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第三章
一、月下の霊媒師
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家に帰ってから、上島は既に温くなってしまったコーヒーを、ぼんやりと口に運んでいた。
いつもなら熱々のコーヒーでないと嫌で、すぐに替えてしまうのだが、今日は入れ替えることを思いつきもしなかった。テレビも点けず、ただひっそりとした家のソファに、魂を失ったかのように凭れている。
考えるということをしたくなかったが、そうもいかない。あの霊は、一刻も早く霊媒しなくてはならないだろう。
思案していると、空気を割るような音で電話が鳴った。びくりと体が撥ねる。
しまった、音のレベルを間違えて最大にしてしまっていたようだと上島は思う。驚きざまに宙に浮いた腰でそのまま立ち上がり受話器を取った。
「もしもし」
つかの間の沈黙の後、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。
「勇ちゃん?」
郁子だ。
「ああ、何だ。郁子さんですか、驚きましたよ」
上島は苦笑気味に言う。
「勇ちゃん、どうしたの?」
「え?」
「……元気ない声してるわよ」
そんな、と上島は思わず声を上げそうになった。普段とそんなに違う声のはずはない。
例え神楽の手を放しても、自分は普段と変わりないのだと、嘘でも認めて欲しかった。
「何、言ってるんですか。俺は普通ですよ」
乾いた明るい声で、やんわりと否定する。
「……そうかしら」
「そうですよ。ああ、さっきまで寝ていたので、そのせいかもしれません」
何故か涙が出そうだ。何故この人はこんなにも鋭いのだろう。声を聞いただけで、分かるものなのだろうか。気付いて貰えて嬉しい気持ちと、何故こんなところは鋭いのだろうという郁子への八つ当たりがごっちゃになったようだった。
「ならいいんだけど。――小笠原香乃さんと、もう出逢った?」
「ええ、会いました」
「処置は任せるわ。それよりも、蓮北小学校のことなんだけど、少し不味いことになってきていて」
「蓮北小学校がどうかしたんですか」
蓮北は、死体が遺棄されていた桜の木があるところだ。
「夫から聞いたんだけど……蓮北で、児童の怪我が相次いでいるそうなの。特にあの事件があった場所の近くで。ええと」
かさ、と紙を捲る音が受話器ごしに聞こえた。
「事件のあったのが先週。先週の児童の怪我が、打撲三十五件、失神十二件、救急車で搬送した回数が五回。その他にも転倒や軽い怪我は数には入っていないけれど、通常の怪我の数より目に見えて増えているそうよ。今週に入ってからは、失神二十八件と増えに増えているわ……」
「そうですか……。このままでは死者も出かねませんね」
「今病院に搬送されて意識を取り戻さない子が独りいるそうよ」
「そこまで、凶暴化しているとは……。分かりました、早急に霊媒します」
上島は驚いた。早い、と。悪霊は段々と勢力を増していくものだが、短期間のうちにここまで大きくなるとは、ありえないことだ。
「勇ちゃん……気をつけてね」
郁子の哀しそうな声が、耳朶に響いた。
『この依頼は断られる方が、双方のためかと思います』
玄天の言葉が、頭の中にこだまする。それを振り切るように、上島は言った。
「大丈夫です。任せて下さい」
受話器を置いて電話を切った後も、上島は郁子の声を忘れることが出来なかった。
その二日後に、上島は霊媒をすることにした。満月の日だ。本当は満月の日はあまりよくないのだが、子どもの命が危ないので、そうそう待ってもいられない。そう考えて、思わず玄天の言葉を思い出した。
「赤の他人と、自分の身内と、どっちが大事か……か」
何百人と子どもの犠牲を出しても、玄天はきっと同じことを言うだろう。
幽鬼にやられてしまうことは勿論、霊媒師と幽鬼が相討ちになってしまうことは、華山家総本山としては絶対の禁忌のはずだからだ。
霊媒師は例外なく恣意的な集団だ。勝てる勝負しかしないのは、少ない霊媒師の数をこれ以上減らさないため、そして負けることが霊媒師にとっての死を意味するからだ。
誰が聞いても頷ける正論に裏打ちされてはいるが、つまりはわが身可愛さ、または身内可愛さの論理だった。
それを悪いとは言わない。しかしそう考えると、上島は、自分は誰よりも霊媒師に向いているのではないかと思った。大切な人が居るから、自分を大切に思ってくれる人が居るから、死ぬことが出来ない。
それが普通だが、上島にはそう思ってくれるような人間が周りにいない。
だから、華山家総本山でさえも匙を投げるような依頼を受けることが出来るのだ。成功の保証は全くない。
むしろ逆の可能性の方が高すぎるぐらいだが、ここで誰も立ち上がらなければ、蓮北の小学校に通う子どもたちに犠牲が出るのは必至だった。
「別に正義漢を気取ろうってわけじゃないが……」
玄天の理論に共感は出来るが、肯定は出来ない。
そもそも、これは玄天の論理ではなく、華山家総本山代々続く理論だ。上島が、あまり華山家総本山にべったりにならないのも、そういった理由なのかもしれなかった。
華山家の言い分は充分に分かるのだが、どうにも納得出来ない部分が、心の底に沈殿しているような、そんな気分になる。
「まあいいさ。俺は独りでやる」
言いながら着々と準備を進めた。霊媒は、真夜中の丑三つ時。草木も眠るその時間なら、邪魔は入らないだろう。
上島はふと思い出した。神楽からは、何の連絡もない。
それも当然だ。神楽の手を放したのは自分なのだから。もう終わったことなのだ。
今の自分に必要なことは、神楽のことよりも、昔の記憶を取り戻し、幽鬼を霊媒すること。それが最優先事項だ。
自分に言い聞かせながらも、上島の手は、準備のための手をすっかり止めてしまっていた。
***
「記憶がない?」
高校生時代の神楽が、目を丸くしているのが、視界の端に映った。
場所はいつもの屋上だった。確か、この季節は春。高校二年の春だ。上島は一年間神楽と共に過ごし、神楽になら、記憶がないことを打ち明けても大丈夫だと思ったのだった。
花冷えの季節で、春なのに酷く寒かった。そして上島の横で、理知的な顔立ちの美男子が、驚いた表情で上島を見つめている。神楽はよくモテた。けれど、神楽にもどこか人を寄せ付けないところがあったので、上島と馬が合ったのだ。
「ああ。小学校までの記憶がない。それと、家族に関する記憶も」
「なら、勇朔が今一緒に住んでる郁子さんは……」
「赤の他人だろうな。もしくは、俺の本当の家族の友だちとか」
淡々と言い放つ上島に、神楽は苦しそうな表情をしたことを覚えている。
気付いていたのだろうか。家に来たときに、掲げられていた表札は、「上島」ではなく、「冬馬」であったことに。上島は、神楽に質問攻めにされることを覚悟した。何で今まで言ってくれなかった、どうして記憶がないのか云々。
しかし、神楽は何も聞かなかった。ただ上島と、屋上からグランドを見下ろしていた。そして言った。
「そうか……」
それだけだった。そのとき上島はやけにあっさりだな、と拍子抜けしたものだ。
トップシークレットとも言えることを話しているのだから、もっと何とか言ってもいいはずだ、とそのときは憤慨したり、またあるときは物足りないと感じたりした。
今になって思うと、神楽は、上島がどれだけの勇気を持ってその告白をしたかを解っていたのだろうと思う。
そして、そんな重大なことを打ち明けてくれたからには、これ以上上島に辛い思いをさせまいと、一切何も聞かないでくれたのだ。
いい友人だった。友人と呼べる最初で最後の人物だ。
上島は決別を示すように、立ち上がった。
欠けた部分の全くない、紛うことなき満月だった。桜はあと少しで満開の九分咲き。
車の後ろのトランクには、遺体となった小笠原昭雄が乗っている。小笠原香乃に連絡し、借り受けてきたのだ。
死者にとっては、不名誉なこと極まりない。死体の貸し借りなど、死者への冒涜もいいところだが、上島は、昭雄の遺体に幽鬼が憑いているのではないかと考えているので、仕方がなかった。
もし幽鬼が憑いている昭雄を再び地に帰しても、また何らかの形で問題が現れるに違いないのだ。
ひょう、と冷たい風が吹く。
これが四月の気候なのかと疑うほどだ。風が上島の穿いている袴をはためかせた。
上島は普段着ではなく、霊媒の服装だった。男用の白の小袖に、紺袴という、いたって簡単な出で立ちではあるが、これが霊媒用の服装だ。
これは霊媒師全体に共通しているスタイルでもある。
もっとも、阿相玄天や玄水、また千春など、華山家総本山に住む霊媒師たちは、いつもこのような恰好をしている。
上島も、中学生のときから、夏休みなどは師匠の家に泊まりこんで、修行をしたものだった。なので、この恰好は落ち着くのだ。
風がやけに強い。足袋を履いた足が既に冷え込んでいる。
この白衣に紺袴という浄衣は落ちつくのだが、寒いのが難点だ。冷え冷えとした風に吹かれながら、上島は風呂敷から霊媒道具を取り出した。
昔から使用している、結界を張る綱。
神社で鳥居につけられているのと、全く同じようなものだ。縄をぐるりと丸く描く。
そして、札を何枚か懐に忍ばせ、残りの何枚かを残した。手に持った一枚を、縄の端と端が触れ合う部分に貼り、結界は完成だ。トランクを開け、分厚いビニールシートに包まれた小笠原昭雄と対面する。
ビニール越しとはいえ、むうっとする臭気が鼻をついた。
顔を顰めながらも、丁重に持ち上げ、木の近くに下ろす。丁度結界の中心辺りだ。
これからが気の滅入る作業だった。このビニールシートを外し、肉塊と化した実物と対面しなくてはならない。僅かに躊躇していると、人の気配がした。
こんなところを見られたら、何と言われるか分かったものではない。
幻覚だと思いたかったが、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。満月は今雲がかかっていて、向かってくる者の、足より上はあまり見えない。
ざっ、ざっ、とグランドを踏みしめる音が近付く。
上島はどうすることも出来ず、ただその音が来る一点を見つめていた。十メートルほどに近付いた頃だろうか。月を隠していた雲がさあっと晴れた。また眩しいほどの満月が姿を現す。
いつもなら熱々のコーヒーでないと嫌で、すぐに替えてしまうのだが、今日は入れ替えることを思いつきもしなかった。テレビも点けず、ただひっそりとした家のソファに、魂を失ったかのように凭れている。
考えるということをしたくなかったが、そうもいかない。あの霊は、一刻も早く霊媒しなくてはならないだろう。
思案していると、空気を割るような音で電話が鳴った。びくりと体が撥ねる。
しまった、音のレベルを間違えて最大にしてしまっていたようだと上島は思う。驚きざまに宙に浮いた腰でそのまま立ち上がり受話器を取った。
「もしもし」
つかの間の沈黙の後、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。
「勇ちゃん?」
郁子だ。
「ああ、何だ。郁子さんですか、驚きましたよ」
上島は苦笑気味に言う。
「勇ちゃん、どうしたの?」
「え?」
「……元気ない声してるわよ」
そんな、と上島は思わず声を上げそうになった。普段とそんなに違う声のはずはない。
例え神楽の手を放しても、自分は普段と変わりないのだと、嘘でも認めて欲しかった。
「何、言ってるんですか。俺は普通ですよ」
乾いた明るい声で、やんわりと否定する。
「……そうかしら」
「そうですよ。ああ、さっきまで寝ていたので、そのせいかもしれません」
何故か涙が出そうだ。何故この人はこんなにも鋭いのだろう。声を聞いただけで、分かるものなのだろうか。気付いて貰えて嬉しい気持ちと、何故こんなところは鋭いのだろうという郁子への八つ当たりがごっちゃになったようだった。
「ならいいんだけど。――小笠原香乃さんと、もう出逢った?」
「ええ、会いました」
「処置は任せるわ。それよりも、蓮北小学校のことなんだけど、少し不味いことになってきていて」
「蓮北小学校がどうかしたんですか」
蓮北は、死体が遺棄されていた桜の木があるところだ。
「夫から聞いたんだけど……蓮北で、児童の怪我が相次いでいるそうなの。特にあの事件があった場所の近くで。ええと」
かさ、と紙を捲る音が受話器ごしに聞こえた。
「事件のあったのが先週。先週の児童の怪我が、打撲三十五件、失神十二件、救急車で搬送した回数が五回。その他にも転倒や軽い怪我は数には入っていないけれど、通常の怪我の数より目に見えて増えているそうよ。今週に入ってからは、失神二十八件と増えに増えているわ……」
「そうですか……。このままでは死者も出かねませんね」
「今病院に搬送されて意識を取り戻さない子が独りいるそうよ」
「そこまで、凶暴化しているとは……。分かりました、早急に霊媒します」
上島は驚いた。早い、と。悪霊は段々と勢力を増していくものだが、短期間のうちにここまで大きくなるとは、ありえないことだ。
「勇ちゃん……気をつけてね」
郁子の哀しそうな声が、耳朶に響いた。
『この依頼は断られる方が、双方のためかと思います』
玄天の言葉が、頭の中にこだまする。それを振り切るように、上島は言った。
「大丈夫です。任せて下さい」
受話器を置いて電話を切った後も、上島は郁子の声を忘れることが出来なかった。
その二日後に、上島は霊媒をすることにした。満月の日だ。本当は満月の日はあまりよくないのだが、子どもの命が危ないので、そうそう待ってもいられない。そう考えて、思わず玄天の言葉を思い出した。
「赤の他人と、自分の身内と、どっちが大事か……か」
何百人と子どもの犠牲を出しても、玄天はきっと同じことを言うだろう。
幽鬼にやられてしまうことは勿論、霊媒師と幽鬼が相討ちになってしまうことは、華山家総本山としては絶対の禁忌のはずだからだ。
霊媒師は例外なく恣意的な集団だ。勝てる勝負しかしないのは、少ない霊媒師の数をこれ以上減らさないため、そして負けることが霊媒師にとっての死を意味するからだ。
誰が聞いても頷ける正論に裏打ちされてはいるが、つまりはわが身可愛さ、または身内可愛さの論理だった。
それを悪いとは言わない。しかしそう考えると、上島は、自分は誰よりも霊媒師に向いているのではないかと思った。大切な人が居るから、自分を大切に思ってくれる人が居るから、死ぬことが出来ない。
それが普通だが、上島にはそう思ってくれるような人間が周りにいない。
だから、華山家総本山でさえも匙を投げるような依頼を受けることが出来るのだ。成功の保証は全くない。
むしろ逆の可能性の方が高すぎるぐらいだが、ここで誰も立ち上がらなければ、蓮北の小学校に通う子どもたちに犠牲が出るのは必至だった。
「別に正義漢を気取ろうってわけじゃないが……」
玄天の理論に共感は出来るが、肯定は出来ない。
そもそも、これは玄天の論理ではなく、華山家総本山代々続く理論だ。上島が、あまり華山家総本山にべったりにならないのも、そういった理由なのかもしれなかった。
華山家の言い分は充分に分かるのだが、どうにも納得出来ない部分が、心の底に沈殿しているような、そんな気分になる。
「まあいいさ。俺は独りでやる」
言いながら着々と準備を進めた。霊媒は、真夜中の丑三つ時。草木も眠るその時間なら、邪魔は入らないだろう。
上島はふと思い出した。神楽からは、何の連絡もない。
それも当然だ。神楽の手を放したのは自分なのだから。もう終わったことなのだ。
今の自分に必要なことは、神楽のことよりも、昔の記憶を取り戻し、幽鬼を霊媒すること。それが最優先事項だ。
自分に言い聞かせながらも、上島の手は、準備のための手をすっかり止めてしまっていた。
***
「記憶がない?」
高校生時代の神楽が、目を丸くしているのが、視界の端に映った。
場所はいつもの屋上だった。確か、この季節は春。高校二年の春だ。上島は一年間神楽と共に過ごし、神楽になら、記憶がないことを打ち明けても大丈夫だと思ったのだった。
花冷えの季節で、春なのに酷く寒かった。そして上島の横で、理知的な顔立ちの美男子が、驚いた表情で上島を見つめている。神楽はよくモテた。けれど、神楽にもどこか人を寄せ付けないところがあったので、上島と馬が合ったのだ。
「ああ。小学校までの記憶がない。それと、家族に関する記憶も」
「なら、勇朔が今一緒に住んでる郁子さんは……」
「赤の他人だろうな。もしくは、俺の本当の家族の友だちとか」
淡々と言い放つ上島に、神楽は苦しそうな表情をしたことを覚えている。
気付いていたのだろうか。家に来たときに、掲げられていた表札は、「上島」ではなく、「冬馬」であったことに。上島は、神楽に質問攻めにされることを覚悟した。何で今まで言ってくれなかった、どうして記憶がないのか云々。
しかし、神楽は何も聞かなかった。ただ上島と、屋上からグランドを見下ろしていた。そして言った。
「そうか……」
それだけだった。そのとき上島はやけにあっさりだな、と拍子抜けしたものだ。
トップシークレットとも言えることを話しているのだから、もっと何とか言ってもいいはずだ、とそのときは憤慨したり、またあるときは物足りないと感じたりした。
今になって思うと、神楽は、上島がどれだけの勇気を持ってその告白をしたかを解っていたのだろうと思う。
そして、そんな重大なことを打ち明けてくれたからには、これ以上上島に辛い思いをさせまいと、一切何も聞かないでくれたのだ。
いい友人だった。友人と呼べる最初で最後の人物だ。
上島は決別を示すように、立ち上がった。
欠けた部分の全くない、紛うことなき満月だった。桜はあと少しで満開の九分咲き。
車の後ろのトランクには、遺体となった小笠原昭雄が乗っている。小笠原香乃に連絡し、借り受けてきたのだ。
死者にとっては、不名誉なこと極まりない。死体の貸し借りなど、死者への冒涜もいいところだが、上島は、昭雄の遺体に幽鬼が憑いているのではないかと考えているので、仕方がなかった。
もし幽鬼が憑いている昭雄を再び地に帰しても、また何らかの形で問題が現れるに違いないのだ。
ひょう、と冷たい風が吹く。
これが四月の気候なのかと疑うほどだ。風が上島の穿いている袴をはためかせた。
上島は普段着ではなく、霊媒の服装だった。男用の白の小袖に、紺袴という、いたって簡単な出で立ちではあるが、これが霊媒用の服装だ。
これは霊媒師全体に共通しているスタイルでもある。
もっとも、阿相玄天や玄水、また千春など、華山家総本山に住む霊媒師たちは、いつもこのような恰好をしている。
上島も、中学生のときから、夏休みなどは師匠の家に泊まりこんで、修行をしたものだった。なので、この恰好は落ち着くのだ。
風がやけに強い。足袋を履いた足が既に冷え込んでいる。
この白衣に紺袴という浄衣は落ちつくのだが、寒いのが難点だ。冷え冷えとした風に吹かれながら、上島は風呂敷から霊媒道具を取り出した。
昔から使用している、結界を張る綱。
神社で鳥居につけられているのと、全く同じようなものだ。縄をぐるりと丸く描く。
そして、札を何枚か懐に忍ばせ、残りの何枚かを残した。手に持った一枚を、縄の端と端が触れ合う部分に貼り、結界は完成だ。トランクを開け、分厚いビニールシートに包まれた小笠原昭雄と対面する。
ビニール越しとはいえ、むうっとする臭気が鼻をついた。
顔を顰めながらも、丁重に持ち上げ、木の近くに下ろす。丁度結界の中心辺りだ。
これからが気の滅入る作業だった。このビニールシートを外し、肉塊と化した実物と対面しなくてはならない。僅かに躊躇していると、人の気配がした。
こんなところを見られたら、何と言われるか分かったものではない。
幻覚だと思いたかったが、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。満月は今雲がかかっていて、向かってくる者の、足より上はあまり見えない。
ざっ、ざっ、とグランドを踏みしめる音が近付く。
上島はどうすることも出来ず、ただその音が来る一点を見つめていた。十メートルほどに近付いた頃だろうか。月を隠していた雲がさあっと晴れた。また眩しいほどの満月が姿を現す。
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