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ー ……ぅ……あ で ー
どこか子守唄に似ているのに、音の調子がおかしい。高くなったり、低くなったりしている。時折、呻き声も入ってるようだ。
何かの館内放送だろうか。
無意識に耳を傾けて、少ししてハッとした。
「──!」
バッと天井を見上げる。朔の勤めている貸ビルに、館内放送なんてものはない。それなのに響く声。
その声はまだ聞こえている。鳥肌がたち始めた。
異様な雰囲気に、後ずさる。このままではいけない。そんな気がして、朔が身を翻す。
だが。
「は?」
背後が一面壁で覆われていた。苔むした石垣で、隙間すらない。なんで、と思いながら触れてみる。ひんやりと冷たい感触がした。
本物だ、と瞬間、頭に浮かぶ。と同時に混乱する。
理解できないまま、咄嗟に正面へ目を戻して──息を飲んだ。
「……」
いつの間にか休憩スペースが洞窟の奥地のように、淡緑色の薄い光に照らされている。
ゴミ箱や自販機は反転して、天井に張り付いていた。
気付けば子守唄のようなものを口ずさむ声も、もう聞こえない。
代わりにピチョンッと水の滴る音がした。
つい顔を向ける。すると薄い光に照らされて、赤黒い水溜まりが出来ていた。
「……?」
上から何かが滴り、その赤黒い水溜まりに落ちては表面を揺らす。
朔がその雫の落ちてくる先を目で追っていく。自然と天井に視線が向く。
その先にいたモノ。
「っ!? わああぁー!!」
飛び退けるほど驚いて、腰を抜かした。
尻餅をついて、でも慌てて見上げる。朔は声を飲み込んだ。
逆さの天井に四つん這いで張り付いている、和服のおかっぱの子ども。顔だけがこちらを向いている。ニヤける口元から落ちてくる血が、赤黒い水溜まりに滴る。
直後、フッと子どもの姿が煙のように消えた。
「!?」
焦りながら周囲を探す。振り返るその刹那。
ー こっち に、おいで ー
「!!!」
耳元に残る子どもの声と、首に触れる冷たい手。声にならない悲鳴を上げて、朔の意識は闇に沈んだ。
* * *
朔が目を覚ましたのは、空いていた応接室の並べた椅子の上だった。
休憩スペースで倒れた彼を、同期の山本ともう一人の事務員が運び込んだらしい。意識を取り戻した朔のそばに座っていた、山本が事情を伝える。
「話があって呼びに来たら倒れてたんだよ。慌てて先生に……ビルの二階に入ってるクリニックの先生にさ、診てもらったんだけど。そしたら救急車は呼ばなくていいって言われて」
「産業医契約しているので、すぐ来てくれたんですよ」
横から口を挟んだのは、腕まくりしたワイシャツにスラックス。首から社員証を下げたよくいる青年。山本が軽く紹介した。
「藤波はまだ面識ないっけ? 総務の高藤くん。たまたま居たから手伝ってもらったんだ」
「そうなんですね。藤波です。ありがとうございました」
「いえ。産業医は疲労だって言ってましたけど、調子が戻らなかったら病院に行ってくださいね」
「わかりました」
高藤は返事の代わりに一つ頷いて、「じゃあ」と言う。
「僕はもう行きますね。藤波さん、お大事に。失礼します、山本さん」
「ああ、協力ありがとうな」
山本が返すと高藤は部屋を後にした。二人になると、山本は改めて朔を見る。
ジッと見られて、朔がわずかにたじろぐ。
「ど、どうした? なんか顔についてる?」
「いや」
「?」
一拍置いて、山本が「あのさ」と言った。
「この間、病院から出てくるお前を見てさ。部長にも呼ばれたんだろ? 疲労で倒れるほど悩んでるのか? 業務量なら言ってくれれば…」
「大丈夫だよ」
咄嗟に、口をついて出た。成績が低いことは事実で、恥ずかしさもあった。おまけに幽霊のようなものが見えるなんて言えば、なおのこと心配されるのは想像がつく。
朔は出来るだけ表情を明るくさせて続けた。
「最近、寝不足でさ。アプリのやり過ぎかな? 最近面白いの多いじゃん? それで睡眠導入剤もらっただけだから。心配してくれてありがとうな」
肩に手を置いて、返した言葉に山本は一瞬困惑を見せたが、すぐにいつものように笑った。
「そうか。なら、もし何かあれば気軽に言ってくれよな」
「ああ。助かるよ」
いつも悪いな、と朔が続けると山本も、気にするな、と返した。
そのあと軽く雑談をして、山本は最後に「もう少し休んどきな」と残して立ち上がる。歩き出そうとしたところを、朔が反射的にジャケットの裾を掴んだ。
クッと引かれて山本が振り返る。
「なんだ? どうした?」
知らずに一人になることへ恐怖していたらしい。朔は、自分の行動に驚いて慌てて手を離して誤魔化した。
「ごめん。なんか糸がほつれてる気がしたんだけど、気のせいだった」
「そうか? 俺も後で見てみるか。じゃあ、行ってくるわ」
「ああ。いろいろとありがとう」
山本が応えるように片手を上げて、応接室を後にする。
少しして、大きく息を吐いた朔が額に手を当てて呟いた。
「はっず……」
顔が赤くなる。自分でも意図しない行動に困惑を隠せない。ただ、幸いなことに今は誰もいない。しばらくしても、物音一つなかったが、代わりに外の喧騒にホッとした。
朔は、そっと窓の景色に目を向ける。
応接室はビルの18階にある。大きな窓からはどこまでも続く青い空と、ジオラマみたいな街並みが見えていた。
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