99 / 225
九十九、王の選定(12)
しおりを挟む――僕は、『王の器』として相応しくないのかもしれない。
これまでの人生で、殆ど初めてと言っても良い僕の弱音だった。
臣下の前では常に毅然とした態度で。
帝王学でそう習っていた。僕がおどおどしていては、下の者たちも皆困ってしまう。例え、自信がなくてもいつも自信がある振りをしなくてはならなかった。
強気で、悩みなど何一つないかのように、空に燦然と輝く太陽のようであらねばならなかった。
例えば、アスアドのように。
本当の僕は、部屋の隅で丸まっている、ただのその辺に居る子どもと同じだというのに。
黄蓋もきっと、これまでの教師たちや女官と同じように、言うのだろう。「器は大きくあれ」「人に寛容であれ」と。
――わかっている。
わかっているのだ。誰にでも等しく慈愛を注がねばならないということ。
だが、僕はアスアドと同じように出来ない。
出来るはずもない。
僕たちは、違うのだから。
黄蓋が僕を糾弾するであろうことがわかって、膝に顔を伏せた。
だが、黄蓋の言うことは違っていた。
「器なんざ、デカ過ぎても意味はねえな。卓に乗らねえデケえ壺なんかあっても困るってもんだ」
「えっ?」
黄蓋の言葉に、僕は慌てて顔を上げる。
「器は大きければ大きいほど良いのではないのか?」
黄蓋はにい、とまるで少年のような笑みを浮かべた。手に持った酒杯を、月に捧げるように持ち上げる。
「例えばこの盃。ワシはこれが一等好きでな。この身体にまったくそぐわぬが、酒杯は小さければ小さいほど酒は美味い。もし酒の器が、並々と入る桶のようであったなら、ワシはこれほど酒が好きではなかったかもしれぬ。そう思えば、この小さい酒杯は、酒の美味さをぐっと引き立てていると、そう思わんか」
如何にも美味そうに、黄蓋はごく小さな盃をクイと飲み干した。
「僕は、まだお酒のことはわからない」
そう言うと、黄蓋はまるで僕が面白い冗談を言ったかのように、大きな笑い声を上げた。
「そりゃあそうだ。若にはちいとまだ早かったか」
「もういい」
僕がむくれると、黄蓋は僕の頭をわしわしと撫でる。
「これを着ていなせえ」
そして、僕の薄い肩に、羽織り物を掛けた。まるで紳士的ではない。犬猫に対するような、がさつな所作だ。
「砂漠の夜は、冷えますからなぁ」
日中は四十度近くあっても、夜は氷点下にもなる。それが砂漠の恐ろしいところだ。
上着は、身体中が黄蓋に包まれているようで、落ち着かない。砂漠の乾いた太陽の香りだ。
「黄蓋の匂いがする」
「おっさん臭いという苦情は、受け付けませんぜ」
「うん……。良い匂い」
黄蓋の逞しい身体に、身体を凭せ掛けた。
「今日は随分と甘えたですなぁ。その分疲れたか」
「うん……」
黄蓋は僕の薄い身体を抱き寄せた。軍で鍛えぬいた腕に抱き締められているようで、驚いた僕の身体は小さく跳ねた。しかし、黄蓋だとわかると、たちまち弛緩し、安心しきってその身を預けた。
酒を呷って、普段より体温の高い黄蓋に、ずっとこうしていて欲しいと思った。
「『王の器』なんてモンは、まやかしだ。他人が勝手に理想を押し込めた、呪いにも近い」
苦い顔つきで、黄蓋は月を見上げていた。
――黄蓋は昔、何かあったのだろうか。
とろんとして段々と眠くなって来た僕は、その真実を知ることは出来なかった。
しかし、この頃からふと、「王の器」であらねばという重圧は目に見えて軽くなった。
あの時黄蓋がそう言わなければ、僕は押しつぶされていたかもしれない。
「王」という、得体の知れないその重みに。
黄蓋の声が、さざ波のように寄せては返す。
砂漠はまるで海のようだ。
僕と黄蓋は同郷だ。
この地では珍しい、袷の羽織。
僕はまだ、故郷を訪ねたことはない。
だが、黄蓋も僕も、帰りたいのかもしれなかった。
血が呼ぶ、というのだろうか。
身体中の血がさざめいているみたいだった。
あの場所に帰れと。
いつかは帰るのだろうか。
それとも、死んだら還るのだろうか。
まだ、かつて見たこともない。故郷へ。
41
あなたにおすすめの小説
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
発情薬
寺蔵
BL
【完結!漫画もUPしてます】攻めの匂いをかぐだけで発情して動けなくなってしまう受けの話です。
製薬会社で開発された、通称『発情薬』。
業務として治験に選ばれ、投薬を受けた新人社員が、先輩の匂いをかぐだけで発情して動けなくなったりします。
社会人。腹黒30歳×寂しがりわんこ系23歳。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
うそつきΩのとりかえ話譚
沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。
舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる