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二、螢華国
百九十四、贖罪
しおりを挟む「龍藍炎……」
アスアドは声の主をゆっくりと振り向いた。
藍炎は、信じられないと言わんばかりに、言葉を失くしている。
「やはり、ザカートの鷹だったのだな、コイツは。何も殺したわけじゃない。ぐっすりと眠っているだけだ。このまま連れて帰ると良い」
「まさか、あれほど訓練した鷹が――」
「相手が人間では、仕方ない。あまり責めてやるな」
藍炎は静かに首を横に振った。
「連れ帰るワケ、いかないネ。皇帝は失敗したものは皆処分する。動物でも、人間でも。だから、お前にやる」
「やると言われてもなぁ……」
鳩と鷹では飼育環境も餌も違う。
まぁ、厩舎番に相談すれば何とかなるか、とアスアドは嘆息した。
徐々に白んでいく空のお蔭で、藍炎の姿もはっきりと見えやすくなった。
「お前、びしょ濡れじゃないか。雨は降っていないぞ」
「……お前の気にするコト、ないネ」
自然な濡れ方ではない。明らかに、人為的なものだった。
藍炎の髪や衣服からふわりと香った酒の匂いに、アスアドは渋面を作る。本人はまったくの素面だ。
何があったかは、明白だった。
「――ザカートか」
沈黙は、肯定だ。
「あいつは、仲間を丁寧に扱うタイプでないことは知っている。だが……、そんな扱われ方をされてまでも、忠義を誓いたい相手なのか」
「――お前には、関係ないネ」
「別に、こちら側につけとか、そういうことを言うつもりはない。ザカートに世話になったことがあるのだろう。……だが、大事なのは過去ではない。今だぞ。藍炎」
藍炎は無言のまま、険しい瞳でアスアドを睨めつけた。
「人は変わる。良くも悪くも。その判断をするのは、すべて今の自分だ。過去の自分ではない」
「――でいた」
「なに?」
蚊の鳴くような藍炎の言葉を、アスアドは聞き返す。
「現皇帝陛下が居なければ――私はとうの昔に……野垂れ死んでいた。……いや、一度は本当に、死んだのかもしれない。名前も居場所も、家族もなかった私に、こんな立派な居場所を与えてくれた。……神だ」
「藍炎、お前は――」
「その神に背いた罰は、受けるべきだろう」
藍炎は訥々と語る。
「私は神との契約を、いとも容易く破った。それも、物心ついてすぐにだ。それが……私の罪であり、贖罪だ」
「契約の内容にも因るだろうが。遂行出来ぬ契約ならば致し方ない」
藍炎は、アスアドを鼻で嗤った。
「お前に教える義理ナイが――『すべてを、嘘偽りなく』」
アスアドは反芻する。
「すべてを、嘘偽りなく……?」
「喋り過ぎたネ。……この私とて、陛下の意のままとは言い難い。お前のところの、イスハークとやらも嘘を吐いていることもあるに違いないネ。そうした契約がないなら、尚のこと」
「イスハークは俺に命を懸けると幼い頃に誓っている。ま、もし何か嘘を吐かれていたとしても、それが何ほどのことだ。
例え裏切られたとしても、俺の側に引き戻してやるさ」
寛容な笑い声を上げるアスアドに、藍炎は冷たい視線を向ける。
「そんなことを言っていられるのも、今のうちネ」
踵を返し、藍炎は後宮へと戻って行く。
あとには、アスアドと、眠りこけた鷹だけが残った。
「あんな杓子定規な奴が、何の契約に背いたって?」
衒宗にはわからない真実の在り処を考える。
結果や物など、物的証拠が残る事象ではないのだろう。
とすれば、残るは。
「心……か。そればかりは俺もなぁ」
夜明けの空にひと際輝く明星を見上げながら、アスアドはやれやれと、溜息を吐いた。
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