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第6話
しおりを挟む上総が別室の友菜の元へ向かって暫く経った頃、健司が一人で待機している応接室に藤堂美嘉がやって来た。
キリリとした鋭い眼差しは意志の強さが窺える。
決して派手ではないメイクに、薄紫の着物。
軟派な男共を近付けさせない気位の高い女だ。
彼女が上総のスケジュール一切を管理していて、今日健司の依頼も分刻みの間を上手く調整してくれた。
感謝しなければならない、と健司は持ち前の人懐こい笑顔で美嘉に礼を告げた。
『美嘉さん、挨拶が遅れて済みません。この度は時間を調整してくださり、ありがとうございます』
『いえ、貴方様の頼みですので』
『……?』
『健司様、今から貴方様に会っていただきたい方々がいらっしゃいますが、宜しいでしょうか?』
畏まった態度に不審感を覚えながらも、にこやかに了解すると美嘉は廊下で待っていたであろう数名の老人と陰陽師の格好をした男達を室内に通した。
ゾロゾロと十人も部屋に入って、鮨詰め状態だ。
『え? えっと?』
見知らぬ人間達ばかりに困惑していると、美嘉が紹介した。
『この者達は大老會の幹部と所属の陰陽師達です』
『お初にお目にかかります、姶良様』
幹部達は深々と辞儀をした。
『姶良様にお話がございまして、お伺い致しました』
白い髭を長く伸ばした、文字どおり長老の姿をした八十歳はとうに越えているであろう老人が、皆を代表して前に少し出ると恭しく健司に向かって手を揃えて頭を垂れた。
『あ、あの?』
どの顔にも緊張感を漂わせていて、健司も柄にもなく場の空気に当てられてしまった。
『姶良様、お願いでございます。どうか、恭仁京にお戻りください』
『え?』
皆が一人の若い青年に期待の眼を向けている。
居心地が悪い。
『唐突で大変失礼なことと存じ上げております。しかし貴方様は恭仁京家の正統な後継者であり、始祖である賀茂道世の生まれ変わりであられる。その力も当然お持ちでございます』
頭を畳に付けたまま老人は喋り続けている。
『貴方様には今一度、恭仁京姶良として正式に恭仁京家の当主となっていただきたいのです』
健司は呆気に取られ、口をあんぐりと開けたまま老人を見た。
『勿論貴方様は陰陽道の修行はされていらっしゃらない。しかし、姶良様が当主の座に就かれるだけで、これからの恭仁京家は安泰なのでございます』
『あ――の、待ってください』
『はい、何でございましょう?』
『俺は、継ぐつもりはありません』
陰陽師達がざわついた。
話が違う、信じられぬ、と口にする者がいるが、始めっから健司は恭仁京家を継ぐつもりはないし、約束なんてもっての他だ。詳しくは健司自身預かり知らぬが、国の唯一認可のある陰陽師一族だから、それなりの財力もあるのだろう。それが全て自分の物になるのに継ぐつもりが無い、という言葉は陰陽師達の中では信じられぬことなのは明白であった。
代表の老人や幹部達はそれは予期していたのだろう。顔色も眉一つ動いていない。
『そもそも、恭仁京家の当主は上総が立派に務めているでしょ?』
『現当主は上総となっておりますが、正統な後継者ではございません。アレは貴方様がお戻りになるまでの繋ぎでしかないのです』
この場の代表が大老會でどのくらいの地位を持っているのか分からないが、恭仁京家の当主を『アレ』呼ばわりとは健司は許せない。
『――……』
『姶良様がいらっしゃるならば、あの子供は不要。それに実力も他の陰陽師に劣る存在にありますれば、どうして当主で居続けましょうか?』
老人達の口々に漏れる嘲笑った声に、健司は気分が悪くなり俯いた。
この空間に居たくない。
心が穢れて行く感覚がある。
『――……』
『姶良様』
『――ない……』
『姶良様、いかがなさいましたかな? ご気分でも?』
『姶良様?』
『どうなさりましたかな? 姶良様』
『姶良様』
『姶良様』
もう捨てた筈の名を連呼する人間達。
『姶良様』
『姶良様』
健司は大きく頭を振った。
『俺はもう『姶良』じゃない! あんた達は今まで何を見て来たんだ!?』
『!?』
『姶良様、どれだけ名を捨てようが貴方様は恭仁京の人間なのです。その血から逃げることは出来ません。この恭仁京に産まれた限り、貴方様は恭仁京姶良様なのです』
『そんなことを云ってるんじゃない』
『何をおっしゃっているのです』
『上総がどれだけ苦労して来たと思ってる! あの子は学校にも行かず友達も作れず遊ぶこともしないで、ずっと家の為に頑張ってきたんだぞ。自分を殺して文句も云わないで!! それをあんた達は――近くで見続けていたあんた達が不要と云うのか!!』
怒鳴った。
こんなに憤りを覚えて怒鳴ったのは初めてかもしれない。
『あ、姶良様、落ち着いてくださいませ!』
『お話をお聞きください!』
『姶良様!』
大老會は健司が穏やかな性格だと調べ尽くしているだろうが、こんなに怒るとは考えてもいないからか、しどろもどろになっている。
きっとお人好しの『如月健司』は幹部達の話に流されて恭仁京の当主に落ち着く、とそう憶測していたに違いない。
『あんた達がいては――恭仁京家も終わりだな』
『なっ!? あ、姶良様でも、その言葉は許されませんぞ!』
『事実を云ったまでだ。二度と俺の前に姿を見せるな』
健司は止めようとする陰陽師達を無視して応接室を乱暴に出た。
『!!』
出ると、目に涙を溜めた上総が立っていて健司の腕を引っ張って二階の自室に走った。
階段を駆け登り、突き当たりの左のドアを開ける。
健司は軽く咳を一度した。
『上総、聞いていたのか?』
聞いてしまったから、こうして自分の部屋に逃げ込むような形になってしまったのだが。
掴んでいた手を離してくれたが、背を向けたままこちらを見てくれない。
『ここは上総の部屋か?』
初めて入る上総の部屋を見回した。
ベットと机はあるが、何も無い。
あって然りの漫画本も雑誌も見当たらない。
机の上の教科書も通学鞄も壁に掛けられた制服も片手の指だけで数えられる程しか使用していないそれらは、今の新入生より綺麗な状態だ。
何も無いから子供特有の散らかり加減もありはしない。
自分の乱雑を遥かに越えた部屋と比べて、殺風景な部屋に健司は胸を締め付けられる。
幹部達に罵ったが、結局健司自身も上総にこうなることを無言で強要しているに他ならないのだ。
今更重大なことに気が付いた。
逃げていたから。
『上総』
もう一度声を掛けると、上総は健司に抱き着いて肩を震わせた。
『ごめん、悪いことしちゃった』
子供らしい柔らかい髪の毛を撫でる。
『大老會が上総を苛めないといいんだけど』
今集まっていた幹部だと名乗る老人達は、事実上恭仁京家の決定権を持つ人物達だ。陰陽師達も実力派揃いであろう。
『前から……話はあったんです』
『話?』
『はい、大老會が現行僕が当主を続けるのと、先生を当主にしようとする、二つに分かれてしまったって……』
右京が教えてくれた。
しかし肝心の大老會の會長である美舟が表立って出てくることも、マネージャーの美嘉が何かを云ってくることもない。だが、美嘉に限っては先程の応接室に幹部や陰陽師達を招き入れたのだから、上総反対派側なのだろうことは容易に知れた。
ショックは隠しきれない。
一番近くで上総の仕事振りを見ていてくれた美嘉が、まるで裏切るように見捨てた、と心の蟠りの分厚い痛みに更に鋭い刀剣を突き刺された感じがして、上総は耐えきれなくなってしまった。
抱き着いたまま、号泣をする。
健司を逃がすまいと力一杯抱き締め、泣いた。
頭を優しく撫でてくれる掌が温かくて、切なくて――涙は止まらない。
抱き着いている人物が本来上総に替わって恭仁京家の当主なのだから、上総も健司も複雑なのに変わり無い。
それでも――上総の心の拠り所なのだ。
一頻り泣いて、ゆっくりと健司から離れると見事にスーツが濡れてしまっている。
『ご、ごめんなさい……』
『ん、大丈夫』
恥ずかしくて健司の顔を見れない。
多分今、凄く酷い顔になっている、とひたすら俯いてまた背を向けてしまった。
『上総、訊いて良いか?』
『な、なんですか?』
『上総は――陰陽師を辞めたいか?』
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