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八十八、王の選定
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「若。御気分はどうですかい?」
前に馬を勧めた黄蓋が、にたりと笑う。
「皆の前では、坊ちゃんは止めろ。特に、アスアドの前ではな」
昨日そうこってりと僕に絞られたことを、まだ根に持っているのだろうか。いや、黄蓋は説教などを気にする男ではない。
――面白がっているのだ。
それをわかって、僕はフンと鼻で嗤った。
「悪くはない。今日は大事な日だ。予め体調は管理している」
撥ね付けるように言うと、黄蓋は両肩を竦めた。
「下がれ。また時間が経てば僕とは交代して貰う」
三十の馬の群れの先頭を走るには、それ相応の体力が必要になる。
誰であろうと、後を付いて行く方が容易い。
障害物はないか、敵は居ないか。
後方を確認する術はないが、先頭は前方のすべてを確認する必要がある。
そして、それは後方に走る者たちの命を預かるにも等しい。
(僕が落馬したり余所見をすれば、後ろを走る者も巻き添えになる)
すべて理解していて、黄蓋は先頭を変わるつもりだったのだろう。
お坊ちゃんは下がっていな、というわけだ。
黄蓋の気持ちはわからなくはない。
今ここで先頭を率いていようがいまいが、僕の進退には何の影響もない。王になれるかどうかを判断されるわけでもない。
寧ろ、黄蓋の言う通り後ろに下がって、今日行われる、「王の試練」とやらに万全の状態で向かう方が得策だ。
しかし、『王の器』を試される者が、その程度の体力を削ることを惜しむなど、僕のプライドが許さなかった。
黄蓋は何も言わず、列の一番後ろに付いたらしい。列の最後方を「殿」という。白兵戦の中で、実際殿は最も傷を負いやすく、最も危険な位置付けだ。僕が先頭を請け負うならば、それよりも更に危険な場所をということだろう。
(まったく、食えない男だ)
王族に阿る臣下や女官ばかりの中で、黄蓋は王の権威にも、王族の血筋にも怯むことがなかった。大抵は、僕の機嫌を損ねることを恐れるはずが、黄蓋は常々、僕をただの悪童としてしか見ていないらしい。
(――大事なモノがないのか。アイツには)
大切な家族や、守りたい地位など、何一つないように見えた。
それが、僕を少し苛々とさせる。
金にも、地位にも固執しない。贅沢にも無頓着だ。
本当なら、黄都右軍に属する武将という地位があれば、剣術指南役などではなく、政治の中枢に食い込んでいても何らおかしくはない。
こんな砂風と砂利の舞う、「王の試練」など、付き合う義理はないはず。
僕はこんなにも、余裕がないというのに。
本当は、僕の方が、守りたいものなんて、一つもありはしないのに。
王の地位に縋りついている自身が、酷く惨めに思える。
そんな僕を知ってか知らずか、後方から黄蓋の馬鹿でかい声が響いた。
「若ー! 今日は良い天気で良かったですなあ!」
普通なら、余程でない限り最後方からはっきりとした声は聞こえない。黄蓋が如何に戦場に適した声なのか、まざまざと見せつけられた気がした。号令は兵の士気に関わる。兵士の命が懸かる瀬戸際で、これほど明瞭な声音は、心の拠り所となるに違いなかった。
それと同時に、あまりに能天気な声だ。
僕は額に青筋を浮かせた。
「黄蓋! 目的地に着くまで黙っていろ!」
その声が聞こえたか聞こえていないのか。きっちり一時間。黄蓋は休憩を告げると共に僕に先頭を代わるよう要請した。
前に馬を勧めた黄蓋が、にたりと笑う。
「皆の前では、坊ちゃんは止めろ。特に、アスアドの前ではな」
昨日そうこってりと僕に絞られたことを、まだ根に持っているのだろうか。いや、黄蓋は説教などを気にする男ではない。
――面白がっているのだ。
それをわかって、僕はフンと鼻で嗤った。
「悪くはない。今日は大事な日だ。予め体調は管理している」
撥ね付けるように言うと、黄蓋は両肩を竦めた。
「下がれ。また時間が経てば僕とは交代して貰う」
三十の馬の群れの先頭を走るには、それ相応の体力が必要になる。
誰であろうと、後を付いて行く方が容易い。
障害物はないか、敵は居ないか。
後方を確認する術はないが、先頭は前方のすべてを確認する必要がある。
そして、それは後方に走る者たちの命を預かるにも等しい。
(僕が落馬したり余所見をすれば、後ろを走る者も巻き添えになる)
すべて理解していて、黄蓋は先頭を変わるつもりだったのだろう。
お坊ちゃんは下がっていな、というわけだ。
黄蓋の気持ちはわからなくはない。
今ここで先頭を率いていようがいまいが、僕の進退には何の影響もない。王になれるかどうかを判断されるわけでもない。
寧ろ、黄蓋の言う通り後ろに下がって、今日行われる、「王の試練」とやらに万全の状態で向かう方が得策だ。
しかし、『王の器』を試される者が、その程度の体力を削ることを惜しむなど、僕のプライドが許さなかった。
黄蓋は何も言わず、列の一番後ろに付いたらしい。列の最後方を「殿」という。白兵戦の中で、実際殿は最も傷を負いやすく、最も危険な位置付けだ。僕が先頭を請け負うならば、それよりも更に危険な場所をということだろう。
(まったく、食えない男だ)
王族に阿る臣下や女官ばかりの中で、黄蓋は王の権威にも、王族の血筋にも怯むことがなかった。大抵は、僕の機嫌を損ねることを恐れるはずが、黄蓋は常々、僕をただの悪童としてしか見ていないらしい。
(――大事なモノがないのか。アイツには)
大切な家族や、守りたい地位など、何一つないように見えた。
それが、僕を少し苛々とさせる。
金にも、地位にも固執しない。贅沢にも無頓着だ。
本当なら、黄都右軍に属する武将という地位があれば、剣術指南役などではなく、政治の中枢に食い込んでいても何らおかしくはない。
こんな砂風と砂利の舞う、「王の試練」など、付き合う義理はないはず。
僕はこんなにも、余裕がないというのに。
本当は、僕の方が、守りたいものなんて、一つもありはしないのに。
王の地位に縋りついている自身が、酷く惨めに思える。
そんな僕を知ってか知らずか、後方から黄蓋の馬鹿でかい声が響いた。
「若ー! 今日は良い天気で良かったですなあ!」
普通なら、余程でない限り最後方からはっきりとした声は聞こえない。黄蓋が如何に戦場に適した声なのか、まざまざと見せつけられた気がした。号令は兵の士気に関わる。兵士の命が懸かる瀬戸際で、これほど明瞭な声音は、心の拠り所となるに違いなかった。
それと同時に、あまりに能天気な声だ。
僕は額に青筋を浮かせた。
「黄蓋! 目的地に着くまで黙っていろ!」
その声が聞こえたか聞こえていないのか。きっちり一時間。黄蓋は休憩を告げると共に僕に先頭を代わるよう要請した。
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