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八十九、王の選定(2)
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広い背の黄蓋を目印に、後に続く。
先頭に立ってピリついているときよりも、各段に楽だと感じることが、余計に僕の自尊心を苛んだ。
僕が先頭のときよりも、一行のスピードも速く、馬の足取りも軽い。
黄蓋は巧みに、石ころなどの障害を避け、角度の低い勾配を選んでいる。荒れ果てた土地が、まるで舗装されているかのように安定して走れている。
それは一朝一夕で出来る技能ではない。
「どうです、若。楽しいですかい」
黄蓋に、アスアドたちの前では敬語を使えと言えば、不埒な輩が使う下っ端のような言葉遣いになってしまったことに、頭を抱える。
『王の選定』は何が行われるか不安で、自分のどこを評されるかもわからず、遠駆けは馬にも乗り手にも負担が掛かる。落馬は命にも関わる事故だ。張り詰めた糸の上で踊っているかのようで、胃がキリキリと痛む。
そんな中で、何を楽しむというのか。
「楽しい――わけがあるか」
しかし、そう言うと黄蓋は目を丸くした。
「楽しくないと?」
「当たり前だ。遠足に来たわけではないことぐらい、わかっている」
黄蓋は心底驚いた顔をした。
「若。こんなものは楽しまなきゃ、損ですぜ」
「楽しめなどと――」
言うと、黄蓋は一瞬で、僕を馬の上から自身の馬上へと奪い去った。
それはあまりに早業で、周囲の者も何が起こったかわからなかったに違いない。
ただ、僕という騎手を失った空馬が、黄蓋の馬と並列に走っていること。
僕が温かい黄蓋の腕の中に居ること。
それしか確かなことはなかった。
分厚い壁のような硬い胸板は、乗馬の振動でもがっしりと僕を受け止める。一人で乗っているときよりも、各段に安定感があった。
視界は開けて、目の前には地平線がなぞれるほどだ。
まるで、彼方へと到達出来そうな心地良い乗馬に、僕は陶酔してしまいそうになる。最後に残った理性だけが、僕を現実に引き戻した。
「黄蓋! いきなり何をする! 危ないだろう!」
「それは百も承知だが――馬の楽しさを知らねえとは、あまりに勿体ないと思いましたんでね」
「はあ!?」
そんなわけのわからないことで、第一王子を危険な目に遭わせるとは、と思わず額に手を当てそうになる。
疾走する風の中で、黄蓋は叫んだ。
「馬はいい。人間の言うことをよく聞いてくれる。そして何より、浪漫もある」
二匹の馬を速度を落とさず牽引しながら、黄蓋は手綱から片手を離して、逞しい腕と手で、大きく地平線を撫でた。
「この大地! この風! この砂漠! それを一番感じられるのは、遠駆けですぜ!」
「馬鹿なのか! お前は!」
真正面から口の中に飛び込んでくる風を否応なく食べながら、僕は喚いた。
「若。俺の首に手を回してみてくだせえ。絶対に落とさねえですから」
不意に真剣な表情で、黄蓋が僕を覗き込んだ。
「何を――」
「いいから」
馬を止める素振りもない。最高速度で駆けながら、僕に妙な命令をする黄蓋の目は、澄んでいた。
「……落としたら、殺すからな」
先頭に立ってピリついているときよりも、各段に楽だと感じることが、余計に僕の自尊心を苛んだ。
僕が先頭のときよりも、一行のスピードも速く、馬の足取りも軽い。
黄蓋は巧みに、石ころなどの障害を避け、角度の低い勾配を選んでいる。荒れ果てた土地が、まるで舗装されているかのように安定して走れている。
それは一朝一夕で出来る技能ではない。
「どうです、若。楽しいですかい」
黄蓋に、アスアドたちの前では敬語を使えと言えば、不埒な輩が使う下っ端のような言葉遣いになってしまったことに、頭を抱える。
『王の選定』は何が行われるか不安で、自分のどこを評されるかもわからず、遠駆けは馬にも乗り手にも負担が掛かる。落馬は命にも関わる事故だ。張り詰めた糸の上で踊っているかのようで、胃がキリキリと痛む。
そんな中で、何を楽しむというのか。
「楽しい――わけがあるか」
しかし、そう言うと黄蓋は目を丸くした。
「楽しくないと?」
「当たり前だ。遠足に来たわけではないことぐらい、わかっている」
黄蓋は心底驚いた顔をした。
「若。こんなものは楽しまなきゃ、損ですぜ」
「楽しめなどと――」
言うと、黄蓋は一瞬で、僕を馬の上から自身の馬上へと奪い去った。
それはあまりに早業で、周囲の者も何が起こったかわからなかったに違いない。
ただ、僕という騎手を失った空馬が、黄蓋の馬と並列に走っていること。
僕が温かい黄蓋の腕の中に居ること。
それしか確かなことはなかった。
分厚い壁のような硬い胸板は、乗馬の振動でもがっしりと僕を受け止める。一人で乗っているときよりも、各段に安定感があった。
視界は開けて、目の前には地平線がなぞれるほどだ。
まるで、彼方へと到達出来そうな心地良い乗馬に、僕は陶酔してしまいそうになる。最後に残った理性だけが、僕を現実に引き戻した。
「黄蓋! いきなり何をする! 危ないだろう!」
「それは百も承知だが――馬の楽しさを知らねえとは、あまりに勿体ないと思いましたんでね」
「はあ!?」
そんなわけのわからないことで、第一王子を危険な目に遭わせるとは、と思わず額に手を当てそうになる。
疾走する風の中で、黄蓋は叫んだ。
「馬はいい。人間の言うことをよく聞いてくれる。そして何より、浪漫もある」
二匹の馬を速度を落とさず牽引しながら、黄蓋は手綱から片手を離して、逞しい腕と手で、大きく地平線を撫でた。
「この大地! この風! この砂漠! それを一番感じられるのは、遠駆けですぜ!」
「馬鹿なのか! お前は!」
真正面から口の中に飛び込んでくる風を否応なく食べながら、僕は喚いた。
「若。俺の首に手を回してみてくだせえ。絶対に落とさねえですから」
不意に真剣な表情で、黄蓋が僕を覗き込んだ。
「何を――」
「いいから」
馬を止める素振りもない。最高速度で駆けながら、僕に妙な命令をする黄蓋の目は、澄んでいた。
「……落としたら、殺すからな」
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