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第1章 ステージに立てないダンサー
01 スポットライトの外側
しおりを挟む廃墟を模したステージセットを、不気味な深紅の照明が浮かび上がらせている。
会場全体に鳴り響く甲高い警報音に合わせるように、光の筋がせわしなく動き続けていた。
ステージ背面にある巨大モニターには、映画さながらのクオリティで作られたオープニング映像が映し出されている。背後からの攻撃を避けながら、廃墟の中を駆ける八人の青年の映像だ。
その映像を、芦谷純嶺は薄暗い客席から見上げていた。
睨むように画面を見つめるその顔は、〈スミレ〉という可愛らしい名前には似つかわしくない悪人面だ。
派手な格好や行動を好むタイプではなく、むしろ陰キャな性格の純嶺だったが、一八〇を超える長身が他より目立つのか、深夜に出歩けば警官から職質を受けることも少なくなかった。
一度も脱色をしたことのない黒髪には少し癖がある。左だけを刈り上げたアシンメトリーなヘアスタイルは特徴的だったが、純嶺がこだわってそうしているわけではなく、すべては馴染みの美容師にお任せだった。
『お前はチンピラっていうか、殺し屋ってツラだよな』
純嶺をそう言って揶揄ったのは、十年以上の付き合いになる親友――今、モニターの中に一番大きく映し出されている青年、コウだ。
映像は今ちょうど、クライマックスに向かっていた。
モニターに映し出された彼らが何に追われているのか、その正体は最後まで描かれない。
人なのか、化け物なのか――得体の知れない敵への恐怖を煽るような音楽と効果音が会場の緊張感を高めていく。純嶺にとってはもう何度も見た映像だったが、たとえ何度目であっても手に汗を握らずにはいられなかった。
映像と会場がシンクロしていく。
これから始まることに期待を抱かせるのには、充分な演出だ。
次第に大きくなっていくバックミュージックに一番期待が高まったところで、ドンッと空気が震わす大きな爆発音が鳴り響く。
ステージ上に、モニターに映し出されていた八人の青年が姿を現した。
今や十代、二十代の男女から絶大なる人気を誇るダンスグループ〈cra+vo〉のメンバーだ。
通常であればここで割れんばかりの歓声が会場じゅうに響き渡るのだが、今は静かだった。
満員ともなれば一万五千人を収容できるこの会場に今、観客は誰一人としていない。この光景を眺めているのは、ライブを作りあげるために集められた関係者とスタッフのみ。
今はゲネプロと呼ばれる、最終通しリハーサルの真っ最中だった。
――迫りから飛び出すタイミング、うまく合ってたな。
〈迫り〉というのは、奈落――舞台に開いた穴――からステージに飛び出すための昇降型の舞台装置のことだ。今回はそれを使って、オープニング映像から八人が飛び出してきたように見せる演出だった。
ステージ八か所に設置された迫りから飛び出した彼らは、既に一曲目のパフォーマンスを始めている。全員がボーカルとしてもダンサーとしても一流と呼ばれるレベルのメンバーで構成させれた彼らのパフォーマンスに隙は一切なかった。
――一曲目の出だしもいいな。ダンスもぴったり合ってる。
リハーサルとはいえ、会場内はピリッとした緊張感に包まれていた。
ここで完成度を上げ切ってしまわなければ、本番で観客を満足させることなんてできない――ここにいる全員が、同じ気持ちでこのゲネプロに挑んでいるからだ。
この場に振付師として参加している純嶺も、皆と変わらない気持ちだった。
各々が自分の役割を確認しながら、リハーサルを進めていく。
スタッフたちの厳しいまなざしに見つめられる先、ステージ上で本番さながらのパフォーマンスを見せているcra+voのメンバーは、半分以上が純嶺と同じダンススクールの出身だった。
純嶺にとって、彼らは小さな頃から一緒に切磋琢磨してきた仲間だ。そんな彼らのライブ成功のために、純嶺も振付師としての仕事に集中する。
――サトリの動き、癖のせいで少しズレて見えるな。コウの今の動きはよかった。
ステージ上と違って、客席側に明かりはほぼない。
真っ暗なその場所から、純嶺はまばたきも最低限に光の中で舞うメンバー全員の動きを目で追った。手元のメモに雑な字で気になる箇所を書き留めていく。
ゲネプロの後、録画してある映像を確認しながら、メンバーに伝えるためだ。
あまりに酷い出来の箇所があれば曲を止めてやり直させることもあるが、cra+voのメンバーに関していえば、そこまで心配する必要はなかった。
彼らは全員、プロ意識が高すぎることでもよく知られている。
監督からの口出しより、演出だけでなく、照明や特殊効果の仕上がりについてまで、メンバー側から意見が出てくることのほうが多かった。
今も何が気に食わなかったのか、リーダーであるコウが曲を止めるように手を動かしている。
「――今んとこの繋ぎ、ちょっと気になんだけど」
どうやら、曲の繋ぎが気になったらしい。
スタジオで何度通しで合わせていても、ステージでのゲネプロでこうして気になる箇所が出てくるのはよくあることだ。
特にコウは妥協を許さないタイプなので、これが日常茶飯事だった。
リハーサルに使える時間は限られているというのに、それでもギリギリまでよりよいステージを作り上げるために努力を惜しまないのが、コウのスタイルだ。
「純嶺、お前はどう思う? ここ、なんか気持ち悪くねえ?」
監督と話していたコウが、いきなり客席側にいる純嶺に話を振ってきた。
今はアーティストと裏方という関係だが、元は親友。ダンスを始めたタイミングも全く同じで、ずっと一緒に踊ってきたライバルでもある。
そして、お互い一番の信頼の置ける相手に間違いなかった。
純嶺を振付師としてこの場に呼んだのは、コウだ。
だからなのか、メンバーより先に純嶺に意見を求めてくることが多い。
他のメンバーたちもコウがどれほど純嶺の意見を大事にしているかを知っているだけに、誰も口を出してはこなかった。
皆、純嶺の意見をリーダーと同列だと言わんばかりに、真剣に話を聞いてくれる。
「気持ち悪いって、具体的には?」
「あー……なんだ。急にガクンとくるっていうか。とにかく気持ちわりい」
コウは天才肌なせいか、すぐにこんな風に感覚だけで話をする。頭を使ってどうこうというよりは、快か不快かで物事を決めることが多いタイプの人間だった。
わかりにくい表現なので、監督やスタッフを困らせることがほとんどだ。
純嶺はその通訳者でもある。
「曲だけでいえば、フェードアウトさせる時間を半分にしたほうがお前のタイミングには合うんだろうが、ポジションチェンジが間に合わないって話だっただろ」
「でもなんか、すっきりしねえんだよ」
コウはそう言うと、不満げに唇を尖らせた。
cra+voのリーダーとして、プロのアーティストとして――最近はしっかりしてきたと思っていたのに、こういうところは昔と変わらず子供っぽい。
コウは折れるつもりなど毛頭ないのだろう。それでいて、自分で解決する気もない。
純嶺がどうにかしてくれると思っている顔だ。
この親友はいつもこうだ。だが、そんな我が儘な親友に頼られることを、純嶺も嫌だとは思っていなかった。
「じゃあ、この直前のポジションを全部変えて――振りも変えるか」
曲を妥協できないのであれば、そうするしかない。
土壇場での変更だが、純嶺の発言にメンバーもスタッフも誰も否とは言わなかった。
コウが言い出したら聞かないということを、この場にいる全員が理解しているからだ。そして、その感覚に従えばいいものが出来上がるということも――。
「全員の動きが変わるけど、すぐに覚えられるか?」
「誰に向かって言ってんだよ。やるぞ」
メンバー全員、リーダーの返答に異論はないようだった。
◇
ライブは大成功だった。
急遽変更した部分も、本番までに数回しか合わせられていないとは思えないほど、ぴったりと息の合った完璧で仕上がりは――さすがはトップアーティストだ。
cra+voのパフォーマンスを見ていると、純嶺は興奮が止まらなくなる。
同時に、いつも苦いような悔しさを噛みしめていた。
――おれも、あの場所に立てる人間だったら。
手元のタブレットに視線を落とす。
画面には、コウが送ってきた今日のライブの録画映像が映し出されていた。純嶺の着けているヘッドホンにもライブ音源が流れてきている。
cra+voはダンスだけではなく、歌でも評価されているグループだった。
生歌とは思えない歌唱力の高さは一時「口パクではないか」とネットで検証まで行われたぐらいだ。
これでもまだ、彼らの思う完璧には届かないらしい。さらにクオリティアップを図るためにどうするべきか――コウはいつもそんなことを考えている男だった。どれだけ観客を感動させるライブを成功させても、コウはすぐに次のステージを見つめている。
――昔から、そういうところも変わらないよな。
そんなコウに振付師として、仲間として――一番に信頼してもらえているのは嬉しい。誇らしくもある。だが、内心に複雑なものがあるのも事実だった。
純嶺は自ら望んで振付師になったのではない。ダンサーとして舞台に上がることが許されない種別の人間だったから、仕方なく裏方であるこの仕事を選んだにすぎないのだ。
そんな割り切れないままの気持ちが、今も純嶺を苦しめ続けていた。
「……この仕事だって、嫌なわけじゃないけど」
鏡に映る自分に向かって、ぽつりと吐き出す。
ライブの打ち上げ後、純嶺はまっすぐ自宅に帰らず、家からほど近いところにあるダンススタジオに来ていた。
今スタジオにいるのは、純嶺一人だ。
このスタジオを運営する経営者も、同じダンススクールに通っていた昔馴染みだった。
ダンサーにはあまり向いていない男だったが、経営者には向いていたらしい。純嶺と同じ二十二歳だというのに、こうして都内でいくつもスタジオとスクールを運営していた。
純嶺もこうしてよく、このスタジオを利用させてもらっていた。
たまにダンス講師の仕事を引き受ける代わりに、ここであれば二十四時間いつでも好きなときに使っていいことになっている。
「……動き、確認しておくか」
純嶺は立ち上がると、軽く柔軟と準備運動を始めた。
手元のタブレットを操作し、一曲目の始まる前、オープニング映像の終わり付近に動画のタイムラインの駒を動かす。
完全防音とはいえ遅い時間なので、スタジオの音響設備を使うことはやめておいた。
ヘッドホンから流れる音に合わせて、身体を動かす。
純嶺が踊るのは、すべてコウのパートだ。
先ほどタブレットで見たばかりの各メンバーの動きを頭に思い浮かべながら、振りの一つ一つを確認していく。本来ならば、ただの振付師で自分が踊る必要はなかったが、純嶺の場合はこうして身体を動かしながら振りを検証するほうが性に合っていた。
やはり、自分はダンサーなのだ。
だが――ステージ上で踊ることだけは、決して許されない。
――Subじゃなければ、よかったのに。
それが考えたところでどうにもならないことだということは、純嶺も嫌というほどわかっていた。
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