碧天のノアズアーク

世良シンア

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レグルス編

39 子どもたちの遊戯

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side リュウ

「……ぅ…………っ………ぁぁ……」

「ノア兄ちゃん。クロエ、苦しそう」

「そうだな。ただ、オレたちじゃどうしようもないからな……」

薬屋クマックのとある一室。木で彩られた部屋の中、窓際に置かれたベッドの上で、イノセントの一員であるクロエという少女が寝ていた。

長くベトベトとしていた髪は肩口ほどの長さまで切り落とし、さらに濡れタオルでしっかりと拭き取った。べアリーナが少しでも清潔にと、本人の了承は取らずにやったことだったが、確かにその方が視覚的には普通な状態に戻れたのかもしれない。

だが内面的な部分はそう簡単にはいかない。ベッドに寝かしつけてから数日経っているが、未だ大量の汗を身体中から吹き出し、苦しみの声を漏らしている。

悪夢にうなされているのは一目瞭然であった。

「ベアリーナさんに何度か汗を拭っておけとは言われたけど、この分じゃ、綺麗なタオルの方がなくなりそうだ」

ノアは使用済みのタオルをせっせと畳み、近くのテーブルの上に積み上げた。使用済みタオルと比較すれば、新品のタオルとの枚数の差は歴然だ。

「あ……穏やかな顔になったよ、ノア兄ちゃん」

「お、いいじゃん。うなされて苦しむ顔を眺めるのも辛いし」

「うん……」

椅子に座るリュウは再びクロエへと視線を向ける。その表情は確かに落ち着いていた。うめき声もなくなり、すぅすぅと静かに寝息を立てている。

『バンッ!』
「新しい水とタオル、持ってきたよー!」

少し息を切らして勢いよく部屋に入ってきたのはカズハだった。そんなカズハの様子に、ノアは人差し指を口に当て注意する。

「しーっ!ここ病人が寝てるんだから、普通は静かに入るだろ?!」

小声で、それでいて切羽詰まったような声を出した。

「ぁ……ご、ごめん。早くしないとと思って、つい……」

ノアと同じ小声で答えつつ、扉をそっと閉めた。

「でも大丈夫。補充は完璧だから!」

水が入った桶と新品のタオルを所定の位置に置いた後、カズハは口角を上げながらノアにグッドサインを突き出す。

「それはありがとな。そういえば、セツナたちはどうしてるんだ?外で待ってるとか?」

「あー、いや……なんかあの屋敷に監禁されてた二人の子どもたちが別の部屋のベッドで寝てるらしいんだけど、その様子をベアリーナさんたちと一緒に見に行ってるみたい」

「へぇー。そういえば、生存者が残ってたって言ってたな……てか、セツナがついて行くなんて珍しいこともあるもんだ」

「ねー。まあたぶん、一応自分が助けた命なわけだし、多少は気になることもあるんじゃない?ほら、セツナって誰かを不幸にしちゃったことはあっても、救ったことはほとんどなかっただろうからさー」

カズハは皮肉でもなんでもなく、ただセツナの置かれていた環境を客観的に見た上で、この言葉を発した。それはノアも承知していた。

「確かにそうだよな。けどなんか、オレ実はセツナにシンパシー感じてるとこあるんだよな……」

「え?なになにー?」

「いやさ、ちょっと言いづらいんだけど……親に恵まれなかったとこ、っていうかさ」

「……へ?」

予想外すぎるその言葉に、カズハは唖然とした。

「言ってなかったけど、オレとシンって両親に会ったことがないんだよ。だから親がどういう存在か、客観的にはなんとなく理解してはいるけど、正直いまいちピンときてないんだよなぁ。一方でセツナは小さい頃、親によってブリガンドに売られたんだろ?だから親の愛情を知らずに育った。……ほら?似てるだろ?」

淡々と説明するノアに対し、セツナはバツが悪そうな顔をする。

「えっと……」

「あ、悪い。こんな辛気臭い話、今することでもなかったな」

「ぅん……こ……こは…………?」

「……!クロエ、起きたよ」

よそ見することなく見守り続けたリュウから、二人はクロエの目覚めを知らされる。

「あ、ほんとにー?!まだ片付け終わってないのにー……ちょっとパパッと片付けとくねー。エル曰く、清潔な場所で患者を休めるべし、ってことみたいだからー……あ、ノア、ドア開けてくれる?」

カズハは、せっせと使用済みタオルの山と古くなった水が入った桶を持って扉の前に立ったものの、両手が塞がっていることに気づきヘルプを呼んだ。

「おう……頼んだぞー」

ノアは働き者のカズハに一言声をかけてから扉を閉めた。そしてリュウとは反対側のベッドの脇へと向かう。

「クロエ、腕と足痛くない?」

「ぇ……なんで……なんで、私の手が……?!」

起き上がったクロエは、手をグッパーグッパーと、何度も繰り返す。そしてふと思い立ち、白い掛け布団をガバッと横に薙いだ。

「ブフォッ」

乱暴にはぎ取られた布団が、ノアの顔面に直撃する。

「足も、ある……!」

今度は片足を身体に引き寄せて、手でさわさわとなぞるように触れる。ただ嬉しさよりも驚きが断然勝り、困惑し切っていた。なぜなら少し前まで完全なる絶望の中に身を置き、もう元の生活には戻れないのだと悟っていたのだから。

「一体、どうなって……」

少し掠れた声が震えている。それは歓喜からくるものというよりは、かなりの動揺から出た感情表現の一種であった。

「あ。お水、飲む?」

「きみは、誰?」

近くのテーブルからコップを持ってきてクロエに差し出そうとするリュウ。だが質問を質問で返され、とりあえず動きを止めて、自分の膝元に落ちないように手を添えつつコップを置いた。

「えと、ぼくはリュウ、だよ?」

「リュウ……私はクロエね。よろしく」

「うん」

病人とは思えない溌剌さに、リュウは顔には出さなかったが内心驚いていた。あんなにも、一目見ただけでこの少女に何があったかを察せてしまうほどに酷い目にあったはずだというのに、目の前の少女は毅然とした態度でリュウの言葉にしっかりと受け答えできている。

……すごいな、かっこいいな。

それはリュウの心からの賛辞であった。

「なんで、私の腕と足が戻ってるのかも気になるけど……まず!リュウ!」

「は、はい!」

気圧されるほどの勢い。全くもって、ほんの数分前までうなされていた人物とは思えない。

「カナタ……先生とカイトは?!」

「あ、えと……」

「……っしょ。二人は今牢屋の中。一応治療はされてるみたいでーーー」

「牢屋?!なんで?!」

バサッと広げて掛け布団をクロエにかけたノアに、切羽詰まった様子でクロエは心の声をぶつけた。

「詳細は伏せるけど、簡単に言えば悪いことに加担したからだな。それが本人たちがやりたくなかったことだとしても、やっちまったことに変わりはないから……」

ノアははぐらかすことなく、真っ直ぐに、まだ幼い少女の目を見て真実を告げる。現実を受け入れるかどうかより、知りたいことを嘘偽りなく伝える方がいいと判断したのである。

ただそこには、少しの悲しみと憂いが混じっていた。

「それってやっぱり私のせい、だよね」

「いやそんなことはーーー」
「違うよ!」

ノアの否定よりも高々に声を上げる者がいた。その必死な様子に、二人とも呆気に取られた。

「悪いのは、さらった人たちだから……!クロエにも、カナタ兄ちゃんやカイト兄ちゃんにも、悪いとこなんて、ない!」

この白髪の少年が、こんなにも感情をむき出しにした。それはノアには新鮮であり嬉しかったことでもあった一方で、明るい茶髪の少女はリュウを見つめたまま黙っていた。

「……」

「成長したな、リュウ。天使みたいな可愛さだけじゃなくて、世界より広い心も持ってたなんて……将来が楽しみすぎてならないな、うんうん」

親目線な感想を吐露するノアをよそに、二人の会話は続いていく。

「きみ、いくつ?」

「たぶん、九歳」

「たぶん……?まあいいや……まさか年下に慰められるなんて、情けない……」

「?」

「なんでもない!そっかー、カナタ先生とカイトには会えないのか……待って。まさか死ぬとかないよね?」

「……」

咄嗟に答えられず、思考を逡巡させる。

……ノア兄ちゃんが王様と話して約束してたけど、まだ叶ってないから……でも死ぬかもしれないなんて言ったら、この子悲しんじゃう…………どうしよう……。

「その心配は必要ないぞ。オレらがどうにかすっから」

「え?」

横槍が入る。それはクロエにとっては嬉しい知らせであった。たが……。

「だってオレも、あの二人が不自由なままなの嫌だし」

「……なんでそこまでしてくれるの?」

同時に疑問も湧いた。ここにこの人たちがいるということは、クロエを助けてくれた人たちなのかもしれないという察しはついていたが、そもそもなぜ助けてくれたのか、カナタたちとはどんな関係なのか、クロエは全く知らなかった。

だがそれは至極当たり前のことだ。そんなことを知れる状況ではなかったのだから。

「ん?だって友達だからさ。助けるなんて当たり前じゃね?」

「ぁ……そっか、リュウと、えと…‥」

「あ、オレはノアだ。よろしく」

「ノアは、二人の友達なんだ。それなら納得。よかったぁ、変な人たちじゃなくて」

安堵したように笑い、天を見上げる。

「おっと、オレたち危うく変な人認定されるとこだったのか」

「いやだって、私がさらわれたときも甘い言葉に騙された結果だったから。ちょっと疑心暗鬼気味だったんだよ」

再びノアに向き直り、安心し切った声で話す。

「それもそっか。大変だったな」

「まあ、ね……でも絶対助けがくるって、二人を信じてたから。私、我慢は得意なんだよねー。にっしっし」

そう自慢げに告げる、白い歯をいっぱいに見せた屈託のない笑顔。それに二人はどう反応していいかわからずにいた。

「あ、別に痩せ我慢じゃないよ。この笑顔が私の一番の自慢なんだもん」

頭を揺らしながら、口角に人差し指を当てる。自信満々なその態度に、ようやく二人も納得をした。

「いいなー、それ。リュウも人を殺しそうなほどに可愛く笑うから、笑顔が素敵な人って羨ましいんだよなー」

「……?!」

突然話の矛先がリュウに向き、さらにはノア流の言葉で褒められたために動揺していた。

「へえー、リュウも笑顔が自慢なんだー。ちょっと笑ってみせてよ」

「っ?!む、無理だよ。ぼく、笑うの、に、苦手、だから……」

照れ恥ずかしそうにもじもじとする。

「か、かわいいっ!」

「だろ?!」

「ぅぅ…………」

いたたまれなくなり、ノアに天使と称される白髪の少年は顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「その可愛さに免じて、笑顔はまたの機会にするとして……ノア、二人のことお願いしてもいい?今の私じゃなんの役にも立てないからさ」

身も心も明るい少女は、自身を卑下することなく、手を差し伸べてくれたノアたちに、ただただ真面目に頼み事をした。

その真剣な目をした熱に浮かされたかのように、黒髪の少年も自信ありげな面持ちで応える。

「おう!任せとけ!」








ノアたちが薬屋クマックを訪れて数日後。樹宮殿ファレストのとある庭には四人の子どもがいた。

端正な銀髪に鮮やかなピンクの目をした少女は、木陰で座りながら目の前の試合をじと目で眺めている。

その隣には明るい茶髪に同じ色の目をした少女がおり、銀髪の少女とは対照的に興味深そうに男同士の決闘を観察している。

明るく濃い金髪に野生的に爛々と赤い目を輝かせている少年は、陽射しを浴びながら楽しそうに木の剣を振るう。

その少年の相手をするのは、白髪に灰色の目をした同じ年頃の少年で、ごく真剣に金髪の少年に対峙している。

「どうして男の子ってあんなにもやんちゃなのかしら」

「えー、楽しそうでいいじゃん。特にシリウスはにっこにこだよ?」

「あいつはただの馬鹿だから。あーあ、あんなやつのために戦わされて、リュウくんがかわいそう」

「そうかなー。私も次対戦したいなーって思ってるよー。リハビリがてらってのもそうだけど、純粋に冒険者としての腕を上げておきたいし!」

右腕をL字に掲げて、空いた左手で上腕部をパシ、パシと叩くクロエ。エマにはなかったポジティブな考えに少し感心する。

「へぇー。あなた面白いわね。というより、物好き?」

「いやー、それほどでも。……あっ」

終始注視していたクロエが二人の戦いに決着がついたことを告げた。その様子にエマも視線をやれば、シリウスが倒れリュウが首筋に剣を当てている光景が見てとれた。

「くそーっ!また負けたー!!」

大の字に寝転んで叫んだ。

「お前強すぎだろ」

「えと、ぼくなんか全然、だよ?」

剣を下ろし、額の汗を手のひらで乱雑に拭う対戦相手に手を伸ばす。シリウスは空いた左手でその手を掴み、立ち上がった。

「うへぇ、マジかよ?!人間ってそんなに強かったのか?!?!」

「わかんないけど、ノア兄ちゃんたちの方が、ぼくより全然強いし、かっこいいんだ」

少し自慢げに話す。その様子にシリウスは一層興奮した。

「マジかよマジかよ!!!なあ今度紹介してくれよっ、お前の兄ちゃん」

「はいはい。盛り上がってるとこわるいけど、そろそろティータイムにするわよ。リュウくんだってこいつの相手して疲れたでしょ?」

会話を遮ってやってきたのはエマだ。その隣にはクロエもいる。

「ぁ、えと、ぼくはーーー」

「えー!まだ遊び足りないってば。なあなあ、次はかけっこで勝負しようぜっ」

「わわっ」

元気いっぱいなシリウスに手を引かれ、リュウは連れてかれてしまった。

「あっ……もう、あの馬鹿!人の話を聞かずに……私の弟だとは思えない振る舞いだわ」

「あー!今度は私も一緒にやらせてよーっ」

横にいたクロエはといえば、元気よく二人の後を追いかけてしまった。

「え、えええ?!」

驚きで声を上げたエマは、まさかのひとりぼっちとなってしまった。

「……っもう!」

ぽつんとひとり残されたエマは、プンスカと怒りを露わにして再び木陰に戻った。なぜこんな奇妙な組み合わせで遊んでいるのか。それは今から数時間前に遡る。



「ここが樹宮殿ファレストね……!さあ乗り込むぞー!!」

クロエは目の前にそびえる巨木を見据えつつ、ガッツポーズを天に掲げる。その隣には、無理やり連れてこられたに等しいリュウが立っていた。

この日の早朝、リュウはエルとともに薬屋クマックを訪れた。クロエもそうだが、他に助けた二人の子どものことも気にかけてエルについてきたのである。

しかしながらそこでクロエに捕まった。クロエはカナタとカイトの様子が気になりすぎて、その気持ちが昂った結果、リュウの手を引っ張ってクマックを飛び出したのだ。

クロエの手足はノアの超常的とも言える氣術によって、五体満足に戻っていた。それは以前の状態まで完璧に戻ったに等しく、疲弊し切ってボロボロだったあの身体はみる影もなくなっていた。

一応、ご丁寧に書き置きは残してあるが、きっと今頃ベアリーナやエルたちは大騒ぎしていることだろう。

「えと、カナタ兄ちゃんたちに、会いたいんだよね?」

「そっ。勾留所?ってとこにいるらしいんだけど……まずはここの敷地内に入る方法から考えないと」

前向きな発言をしているかのように勘違いしそうな声音だが、今からやろうとしていることは完全なる犯罪である。

実際のところ、リュウだけであればこの宮殿に忍び込むことなど造作もなかった。あの必殺の技と言っても差し支えない氣術を持っているのだから。とはいえそれを使うかどうかは本人にしかわからないことだが。

「勝手に入っていいのかな……?」

「そりゃ倫理的にはダメだけど、ちょっと確認したいだけだし」

そうこう立ち往生していると、どこからか子どもの声が聞こえてきた。それはちょうど、二人が向かおうとしていた方向からだった。

「へっへーん。獅子さんこちら手のなる方へっ!」

パンパンと乾いた音をさせながらこちらに走ってくる金髪の少年と……

「調子に乗ってるんじゃないわよ、シリウス!早く戻ってきなさーいっ!!」

少年の行動を咎めるように全速力で追いかけてくる、まさに鬼の形相の銀髪の少女がいた。

「うわ、やっべ。ちょっと怒らせすぎたかもっ?!」

金髪の少年が慌てて前を向き、猛ダッシュの構えを見せたその時だった。

「っ!やべ!!」
「へっ?!」

ゴチンッ、とクロエとシリウスの身体が衝突したのだ。二人はバランスを崩して地面に倒れ伏してしまった。

「いってぇーーーっっ!!!」

「……っ、痛いし、重いしもう、最悪。なんなのー?!」

全くもってシリウスが全面的に悪いのだが、当の本人は頭をさすりながら、立ち上がって自身の安否を確認している。

「何やってんのよもう。私の弟がご迷惑をおかけしてごめんなさい。ほら、あなたも謝りなさい」

「あ、ごめんごめん。急いでたもんで」

軽く頭を下げる。

「全然謝れてないわよ、馬鹿」
「いてっ!」

頭をこづかれ、じんじんと痛む頭をさする。

「もっと加減してくれてもいいじゃんか……暴力反対!」

「あなたが私の言うことを聞かなかった罰よ。このくらいで済んでることを感謝しなさいよね」

ふん、と鼻を鳴らし、腕を組んでシリウスを睨む。

「はー、びっくりした」

クロエはパンパンと砂埃を払いながら立ち上がって二人の前に立った。そこに怒りなどは含まれていないらしい。

「クロエ、大丈夫?」

「うん、私は平気。それより……悪いと思ってるならお二人さん、私たちのお願い聞いてくれない?」

二人を見るクロエは、間違いなく何か企むような笑みをたたえていた。



 
こうして現在、四人は仲良く遊ぶこととなったのである。クロエが持ち出したのは、樹宮殿ファレストの見学だった。将来ここの文官か武官になりたいと考えており、先取りで自分が勤める場所を見ておきたいとお願いしたのである。

即興にしてはうまく考えられた策であろう。

結果として、二人はその熱意に当てられて了承し、最初は案内をしてくれた。許可がなければ入れない場所にはもちろん足を踏み入れはしなかったが、主にエマが主導してかなり充実した説明をしてくれた。

その間のシリウスといえば、つまらなさそうに後ろからついてくるばかりで、無言が多かった。言っていたことといえば、「ねぇ、まだ歩くのー?つまんねぇよー」といった文句ばかり。

最初は咎めていたエマも途中から無視し始めていた。そうして案内が終わりを迎えた途端、シリウスが突然遊ぼうとリュウたちにもちかけ、今に至る。よほどストレスが溜まっていたのだろう。

「あーもう!二人とも速すぎない?どんな足してんのっ!!」

クロエはへとへとになりながら尻餅をつき、息を整えながら顔を流れる汗を袖で拭いていた。

「な、なんで、獅子の、亜人の、おれより……っ……速いんだよっ」

ぜぇ、ぜぇ、と膝に手をついて肩で息をする。

「……鍛えてたから?」

その一方、疲れ切った二人を嘲笑うかのように凛と立つリュウは、首筋を手でかきながら返答した。

「お、おれだって、頑張って鍛錬、してんのにっ!」

「私も、魔物とかいっぱい倒してきたのになー……」

「…………」

悔しそうな二人に、リュウはどんな言葉をかければいいか分からず黙ってしまった。

「こうなったら……おーい!姉ちゃん!」

木陰で休むエマに声がかかる。エマは仲間外れにされたような気分に苛まれ、しょぼんとしながら指で地面に文字や絵を描いていた。つまり、子どもらしくいじけていたのである。だが弟の呼び声に肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。

「何よあいつ、急に私のこと呼んで」

距離があるせいでその声は届いていなかったが、反応してくれたことだけは伝わっていた。

「姉ちゃんもかけっこしようぜ!」

ぴょんぴょんとウサギのように跳ねながら、ぶんぶんと手を振って呼ぶ。

「………………しょ、しょうがないわね。そこまで言うなら、私も混ざってあげるわよ」

逡巡した結果、あの輪に混ざりたいという欲に負けたエマ。銀の髪をなびかせて三人の所へ歩いて行く。

「で?何して遊ぶつもり?」

「ふふん。獅子ごっこだ!」

ビシッとエマを指差す。エマは意気揚々な弟に呆れながら言葉を返した。

「獅子ごっこね……」

「そうだ。獅子はリュウな。おれとクロエと姉ちゃんは兎。リュウはおれが合図してから五秒数えた後に、おれたち全員をこの……」

説明をしながら、シリウスは近くにあった木の剣の先で地面に線を描き、それを四角く囲った。

「檻の中に入れれば勝ち。入れ方はおれたちに触れるだけな。あと、ひとり一回までなら脱出チャンスがある。だから、二回リュウに触られなければまだ大丈夫ってこと」

スラスラと言っているのを見るに、シリウスの中ではメジャーな遊びらしい。クロエとリュウは真面目に聞いているものの、エマはよく知っているんだろう。つまらなさそうな顔をしている。

「復活して出るタイミングは、檻で十秒しっかり数えてからな。もしな、もしだぞ……もし三人とも十秒以内に捕まったら、そん時はリュウの完全勝利。おれらの完敗」

「いいねー、面白そう」

「だろだろ?!」

シリウスは嬉しさで前のめりになる。

「あ、範囲はどうするの?」

「庭の中だけ。建物の中はダメな」

「はーい」

乗り気な二人に、ルールを覚えようと必死なリュウ、そして少し不満げなエマ。

「ちょっと、それ完全にリュウくんが不利じゃない?」

「ちっげぇよ!これはリュウに対する賞賛から設定したルールなんだ。これで勝てなかったら、亜人の未来が危ういんだぞ?!」

熱量を込めて、シリウスは至って真剣に説明する。それを察したエマはため息はついたものの、参加してくれる意を見せた。

「はいはい、わかったわよ。リュウくんに失礼がないように、全力でやればいいのね」

「おう!頼りにしてるぜ、姉ちゃん」

ニカッ、と無邪気に笑う。

「リュウはルール把握できた?」

肩にポンッと軽い感触がくる。

「あ、うん。たぶん大丈夫」

「それじゃ獅子ごっこ、スタート!」

その合図とともに、三人の少年少女がバラバラの方向に一斉に走り出した。リュウはなぜか目を瞑っていたが、内心でしっかりと五秒数える。そして目を開き、獲物の位置を瞬時に確認し一直線に駆け出した。

「え、うそっ」

ひとりめに捕まったのはエマ。左方向に走っていたのだが、あっけなく最初の犠牲者となってしまった。

「まだ十秒も経ってないのに……」

感嘆の声を漏らして振り返ったものの、そこに触れた本人はいなかった。

「は?」

呆気に取られていれば、今度は別の場所から「えーっ!」という大声が聞こえてきた。

「は、速すぎるって。エマが捕まったのすらさっきまで見えてなかったのに……ってもういないし!」

音速とも称したくなるその速さで、リュウは次の獲物を狩りに行く。残すは右方向へと走り出したシリウスのみ。

……いた!

身体能力に一番の自信があるシリウスは、二人の少女が捕まったことなど目もくれず、ただひたすらに前を見て走っていた。まるで振り返ったら野獣に食われると本能的に察した草食動物かのようだ。

一心不乱に逃げるシリウスに、軽い足音が迫ってくる。遊びとはいえ真剣勝負が大好きなシリウスは、自身が本当に狩られる側に回っていると錯覚していた。

「怖すぎだろ……っ!」

だがそれを楽しんでいるようにも見えた。なにせ口角がしっかりと上がっているのだから。

しかしその一言を放ったと同時、シリウスは好奇心からか背後をちらと確認してしまった。もちろんスピードを落としたつもりなど毛頭ない。

だがそれが大きな勝機を分けたのである。

「は?いなくなっーーー」

確かに背後にいたはずのリュウの姿が突然消えた。戸惑ってふと前を見れば、ありえない光景がそこにはあった。

リュウが目の前に立っている。

その常軌を逸した状況は、シリウスの思考を停止させ減速させるには十分なものだった。

「ど、どゆこと?!」

そう困惑を口にした直後、動きを止めたシリウスの肩をリュウが触れた。

「えと、これであと一回ずつ、みんなを捕まえればいいんだよね……」

音速と見間違う瞬足を持つ獅子はといえば、一生懸命自身の考えを口にしていた。

シリウスはこの不可思議な出来事に脳をオーバーヒートさせそうになっていたが、リュウにとっては造作もない方法だ。もちろん氣術ではない。

リュウは建物の壁面を蹴って大きく跳躍し、シリウスの眼前へと降り立ったのである。

そんなアクロバティックな動きを平然とやってのけられるのは……悲しいかな、暗殺者として人を殺すためだけに鍛えられたせいだった。 

あの過酷で残酷な環境は、リュウを肉体的には超人と呼ぶにふさわしい姿へと育て上げていたのである。

「考えてても仕方ない。切り替えだ、切り替え。次こそはーーー」

「何言ってるのよ、シリウス。今ので私たちの負けよ」

「…………え?」

思いもしなかった言葉に脱力したように呆けた顔をする。

「私が檻に戻ってから九秒後にあなたがタッチされたんだもの。これってリュウくんの完全勝利ってことでしょ?」

「えええっ!そ、そんな馬鹿なっ!!」

「現実を受け入れなさい、馬鹿弟」

そう、仮にあの時、シリウスが後ろを振り返って動揺をしなければ、あと一秒分くらいは稼げたかもしれなかった。リュウが消えた瞬間を見てしまったことで、メンタル面で揺さぶられ、完全に不意を突かれる形となった。

つまり、少なくとも完全敗北することはなかった可能性が高かったのである。

「あ、そっか。十秒以内に全員捕まえたら、ぼくの勝ち、なのか」

姉弟のやり取りを聞いて、リュウもようやく気づいたようだ。

「ははは、本当にリュウは速いねー。こんなに速い人、初めて会った!ねえねえ、どうやったらそんなに速く走れるのか、あとでこっそり私にだけ教えてよー」

活発な少女がその明るさを全面に出して、純粋な称賛の言葉をくれる。

「あ、クロエだけなんてズルいぞっ!おれにも教えてくれるよな?リュウ」

キラキラと目を輝かせる二人。

「もう二人とも、リュウくんが困ってるわ。そんなに速くなりたいなら、今度は逆にしてみればいいじゃない。質問攻めにされるより、リュウくんだって実践的に教える方が楽でしょ?」

「ぁ、うん。ぼく、説明するのは下手だから」

予期せぬ援護射撃にリュウは内心ほっとする。

「マジ!やったぜ!」

「燃えてきたーっ!」

「私は疲れたら抜けるからね」

メラメラと目に炎をたぎらせる二人と、少しワクワクしつつも二人の熱に胸焼けしそうになっている少女。そしてたったの数時間ではあるが、同年代の子どもたちと遊ぶことができて嬉しそうな少年。

……遊ぶって、こんなに楽しいんだ……っ!

生まれてこの方、学校にも行けず同年代の友達も作れなかったリュウにとって、この空間は甘いひと時の夢のようだった。

享受する権利があったはずなのに、生まれと環境のせいでそんな当たり前が奪われていた。それが当然のことだと認識していたリュウにとって、このキラキラした世界はとても眩しく、とても温かかった。

だからこそ、お礼をしてもし足りないくらいに、リュウの心は充足感で満ちていた。

「クロエ、シリウス、エマ」

名を呼ばれ三人は各々返事をする。

「ぼく、とっても楽しい。ありがとう」

心の底からの言葉を紡いで、天使はふにゃりと笑った。

「んだよ、それ今言うことか?まあいいけどさー」

さらに上機嫌なるシリウス。

「私もリュウやみんなと遊べて今すっごい楽しいよ。ありがとねー。にししっ!」

白い歯をめいいっぱい見せて笑うクロエ。

「ぁ……そ、そんなの私だって……はっ……な、何言ってんのよ、リュウくん。そんな当たり前のこと言わなくていいわ!」

熟れたりんごのように頬を染めていたエマだったが、乙女になった自分を自制し、どうにか毅然とした態度を取ろうとする。その結果、ふんっ、とリュウにそっぽを向くこととなってしまった。

内心ではきっと、見栄を張る自分を責めていることだろう。

「あの……ぼくたちって……友達……?」

不安そうに震えた声。だがそんな憂いを吹き飛ばすような声がたくさん降ってくる。

「そりゃそうだろ!」
「もちろん!」
「当然よ!」

間髪入れず、やや食い気味に三人の声が重なった。それだけでリュウの心はじーんと温まった。

……友達、できた……っ!

それはリュウの人生で最も嬉しい、最高の思い出のひとつとなったのである。

「……よーし、それじゃもっかいやるぞ。今度はリュウが兎でおれらが獅子な」

スタート地点である檻の位置まで戻った四人。シリウスが言葉を紡ぐ中、リュウがエマの方へと歩み寄った。

「あの、エマ」

「……?!」

不意に話しかけられ、驚いて声が出なくなる。

「さっきは助けてくれて、ありがとう」

再びあのあどけない笑顔が襲う。

「はぅ……っ!」

ナイフのような笑顔の凶器に心がぶっ刺されたエマは、ふらっとした身体をどうにか持ち直し、冷静さを取り戻そうとする。俯いた顔を片方の手のひらで覆い、小声で「落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……っ!」と何度も何度も言い聞かせるように唱える。

「ふぅ……この国の王女として当然の行動をしたまでよ。別に気にしなくてもいいんだから」

これが今のエマができる精一杯の虚勢だ。

「そっか……でも、ありがとう」

三度目の、もはや本物の凶器と化した笑顔。

「ぐはっ……(もう何よ、これ!心臓がバクバクしてうるさいっ!……まさか、これって……ふぇぇぇぇぇぇ?!?!?!)」

案の定、悶えた。さらには自身の言い逃れできない気持ちに、エマはさらに混乱し脳みそをショートさせた。顔を茹蛸のように真っ赤に染め上げ、頭からは湯気が出ているんじゃないかと錯覚しそうだ。

そしてついに、「はうぅ……」という声を出しながら、白目をむいて倒れてしまった。

「姉ちゃん?!」
「エマっ!どうしたのー?!」
「エ、エマ?!大丈夫?!?!」

この後、エマのことが心配で遊ぶどころではなくなり、四人は夕方まで治癒室にお世話になってもらったのだった。

エマが自身が倒れた原因を言い出せずに、頬を真っ赤にして恥ずかしそうに布団に潜ったことは、シリウスが姉をからかういい手札となったという話。

意外にもシリウスは、姉がリュウに恋心を抱いていることに気づけたらしい。もしかすれば、双子パワーのおかげなのかもしれない。

そしてクロエは、想定と違った形ではあったが、カナタとカイトの安否を、おしゃべりな衛兵たちから知ることができていた。だからこそ、憂いなく四人で遊べたのだろう。

とはいえ、会って話したいというのが本音だった。だが、色々な考慮の結果、案内の途中で情報を集めることにした。そうして幸運にも、二人がしっりと治癒された状態なこと、まだ生きていることを確認することができた。

「じゃあね、クロエ」

「うん。バイバーイ、リュウ」

樹宮殿ファレストでシリウスとエマの二人と別れた後、薬屋クマックの前でクロエとも別れた。

ひとりになったリュウは夕焼けに照らされながら帰路に着く。その間、軽くステップを踏んでいたかもしれない。

……とっても楽しかったなぁ。

友達と遊ぶ楽しさ。そんな当たり前の幸せを享受できなかった不憫なこの少年にとって、この日はかけがえのない宝物のひとつとなった。

……あ。

ただ、宿が近くになるにつれ少しずつ緊張感が高まった。

……明日は、王様たちのとこに行くから……失礼なことしないようにしなきゃ……。

そんな一抹の不安を抱えながら、リュウはゆっくりと宿の扉開いた。


























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