29 / 47
二つの祈り
扉が閉じられてから、しばらく誰も言葉を発さなかった。
テーブルの上には、湯気を立てるスープと焼きたてのパン、そして果実水の入った透明なグラス。
静かな朝の光が、それらをやわらかく照らしている。
殿下が静かに姿勢を正した。
その動作に倣って、僕も背筋を伸ばす。
「今日という日に、感謝を。この糧に、理《ことわり》の加護を」
殿下の低い声が、穏やかに空気を震わせた。
王国の祈り。この地の者なら誰もが知る言葉だ。
僕は胸に手を当て、目を閉じて、そっと息を吸い込む。
「大地に恵みを。今日の糧に、感謝を」
自分の国の祈り。
口にした瞬間、記憶がふとよみがえった。
リリアナと、食事を共にした日のことを。
月に数度、彼女と会う時間は、いつも穏やかだった。
最初のころ、僕の祈りを聞いた彼女は、微笑んで言った。
「あなたの国では、そう祈るのね。……素敵だわ」
それからは、いつも彼女も僕に合わせて目を閉じてくれていた。
柔らかい笑顔と、静かな祈りの時間。
あの日々の穏やかさが、胸の奥で痛みになって残っていた。
なのに今、その祈りを、殿下の前で口にしている。
視線を上げると、殿下が静かにこちらを見つめていた。
その瞳には、驚きも戸惑いもなく、ただ優しい色だけがあった。
「……君の国の祈りか」
「はい。子どものころから、ずっと習慣で」
「良い言葉だ。……静かで、優しい。」
殿下の声が穏やかに落ちる。
その響きが、記憶の痛みをそっと包むようだった。
違う国、違う祈り。
けれど今は、同じ食卓で同じ朝を迎えている。
それが、不思議で、ほんの少しだけ、嬉しかった。
殿下がナイフとフォークを手に取る。
「……冷めないうちに、食べよう」
促されて、僕もパンに手を伸ばした。
香ばしい匂いがふわりと立ちのぼる。
口にしたスープはやさしい味で、体の奥がじんわりと温まる。
そうだ。喉が渇いていた。
果実水のグラスを取って、一口、口に含む。
冷たさが舌を通り、乾いた喉を潤していく。
その瞬間になって、ようやく自分がどれほど渇いていたのか気づいた。
殿下の視線が、ゆるやかにこちらをなぞる気配がした。
胸の奥がまた、ざわめく。
「口に合うといいが」
「……はい。とても、美味しいです」
答えた声が思っていたより掠れていて、自分でも少し驚いた。
殿下の口元がわずかに和らぐ。
その微笑みが、どうしてか胸に刺さった。
ふと、食卓の上に漂う香りに意識を戻す。
焼きたてのパンの香ばしさと、スープのやわらかな湯気。
どれも温かく、心までほどけていくようだった。
殿下は静かに食器を置き、湯気の向こうから穏やかに言った。
「食事は、心を落ち着けるものだ。どんな時も……まずは、体を満たすことが先決だ」
その言葉に、胸の奥のざわめきが少しだけ静まる。
そうだ。考えるのは、食事を終えてからでもいい。
ゆっくりと息を吐き、果実水をもう一口飲んだ。
冷たさが舌を伝い、喉をすっと通り抜ける。
ようやく、心が少しだけ軽くなった気がした。
殿下の視線がこちらをやさしく包む。
その穏やかなまなざしに、自然と微笑みが返ってしまう。
ほんの少しだけ……この朝が、心に触れた気がした。
テーブルの上には、湯気を立てるスープと焼きたてのパン、そして果実水の入った透明なグラス。
静かな朝の光が、それらをやわらかく照らしている。
殿下が静かに姿勢を正した。
その動作に倣って、僕も背筋を伸ばす。
「今日という日に、感謝を。この糧に、理《ことわり》の加護を」
殿下の低い声が、穏やかに空気を震わせた。
王国の祈り。この地の者なら誰もが知る言葉だ。
僕は胸に手を当て、目を閉じて、そっと息を吸い込む。
「大地に恵みを。今日の糧に、感謝を」
自分の国の祈り。
口にした瞬間、記憶がふとよみがえった。
リリアナと、食事を共にした日のことを。
月に数度、彼女と会う時間は、いつも穏やかだった。
最初のころ、僕の祈りを聞いた彼女は、微笑んで言った。
「あなたの国では、そう祈るのね。……素敵だわ」
それからは、いつも彼女も僕に合わせて目を閉じてくれていた。
柔らかい笑顔と、静かな祈りの時間。
あの日々の穏やかさが、胸の奥で痛みになって残っていた。
なのに今、その祈りを、殿下の前で口にしている。
視線を上げると、殿下が静かにこちらを見つめていた。
その瞳には、驚きも戸惑いもなく、ただ優しい色だけがあった。
「……君の国の祈りか」
「はい。子どものころから、ずっと習慣で」
「良い言葉だ。……静かで、優しい。」
殿下の声が穏やかに落ちる。
その響きが、記憶の痛みをそっと包むようだった。
違う国、違う祈り。
けれど今は、同じ食卓で同じ朝を迎えている。
それが、不思議で、ほんの少しだけ、嬉しかった。
殿下がナイフとフォークを手に取る。
「……冷めないうちに、食べよう」
促されて、僕もパンに手を伸ばした。
香ばしい匂いがふわりと立ちのぼる。
口にしたスープはやさしい味で、体の奥がじんわりと温まる。
そうだ。喉が渇いていた。
果実水のグラスを取って、一口、口に含む。
冷たさが舌を通り、乾いた喉を潤していく。
その瞬間になって、ようやく自分がどれほど渇いていたのか気づいた。
殿下の視線が、ゆるやかにこちらをなぞる気配がした。
胸の奥がまた、ざわめく。
「口に合うといいが」
「……はい。とても、美味しいです」
答えた声が思っていたより掠れていて、自分でも少し驚いた。
殿下の口元がわずかに和らぐ。
その微笑みが、どうしてか胸に刺さった。
ふと、食卓の上に漂う香りに意識を戻す。
焼きたてのパンの香ばしさと、スープのやわらかな湯気。
どれも温かく、心までほどけていくようだった。
殿下は静かに食器を置き、湯気の向こうから穏やかに言った。
「食事は、心を落ち着けるものだ。どんな時も……まずは、体を満たすことが先決だ」
その言葉に、胸の奥のざわめきが少しだけ静まる。
そうだ。考えるのは、食事を終えてからでもいい。
ゆっくりと息を吐き、果実水をもう一口飲んだ。
冷たさが舌を伝い、喉をすっと通り抜ける。
ようやく、心が少しだけ軽くなった気がした。
殿下の視線がこちらをやさしく包む。
その穏やかなまなざしに、自然と微笑みが返ってしまう。
ほんの少しだけ……この朝が、心に触れた気がした。
あなたにおすすめの小説
クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~
槿 資紀
BL
イェント公爵令息のリエル・シャイデンは、生まれたときから虚弱体質を抱えていた。
公爵家の当主を継ぐ日まで生きていられるか分からないと、どの医師も口を揃えて言うほどだった。
そのため、リエルの代わりに当主を継ぐべく、分家筋から養子をとることになった。そうしてリエルの前に表れたのがアウレールだった。
アウレールはリエルに献身的に寄り添い、懸命の看病にあたった。
その甲斐あって、リエルは奇跡の回復を果たした。
そして、リエルは、誰よりも自分の生存を諦めなかった義兄の虜になった。
義兄は容姿も能力も完全無欠で、公爵家の次期当主として文句のつけようがない逸材だった。
そんな義兄に憧れ、その後を追って、難関の王立学院に合格を果たしたリエルだったが、入学直前のある日、現公爵の父に「跡継ぎをアウレールからお前に戻す」と告げられ――――。
完璧な義兄×虚弱受け すれ違いラブロマンス
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
死に戻りを回避したいだけなのに、改変したストーリーは僕を追いかけてくる
犬白グミ
BL
「俺のことを好きだったんじゃないのか?」
僕が転生したのは、死に戻りBL漫画だった。
原作では不憫受けとして死に戻るはずの主人公リカルドだけど、美形で自信満々な逞しい騎士に成長して、なぜか僕を追いかけてくる。
本来の攻めも、なんだか様子がおかしいし。
リカルドが通う魔法学院に入学する資格すらない魔力なしの究極のモブ、それが僕だ。
そんな僕が改変させた物語は、大きく捻れて歪みはじめた。
そして、僕はリカルドに別れを告げて――。
自惚れリカルド × 鈍感なモブ転生者アーロン
果たして死に戻りは回避できるのか?
じれったくも切ないふたりの恋は加速する。
お気に入り、ハート、感想ありがとうございます!
タイトル変更しました。死に戻り小説→死に戻り漫画に変更しました。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
表紙は自作です(笑)
もっちもっちとセゥスです!(笑)
「出来損ない」オメガと幼馴染の王弟アルファの、発情初夜
鳥羽ミワ
BL
ウィリアムは王族の傍系に当たる貴族の長男で、オメガ。発情期が二十歳を過ぎても来ないことから、家族からは「欠陥品」の烙印を押されている。
そんなウィリアムは、政略結婚の駒として国内の有力貴族へ嫁ぐことが決まっていた。しかしその予定が一転し、幼馴染で王弟であるセドリックとの結婚が決まる。
あれよあれよと結婚式当日になり、戸惑いながらも結婚を誓うウィリアムに、セドリックは優しいキスをして……。
そして迎えた初夜。わけもわからず悲しくなって泣くウィリアムを、セドリックはたくましい力で抱きしめる。
「お前がずっと、好きだ」
甘い言葉に、これまで熱を知らなかったウィリアムの身体が潤み、火照りはじめる。
※ムーンライトノベルズ、アルファポリス、pixivへ掲載しています
異世界で孵化したので全力で推しを守ります
のぶしげ
BL
ある日、聞いていたシチュエーションCDの世界に転生してしまった主人公。推しの幼少期に出会い、魔王化へのルートを回避して健やかな成長をサポートしよう!と奮闘していく異世界転生BL 執着最強×人外美人BL