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八十七、黄蓋(3)
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臣下や女官に「綺麗だ」とどれだけ褒められようが、何一つ気にならなかった。
ただ王族に対する美辞麗句だと思い聞き流していた。実際、そうであったろうし、何人が本気でそう言っていたか、今更興味もない。
だが、まったく王族にもナースィフにも与しない黄蓋にそう言われ、心臓が妙に速く脈打った。
(身体がおかしい……。あとで医者に診て貰おう)
それを知ってかしらずか、黄蓋はふーむと穴の空くほど僕を見て唸っている。
「な、何だ」
「それにしてもひょろっこい身体をしてなさる。これまで身体を鍛えたこともねえか」
両腕をひょいと下から抱えられ僕の足は床から離れた。
「ええい、止めないか! 剣術指南を受けたことは、いくらかある。鍛えてはいるが、なかなか筋肉がつかない体質なんだっ!」
暴れると、黄蓋は大きな笑い声を上げた。
そして、僕とすとんと丁寧に床に降ろす。
「ほぉ。なるほど。なればワシのすることは明白だ。坊ちゃんの父上はどこにおられる」
「――ずっと、黒都にいらっしゃる。殆ど会うことは、ない」
黄蓋は、得たりとばかりに目を眇め、にいと口角を上げた。
「するってえと、ワシのしでかしたことで、即座に王サマが怒り狂って飛んで来るってこともまあないわけだ」
「……ないだろうな。あまりなことをすると、父上の耳にも入るだろうが」
仏頂面で答えるも、黄蓋には何の問題もないらしかった。普通の女官たちなら、僕がこんな表情をすれば震え上がるに違いないのに。
「ならば重畳。王がこちらに攻め込んでくるまで、六、七時間。それぐらいの逃げ足の速さはある」
ガッハッハと笑う黄蓋は、まるで王の怒りすら、気にしていないようだった。
わしゃわしゃと女官が時間を掛けて整えた髪すら乱され、流石に温厚な僕も声を荒げた。乾いた大きな手だった。
「不敬な奴め! 父さまに言いつけてやるからな!」
べ、と舌を出して駆け去る。
(何だアイツは……! 変な奴!)
勿論、王である父に黄蓋のことを奏上するつもりはなかった。
黄蓋の派遣は王の決定だ。
それに――僕は、父にそんな話を出来る仲ではない。
他人のような、王である父。血縁のはずだが、実の父はあまりにも遠かった。
「ふーむ」
黄蓋は、その場でがしがしと勢いよく後ろ髪を擦った。
「気難しい王子だと聞いて来てみりゃあ……随分と可愛い、ただの子どもじゃねえか」
ふ、と黄蓋は淡く笑った。
しかし、次の瞬間、歴戦の鋭い武人の瞳に変化する。それは間違いなく、かつて一個師団を率いた、武将の視線だった。
――しかし、危うい。
(あの子どもの中には、何かが居る)
ナースィフは一見、ただの賢い子どもに見える。
何不自由なく育った王の卵。
その中に、何か不吉なものと見たと言えば良いのだろうか。
例えるなら、陰と陽。
二つの要素があって、まだその人間性はどちらにも定まっていない。「卵」から産まれるものが、天使であるのか、悪魔であるのか誰にもわからない。生まれ落ちてくれば、黄蓋はどうすべきか判断出来る。
しかし、卵の殻が割れないままに、中で共食いをしてしまえば、黄蓋には為す術がない。
今は焦らず、卵の中には何が入っているのか。本当に雛が入っているのか。それとも悍ましい悪鬼が身を宿しているのか、慎重に見極めながら、雛が産まれるように、慈しみ、温めてやるしかない。
雛であれば、可愛がり育てる。
悪鬼であれば、切り捨てるまで。
だが、雉が入っていた場合は、どうだろうか。
顔を顰め、黄蓋は耳の後ろを撫でた。
悪いことに、黄蓋はやたらと昔から勘が良い。
軍在籍時にも、お前は勘だけで生きていると何度揶揄われたことか。
亡き妻にもそんなことを言われた気がする。
黄蓋は若かりし頃の自身を思い出す。
腕組をし、すべてを見通す黄軍の将と名高かったあの頃の自分なら。
もし、雉が入って居れば――
討つか。
それとも――
黄蓋は大きく溜息を吐いて天を見上げた。
「雉は仲間を攻撃しやがるからなぁ……」
ただ王族に対する美辞麗句だと思い聞き流していた。実際、そうであったろうし、何人が本気でそう言っていたか、今更興味もない。
だが、まったく王族にもナースィフにも与しない黄蓋にそう言われ、心臓が妙に速く脈打った。
(身体がおかしい……。あとで医者に診て貰おう)
それを知ってかしらずか、黄蓋はふーむと穴の空くほど僕を見て唸っている。
「な、何だ」
「それにしてもひょろっこい身体をしてなさる。これまで身体を鍛えたこともねえか」
両腕をひょいと下から抱えられ僕の足は床から離れた。
「ええい、止めないか! 剣術指南を受けたことは、いくらかある。鍛えてはいるが、なかなか筋肉がつかない体質なんだっ!」
暴れると、黄蓋は大きな笑い声を上げた。
そして、僕とすとんと丁寧に床に降ろす。
「ほぉ。なるほど。なればワシのすることは明白だ。坊ちゃんの父上はどこにおられる」
「――ずっと、黒都にいらっしゃる。殆ど会うことは、ない」
黄蓋は、得たりとばかりに目を眇め、にいと口角を上げた。
「するってえと、ワシのしでかしたことで、即座に王サマが怒り狂って飛んで来るってこともまあないわけだ」
「……ないだろうな。あまりなことをすると、父上の耳にも入るだろうが」
仏頂面で答えるも、黄蓋には何の問題もないらしかった。普通の女官たちなら、僕がこんな表情をすれば震え上がるに違いないのに。
「ならば重畳。王がこちらに攻め込んでくるまで、六、七時間。それぐらいの逃げ足の速さはある」
ガッハッハと笑う黄蓋は、まるで王の怒りすら、気にしていないようだった。
わしゃわしゃと女官が時間を掛けて整えた髪すら乱され、流石に温厚な僕も声を荒げた。乾いた大きな手だった。
「不敬な奴め! 父さまに言いつけてやるからな!」
べ、と舌を出して駆け去る。
(何だアイツは……! 変な奴!)
勿論、王である父に黄蓋のことを奏上するつもりはなかった。
黄蓋の派遣は王の決定だ。
それに――僕は、父にそんな話を出来る仲ではない。
他人のような、王である父。血縁のはずだが、実の父はあまりにも遠かった。
「ふーむ」
黄蓋は、その場でがしがしと勢いよく後ろ髪を擦った。
「気難しい王子だと聞いて来てみりゃあ……随分と可愛い、ただの子どもじゃねえか」
ふ、と黄蓋は淡く笑った。
しかし、次の瞬間、歴戦の鋭い武人の瞳に変化する。それは間違いなく、かつて一個師団を率いた、武将の視線だった。
――しかし、危うい。
(あの子どもの中には、何かが居る)
ナースィフは一見、ただの賢い子どもに見える。
何不自由なく育った王の卵。
その中に、何か不吉なものと見たと言えば良いのだろうか。
例えるなら、陰と陽。
二つの要素があって、まだその人間性はどちらにも定まっていない。「卵」から産まれるものが、天使であるのか、悪魔であるのか誰にもわからない。生まれ落ちてくれば、黄蓋はどうすべきか判断出来る。
しかし、卵の殻が割れないままに、中で共食いをしてしまえば、黄蓋には為す術がない。
今は焦らず、卵の中には何が入っているのか。本当に雛が入っているのか。それとも悍ましい悪鬼が身を宿しているのか、慎重に見極めながら、雛が産まれるように、慈しみ、温めてやるしかない。
雛であれば、可愛がり育てる。
悪鬼であれば、切り捨てるまで。
だが、雉が入っていた場合は、どうだろうか。
顔を顰め、黄蓋は耳の後ろを撫でた。
悪いことに、黄蓋はやたらと昔から勘が良い。
軍在籍時にも、お前は勘だけで生きていると何度揶揄われたことか。
亡き妻にもそんなことを言われた気がする。
黄蓋は若かりし頃の自身を思い出す。
腕組をし、すべてを見通す黄軍の将と名高かったあの頃の自分なら。
もし、雉が入って居れば――
討つか。
それとも――
黄蓋は大きく溜息を吐いて天を見上げた。
「雉は仲間を攻撃しやがるからなぁ……」
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