジトに向かったんだろう。

にしても……。

「なんか……すごいね、叡団長って」

「ん、そうかな?」

「そうだよー。だってあんな、ザ・荒くれ者って感じの人たちを言葉だけで説得できるんだもん。まさに鶴の一声だったねー」

「ふむ。まあ私が、というよりクリムゾン家がよく思われていないのは周知の事実なんだ。だから舐められるのはいつものことでな。ただ、だからといって縮こまるのは私の性分ではなくてな。私は常に自分の信念に従って行動しているだけ。何も恥ずべきことなどない」

「そっか……だからあの時かっこいい人だなーって思ったのかもなー」

イケメンなのはそうだけど、なんとなーくそれだけじゃない何かをあの時感じてた。子どもの頃、ミクリヤに初めて会った時と同じで。

まあ、ぜっったいに本人には言わないけど、グレンにも多少はそんな片鱗はあったかもね……。

「ああ、そういえば、私のこの赤い髪を見てかっこいいねと言ってくれていたな」

「それもそうなんだけど、そうじゃなくてさー。なんというか、そうだなー……ぶれないし折れない、真っ直ぐな剣を心に秘めてるのがかっこいいなーってこと」

「はは。そこまで褒められると、なんだか照れくさくなってしまうな」

あまり褒め慣れていないのか、少し赤面しながら頬を人差し指でぽりぽりとかいた。

「……あのー、答えにくかったら全然いいんだけどさ……ギルハルトはここにいるみんなと同じ亜人なのに、なんで人間みたいに嫌われてるの?」

「……やはり気になるよな」

「うん」

「そうだな……」

ギルハルトは路地から例の店の前にある通りに出る。それについていけば、ギルハルトは通りの端に等間隔に点在した街灯の下に向かい、腕を組みつつ壁に寄りかかった。

柔らかな光でライトアップされたギルハルトは、さっきまでの叡団長としての気迫がどこか中和され、どこにでもいるひとりの悩める人間に見えた。

「ふぅ……」

「なんだか迷える子羊さんって感じだねー?」

「んん?子羊って、私がか?」

「そうだよー」

壁に背を預ける。ギルハルトは不思議そうに隣を見た。

「そんな可愛らしいものじゃないな、私は。……思えば以前、君には王子たちの捜索に協力してもらっていたな。」

「あー、そんなこともあったねー。セツナはわかんないけど、一応私は気に留めながら歩きはしてたかなー。とはいえ、その子たちの尻尾すら掴めなかったけど」

右頬を指でぽりぽりと掻く。

「いや、不躾に依頼したこちらに非がある。気にかけてくれていただけありがたいことだ。……その礼はまだしていなかったな。礼のひとつになるかはわからないんだが、ひとつ身の上話をしよう」

別にお礼なんていいのにー、なんて言える雰囲気でもなかった。真剣な相手からの申し出を、私は拒否せず受け入れることにした。

「君は朱雀という名は聞いたことがあるか?」

「もちろん。なんたって火の最上位精霊だからねー。そういえば、この国に契約者がいるって話があったかも」

「ああ。私の家、クリムゾン家はその血を引いており、そして代々必ず朱雀と契約する定めにあるんだ」

「ええ!精霊契約って血統に関係あるの?!」

精霊側が、こいつ気に入った!的な感じで選ばれるんかなーってずっと思ってた。

「まあ驚くよな。とはいえ朱雀だけが特別なんだ。クリムゾン家の初代当主は、左腕が常に炎で燃え上がっていたらしく、当時人間側にも亜人側にも受け入れてもらえなかった。それどころか常に忌み嫌われ、暴言やら暴力やらが荒波のように激しく襲った。ちょうど今、亜人たちが人間を毛嫌いするのと似ているな」

「あはは。たしかにね。と言っても?私は仲良くやっていきたい派だから、ぜんっぜん嬉しくないけどー」

「私もだ。……だが、そんな初代当主を救う物好きが現れた。それがこの国をつくった初代叡王なんだ」

「へぇー。さすが国を統治する王様だねー!」

まだ今代の叡王レオン=アストラルには会ったことはないけど、きっと民を第一に考える、そんな人情深い人に違いない!

なんなら会話したノア曰く、「レオン叡王は対面するとちょっと圧迫感を感じるけど、誠実で国民思いのいい人だったなー」ってことらしいしね。

万が一にでも拝見する機会があったら、緊張で胸が張り裂ける気がするけど、ちょっと話してみたいなー。

ま、まあ?王宮お抱えシェフの料理を味わえたら超超万々歳!なんだけどー……。

「ああ。それ以来クリムゾン家は叡王家への感謝を忘れず、代々仕え続けているというわけだ」

こ、こほん。

「そっかそっか。あーでもそれならさ、あんなにきつく当たられることなくない?亜人たちと一緒に今まで頑張ってきたってことでしょー?」

「そこがどうにも厄介なところでな。……カズハは私がどう見える?」

「どうって……」

下から上へとゆっくり流し見する。

「真っ赤な髪の美丈夫としか言えないけどー?」

「ああー、言い方がよくなかったな。わかりやすく言おう。人間と亜人どちらに見える?」

あー……なるほどね。

「人間、かな」

「ふむ。根拠を聞いても?」

「私の認識ではの話だけど、亜人ってたしか何かしら動物的特徴が身体に出るよね。例えば蛇の亜人だったら、蛇のような目とか鱗のような硬い皮膚とかさ。でもギルハルト……叡団長は、私たちとおんなじ容姿してる」

いつもの馴れ馴れしさでさっきから呼び捨てしちゃってたけど、考えたら目の前の人物はこの国を守る四人の強者のひとりだ。

今更かもだけど、一応できるだけ失礼のないようにしないと。

「その通りだ。だからこそ、人間を敵視する亜人たちにとって、私たちは憎悪の対象となり得てしまう。ましてや昔は、人間との交流を絶ったことで人間へ鬱憤をぶつけられなくなった一部の亜人からひどく迫害されたこともあったほどだ。帰属意識・仲間意識を念頭に置く彼らにとって、私たちは所詮よそ者に見えてしまうのだろう。どんなにこの国に貢献していても、な」

どこか遠くに思いを馳せるように、軽く顎を上げ暗い空を見つめていた。

内にしか目を向けることができなかった亜人たちは、いい意味でも悪い意味でも結束力が強いのかもしれない……。

「そんなの悲しすぎるよ」

「ああ、とても悲しいことだな。ただ私はまだマシな方。立場もそうだが、今朱雀と精霊契約を結んでいるのは私だ。戦場以外でその力を借りることはないが、それでも朱雀のおかげでクリムゾン家はこの国に居続けられている。だからこそ、私以外の家族はより迫害を受けやすい」

「それって……ただの人間だから、だよね」

「察しがいいな。特別な力をもたず亜人ですらない奴ら。それが私以外のクリムゾン家の人間へのレッテルだ。だからこそ私はいつか、クリムゾン家が、ひいては人間たちが亜人たちに受け入れられ、この国を互いが笑顔を咲かせ合う国にすると心に誓っているんだ」

その目に、決して消えることのない灼熱の炎のような闘志がみえた気がした。

このまま直視してたら、私の目が焼け焦げちゃうかも。それくらいの思いの熱がギルハルトの中にはあるんだねー……。

私はぴょんっと前へ一歩跳び、後ろで手を組みながら振り向いた。照らされた光の中に立ってはいないから、私の姿は薄暗く見えたかもしれない。

「ふふん。いいねー、それ。かっこいいじゃん!」

まあそんなことはもちろん気にも留めず、私はニカッと口角を上げつつ、右手のいいね!サインを突き出した。

「はは。それはなんだか心強いな。きっとこういう温かな言葉を、誰もが待ち望んでいるはずなんだ」

「決めた!今から、ギルハルトって呼ぶねっ!」

「……んん?」

唐突に投げかけられた言葉に、困惑を隠しきれない様子だ。ただ私の中ではもう決定事項。気に入った人はどんな人でも自分らしく接するって、そう決めてるから。

「はいはーい、こっちの話だから気にしない気にしない」

「ふふ。カズハ、君は面白い人だな」

お。力の入ってない、いい笑顔じゃん。

「あ、そうだ。気になってたことあったんだけど、なんでエヴァン=ブレイブ叡団長はここにこなかったのー?」

「ああ。それは……」





side ライアン=フォックス

「外、だ……!」

大岩が消えた瞬間、小さな楕円形の耳をつけたオレンジ髪の男が現れた。その口元は嫌に釣り上がっていた。まるで全ての脅威から逃れられたと微笑まんばかりに。

来たな。この国に巣食うドブネズミが。

胸中で貶していると、何かを感じ取ったらしい捕獲対象は、ゆっくりと後方を振り返っていた。

まあそれもそのはずだ。このなんとか残ってくれた森の端で隠れる俺から見ても、この惨状には流石に唖然とした。それも間近でこの荒れ果てた大地になる瞬間を見た。

危うく、腰を抜かして動けなくなるところだった。

「な、なんだ、これ……?!」

案の定、奴もこの状況に直面して困惑したらしい。

……さあ、そろそろこの惨劇の幕を下ろさせてもらおうか。

俺は一歩、前へ歩み出た。

「驚くよな、こんなの見たら。逃げた先がこんな焦土に変わってるなんて、一体誰が想像できるというのやら」

そう奴の心境を代弁してやれば……。

「ははっ……なんで、なんで、お前がいるんだ!!!」

青筋を立てた顔で叫び声を上げた。

「まあまあそうカリカリするなよ、犯罪者」

「は?何言ってーーー」

「亜人国家レグルス守護叡団ビースト・ロアボレアス所属ムース叡団員。お前は国民を守る立場にありながら、スターライトを中心に亜人の子どもを誘拐・拉致監禁し、挙句剥製に作り替えた。……こんなもの、問答無用に死罪だ」

「は!それが何だよ!!」

この態度……やはり全くもって反省の色は見えないな。とはいえ、ペルロを殺した時点でこいつの処遇は決まっていたんだがな。

あの時のペルロの必死の懇願は、完全に水泡に帰していたわけだ。



『ライアン宰相のお考えは理解しました。ですが……ですが俺は、親友のあいつを信じたい。だからもし……もし、あいつが、ムースが俺を殺しにこなかったら、あいつに償いのチャンスを与えてやってはくれませんか……!!』

『…………』

『お願いします……!!!』

あいつはそう嘆願しながら深々と頭を下げていた。密命の伝書鳩を送った次の日の朝には俺の執務室に駆け込んできたわけだが、非常に情に厚いまっすぐな男だった。

本来ならあれだけの数の被害報告が上がっているならば、幾分の余地もなく死罪に値する。それは国をまとめる立場に立つ人物として曲げられない。

ただ、その熱意だけは受け取った、という意味を込めて俺は『考えてはおこう』と返した。その答えにペルロは笑顔で『ありがとうございます!!』と言い、再び頭を深く下げていた。




残酷な話だ。なんせ、死罪を変える気など俺にはさらさらないのだから。たったひとりの懇願、それもモロ私情……そんなちっぽけな理由で、家族を奪われた父母が納得するわけがない。

そしてそんな例外を作っては今後の国の運営に必ずも影響が出る。下手したら反乱も起きかねない。

ただでさえこの国は人間との不和を抱え、それを解消しようと努めてきたというのに、今更別の問題で平和を乱されていては、この国に真に明るい未来は永遠に訪れない。

「僕だってな、苦渋の決断だったんだぞ!愛しい愛しいフレンドたちを、お前らのような卑しい奴らに渡すのは!けど僕のフレンドたちなら、絶対許してくれる!また会えるよって、そう言ってくれてるんだ!!」

「……は?」

こいつは一体、何をほざいているんだ……?

その意味不明な言動に、思わず硬直する。

「なんでわからないんだ?!君たちは!!この崇高で甘美な僕の想いを!僕はただ……ただ僕だけの最高のフレンドを作っただけだぞ?!それの何が罪だと言うんだ!!」

汚い形相が唾を撒き散らしている。

「お前たちだって、子どもの頃、ぬいぐるみや人形を友達にして心の拠り所にしてただろ?!僕のやっていることは、その友達、フレンドを頑張って頑張って作っただけの話じゃんか!」

「…………」

身体の奥が、頭の内側が、沸騰しているかのようにやけに熱い。

これが完全に怒りに支配されている感覚なのか?

「……うっせんだよぉぉぉぉ!!!!!」
「ぶはっ!」

突如、奴は黒髪の男に殴られ、顔を凹ませながらぶっ飛び、木に背面を打ちつけた。この衝撃的なシーンに、俺の頭も少しずつ冷えていく。

「おっと……いい拳ですね、エヴァン叡団長」

「スー……ハー……こんなんで、俺らの悲しみが癒えると、怒りがおさまると、思ってないだろうなぁ」

地面を這うような低く静かな怒声が響く。

「グワアァァァァァァァァ!!」

両手をガバッと広げ、天に向かって胸を突き出すような体勢で獣のような咆哮を上げた。そして猛スピードで駆け出し、苦しみ悶える奴に畳み掛ける。

何度も何度も奴の呻き声が聞こえてくる。だがエヴァン叡団長の拳は全く止まる素振りはなく、まるでサンドバッグのように殴り続けていた。

「……どうやら先を越されたらしい」

それもそうか。俺よりもエヴァン叡団長の方が、あの時はるかに憤り、そして悲しみに打ちひしがれていた。




『こ、これは……!』

エウロスに所属する、エヴァン叡団長を含む少数の部隊で独自に調査を進め、紙一重で捕獲対象たるムースよりも先に、奴の隠れ家を発見した俺たちだったが、中に入り剥製の部屋を見た瞬間、エヴァン叡団長も俺も言葉を失った。

『…………』

『なんて、ことを……』

『ゲス野郎が……ぜってぇに俺が殺す』

剥製から決して視線を逸らさないエヴァン叡団長。その背中からは深く暗い怒りが滲んでいた。

『エヴァン叡団長。あなたはわかっているはずですよ。この国で私刑は許されていないと』

『はっ!んなもん忘れちまったなぁあ?!』

この光景を目の当たりにした時、俺が最初に感じたのは深い悲しみだった。当然怒りもなかったわけではないが、その炎を飲み込むような濁流が心に押し寄せていた。

だがエヴァン叡団長は違った。

『つうか、殺すなんざ、比喩に決まってんだろうが。ゲスには一生分じゃ足りねぇほどの痛みを刻み込んでやんだよ。じゃねぇとよぉ……』

エヴァン叡団長が首を左に向けた。その頭は少し後ろに倒れており、ギリギリと食いしばった歯が剥き出しになっていた。

『こいつらが、浮かばれねぇよなぁ……』

怒りに満ち満ちた顔。だが確かにその左頬には、一筋の涙が伝っていた。




その後は、俺が台座に付けられたスイッチのようなものを見つけ、隠し通路を発見しその出口で待ち伏せることにした。

胸糞悪いあの部屋を大事にしてるであろう奴があそこに入るのは想像に硬く、リオン様たち主力部隊に追い詰められれば、奴は必ずこの脱出経路を辿ると推測した。

そうしてエヴァン叡団長と息を殺して待っていれば、予想通り奴が現れてくれた。

まあ見張りの途中で、まさか目の前が焼け野原と化すとは思わなかったが。おかげで出口を塞ぐ岩が溶けて消えたために、エヴァン叡団長が別の岩を用意する羽目になった。

なるべくそのままの状態にしなければ、奴の警戒心が増すだけだからな。

ふと空を見る。開けてしまったこの場所からは、よく見える。雲間から覗くあの月が。

「終わったぞ、レオン……」

この事件はようやく終わりを迎える。多くの協力者のおかげで。

ただ……。

安堵したのも束の間、もやもやとした罪悪感のようなものに胸が押しつぶされる。無意識に俺は左胸あたりの服を握りしめていた。

最初から俺がこの国にいれば、こんなにも多くの犠牲者が、悲しみが生まれることはなかったのではないか。バカンスなんて暢気なことをしてる間に、多くの国民が涙を流し、癒えない傷を負っていた。

力があっても適切な時に使えなければなんの意味もない。存在価値がない。なんのための宰相だ。

「くそっ……!」

後悔。

この感情に苛まれるのは、いつぶりだろうか。これは未熟者がするもの。国を導く一端を担う宰相には、必要がないものだ。

「宰相失格、だな……」

唇を強く噛む。尖った歯がグリッと食い込む。血が出ていたかもしれないが、そんなものはどうでもよかった。

「……すぅぅ…………はぁぁぁぁ……………………」

心を落ち着けるため、軽く息を吸って大きくゆっくりと息を吐く。

だがここで折れれば、俺は本当のゴミクズに成り下がる。この後悔も、子どもたちや被害者家族の悲しみと無念も背負い、前へと進み続ける。

それが俺とレオンの覚悟であり、誓いだ。それだけは決して曲げられない。

「……戻ろう」

俺たちはまだ、この国に真の幸福をもたらせてはいないのだから。



















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